2010年元旦
今年の夜明けは実に、何十年ぶりかの正真正銘の正月らしい正月、となった。寒く凍て付き、ご来光は美しく雲を赤く染めぬいて、西を向けば、富士山が雪を抱き、強風で雪が飛ばされ出来た雲のような物まで、くっきりと見える。今年は、良い年になってもらいたいものであるが。
前から読んでみたいと思っていた、「ヴェネティアの宿」須賀敦子 文春文庫 を手に取った。正月早々、良い本に出会ってうれしい。美しい文体である。名文とはこのようなモノを言うのであろう。センテンスは長いのだが、それがよどみなく、するりと読めるには、一方ならぬ訓練が必要であったのだろう。それとも翻訳で鍛えられたのだろうか?本当に清々しい気持ちになった。喫茶店でコーヒーを飲みながら一気に読み終えた。その分記憶に残らないのは、ボケ爺の理解力と記憶力の問題で、作家の問題でない事は当たり前である。
漱石は、絶えず考えていた、「何のために生きているのか」と。ボケ爺の問題としては、「自分に何が出来るのか」の悩みの連続である。今年の元旦早々、この課題から始まっている。懲りもせず一生続けるのであろう。晩年の作「道草」で「・・・何遍でも繰り返し已めなかった。彼は最後に叫んだ。「分からない」」と言う。ボケ爺も最後まで「分からない」のかもしれないが。漱石は、又言う、「やってみないとわからない」だから、「厚顔無恥」の破廉恥な実行が必要だ、とも。
さて、せめて、夢の中だけでも答えがほしい。よい初夢見るために、早々に寝て待とう。
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