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2009年7月29日 (水)

母のこと

 昨日の日本経済新聞の夕刊のコラムで、作家の荻野アンナ氏が「医学の日本語」と言うコラムを載せられていた。これを呼んで、母のことが急に気になった。

 母は数年前に、一人でボケ爺の生家で暮らしていたのだが、ノドに食べ物を詰まらせて、病院に入っていた。その間に、長男が自分の家として建て替えを始めた事と、無事に退院したのだけれど、介護が必要と言う事で、介護センターにお世話になっていた。今年の初めに、微熱が出始めて、肺炎の疑いがあるということから、再び、入院する事となった。

 退院できるところまで来ていたが、この鬱陶しい梅雨時は老人には、辛く、疲れたのだろう、再び、微熱が出て様子を伺っている。7月の初めに、日本への出張時に見舞いに行って驚いた。想像以上に弱っていた。病名ははっきりしていないらしい。

 作家、萩野アンナ氏のお父様はやはり微熱のために入院されているらしい。フランス人である。日本語が出来ないらしい。看護師の手作りの英会話メモが置かれ、老人はニコニコされて、慰められているらしい。「ありがたい」と言う。医師はあらゆる治療を検討してくれているらしい。複数の治療の可能性があり、一つの治療法について、身内との打ち合わせは、2時間にも及ぶらしい。「親切に受け答えしてもらえ嬉しい」と言う。

 それに引き換え、ボケ爺、母に対して十分な介護や、治療について主治医との打ち合わせも行っていない。熱の原因も、治療の内容も知らない。申し訳なく、思わず日本の方に向かって、頭を下げてしまった。

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2009年7月28日 (火)

すご~い!藍ちゃん

 米国ツアー83試合目、ついに、悲願の初優勝!若干24歳の宮里藍さん。おめでとう。何を隠そう、実は、ボケ爺、藍ちゃんのファンである。(以前にもこのブログで告白済みですが)本当におめでとう。渡米してから、4年目、みんなの期待は、すぐには、少なくとも2年目には初優勝が出来るだろうと思われて期待されていた。

 その間、スランプ、パットに苦しみ、ドライバーがうまくいかず、練習すればするほど、おかしくなってしまったようだ。その間、藍ちゃんスマイルは吹っ飛んでしまっているし、悲壮な顔つきになっていた。本当に苦しいのだ、と、ボケ爺の人生に移し替えて同情していた。くどいインタビューにも、何時もの様に、前向きなコメントをしっかりと述べていた。しかし、声はこわばっていた。心の中はズタズタだったろうと思う。

 だが、この苦しみを乗り越えて欲しい、今に、今までの苦労が報われる時が来るだろう、と祈るように、記事を探していた。が、載ることはまれになった。ジャーナリストは冷たい。また、一方では、同期生や、後輩が天才と騒がれ活躍していた。悔しかったろうと思う。涙に涙の毎日ではなかったか?何時日本に帰る、と言い出すのか、はらはらしていた。よく我慢をした。今年になってその兆しは現れていたが。

 天才であっても、苦労があってこそ報われる人生でなければならないはずである。その苦悩に耐えて、努力に、努力を重ねて来た宮里藍は、これからだ。きっとこの調子で、成長をしてくれるだろう。大きな壁をクリアした。これからも続く苦難を乗り越えて、頑張れ!藍ちゃん。

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2009年7月26日 (日)

VSOP

 日差しが弱くなったので、ジョギング出かける。入道雲が西北に大きく発生している。きっと今夜は、金浦空港付近は雷に見舞われるだろうか。サッカースタジアム近くの公園に仕切りが出来て、黒松の林に、ビーチパラソルが一杯である。なんと、駐車場にビニールの臨時プールが大小5つほど作られている。のどかな夏休みである。

 経済は底をついたが、上昇の加速は見当たらないと、言う。日本では解散がやっと行われた。気になる選挙である。「賢い政治家と、実行力ある経営者」が日本を救うだろう。国民の選択が、「賢い政治家」を選んでくれることを願う。

「実務家たちは過去に経済学者の奴隷である」と言うのはジョン・メイナード・ケインズである。「規制緩和、減税、民営化」を期待するなら、ミルトン・フリードマンの奴隷である。「金融緩和、財政出動」に期待するならば、ケインズの奴隷である。アメリカでは、自由競争、市場万能視する新古典派か、市場の不完全性を前提とするケインズ派か、いずれに与するか、が話題となる。ニッポンの経済学者は、そこのところが曖昧で、いつもふらふらしている。「創造的破壊(技術革新)」に期待する人は、シュンペーターの奴隷で、先行投資の好きな経営者のである。

 VSOPとは成熟した芳醇な香りを放つブランデイのようである。V:バイタリティー、S:スペシャリティー、O:オリジナリティー、P:パーソナリティー、こんな実務家を選択するべきである。政治家でも、経営者でも。選挙においては国民に人格が、経営者の後継人事には、選ぶ社長の人格が、全ての場において、選ぶ側に人格が問われている。

<読書>

「何故、その人を好きになるのか」山口洋子 集英社文庫

女が男を嫌いになるのは、本の些細な事であり男はいつも勘違いをする、と。勇ましい。好かれるノウハウなど、何所にも書かれてはいない。気の抜けない楽しいエッセイである。詩人としての冴えのある文章、文体は羨ましい。このセンスがないと好かれないのだ。ならば、ボケ爺諦めるしかない。

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2009年7月25日 (土)

百日紅の花

 土曜日、何時もの様に、歩いて1時間の出勤。梅雨時を思い出させるような鉛色の曇り空である。我がアパート群の中庭はひっそりとしている。池には、睡蓮が華麗にも美しく咲き誇っている。夕方には子供たちの遊び場になることだろう。白樺通りを過ぎると、実を付けて、うっそうと茂ったマロニエの通りになる。心地よいそよ風が駆け抜けていく。真夏の晴天の時に、読書の場所にしよう、と考える。

 車だと、気がつかない、木々、草花が気になる。先週の梅雨雨に濡れて咲き始めていた百日紅のピンクの花が、今日では、8分咲きとなっている。チョッと早いんじゃないだろうか?真夏には、花は散ってしまっていないだろうか。灼熱の花として知られている百日紅は残暑まで楽しめる。我が家の百日紅は、育ちが悪いので、残暑時から咲き始め、9月になっても楽しめたのだが、今年は?

 会社の中央門に至るには、橋を渡らなければならない。その川を見下ろすと、中央に水が流れ、一段高くなった両岸は散歩道である。いろんな花が植えられていたが、先日の大雨で、その散歩道の花壇は跡形もない。流されてしまったのだ。その他潅木も、なぎ倒されている。うねっている川はうねりの内側には土砂がたまって、いつの間にか、川の流れからが代わってしまっている。などなど、のどかな出勤風景である。

<読書>

「男どき女どき」向田邦子 新潮文庫

何事も成功すると時を男時(おどき)、めぐりあわせ悪い時を女時(めどき)というらしい。思わずうなるような短編が続く。また、珠王のエッセイも含まれる。初めての向井であるが、さりげない言葉に、文章に、はまってしまいそう。

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2009年7月22日 (水)

皆既日食

 韓国では、皆既日食を祝うように、晴れてきた。ボケ爺、会議があって見ることが出来なかったが、ソウルでは、80%の皆既日食を満喫できた人が多かったらしい。せっかくのチャンス、本当に残念。

 日本は皆既日食が観察できる、それも、6分25秒の最長時間だそうだ。騒がれるのも無理はない。前回は、46年前、1963年で、北海道で見られたらしい。次回は2035年、26年後らしい。ボケ爺はすでに世には居ないことだろう。

 毛利衛、宇宙飛行士が曰く「人生観が変わる」と。ボケ爺も、子供の頃に、皆既日食(部分日食)だっただろう事態に遭遇したいたことを思い出す。直接太陽を見てはいけない、と、ガラスに、ロウソクの煙でススの膜を作って眺めるように、教えられた。下敷きのセロファンも、使ったように思う。今日では、下敷きのセロファンはダメだと言う。市販のフィルターを使えと言う。果たして、ススはいいのだろうか?ススについての安全性の解説がない。誰か教えてくれまいか?

 その時は、何時だったか、思い出せない。天気は良くて、部分日食だった事は覚えている。周りが暗くなった事も思い出す。残念ながら、コロナだとか、ダイヤモンドリングだとかは、全く思い出せない。太陽が月に隠れると、暗くなるのか、と感心はした覚えはある。

 日本の「ひので」号の人工衛星で、太陽を観察している。太陽は磁場を持っていると前提での観察だそうだ。磁場は黒点に強い磁力が発生していて、N極、S極があり、11年ごとに反転するらしい。太陽の活動は11年周期でこの間150年ほど続いている。1996年が最低の活動だったから、2007年に最低になるはず。今は、いまだ回復せず、活動が下がり続けているらしい。だから、寒冷化に向かうのか?と言う説もある。活動が下がっている事と、黒点の活動が鈍くなっている事とは相関があるようだ。さて、磁場の反転の11年周期とは関係するのだろうか?もしするなら、反転が遅れていることになる。「ひので」号の観測に今後期待したい。

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2009年7月19日 (日)

オープンプラットフォーム

 グーグルが、パソコン向けにOSを無償供給すると言う。グーグルと言えば、この不況下でも、17%ほどの増収だそうだ。広告宣伝からの収益は伸び悩んだと言うが。すかさず、マイクロソフトは対抗して、廉価版の限定版ではあるが無償配布を考えていると言う。無償と言うビジネスモデルがすっかり定着してきた。

 リナックスから始まり、今日のクラウドコンピュータ環境になって益々、無償支給の開発品(SW)が出てきそうである。それに乗り遅れると、痛い目にあうのだろう。現にマイクロソフトのオフィス対抗品がIBMや、グーグルなどから出てきた。本格的にネットパソコン時代に突入となる。これも、楽しみである。さて、そうすると、アップルのiPhoneは、Webに最も近づいているのだが、今後どんな発展を考えているのだろうか?エンターテイメントだけにフォーカスするとは思えない。この競争が楽しみだ。ボケ爺には使いこなせないが。

 MITのメディア研究所の所長であったネグロポンテ博士が15年ほど前から、$100パソコンを提唱していた。まさか、出来るわけがないと、高をくくっていたが。この時代を読めていたのだろうか?クラウドコンピュータの環境までは読めていなかったであろうが、先見性には、今更に驚く。

 台湾のメーカーを使って作らせていたが失敗した。しかし、ネットパソコンが台湾から発生したのは、ネグロポンテ博士の努力の賜物と言うことか?

 これからは、開発研究まで、オープンプラットフォーム時代となるだろう。そのキーワードが、「無限大(無制限)」であろう事は自明である。ボケ爺、そんなクリエーティブな時代を先取りしたい。

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2009年7月18日 (土)

リバウンド

 残念ながら、リバウンドしてしまった。年寄りにはどうでもいいことだけれど、せっかく、スロージョギングを知り、さらに効果的な減量に励もうとしていたのだが、三日坊主になってしまっている。

 と言うのも、ここ、韓国スウォン市(ソウルの南の街)では、水害が起きるほど、激しい雨の日が多い。今日も雨だ。すでに3週間以上は続いている。昨日の夜など、大雨や雷に暴れられて、TVも見られないほどだった。5年ほど、住んでいるが、こんなに激しい雨が降った記憶がない。雨が続くこともなかった。(地元の人曰く、90年来だと。)

 言い訳ではないのだが、ジョギングのチャンスが少ない上に、晴れの合間には、食事会などで呑んでしまっては、もともこうも無い。リバウンドは、何故起きるか?簡単なセオリーである。カロリーの過剰摂取である。単に食べすぎ、と言うことだ。ジョギングだとかなんだかんだ言う前に、とにかく食欲を抑える手立てが必要だ。痩せるには簡単である。間食をしない。一食の食事量を少なくする。当然低カロリーの食事をする。

 本当に、簡単なセオリーである。なぜ、食欲と言う欲望に人は弱いのだろうか。自然界の動物に、痩せすぎは居たとしても肥満は居ない。こんな簡単なことがどうして出来ないのだろう、と、チョコレートをかじりながら、ボケ爺は悩む。

<読書>

「悔いなき煩悩」 丹羽文雄 集英社文庫

760ページもある大作である。丹羽の作品は久しぶりである。昔はよく読んだ。坊主の妻の母親の女としての欲望を見てきた丹羽文雄の作品は、多くが、女の煩悩(淫乱)を描いてきている。本作品も、ある女の特長を描ききっている。母を美化した物語ではないのだろうか?文体は心の加藤だけで塗りつぶされている。谷崎潤一郎に似ているのかもしれない。

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2009年7月12日 (日)

不易流行

 日本経経済新聞の夕刊のコラムで、物理学者、有馬朗人氏が、「近年の教育や研究で、国際性、学際性が重要視されているが、その前に、徹底して一つの分野の専門性を高めなければならないのではないか?」、学際はその専門性があってこそ実力が発揮される、と言う。

 近年、デカルトの「要素還元主義」が批判を受けて、生物、社会、システムの複雑性にいきなり関心が示されていることに、疑問を投げかけておられる。ボケ爺も、以前にも言及したが、モノづくりの代表産業に籍をおいて、「要素還元法」にどっぷりと使って商品開発をしている。市場は複雑系であり、悩みが多い。

 有馬先生は、芭蕉の言葉の「不易流行」を取り上げて、「複雑系の流行には、深い専門研究、要素還元法が不易として重要だ」と主張されている。その言及にボケ爺は安心を取り戻した。

 しかしながら、商品の開発も最近は感性の時代だとかで、顧客主義が唱えられてから久しい。この顧客行動の複雑系は未だに、克服できていない。行動経済学もちっとも、商品開発の役に立っていない。と言うことは、有馬先生の言を借りれば、まだまだ、商品開発に必要な専門性の研究が不足している、と言うことである。更なる切磋琢磨が必要である、と思う。

<読書>

「臓器農場」 ははぎ木蓬生 新潮文庫

医学作家の医学界の裏の世界のミステリーである。何時のも作品と違って、スロースタートで、前半は冗長性が続き、退屈するが、後半一気に事件は進展する。その緊張感は作意であろう。ミステリーとしては単純すぎるが、人間の尊厳に、医学の行き過ぎに警報を発するには成功している。

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2009年7月11日 (土)

B級人生

 ご当地Bグルメの発掘、競争が盛んであるようだ。A級品とB級品との境目が何であるかは、曖昧であるが、ワンコインか、せいぜいツーコインで食べて、「旨い」とうなるような品物を言うのではないかと思っている。ソース焼きそば、餃子、うどん、汁焼きそば、おでん、などなど、当地自慢が出来て、地元の活性化に寄与しているのであるから、B級品といえども、経営から見れば、その商品はA級ビジネスである。

 日本経済新聞の夕刊に、京都銀行頭取の柏原 康夫氏の「まだ上がある」でコラムが載っていた。「わが身を顧みると常にB級の道を歩んできたように思う」と謙遜されていた。父からは「まだ上がある」と激励を受けておられたらしい。

 さて、ボケ爺の人生は、どうだろうか、B級品(安物)であり、働きの能力もB級グレードと評価される。ここでは、C級が位置づけられていないのが幸いである。日本人は、好きな、「松竹梅」がある。近年、必ずしも、「竹(中流)」で居られる安心感がなくなり、悩むことで心の安定を欠いている。

 これかの残り少ない人生も、B級品であることには全く疑う余地はないけれど、それなら、これまでの専門を生かし最後の仕上げとするのか、まったく違った生き方にチャレンジするのか。開き直って考えてみたい。「人間到るところ青山あり」は好きな言葉である。

<読書>

「用心棒日月抄」 藤沢周平 新潮文庫

江戸時代の嫡男以外のB級人生の生き様を描いている。今で言う、ハローワークへ通う生活の毎日である。アルバイト先で起きる事件の喜怒哀楽が楽しい、人生にはいろんなことが起きることも楽しめる。

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2009年7月 8日 (水)

日本の将来

 未曾有の経済危機を受けて、経済危機克服に躍起になっている。それらの中で、気になる記事が多い。楽天的に考えれば、「日本はまた上る」と言うことのようである。その基本が、モノづくりで日本が優れている、と単純な理由からである。

 韓国、台湾、中国は日本の物まねをしているだけだから、日本に近づいたとしても、追い越すことはあるまい、との論説が多く目に付く。しかし、ボケ爺は韓国企業に居て、そこから眺める日本は、今まではさておき、これからは怪しいと、楽観的な論説に批判をしたくなる。

 韓国にしても、台湾、中国にしても、今までは多くのことを日本から学んできたことは確かであろう。人材も日本から集めたことも確かだ。これからは違う。3国とも、日本以外の国での教育に熱心で、トップ10%位(台湾は30%)は欧米の大学を出て、欧米の企業に勤め、その経営のノウハウから、異文化の中身を学び、自国に帰ってくる。

 我が社でも、よくもこれほどまで、海外から韓国人(自国)の人材を集めてこられる、と感心する。役員の1/3はそんな人だ。当然、担当者クラスもそれなりに多いことになる。それだけ、海外へ留学、その後、現地で活躍している人が多いと言うことだ。

 日本の現状は、修士、博士修了者の進路のデータでは、海外活躍組みは2%に過ぎない、との調査である。追従3国に比べ、異常に少ない。必ずしも、海外組みが好い訳ではないが、異文化の混合がなければ、これからの経営克服のための革新(イノベーション)はおぼつかないのでは、と思う。

 最近の新聞で、シャープのLCD-TVが、サムスン電子から、アメリカで特許提訴され、アメリカ市場から締め出されるかもしれない、との指摘が新聞を載っていた。追従する3国の技術力が、日本を上回る可能性を秘めていることを物語っている。日本の将来に不安を感じるのは、ボケ爺だけだろうか。

<読書>

「隠し剣弧影抄」 藤沢周平 文春文庫

とにかく楽しめる作品である。剣道の秘儀が使われる場面の創造の立案に感心する。それも、女性のために、お家のために、義理のために、と多彩である。気分が晴れる短編集である。

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2009年7月 3日 (金)

慣用語の文化

 ボケ爺、娘から、お父さんの、「頑張れよ!」は凄くプレッシャーになって、ストレスを招く、と、強い抗議を受けたことを思い出す。「頑張って」に変わる言葉を捜したが、見つからなかった。その後、何も言えなくなって困った。「努力をしなさい」は少し強すぎるし、「出来る範囲でやれよ」は無責任だし。

 世界中、何処を探しても、「頑張る」と言う言葉に相当する言葉は見当たらないようだ。ここ韓国でも無い。日本人は何かにつけ、「頑張る」を使う。便利な言葉で、で、なんとなく全てが、丸く収まるのだから便利である。ここ韓国で、ついつい「頑張れよ」と言ってしまう。通訳はどう訳しているのだろうか? 聞いてみると、「出来る範囲で努力してください」と訳しているらしい。これでは本意ではないのだが。

 一方、韓国で、「アイゴー」とか「ケンチャナ」は日本で訳されている「哀しい」「気にしない」だけではないようだ、状況に応じて、多彩な意味を持つということが分かってきた。便利でもあり、誤解が生じやすくもある。今は、翻訳者の翻訳にすがるより方法は無い。本当に、本当の気持ちは伝わっているのだろうか、何時も気になっている。

 これは一例だが、世界中で、ビジネスの上でも、慣用語による文化の違いは山ほどあるだろう。ボケ爺、日本の中だけにとどまらず、英語の世界でも数々の失敗をしてきた。韓国でも多くの失言、失敗をしているのだろうが、諦められているのだろう。

<読書>

「闇の華たち」 乙川優三郎 文芸春秋

6編の短編集である。それぞれに、運命のむごさがにじみ出て、それに立ち向かい負け無魂を、克明に描き尽くしている、とボケ爺は感心している。心情の機微の表現は、実にうまい。舞台設定も多彩であり、実感し易い。情景描写もいい。だからこの作家の新作を待ち続ける。

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2009年7月 1日 (水)

半年が過ぎて

 早いもので、1年の半分が過ぎた。さて何が出来たのか?たいしたことは出来ていないことは明らかである。時を刻んで、何時もこんな馬鹿な反省をしているのはこのボケ爺だけだろう。

 「時」は不思議なものだ。人間は「時」に操られていないと生きられなくなった。一日24時間に刻まれて、支配されて生きている。しかし、時間の感じ方は違っている。幼少の頃の「時間」感覚と、ボケ爺のように、半分棺桶に足を入れている歳の「時間」の感覚とは全く違う。

 明治初頭に西洋時間が導入されるまでは、日の出、日没間を昼、夜とも6等分していたのだから、太陽に支配されていたのかもしれない。24時間均等時間が導入されても、テレビや、ラジオがなかった時代は、多分、1時間が長かったのだろう。今日は、テレビもラジオも、コンビも、24間営業で、人間、24時間中、時間に追い立てられている。それが便利だ、思うのだから、始末に終えない。今に全てが24時間営業で、それが、便利だ、と。

 便利で、エネルギー消費を抑えれば、寿命は長くなってくるのではないだろうか。「ゾウの時間ねずみの時間」本川達郎 中公新書に依れば、「時間の速度は、エネルギー消費に比例する」が成立するからだ。「時間は体重の1/4乗に比例する」から、子供は体が小さい分、時間が長く感じることになる。大人になると、時間が短く感じる。だから、1年が早い。(単位体重あたりのエネルギー消費で考える)

 便利さを我慢して、自ら動く生活に戻れば、エネルギー消費が増えて、案外、寿命は短くなって、世の中、非生産者が少なくなって、住みやすい社会が甦ってくのかのかもしれない。

世は全く不平等だが、神は全人類に、唯一の平等を与えた。それが一日「24時」である。時間に支配されず豊かに時間を使いたいものである。

<読書>

「ねじれ脳の行動経済学」 古川雅一 日経プレミアムシリーズ

人間はさまざまな壁にぶつかり悩みを抱えている。努力しているが成果が上がらない、などは、感情と密接な関係がある。結構、合理的でない行動をしているらしい。経済は、案外、人間心理、感情で動かされていると言う行動経済学が流行である。

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