« 金木犀の時候 | トップページ | 再びの資源小国の戦略 »

2009年10月19日 (月)

紅葉の時候

 1週間ぶりに帰ってきたアパートの周り、格別、サッカースタジアム周辺の木々は紅葉が始まっていた。朝方は雷で起こされる。寒さがしみるようになっていた。重装備をしてジョギングに行こうとすると、夕立である。いよいよ、冬の支度が始まった感がする。もうそこに冬が来ているようだ。

 紅葉と言えば、柿の葉っぱは、一枚一枚眺めてみると、実に深みのある美しい色彩が発見できる。その次が、イチョウの葉っぱであろう。イチョウの葉っぱは、集団でも美しい。しかし柿の葉っぱは集団では全くダサくて紅葉の趣向の味はない。かきの実は長い秋を保ってくれるのだが。

 花も同じように、個々と集団で美しさに特長があるが、花の咲く時季がずれているので、あまり自覚できない。秋の紅葉は一斉に始まるので、その特長が顕著に現れる。人にも、個人として、キラリと光る人も、集団では埋没してしまう人が居る。逆に、個人的には今一つの人でも、集団だと威力を発揮できる人が居る。植物の世界も、人間の世界も似ていると、かっては、人事を考えるボケ爺が感傷に耽る紅葉の時候である。

<読書>

「夜の寝覚め」小池真理子 集英社文庫

男と女は何時までも懲りない恋をするものだ。女の結婚動機もいまいち、はっきりしないが、男も女も一人では生きられないのかも知れない。相互に何かを求めているのだ。それがなんだかははっきりしないが、一瞬はっきりする事がある。それが、動機であり、よき人生も苦痛の人生も、そこから始まるのである、と、言いたいようである。

|

« 金木犀の時候 | トップページ | 再びの資源小国の戦略 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/160469/46529633

この記事へのトラックバック一覧です: 紅葉の時候:

« 金木犀の時候 | トップページ | 再びの資源小国の戦略 »