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2010年3月31日 (水)

三月は去る

 三月は去ってしまうほど、早く過ぎ去って行く、といわれている。早くも第一四半期が終わってしまった。各社の多くは、2009年年度末の決算が、一様落ち着いた事であろう。良かったところ悪かったところ、こもごもの時代である。そんな煩わしさから離れただけでも、ゆったりとした気持ちになっている。

 昨日までの底冷えとは打って変わって、暖かくなった。そんな時は散歩に限る。成城学園前の古本屋をのぞくことにした。美術系の古書が多いが、やはり高い。ボケ爺のポケットにはそれを買うお金は皆無だ。後ろ髪を惹かれるが諦める。むなしい。

 そこで1時間ほど過ごして、成城6丁目から7丁目の成城学園側の地域を散歩する。昔から桜並木の街として有名だ。今年も見事なサクラが街路樹として、庭の木として、一杯だ。7丁目の角のおすし屋さんは、住宅街にもかかわらず店を構えていたが、なくなっていた。昼食を逃す事となった。そこをまっすぐ行くと祖師谷に入る。

 祖師谷公園は一等地の住宅街には似合わないほどの広さである。公園の中央を仙川が流れている。川の中には中洲があり、黄色や紫の菜種が咲き誇っている。公園はワシントン帰りのさくらが見事に満開となっている。いくつもの、サクラ見のグループで賑わっている。

 暫くベンチで休む事とした。心地よい風に吹かれて、ボーと枝一杯に咲き誇るサクラを眺めては、目をつぶる。不思議なのは、幹から、いきなり咲く数輪の花に妙味を感じる。小鳥のさえずりも何時もより元気そうである。そう言えば、我が家に毎年やってくる鶯が、今日まで来てくれていない。異変が起きているのだろうか。朝の目覚まし代わりが居なく、寂しい。ボケ爺の人生のギアチェンジに合わせるように。暇が出来、散歩などしていると、すぐに「こんな人生でよかったのか?」と悩むのだが。過去を見ない、これからの夢に向かって、と言い聞かせているのだが。

<読書>

「人間失格」太宰治 新潮文庫

前に読んだことがあるのだが、その時は気持ちが悪くなって途中で放り投げてしまった。作中と同じように、吐きそうになったからだ。再読すると、心の秘だが、リアルに描き出されて、今のボケ爺にはなんだか、子守唄のように聞こえてくる。「なるほど」と言うことだ。大なり小なり、太宰の人生と重なるところが多い。未だに、生きることへの不安は拭い去れないボケ爺は、こんな美しい文体で、ねじれた体験の自叙伝は書けないだろう。

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2010年3月29日 (月)

電車の中の恐ろしい会話

 休日だけど資料の整理のために事務所に向かう電車の中での出来事である。たぶん千歳烏山から乗り込んできたであろう老夫婦の会話である。というより、婦人の一方的な話である。夫人の方は相槌を打っているだけである。

 「あの子は出世しないわよ」「どうして?」「だって、仕事は過不足無くこなすでしょうけど。それ以上ではないでしょ。」「それだけでは?」「人はずるさがないとだめよ。あの子はまじめすぎるのよ。出世するには、不良的と言うか、悪さが無くちゃ。」「。。。。。」その後の会話は程なく、なくなってしまった。夫への批判でもあるのか?明大前で降りていった。

 思わず、夫婦の服装と顔を観てしまった。結婚式に出かける様子ではない。中の上の感じである。旦那よりははるかに若く見えた。顔からは穏やかで狡猾な人には見えなかったが。どんな職業の人だろうか?どんな人生を歩まれた夫婦なのか?疑問が次々に湧いてくる。「まじめな人間は世渡りが難しいのだろうか?」

 ボケ爺の人生に当てはめて、果たして、どうだったのだろうか、と、考え込んでしまった。出世できなかったのは、生真面目だったのか?確かに、と思い当たるところもある。中途半端な不真面目でもあったし、ずるくもあったし、悪でもあったのに出世はおぼつかなかった。逆は新ならず、か。世に言う「悪い奴ほど生き残る。」とは、よく言ったものだ。「とにかく世渡りは難しい」は確かだ。太宰治の斜陽を読んでいたので、特に、生きることの厄介さと、人間観察の恐ろしさを垣間見てしまった。

<読書>

「斜陽」太宰治 新潮文庫

4人の生き方を描かれている。他人に対し、鷹揚に生きていける人、一言に傷がつく人、身分に不安を抱き、ぐれてしまう人。平然と体制の中で生きていける人。いろんな人生がある。が、そこに意味があるだろうか?太宰は言わせる、「世紀の不安に対し、革命と愛が必要だ」斜陽はたそがれではない。明と暗の間で考えることである。

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2010年3月27日 (土)

若者に声を掛けられる

 昨日は、愉快な経験をした。少し時間が出来たので、近くにあるブックオフ(古本屋チェーン店)に出かけた。初めての店なので、先ずはぶらぶら。200円コーナーがあり、経済経営関係の単行本が山済みにされている。(105円コーナーは有名なところであるが)

 その前で、一人の若者が、二つの買い物籠に次から次に詰め込んでいる。ちらりと見ると、節操がない、と思ったのだが。読書する事はいいことだから、頼もしくも思っていた。すると、近づいてきたかと思ったら、いきなり「どんな本がお勧めですか?」と聞いてきた。ボケ爺は「どんな分野をお探しですか?」と当然聞き返した。

 大学生らしい、それも地方の。「就職活動をしています。船井総合研究所に入ってコンサルティングの仕事をしたいと思っています」「すると、政治、経済、経営にわたる広い範囲になりますね。」「はい」「一日の読書量はどのぐらいですか」「これからは11冊をこなしたいと思っています」「結論から言うと、思想を持たなければならないので、哲学書、木田元先生の新書版から始めてみては、新進では、福田知也でしょうか」「ハイ、分かりました」「読解力をつけることは、先ず初めに、小説を兎に角沢山読むこと」「誰が良いですか」「誰でも良いが、先ずは、夏目漱石ですね。それに、藤沢周平。」「推理小説は?」「良いですね」「現在の社会情勢を知る思想は、複雑系です。田坂広志の「複雑系の経営から始まって、弁証法まで、呼んでください」などなど。

 突然の問いかけに、ボケ爺、たじたじになった。今までのまとめが出来ていなっかたと。今までの整理をしなければならないと大いに反省をした。若者よ!率直な質問にありがとう。

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2010年3月23日 (火)

春のお彼岸

 今日はお彼岸の日にふさわしく、前日までの強風は収まり、晴天だ。森のテラスのある坂道から見える富士山は雪を抱いて悠然とそびえている。その森のテラスでは、適当なお年の淑女(否、熟女か?)五人の宴会で盛り上がっている。寒そうだ。毛布はひざに掛かってはいるが。

 桐朋学園の裏には、浄土真宗系のお寺が5~6軒集中している。地元の人達の話では、関東大震災のときに、仙川に疎開してきたのだという。線香の匂いが、いたるところに広がっている。お花も新しくいけられて、今日は特に華やかになっている。お年寄りが、孫か、を連れ、花をもたせ、歩いてくる。この季節だけは、お年寄りの楽しい散歩になるのだろう。

 これらのお寺に共通するのが、大木の真っ白のこぶしが満開である。枝垂れ桜が、3分咲きになっている。これは春の彼岸の見所である。桐朋学園の木蓮も満開である。その横に、「仙川入り口」の小田急バスの停留場がある。いつも薄暗い場所であったが、今日は明るい、と思いきや、桜の大木の枝が、道路にはみ出している分、切断されてしまっている。なぜだ?バスの天井をこすってしまうからか?それとも、歩行の邪魔になるからか?

 仙川駅前の名物桜も、もう一息で咲きこぼれそうだ。ボケ爺はここの桜の開花が待ちどうしい。

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2010年3月19日 (金)

寂しげなラッパ水仙

 我が家の西隣は、10数年前から、空き地になっている。バブルの年の後、差し押さえの土地となって、競売されないまま今日に至っている。役所が草刈には来ているようだ。その片隅に、枯れ草の中から、一株のラッパ水仙が、朝日を浴びて黄色の鮮やかな花が輝いている。しかし寂しそうだ。少し高台になっているから、歩く人には気が付かないだろう。

 イギリスは、このラッパ水仙が春の知らせを告げるようだ。あぜ道にも、家々の軒下にも、黄色が乱れ咲く。透き通った青空とともに、そのコントラストで目が覚める。日本では、沈丁花の匂いで鼻をつき、レンギョの黄色が盛りとなっている。サクラは例年より早まりそうだ。春は気分が良くなる。浮かれるとともに、居眠りも増える。しかし、夢で見る物語はさえない。

 西隣のラッパ水仙を眺めていると、なんだかボケ爺の人生の末期、つまり今の状況を代弁していてくれているようで、哀れで、いと寂しい。定年とは、今までの実績を差し押さえられて、野曝しになることだと思う。活用の余地が有るには有るが、古すぎて時代遅れか、有意義性が見出せないか、嘆き節と勘違いされるのか、そんなところだろう。捨てられの身なのだ。人生を一度精算してしまわなければ、次には進めそうにない。一輪の「華」など望むべきでない、と、ボケ爺の、答えの出ない堂々巡りに終わりはない。消化する方法が未だ見つからない。「バカな、アホな老いぼれめ!」「意気地なし」と。

<読書>

「黒白 上下」(剣客商売番外編) 池波正太郎 新潮文庫

人生に白黒つけなければ、と考える人、白黒などない、と考える人、との戦いの物語である。剣客の力は、剣道、人を切る力のことであり、今で言うと、学問力(研究/開発力)、評論力に置き換えられるのだろう。学問、研究、開発にあくまでこだわって生きるのか、ある程度きわめて、処世を考えて長生きを心がけるか?考えさせる物語であった。

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2010年3月18日 (木)

花粉症

 諦めてはいるが花粉症は、全く不愉快である。ドイツに向かう機内ですでに軽くなり、着いたころには、鼻づまりは解消している。成田に帰ってきた途端、鼻がムズムズ。自宅に付いたころは、元の木阿弥である。

 花粉症になるのは、抗体が不足しているからだろう。その前に、花粉を検出する免疫たんぱく質があるはずだ。その免疫細胞は、花粉症になるから、全うに働いてくれているのだろう、と思っている。

66ほどの免疫細胞で、22個か24個の細胞は、はっきりとした働きが分かっているが、残りは、どんな働きをしているのか、皆目分からないらしい。複雑系には冗長性が必要らしい。この冗長性があるがゆえに、危機に対応できる、とボケ爺は確信している。社会も、企業も、この冗長性を取り除くと、多分沈没するだろう。

さて、検出能力に差があるのか、検出後の抗体の能力に差があるのか、で、かかる人、からない人に分かれるのである。ボケ爺は、苦しみながら、研究を続けている。体温に関係するのか?血圧値の関係するのか?食事に関係するのか?

花粉症中で、重くなる時、軽くなる時がある。体温は、高目が楽になる。血圧は低目が良いように思える。まだ確信はない。お風呂に使っていると軽くなる。歩いていると軽くなる。睡眠は寝込んでから、23時間後から鼻水が増える。朝方が最高だ。どうも食事には関係しないように思う。中華の日、ステーキの日、和食の日、寿司の日、ウナギの日、トンカツの日、全く変化がない。研究にもお金が掛かる、定年後の生活、これ以上の浪費は出来ない。

この観察結果は如何でしょうか?皆様の経験を教えて下さい。

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2010年3月14日 (日)

悩めるドイツ?

 東ドイツ統一後、経済は一向に浮上できない状態にあると言う。旧東ドイツのライプチッヒに住んでいる人が言う。旧東ドイツ地域は失業率が20%ぐらいだ、と言う。産業マップも大きく変化してしまった街々が多い、と言う。

 ドイツの市街地では速度制限が当たり前になっているようだ。実は、夜半に到着して迎えに来てくれた方の車が、ブレーメンの市内から高速に乗る直前で、前の大型トラックを追い越そうとして、80km/hほど出した。いきなり黄色いフラッシュが光った。「あっ、スピード違反をしたようだ。」隠しカメラが作動したのだそうだ。なんと60km/h制限区域であったようだ。翌日そんな話題で盛り上がった。訪問先の社長は、日常茶飯事だと言う。「政府もお金がなくなったので、稼いでいるだけさ!狡い国になってしまった」と嘆いていた。

 帰国の朝、4時半にブレーメン空港で、チェックインの手続きをしようとするが、前の4人組が一向に終わらない。母と兄貴に2人の娘らしい。兄貴が交渉するがうまく行かないようだ、一斉に、荷造りを組み直している。一番大きな荷物が、制限オーバーらしい。やっと、その分は通過したが、さらに次の二個の荷物を提示したが、受け付けない。どうやら、一個で4人分を使い果たしているらしい。母が交渉したが、追加料金が払えないらしい。「兎に角一度考えよ!」と脇に避けた。一番下の娘は、ペルシャ猫の目のように、エメラルドグリーンの透き通った美しい顔をしている。何一つ、社会の汚れを知らない目である。多分、高校生ぐらいか?そんな目でジーと眺められると、ボケ爺の腐った人生を批判されているようで恥ずかしくなった。

 多分、東ヨーロッパからの出稼ぎが成功しなかったのだろうか?失意の片道切符のようだ。日本の平和ボケがいいのか悪いのか?これから重要な決断の時が来るだろうと考える。

<読書>

「人生に効く漱石の言葉」木原武一 新潮選書

 漱石の考えていた事は、奥が深いのだ。一二度読んだだけでは、ここまでの分析は出来ない。「人生の意味とは」「不安は何所から来るか」「人生に完了するのか」「人情とは」「愛情とは」「義理と利害、など」今までにない漱石評論である。これをもっと熟読して、もう一度、漱石の作品を読み返したい。ボケ爺のように人生の末期で、やっと分かることが多い。意味深い著作である。

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2010年3月13日 (土)

ドイツの田舎での食事

 ブレーメン(Bremen)は、ドイツでは相当の田舎である、と思う。世界第一次戦争では活躍した村だったのだ。そこから、75Km北の北海の河口の海辺の村で会議があった。ファーレル(Varel)あるいはサンダ(Sando)である。

 ドイツメシはまずいと、今までは信じていた。経験は主にはミューヘン市と、ハノーバー市であった。春のアスパラガス以外は。あっ、もう二つ、ゆでた白いソーセージ、と、ビールがあった。しかしだ、初日の昼、ヨットハーバーと言って笑われたが、10隻ほどのヨットは停泊していた。その前のレストランで食事を取った。「田舎料理だけれど、ここは地酒も作っている」、と説明された。例の酢漬け魚類、衣揚げした魚類、などなど、ところが味の方は格別に美味しいのだ。ドイツなら何所にもある常備されている食材なのだが、初めて味わう美味しさだ。

 その夜は、北の田舎料理レストランだ。小エビのスープがここのお勧めであると言う。さらに豚ステーキもおいしいだろうと言う。ホップクリームが入った小エビスープは、驚きの美味である。スープは少し甘いが、小えびが塩っぽい。このコンビがすばらしい。豚ステーキも始めての味であり、脂身がないのが驚きだ。

 ブレーメンの街での昼食は歩き回って探したが、やっと入ったレストランが、200年ほど続くビール屋のレストランであった。軽く、と言う事で、ドイツレストランにもかかわらず、ピザを頼んだ。これがまた、イタリアンレストラン顔負けの味である。年寄り二人で、25cmものを2個も食べてしまった。当然ビールの味は言うまでもない。

 アムステルダムでは、頑固として守っているのは自転車である。100年は変化していないデザイン物ばかりが走っている。がっちりした鉄パイプでの自転車。前に大きな荷台の付いた三輪車。子供を前に、荷台にもなっている前に長く伸びた二輪車。伝統と言うのか、頑固と言うのか?

 確実に食事の味は美味しさを求め、進化しているようだ。多分ゆっくりとしているのだろう。自転車は変わらないのだが、乗る人は少しずつ経済の変化にまみれて、綺麗な、現在風な服をまとって乗っている。

 商談を了解してくれた企業の社長も言う、無理をすることなくゆっくりと確実に、儲けて、ある時、もっと田舎でゆっくりと絵でも描いて暮らしたい、と。

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2010年3月12日 (金)

フリー(Free)

 最近、フリー(Free)なる本が良く売れているという。ボケ爺のビジネスはフリーを求めてのビジネスモデルの開拓ばかりである。そのノウハウをここでは明かせない。本件のフリーはまったく別の意味である。仕事から解放された、と言う意味である。格安チケットのせいで、待合時間が大幅に出来てしまった、と言うことだ。

 朝、3時に起きで、ブレーメンの空港に向かう。海の波と錯覚するような美しい雲の上を滑空していた。スキポール空港に着いたのが、7時半だ。帰りは、17時40分に出発となるから9時間ほどの自由時間が出来てしまった事になる。そこで、アムステルダムの町を散策することにした。電車でアムステルダム中央駅に出た。まだ8時だ。早々にトラベルセンターに向かうが、8時45分からでないと開かない。駅前の結構立派なホテルにて、市内地図を貰う。一番遠い、ゴッホ美術館まで歩くと、「どのぐらいかかるか?」「約30分だ!」「無理をせず、トラムか、バスか、水上バスを使ったら」と言われたが、ボケ爺、頑固にも歩く事にした。しかし、街の重要な観光用建造物は、いたるところ修理中である。残念。

 それにしても、古い建物が重厚に建ち並び、歴史の街だと、圧巻である。町の中を流れる運河が情緒をかもし出す。ベニスなどもこうなのか?以前一回この街を訪れている。ボケ爺の絵心が沸々とよみがえる。確か、ホテルオークラの近くの安ホテルに泊まり、当然ゴッホ美術館にも行っている。運河の見えるカフェでコーヒーを飲んだことも記憶にわずか残っているが。ゴッホ美術館は、全く記憶と違っていた。カフェで運河に面したところは見つからなかった。

 昼食を併せて、5時間の散歩となった。ほぼ街を一巡した。足は棒のようだ。曇っているが、冬独特の情景だ。それにしても寒い。風が少ないことは幸いした。鼻が赤くなるのがよく分かる。白い肌の女性の鼻が赤くなって可愛い。春か秋に来て、絵描き三昧をしてみたくなる。こんなフリーをこれからも援助したいものだ。

<読書>

猫だって夢を見る」丸谷才一 文春文庫

こんな博識のコラムを読んでいると、自分が惨めになってくる。どんな記憶力なのか?そんなに沢山の知識が詰まっている脳の中で混乱しない事だけでも驚きだ。ボケ爺のブログが、哀れになってくる。

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2010年3月11日 (木)

辺鄙な田舎の朝市

 我が滞在ホテルの前は石畳の広くはない広場になっている。今日、水曜日は朝市が開かれるらしい。5時ごろから、車が入ってきて準備している。時差で眠れないから、騒がれても寝不足だ!と、恨む事もない。

 滞在ホテルはこの村では一番の大きなホテルらしい。それでもほぼ満員と言うから、この真冬に、どんな仕事があるのか想像できない。ヨーロッパの田舎のホテルは殺風景だけれど、従業員など、いつもニコニコして挨拶を交わす暖かさがある。都会のアメリカ風のホテルとは一味違う。朝はゆったりと、まずまずの食事がいただける。宿泊料金に含まれている。

 こんなに小さな村でも朝市は、車で来て、近代的である。9台ほど留まっている。中身をのぞいてみると、日常生活の食材が一通り揃っているようだ。魚が以外に安い、と思った。果物屋さんは二軒も出て、山済みである。何でも揃っているが結構高い。肉屋さんも二軒出ている。鶏肉は安いが、牛肉はやはり高い。豚も当然安そうだ。販売単位が大きいので、比べる手段がない。八百屋さんも品数は多い。名の分からない地元?の野菜?など結構安そうだ。そのほか、スパイシー専門店、パン屋さん、お花屋さん、卵専門店、ジャム屋さん、チーズ屋さん、など。

 曇りで霧が出ている。霧氷が以外に美しいのには驚いている。この寒いのにも関わらず、小鳥が結構騒がしい。こんなに寒いのだが、春の気配を感じているのだろうか?午前中は仕事で、後からブレーメンの街の観光に出かける。やく75Kmだ。

 Bremenは小さな町だけれど、古い街である。1700年代の商工会議所が綺麗な建物であり、いろんな路地も面白い店やレストランで一杯である。童話の音楽隊の青銅などもある。古い教会はやはり立派である。残念ながら時間の関係で、博物館、美術館にはいけなかった。日本の工芸品の店がヒルトンホテルの一角にあって、いろんなものが山済みされていた。オーナーはドイツ人夫人であって、日本好みの人が多くて、結構売れているという。これだけの沢山の品揃えの店は、日本でも珍しいだろう。まして、今までに世界で見たことがなかった。折り紙から色紙、陶芸品、漆、掛け軸、竹製品、お茶セット、着物、何でも揃う。新しい発見である。ボケ爺はドイツと日本とのコラボの芸術を作ってみたくなった。

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2010年3月10日 (水)

我がベイビーに出会う。

 懐かしい!最初のベイビーに出会った。もう忘れていた子供である。訪問した会社の会議室に、歴史が飾られていたが、なんと我が苦労に苦労した難産の、最初のベイビーが大切に鎮座していた。思わず感激の涙腺が緩む事となった。

 そのベイビーは、シーメンス、ニックスドルフの大手にOEMを決めて幸先のいいスタートを切った優秀で、自慢できる我がベイビーだ。何故ここにあるのかと諮問したら、我々もこれを使ってビジネスをして成功したと言う。いい子供であると褒めてくれた。ミュンヘンに在った販売子会社のマーケティングの人々、セールスの人々の、懐かしい名前が飛び出してくる。しばし、昔の苦労話に浸る事ができた。

 20数年ほど前の子供である。まさかの出会いである。「これは製品ではない」、と上司に出荷を指し止められた第一号機である。この製品には数々の苦労話がある。さらには、上司に逆らって出荷した製品である。結果は良く売れることとなった。しかし市場問題も多かった。知らない使い方が多かったからだ。いい勉強をした。

 さらには、その前にコンピュータの基幹系に作った製品を、違う市場に改造した製品も実験室に置かれていた。これとて、懐かしい。上司を騙して、全く違う市場向けに、こっそりと、黙って出荷したからだ。

 こんなドイツの片田舎で、我がベイビーと出会うとは誰が予想できたであろう。しかも、元の企業でも、シーメンス、ニックスドルフのOEM先に行っても、捨てられていて、お目にかかれない過去のベイビーが、ここに大切にされていたのには、感激であり「全く嬉しい」、の一言である。

 それにしても今回の交渉は厳しい。そんなことには容赦無しである。ビジネスが厳しい事を改めて実感している。

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いざブレーメン(Bremen)へ

 仕事の関係で、ドイツの西北に位置するブレーメンにある会社に緊急訪問する事になった。経費が無いので、エコノミーで行く事になり、一番安い方法をHISに依頼したところ、何故か、3日滞在では、4日滞在の倍以上になると言う。会議での交渉は2日あれば終わるのだが、仕方なく4日滞在にした。真夜中に、ブレーメンに、一日は自由時間といっても、アムステルダムのスキポール空港で、8時間ほどの待合になる。(オランダ航空の便が最も安かった)

 機内は満員だ。添乗員が4人もいる。男子高校生30名ほどの団体、残りは、大学生の3団体であるらしい。スペイン方面、イタリア方面、パリー方面である。エコノミークラスの機内の平均年齢は、約24歳ぐらいであろう。若者に囲まれていた。うるさいだろうと思っていたら結構大人しい。目立つのは、女性が男性を捕まえて、呼び捨て、荷物の積み下ろしを手伝わせる。お酒を強要、いったい日本の男性はどうなったのか?草食男子は健在と言うことか?日本の将来に、改めて不安がつのる。

 ブレーメン空港は新しく、結構大きい。訪問する会社は、てっきりブレーメン市内と思っていたが、そこから、40分ほど、北海に近いところであった。イギリスがそこまで迫っているような場所にある。サント街、あるいは、ファーレル(Varel)と言う街らしい。

 翌日(ビジネスの交渉の日)の朝方は、マイナス5℃ほどで、霧が発生していたが、昼から晴れてきた。こんなことは希少価値だという。ランチが終わってから、街(と言っても車で5分も回れば終わってしまう)の見物と、北海に臨む海岸に案内された。と言っても有明海のような干潟である。その場所は避暑地となって、賑わうと言うが、2千名ほどの街である。この当たりは1600年、1700年ごろの歴史を持つらしいが、第一次戦争で、イギリスに攻められて壊滅したと言う。対岸には、勝手のタイプライターの名門オリンピアが1万人ぐらいの雇用をしたい場所であると言う。

 晴れ渡った雲ひとつないドライブは快適であり、雪平原がまばゆい。全ての木々は霧氷が咲いて美しい。酪農が盛んだそうだ。こんな田舎に、エアバスの工場があり、紙のリサイクルのドイツでは大手の工場がある、と言う。

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2010年3月 7日 (日)

津波(TSUNAMI)

 チリで地震が起きた。海岸に長く伸びた国はその分、津波での被害が大きかったようだ。日本では、1960年の二の舞にならないように、早くから警戒をしたが、やはり被害が出てしまった。人的被害は皆無であったが、海の産業は、壊滅に近かった。沈没の経済に追い討ちをかけた。その報道が不十分だ。

 ついでに言えば、リーマンショック以来の経済危機は、見事に、世界全土に津波を起こした。バタフライ現象だ。今、中国の景気が良いので、多少は頑張りの源が見えてはいるが、中国は不動産バブルの兆しが現れている。この震源地のマグニチュードは極端に大きそうだ。もし起きると、その津波は全世界が壊滅するほど大きいことだろう。頼りは中国政府の舵取りだ

 そう言えば、旧正月の2月半ばは、日本が中国にのっとられたかと錯覚するほど、至るところに中国人を見た。電車の中、街の中、デパートの中、秋葉原商店街、銀座中、原宿、観光バス停、などなど。大きな買い物袋を一杯抱え込んでいる。日本では、二八と言って、二月の消費は下がるのだが、今年はきっと、東京だけは上昇した事であろう。日本人のパリーのブランド漁りを笑うことは出来ない。

 冬オリンピックの報道の仕方も異常で津波以上だったように思う。カナダでは、日本のそれを失笑していた。「恥かき日本」が理解できていない。韓国、中国に、足元にも及ばなくてもはしゃいで、楽しんでいる。何事も「うまく正当化する」ことが美徳となってしまった。今の経済対策と同じ現象だ。日本の「猛烈な根性」の波は、韓国、中国に伝わってしまった。震源地の日本は何時まで沈没しているのか?

<読書>

「乾いた肌」佐野洋 角川文庫

人の関わり、裏切り方には、裏のうらがあるものだ、と、考えさせられる。このことが日常的に起こっているとすると、何を信じて良いのか分からない。それがミステリーなのか?

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2010年3月 6日 (土)

寂しい雨

 昨日は、20℃を越えるインデアンサマーとなって、一段と春めいたかと思ったのだが、今日は一転して、肌寒く、小雨が降る天候となってしまった。庭を覗くと、オランダからのチュリップの葉っぱが噴き出てきている。椿も終わりを告げるように生き花が落下している。

 東京駅から、八丁堀にある知り合いの小さな事務所を訪問するために、傘を差し歩く。ほとんど人には会わない寂しい土曜の朝である。飲み屋は、昨日の仕入れが良かったのか、けだるく準備中の看板がだらしなく斜めにぶら下がっている。橋の下を走る高速道路は、渋滞で動いていない。人気の居ない事務所街とは正反対だ。その小さな空間に、菜の花が、小雨に濡れても目を覚ますほどの黄色の花が、満開だ。

 八丁堀の路地に入ると、まだ頑なに守っている旧家の街並みがいたるところにある。その路地には、鉢植えのいろんな草花が植わっている。よくよく眺めると、新鮮な薄緑色の芽が顔を覗かせて、思わず手にとって診たくなる。雨の中を、番傘が似合う旧家の人たちが、傘も差さず掃除に忙しそうである。軒下を観て歩くとさまざまな商売があり、思わず覗き込む。そこに粋な人々に出会える。

<読書>

「どぶどろ」半村良 新潮文庫

いろんな人が居て、いろんな事件が起きる。人は、何故強欲になってしまうのだろう。人は、何故正義を持ってしまうのだろう。人は、何故人を裏切ってしまうのであろう。人は、何故人との関係にこだわりを持ってしまうのだろう。永遠の謎だ。そんな切ない世相を描いている。それが似合う作家である。

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