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2009年10月31日 (土)

技術イノベーションのジレンマ

 イノベーションのジレンマとは、「イノベーションのジレンマ」クレイトン・クリステンセン 翔泳社 2001年」から来ている。ここでのイノベーションは「技術革新」を指す。それは、経済学者シュンペーターの「破壊的革新」に通じる。

 先行している企業がいつまでも、優位の立場に居れない、と言う事を、HDDの商品開発の歴史で解析している。顧客が要求する仕様(品質)レベルに幅があるからだ。技術革新は業界マップを簡単に塗り替える。そんな例はいくつもある。半導体のDRAM然り、太陽電池然り、TVLCDパネル)が然り、携帯電話が然り、一時は日本が天下を取った、と騒いでいるが、日本は当分、立ち上がれない。

 今では、自動車産業においても、アメリカ、中国市場で、韓国の「現代自動車」に追い上げられている。韓国製EV車も、日本で、100万円で買えるように、売る込みが進んでいる。その重要な技術のリチウムイオン電池も、韓国勢に追い上げられて、日本が80%の市場を持っていたが、50%に落ちていると言う。20%ほどの差まで追いつかれている。これがイノベーション・ジレンマである。

 日本のイノベーション・ジレンマの、諸悪の根源は「カイゼン」「ヒンシツ」の呪縛に気が付かない事である。これこそ日本と、モノづくりの最大の強みたと強調するやからが多すぎる。この特長から「商品競争力の低下」は説明できない。顧客が認める以上の過剰ヒンシツ製品が多すぎるのである。「トヨタのカイゼン」、「タグチのヒンシツ」の呪縛に気がつき、開放される日はいつになるのだろうか?

真に必要な技術と、勝てる技術とは、「コモディティ化の前の低原価開発力」である。そのためには、ロングテールな開発プロセスからの脱却である。言い換えると、過去を捨てる勇気を持った開発プロセスでなければならない。

 <日本「半導体」敗戦」湯之上隆 光文社>にも、半導体の敗戦の実態が暴かれている。ボケ爺と経験と同じように、「過剰ヒンシツのニッポン」の呪縛からの開放を克明に解析している。又期待をもしている。

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2009年10月29日 (木)

イノベーションのあり方

 イノベーションを論じると、留まるところはない。いずれ連載したいと思っている。ここでは、初期的な試みをしてみたい。「技術革新」と訳されている。が、これは誤りだという説が多くなってきている。

 間違いではないと思うのだが、イノベーションの一部しか言い当てていない。ボケ爺の表現では、イノベーションとは「クリエイティブが起こす変化」と訳せば良いのではないだろうか?本件はリチャード・フロリダが叫ぶ「クリエイティブ・クラスの世紀」に触発されている。堺屋太一の言う「知価価値」にも通ずる。

 今回の経済危機での原因の、「グローバル化社会の進展」「国際金融の自由化」の見直しから市場機構は大きく変わるだろう。企業の存続性も変わるだろう。工業化社会では、幸福は財を持つ事であった。「働き、貯金をして、ものを買う」、と言う工程である。すでに、アメリカでは、クリエイティブ世紀の入り口に差し掛かっていて、「使って楽しみ、その後に働き返済する」となり始めていた。

 企業は、垂直分業の、規格品多量生産から、水平分業化で、適材適所で分業、クリエイティブ・クラスはそのアーキテクチャーを考えていればよくなった。ユニクロの一人勝ち、任天堂の一人勝ち、を見れば一目瞭然である。アメリカでも、グーグル、アマゾンドットコム、アップル、IBMなど良く理解できる。つまり、「イノベーションとは、モノづくりの技術力ではない、商品を取り巻く総合のアレンジ(アーキテクチャー)である。」

旧自動車産業(あえてこの表現を使う)のモノつくりが苦しんでいる。すでにクリエイティブな人たちによる新自動車産業が芽生えている。業界は様変わりするだろう。グローバル、水平分業がもたらす現象である。これがイノベーションである、とボケ爺は確信する。毎日がイノベーションで、戦国時代である。日本的モノつくり論は、イノベーションに合わない、と断言する。

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2009年10月25日 (日)

無印ニッポン

 8月の消費者物価指数が2.4%下がり、デフレの傾向がうかがえる、と言う。弁当の安売りが200円、ユニクロだけが一人勝ち、安いから仕方がない。兎に角ブランドが売れないと言う事らしい。それを「消費不況」と言う。

 変わる幸福論。商品を買い続けることが幸福であったが、「自分を極める」「社会に貢献」「人間関係の中の物語」と変化していると言う。大衆消費時代の終焉、と言う人も居る。

 シンプル族の出現、若者は自動車を欲しがらない。年々、若者の自動車の購買数は減っているようだ。何故若者は自動車に興味を示さないのか、単に、携帯電話の普及と関係しているのか?そうではなく、シンプル族は、持つ事に興味がなくなったのだろう。ブランドを溜めて、ステータスを誇る事に興味がなくなったのだろう。「持つ事」の消費よりも「使う」消費に興味が向いているようだ。

 地域の文化の差も無くなり、睡眠時間を減らして働かざるをえなくなり、公共投資よりも、生活再現の社会を目指す民主党の出現があり。日本が文化喪失状況にあることは疑う余地がない。明らかに活力は失せてしまっている。「無印ニッポン」という文明の転換期だろうか?

<読書>

「血族」山口瞳 文春文庫

山口瞳の母を中心とした血族の暴露本である。私小説である。家族の秘密をここまで暴露していいのだろうか?小説家として何所までフィクションか、ノンフィクションなのか?きわどい小説と言うことになる。

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再びの資源小国の戦略

 日本は、本当に資源小国である。20世紀はエネルギー資源(石炭、石油、ガス)で小国として苦しんで、21世紀はグリーン化資源で小国であり苦しむであろう。  半導体技術は何所まで発展するのだろうか?加工できる線幅で見てみると、22ミクロンか、16ミクロンか、そこらあたりだろうといわれている。そのあとは3D化、と言われる。それならまだ10年は研究開発が続けられるだろう。しかし、製造設備費用は、今までの10倍以上と言われている。製造設備産業は日本より海外が強くなっている、と言われている。資本力で強い韓国、台湾に負けた中で何所まで善戦できるだろうか、疑問が残る。  自動車も電気自動車と騒がれているが、石油の価格如何である。50ドルが維持されると、一度に実用化が後退するだろう。しかし、長期的にはEV化する。その時の資源確保が課題である。電池の材料は「リチウム」と「ランタン」が欠かせないだろう。モーターでは、「ネオジム」が欠かせない。部品である、電池、モーターで日本は世界を制覇できるだろうか?コスト低減の資本力で課題が残る。  リチウムはボリビアのウユニ塩湖に世界の埋蔵量の半分が偏在している。中国、アメリカなど政府間交渉が進んでいる。ネオジム、ランタンなどのレアアース(希土類)は中国が強い。6割の埋蔵量があるという。特に中国は、21世紀の資源と製品を持つ大国となると、各国との貿易摩擦は微妙になる。コスト面で中国がガゼン有利になる。  そんな中、日本の産業戦略の舵取りは難しくなる。誰が考えていくのであろうか?もっと総合的な研究をするところが無ければならないと考えるが。 <読書> 「向日葵の咲かない夏」道尾秀介 新潮文庫 不思議な推理小説である。影の声が動物(昆虫)になっており、本人なのか、その生き返りとしての動物なのか、分からないまま最終章で急速な展開が見られる。

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2009年10月19日 (月)

紅葉の時候

 1週間ぶりに帰ってきたアパートの周り、格別、サッカースタジアム周辺の木々は紅葉が始まっていた。朝方は雷で起こされる。寒さがしみるようになっていた。重装備をしてジョギングに行こうとすると、夕立である。いよいよ、冬の支度が始まった感がする。もうそこに冬が来ているようだ。

 紅葉と言えば、柿の葉っぱは、一枚一枚眺めてみると、実に深みのある美しい色彩が発見できる。その次が、イチョウの葉っぱであろう。イチョウの葉っぱは、集団でも美しい。しかし柿の葉っぱは集団では全くダサくて紅葉の趣向の味はない。かきの実は長い秋を保ってくれるのだが。

 花も同じように、個々と集団で美しさに特長があるが、花の咲く時季がずれているので、あまり自覚できない。秋の紅葉は一斉に始まるので、その特長が顕著に現れる。人にも、個人として、キラリと光る人も、集団では埋没してしまう人が居る。逆に、個人的には今一つの人でも、集団だと威力を発揮できる人が居る。植物の世界も、人間の世界も似ていると、かっては、人事を考えるボケ爺が感傷に耽る紅葉の時候である。

<読書>

「夜の寝覚め」小池真理子 集英社文庫

男と女は何時までも懲りない恋をするものだ。女の結婚動機もいまいち、はっきりしないが、男も女も一人では生きられないのかも知れない。相互に何かを求めているのだ。それがなんだかははっきりしないが、一瞬はっきりする事がある。それが、動機であり、よき人生も苦痛の人生も、そこから始まるのである、と、言いたいようである。

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2009年10月18日 (日)

金木犀の時候

 金木犀の香りが、今も楽しめている。ボケ爺の金木犀の香りの思いでは、連日の残業で、夜遅く帰ってくる時に、秋の時候を教えてくれる、時には、心地よく、ある時は、開発の遅れに追い討ちをかける匂いであった。

 確か、9月末の前期の終わりを知らせてくれる、イベント時期でもあった。しかし、今年は、少々遅れているのではないだろうか?約1週間か10日は遅いと思う。やっとこのごろ、花弁が散り始めている。金色に道路が染まってきて秋の深まりを感じる。

 一駅手前の仙川で途中下車をして、古本屋で時間を過ごして、やっと外に出ると、すでに暗くなっていた。夕食の買い物客の賑わいはとっくに過ぎていた。自宅への坂を下りて、最終の階段の角に大きな金木犀の木があり、その香りは少々きつい。その隣家からは、すき焼きの家族団らんの香りがほのかににおってくる、ボケ爺の平凡な一日が終えようとしている。

<読書>

「凍える牙」乃南アサ 新潮文庫

直木賞をもらった推理小説は珍しい。その分読み応えはある。女性刑事と、中年刑事の組み合わせの操作での女性刑事の活躍と、突っぱねの心理描写は、女流作家ならではの表現力である。推理は当然複雑ではあるが、少し唐突な展開が気になるが、名作である。

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2009年10月13日 (火)

老舗ホテルのコーヒー

 甥の結婚式で急遽帰国した。そのホテルが、横浜の老舗のホテルで行われる。このホテルに、ボケ爺の思い出があって期待していた。思い出再びと、コーヒーを試みたのだが、その日は結婚式が多く、満席で、待てど待てど、ボケ爺を呼びに来てくれる事は無かった。時間がなくなってしまった。残念だけれど昔をしのぶことは出来なかった。

 この老舗のホテルは山下公園の目の前にある。何故、誰とそのホテルのラウンジでコーヒーを飲んだのかは全く覚えていない。ひとりであったような気もする。デート場所であったが、まさかボケ爺にお相手してもらえる人も居ないのは当然。多分、40年ほども前の話である。まさか、喫茶店も知っていたし、コーヒーの知っていたはずだ。その時のコーヒーの味は今でも思いだせる、と思っている。

 とにかく美味しい、と言うとおかしな表現だけど、旨かったのだ、忘れられない、一生の思い出になった。それから10年ほどたって、学会が、横浜であった時、規定外の宿泊費であったが、無理をいって、そのホテルに宿泊のチャンスを得た、朝食のコーヒーの味は、以前と変わってはいなかった。幸せな一時を過ごした思い出で思い出していた。今だにこの時のコーヒーの味を凌駕できるそれに出会っていない。

 レストランの感じは、外見上は変わりがなかった。40年ぶりのコーヒーを味わえなかったのは、いたく残念であった。しかし、披露宴の食事の最後に出たコーヒーの、その香りと味は、その時と近かったが、お酒を呑んでしまっていたので、十分に賞味は出来なかったが、昔をしのぶことは出来た。至福の一時であった。

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2009年10月10日 (土)

健康診断

 遅れ遅れになっていた健康診断を受けた。当然何かが現れても、驚くような年齢ではない。しかし、検診はいい気分ではない。土曜日、ということもあって、すいているので、あちこち走り回って、あっと言う間に、終わってしまっていた。半日コースと言うのに、1時間半で終わってしまっていた。

毎年同じところで受けているのだが、今年は大幅に改善が進んでいる。今までに無い早さである。それぞれの単位の時間が短くなっている。多分、検査器具も性能がよくなっているのだろう。検診のワークフローのマネージメントも改善されているのだ。

 ビジネスとは、サービスがもっとも重要なのだが、この医療の関係では遅れが目立っていた。この病院の改善には眼を見張る。病院は何時に終わるか予想が付かないのが常識である。さらに、早朝コースがあるらしい。7時半からで、都心で、9時半始まりのオフィスなら、間に合わせることが出来るサービスコースと言うことだ。

 オプションコースを、約15種類ほど用意されている。これも、一箇所で終えるための、サービスの一つであろう。係りの人が、丁寧な言葉使いであり、親切だ。声も大きい。客様の目線での対応には、付きまとう病院の不愉快さは無い。

 これからのビジネスのあり方の参考になる病院であると、ボケ爺は考えた。

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2009年10月 4日 (日)

テレビ三昧

 昨日は散歩疲れと、缶ビール一本で酔ってしまって、アパートの裏道に座り込んでしまったが、無事寝たらしい。その疲れで、朝寝坊をしてしまった。足腰が痛い。頭も何時より異常にぼけている。日曜日のNHKワールド(海外向け放送)は見ごたえのある番組が多い。課外授業・ようこそ先輩から、日曜討論、熱中時間、のど自慢、ダーウィンが来た、大河ドラマ、NHKスペッシャル、等々。

 何といっても今日は、日本女子オープンゴルフである。ボケ爺のヒイキの宮里藍が頑張っている。出遅れたが、昨日までに、トップ集団に入ってきた。まさしく一打に集中の激戦である。運もあるが、実力であろう。1mの差が明暗を分ける。それにしても、20歳代の若者ばかりである。

 韓国の宋ボベと横峰さくらがプレイオフまでもつれ込んだ。宋ボベは落ち着いていた。23歳だそうだ。3位に宮里藍が入った。ボケ爺は嬉しい。今年の賞金女王では、と言われている諸見里しのぶは4位に上がっていた。前日までトップだった19歳の宮里美香も5位によく残った。ボケ爺、満足な試合を見せてもらった。ありがとう。

 しかし、ボケ爺の頭では、霧でかすんだままだ。これからのステップアウトが見えてこないからだ。

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2009年10月 3日 (土)

中秋の名月

 日本も中秋の名月であるらしい。Googleもウサギでデフォルメされている。ここスウォン市はいい天気である。日焼けしないように、夕方から出かけることにする。秋の風が心地よい。チュウソクの静かな土曜日である。西日が、部屋奥まで差し込んできた。太陽が低くなっている証拠である。

 小鳥の鳴き声が少ないこの地域であるが、山の中に入れば、さすがに美しい声で楽しくなる。里山から眺める高速道路は帰省からの帰りであろうか、すでに渋滞である。ご苦労な事である。山登りの人は少ない。

 華城(ファソン)世界遺産を一周する。日没は夕立雲に遮られてしまって寂しい。近くにはススキの穂が満開である。満月が東の空に昇り始めた。渋柿が、城壁の迫って黄色く熟れてきている。一般路の街路樹にはイチョウが多い。葉っぱはまだ緑だがすでに熟れた銀杏を落として拾っている。独特の臭さである。

 もっともにぎやかな八達門(パルタイ門)近くはやはり店の大半はしまっている。喫茶店、なんと薬屋はいたるところ店が開いている。屋台の店は路上で客を集めている。コンビニ、スーパは明けてある。ビールを一貫買って渇いた喉を潤す。自宅まで数分だが、足がもつれてなかなか進まない。ベンチに座ろうとすると何か張物がある。「ペンキ塗りたて注意」だって。路上に座り込んでしまった。

<読書>

「蘆刈」谷崎潤一郎 角川文庫

平安朝時代の優雅な生活と、美しい姫君、遊女の思いを馳せて、思い出の物語を語っている。ひらがなをふんだんに使い、古典を引用して、長文節で古典風に仕上げた小説である。学識と言い、物語の流れといい、思いの隠しのうまさと言い、名品である。

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中秋の名月

 日本も中秋の名月であるらしい。Googleもウサギでデフォルメされている。ここスウォン市はいい天気である。日焼けしないように、夕方から出かけることにする。秋の風が心地よい。チュウソクの静かな土曜日である。西日が、部屋奥まで差し込んできた。太陽が低くなっている証拠である。

 小鳥の鳴き声が少ないこの地域であるが、山の中に入れば、さすがに美しい声で楽しくなる。里山から眺める高速道路は帰省からの帰りであろうか、すでに渋滞である。ご苦労な事である。山登りの人は少ない。

 華城(ファソン)世界遺産を一周する。日没は夕立雲に遮られてしまって寂しい。近くにはススキの穂が満開である。満月が東の空に昇り始めた。渋柿が、城壁の迫って黄色く熟れてきている。一般路の街路樹にはイチョウが多い。葉っぱはまだ緑だがすでに熟れた銀杏を落として拾っている。独特の臭さである。

 もっともにぎやかな八達門(パルタイ門)近くはやはり店の大半はしまっている。喫茶店、なんと薬屋はいたるところ店が開いている。屋台の店は路上で客を集めている。コンビニ、スーパは明けてある。ビールを一貫買って渇いた喉を潤す。自宅まで数分だが、足がもつれてなかなか進まない。ベンチに座ろうとすると何か張物がある。「ペンキ塗りたて注意」だって。路上に座り込んでしまった。

<読書>

「蘆刈」谷崎潤一郎 角川文庫

平安朝時代の優雅な生活と、美しい姫君、遊女の思いを馳せて、思い出の物語を語っている。ひらがなをふんだんに使い、古典を引用して、長文節で古典風に仕上げた小説である。学識と言い、物語の流れといい、思いの隠しのうまさと言い、名品である。

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2009年10月 2日 (金)

チュウソクの休日

 美しい秋の夕焼けである。東の空には、中秋の名月に1日前である少し満月には満ちていない、光り輝く月が浮かんでいる。6時チョッとすぎて、ジョギングに出かけた時の風景である。風は少しある。そのためか雲ひとつ見当たらない。

 今日は、日本で言うお盆の休みである。韓国の総人口が4700万人ほどで、ソウル近くに2700万人が暮らしており、その半数が、田舎を目指して帰省するので、道路は混雑が激しい。おかげで、都心は穏やかになる。ボケ爺のアパート群はそれでも6割ほどは在宅なのだろう窓からの光が漏れている。焼肉、プルコギの匂いが漂ってくる。普段とは違った雰囲気である。

 サッカースタジアム近くを、散歩する姿は普段の3割近くで、まばらである。ここ2週間ほどサボっていたおかげで、筋肉が悲鳴を挙げる。2週が苦しい。いたるところが動かない。なんだか、脳まで動けないと悲鳴を挙げているようだ。いよいよ寿命が来たのだろうと、悲しく立ち止まってしまう。前田美波里61歳が言う、「ステップアウト」、つまり、違うことへのチャレンジが必要なのだろう。同じところには未練は有っても情熱は失せている。同じところに立ち止まってはいけないのだ。ボケ爺のステップアウトを探そう。

<読書>

「科学者たちはなぜ見誤るのだろうか?」福岡伸一 講談社現代新書

何時もながら、美しい文章である。中身の難しさはさておく、科学を物語にしてしまう能力では、右に出る人は居ないだろう。科学の現象は理論に忠実である。その忠実な現象に、人間は素直ではない。そんなことから発見があったり、見誤る事があったりするものだ。それも脳のなせる業である。不思議な人間、何時までも愛おしい。そんな物語である。

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