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2010年1月31日 (日)

1月はいぬ

 1月があっと言う間に、終わってしまった。関西弁で、「いぬ」と言う。意味は、行ってしまう、帰ってしまう、と使うようだ。簡単には、1月は早々に帰ってしまった、と言うことか?物好きにも今まで以上に飛び跳ねていた。時間の経過が一段と速まっているようだ。

 金曜日に、日本の元の会社の人たちが集まってくれて、「歓迎会」を開いてくれた。否、歳を考えると歓葬会だったかも知れない。もう、ウロウロせず、チョロチョロ顔を見せることもせず、おとなしく余生を送りなさい、との無言の助言の場であったのかもしれない。そんな戦友を持てた事に、深く感謝している。集まった人が、エピソードを披露してくれましたが、ボケ爺の想像を遥かに超える「悪態」「暴言」ぶりであったようだ。恥ずかしい限りだ。今になって謝っても、許してもらえるものではないが、穴があったらもぐっていたいものだが、穴を自ら掘ってまでの事はあるまいが。「世界一の商品を開発したい、一流の技術者になってもらいたい」、との一身であった事だけは、理解をして頂いていた、と思うのだが。

 庭には、早咲きの梅が満開を迎えている。雑草は青々として来ている。我が家の猫の額の庭にも、モグラの土盛りが見られる。家の建て替え前、約20年前は毎春見られる現象であったが、ようやく今年、モグラが戻ってきたようだ。20cmほどのガマ蛙は家出したまま未だに戻ってきてない。ボケ爺はガマ蛙にまで見放されて寂しく、1月を終えようとしている。

<読書>

「新橋烏森口青春篇」椎名誠 新潮文庫

著者の椎名誠氏の、自叙伝である。小さな出版会社でのサラリーマン生活を描いている。人との付き合い方、女性へのトキメキとアプローチの失敗など、愉快で、ほろ苦い青春時代が、さらりと描けている。

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2010年1月25日 (月)

雑音に疲れる毎日

 西高東低の典型的冬気候の日曜日となった。日本海側の地域は深い雪に当惑している。太平洋側は、忙しく何かをしないといけない義務心が働いてしまって、苛立っているようだ。仙川の街の商店街も、店員は忙しそうに、熱心に勤めている。近くの桐朋学園で、競技会があるらしい、いろんな制服の女学生が、何が楽しいのか、高い声と大声で弾んでいて、会場に急いでいた。

 実篤公園は静である。小鳥がいないのかと思っていたが、紅葉の葉っぱがしがみ付いている枝には、メジロが一羽、キョロキョロと激しく首を振っている。例年なら、数十羽で群れて遊んでいるのだが、仲間と喧嘩をしたのか、孤独の中で、誰かを求めているのか?

 森のテラスは、巨木のブナや、カシの木は、葉は完全に落ちきって枝だけになっているのだが、太陽光は枝で遮られ、寒々としている。そこからの富士山は今日も禅道と、美しくたたずんでいる。モグラの土の盛り上がりは目立つようになった。冬眠から覚めた証拠であろう。

 そんな散歩の中、退職後の生活の仕方を模索している。頭の内は、いろんな選択を提案してくれる。しかし、今はいずれの提案も選択できていない。ボケ爺の決断力の不足なのか?歳をとって優柔不断になってしまったのか?実行力を放棄してしまったのか。

 仕事を諦めれば「暇」は出来る。すると、すぐに直面するのは、「暇」を如何につぶすのか?と言う命題である。読書だけで一日を過ごせる自信はない。油絵を描き続けるだけの才能はない。ITとの融合を考えている、セラミックス、漆、竹の複合化は、実行には大変なエネルギーがいる。ワーカーフォリックは、ギアーチェンジが効かない。

 毎日の朝晩のTVは、高音の女子アナが早口でガナリ発てている。ここでもスピード勝負であるらしい。兎に角、雑音に付いていけない疲れる毎日だ。

<読書>

「レッスン」五木寛之 幻冬舎 

五木寛之の恋愛小説のひとつである。人間の成長はいろんな経験が必要で、実態を感じ取り記憶の集積を増やし、それを手繰る事によって、成長を繰り返す、と言う、五木寛之の持論のよく出た作品だ。

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2010年1月23日 (土)

<読書>

 寒暖の差が激しい日々が続く。庭の早咲きの梅は早くもピンク色の花がほころびそうである。最近のブログに、<読書>を書き込むのを忘れていた。この間約1ヶ月。下記のようなものを読んだ。

「トリエステの坂道」須賀敦子 新潮文庫 

以前に読んだ「ヴェネツィアの宿」の続編のような物で、特に目立つのは、自分の夫とその家族を赤裸々に語っている自叙伝でもあろうか?それにしても長文の文章は変わらずすばらしく美しい。「見事」、と言う表現しかない。

「万両ノ雪」(居眠り磐音、江戸双紙)佐伯泰英 双葉文庫 

居眠り磐音は坂崎磐音と言い、家老の息子である。このシリーズは大変に人気があって、今もシリーズは続いている。NHKでドラマ化されて人気があったとか?気楽な読み物である。息抜きに好い。

「疾走」重松清 角川文庫 苛烈なストーリである。

いつも穏やかな、ほのぼのとした物語しか書かないと思っていた重松清は、ボケ爺はファンであった。今回は実に息苦しい物語である。人間の襞を抉り出し、反吐を吐き出させる。人間とは、「孤独か、孤立か、孤高か」、を基本から考えさせられる。

「活字三昧」目黒考二 角川文庫 

読書家のエッセイである。月に60冊を読破する努力をしているらしい。分野は問わない。ボケ爺は、こんな生活はゴメンだ、と言うより能力がない。

「マーケティングを学ぶ」石井淳蔵 ちくま新書 未だ懲りず市場主義、顧客主義であった。

「理科系の企画力」宮永博史 詳伝社新書 理科系企業人への応援歌である。

「逆境経営 7つの法則」水尾順一 朝日新書 成功物語からの抜粋である。失敗とは両刃の剣であるのだが。

 このような読書録をブログにするのは気がひけるのだが、生きている証拠として。

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2010年1月21日 (木)

深セン(ShinZen)について再び

 13年前の深センは、多分、香港からのローウー駅(香港側)と、深セン駅(中国側)があって、歩いて渡って、入国手続きをしていた。深セン駅の広場の先に、ホテルがあって、公式のホテルは、二つほどしかないと聞いていた。駅前広場ではたくさんの人がたむろして、大きな荷物を背負っていた。街並みは、高層ビルで埋め尽くされてはいたが、道路は狭く、車は古く、多くはなかった気がする。自転車が多かった。

 今宿泊しているホテルの位置は、昔の市街地から、西に5kmは移動している、と思う。奇抜な市庁舎の隣には、深セン証券取引所を統一する大きなビルが建設中である。その対面の政府系投資企業のビルの中に設けられたホテルの滞在は快適である。このビルに勤める人々は紳士淑女だろう服装がしっかりしている。特に女性のファッションは世界共通になってきている。グローバル化は女性のファッションから始まるのかと思う。

 5時ごろから、クレーンのきしむ音が聞こえてくる。年寄りは朝早く目が覚める。散歩に出るも真っ暗だ。路上では、朝食のテイクアウトの屋台が数多く準備を始めている。いずれも女性である。自転車通勤の人に出会うが、80%は女性であり、よく働くそうだ。大きな道路は濡れている。雨が降ったのかと思ったが、そうでなく水がまかれているのだ。土ぼこりをおさえるためだろう。車量は多くなり、新しい。50%以上は日本車だろう。北になるとヨーロッパ車が断然強いようだ。タクシー車も結構いいものを使っている。

 この周りは金融街だと聞かされていたが、大きなビルが何十本と建っていて、それらが全て銀行や、証券企業の看板である。こんなに多くの銀行や証券企業は投機ためだろう。投資に燃えている事となる。昨日の夕食は訪問した企業との会食であるが、その時にも、同伴してきたのは投資銀行の責任者である。なんと30歳で仕切れるという。大学ではエリートだったと紹介された。

 それぞれの訪問先の人の話は無茶な事が多いのだが、実現しいてしまうのだから、恐ろしい。それが情熱なのだろう。あえて言うなら、発展には格差が必要なのだと。平均給与の高く、平等を志向する日本は大きな経済発展は難しく、現状維持(GDP、0%)を守る事がこれからの課題であろう。

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2010年1月20日 (水)

香港、珠海(Zhu Hai)、深センへの出張

 日曜日の夕方、成田から香港に飛び、翌朝、珠海(ジュハイ)(香港の西の対岸、マカオの北)にある企業を訪問した。高速の船で約1時間の旅である。香港の港も良くできていて、高速艇が沢山桟橋にいる。出国手続きもしっかりとチェックがあり、飛行機の時と同じである。船の便が便利に出来ている。(新しくなった香港空港は、今回が初めてである)

 珠海(ジュハイ)はバナナ畑の田舎であると聞いていたが、とんでもなく、大きな街で、高層ビル、高層アパートが建ち並んでいる。看板には、リゾートマンションの宣伝がいたるところに貼り出されており、買える人たちがいるのだろうかと心配してしまう。訪問先の企業のビルの窓から眺める街の姿は、中国の現状を現しているように、川沿いには、貧困層のかやぶきの家々が建ち並んでおり、両サイドには高級アパートが所狭し、と立ちはだかっている。韓国のアパート群と同じようだ。いたるところ新しいビルが建設されている。

 一旦、香港に帰り、香港企業を訪問。一緒に会食した地元の店の味は、さすが香港と言うだけの、言い尽くせない美味しさである。街並みは、旧正月前の賑わいである。人で溢れかえっている。話によると、香港の人口は1400万人だそうだ。何所から来るのだろう、このエネルギーは、と田舎者は呆然としているしかない。

 深センには、同じように、高速海上バスで、蛇口(She kou)までいった。約40分である。深センの中心から、かなり離れている港町で、どうやら、中国側の積出港のようだ。電車で行ったほうが早いのでは?と思ったのだが、訪問先の人からは、蛇口港にして欲しい、と言われていた。ボケ爺は、深センに13年ほど前、4回ほど訪問した事がある。蛇口港らか旧市街地まで、20kmほど途切れることなく高層ビルが建ち並んでいる。街の中心が西に移動していたことになる。企業ビルの後ろには、高層アパートは建ち並んでいる。訪問先は広大なサイエンスパークの中である。道路も広く綺麗に生まれ変わっていた。証券取引も、深セン取引所(北京、上海、に続き深センである)が出来るぐらいだから、経済特区として、成功した街である。平均年齢が、31歳程度だそうだ。オフィス街の昼時の食堂は、勤め人の若者で賑わっている。この情熱は何所から来るのだろう。

 またまた、日本はこれでいいのかと悩む事になった。

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2010年1月16日 (土)

神戸空港

 朝早く、羽田空港に到着、神戸行きのスカイマークエアーラインにチェックインを終えて、フライト時間を待っている間、カウンターを見学して、事態を見守った。JALのカウンターは閑散としている。ご承知のように、JALは会社再生法により再建されるようだ。株価も7円と言う。

 神戸あたりは新幹線を利用していた。主には、運賃による。しかし、驚いたことに新幹線よりも安い、しかも早いのだ。考えを変えなくてはならない。JALや、ANAがそんな運営が、何故出来ないのか?カウンターで働く人も、ゲートでも、同じ人である。海外では当たり前なのだが、JALや、ANAは違う。キャビンアテンダントのユニホームも、カウンターなどと、同じであり、原価低減に努めていることが分かる。機種も統一されているようだ。

 神戸空港は始めての経験である。寂しい空港である。本当に、大阪近くに3空港も必要なのだろうか、と疑ってしまう。JALや、ANAの経営を圧迫している理由に、47箇所もの日本の空港の投資の返済を担わされているからだろう。JALも行政の貧困が生んだ犠牲者である。行政の貧困は、日本国、つまり日本人論で言う、日本辺境論で解き明かされている。

 ポートアイランドも人が少ない、港湾は静である。神戸の住人が言うには、15年前の阪神淡路地震のためだという。地震による港湾のダメージは大きかったという。釜山に取られてしまったのである。未だに港湾産業が回復出来ない経済状況は、これも行政が悪いのだ。戦略がないからだ。

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2010年1月 3日 (日)

「降り方」の心得

 昨日は高尾山に、息子と昇った。息子は走り、ボケ爺は歩く。当然、今朝は筋肉痛である。どうして筋肉痛は起きるのか、その山登りで考えた。

 筋肉痛の大半は下山時に起きるのではないかと思う。韓国での生活中で起きた、右ひざの痛みは、下山の時に起こしてしまった。4年後でも完治していない。息子に言われた。「ブレーキをかけるように突っ張ってはならない。前傾姿勢で、膝を柔らかくして、足の裏が同時に地面につくようにすること」、と注意された。確かに、痛くなり始めた膝が治り、走るように下りる事ができた。しかしその分筋肉を使っていたのだ。その分、筋肉痛が起きる。とかく、「降りる」ことは難しい。

 人生も同じではないかと、思った。ボケ爺はとっくに、人生折り返し点を過ぎている。過ぎているのに関わらず、姿勢は反り返し突っぱねながら、後ろ髪を引かれながら、無念を引きずりながらでは、膝(この場合は脳)は、ガクガク、ゲラゲラ笑ってしまうのである。

下山の姿勢の基本に戻って、人生を「降りることに躊躇することなく」、前傾姿勢で、今までの思考力で十分だから、柔らかく、しなやかに生きることだと、考えた。決してこれは、悟りではなく、下山の筋力と同じように、脳力と、心身力の使い方は真実であり、実行しなければ、これからはゲラゲラ笑って、狂ったり、呆けたり、してしまうのだろう。脳の痛みは、当然起きる。それを鍛えるのは、手仕事を趣味にする事が良いのでは。

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2010年1月 2日 (土)

初夢は?

 初夢に期待したのだが、残念ながら、思い出せない。ボケ爺、近くなったわけではないが、2回もトイレで起こされて、せっかくの初夢は乱れてしまったのだが?最初は、なんだか、これから如何するのか、そのための一年の計を建てなければならない、と考えているだけで終わったような気がする。何はともあれ、よく考えなければならない課題なのだ。

 息子が高尾山に登ると言うので、ボケ爺をお相手できるのも、今年で終わることになるようだから、息子と登る事にした。鍛え方が違うので、体力の差で迷惑のかからないように気を使ったが、完走することは出来た。今日は特別の日である。気温は低いが、風邪も無く天気がよく、富士山も美しく見えるし、横浜の海の先には房総半島の山々が見えた。頂上の峰の登山道は、土が凍て付いているところもあり、10cmを越す霜柱が残っているところがあったが、結構汗をかいた。

 ニュースでは、日本海側、北日本は大雪で、大変な事になっている。これからの経済の先行きを予想するような現象だ。2010年は予想できない荒れ模様の乱気流となろう。

 変化の年である。再生が進んでいる米国、改革している欧州、躍進を続けている中国を初めとするアジア諸国、しかし、日本はこのまま衰退するのであろうか?日本は、福祉、環境技術でリーダになれるという人が居るが、果たして、それで経済は回復するであろうか?iPSの臓器再生と、人工光合成技術に、ボケ爺は期待している。

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2010年1月 1日 (金)

2010年元旦

 今年の夜明けは実に、何十年ぶりかの正真正銘の正月らしい正月、となった。寒く凍て付き、ご来光は美しく雲を赤く染めぬいて、西を向けば、富士山が雪を抱き、強風で雪が飛ばされ出来た雲のような物まで、くっきりと見える。今年は、良い年になってもらいたいものであるが。

 前から読んでみたいと思っていた、「ヴェネティアの宿」須賀敦子 文春文庫 を手に取った。正月早々、良い本に出会ってうれしい。美しい文体である。名文とはこのようなモノを言うのであろう。センテンスは長いのだが、それがよどみなく、するりと読めるには、一方ならぬ訓練が必要であったのだろう。それとも翻訳で鍛えられたのだろうか?本当に清々しい気持ちになった。喫茶店でコーヒーを飲みながら一気に読み終えた。その分記憶に残らないのは、ボケ爺の理解力と記憶力の問題で、作家の問題でない事は当たり前である。

 漱石は、絶えず考えていた、「何のために生きているのか」と。ボケ爺の問題としては、「自分に何が出来るのか」の悩みの連続である。今年の元旦早々、この課題から始まっている。懲りもせず一生続けるのであろう。晩年の作「道草」で「・・・何遍でも繰り返し已めなかった。彼は最後に叫んだ。「分からない」」と言う。ボケ爺も最後まで「分からない」のかもしれないが。漱石は、又言う、「やってみないとわからない」だから、「厚顔無恥」の破廉恥な実行が必要だ、とも。

 さて、せめて、夢の中だけでも答えがほしい。よい初夢見るために、早々に寝て待とう。

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