« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月29日 (日)

寒の戻り

 先週は、寒の戻り、で、花々も、我慢の1週間であった。今日、日曜日は、まだ朝は冷える。日中は良い天気で、暖かくなってきた。窓から、中庭をなんとなく眺めていると、池の中に島があり、そこに白の小型犬が赤いチョッキを着て、二人とジャレあっていた。二人は、島から、対岸に飛び移って、愛犬がどうするか、からかっている。愛犬は少しウロウロしていたが、すぐに、反対側にある島への渡り橋まで戻り、二人の逃げた方に追っかけていた。犬もなかなか頭がいい。のどかな、昼過ぎであった。

 「寒の戻り」と言う言葉は、韓国でもあるらしい。あるとき、「脳ある鷹はつめ隠す」と、本当に優秀な人は、能力を表に出さず、隠すものだ。と説明して、相手を褒めたつもりだったが、その人はいまいち、ピンと来なかったようだ。翌日、韓国でも、同じようなことわざがあった、が、意味は逆に使われている、と言われた。「つめを隠して、襲い掛かるとする「ずるい奴」」と言うときに使われると言う。何事にも、自己を正直に見せる事が美徳と言う韓国らしい解釈であると、納得するとともに、ことわざを使うには気を付けなければならない、と思った。」

<読書>

「旅路」池波正太郎 文春文庫

人には、過去があり、立場、立場があり、状況によって、事件の解釈の仕方も違う。その違いによって、不幸になれば、自然に流されてしまう事もある。人それぞれの思いの絡みを絶妙に描いたのがこの作品であろう。久しぶりの正太郎の読書であった。もやもやしていた気持ち少しはすっきりした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月25日 (水)

春が来た!

 昨日は、外出をした。車窓から見える範囲にも、ケナリ、ティンダレ(山つつじで色は紫)、マンサク、ミツマタなどの、花が咲いている。初春には、福寿草の黄色の花から始まって、黄色が春を告げる。昆虫は、暖かさを感ずる色に集まるらしい。初春には、黄色が暖かさをかもし出すらしい。黄色はカロテイノドと言う色素から出来ているらしい。赤や紫の色素の、アントシアニンと言う。昆虫は、色をえり好みすると言う。しかし、黄色は比較的、いろんな昆虫に好かれると、分かっている。

 WBCの決勝戦は、車の中で見ることが出来た。手に汗を握るとはこんな試合だろう。共によく戦った。日韓の新しい関係の幕開けではないだろうか?双方が、称えあったのは初めてではなかったかと思う。どちらが勝っていてもおかしくない試合であった。

 日本がここまで戦えたのは、韓国との激戦があったからであり、韓国がここまで戦ったのも日本との戦いを強く意識したからだろう。「よきライバルこそ、よき友人」と思う。過去の歴史は、しっかり認識して、その上に立って、よきライバルの友好関係が出来上がると、ボケ爺、本当に嬉しい。

 一方、先月末から始まった「日韓新時代共同研究プロジェクト」次の百年の未来志向の関係の構築に、大いに期待したい。来年は、日韓併合条約締結から、百年になる、と言う。

 また、世界経済危機のこの時期、ドルに踊らされない地域協力が必要だ。ユーロは怪しげながらも、努力して、連携を強化している。成功と言って良いだろう。アジアにおいても、その鍵は、日韓の団結に掛かっているのではなかろうか?誰かが真剣にリーディングしていかなければならない。

<読書>

「凛冽の宙」幸田真音 小学館文庫

経済小説だが、外資系の損保企業のたくらみと、日本の人間性との絡みの展開が面白い。不良債権処理の仕方、など、投資の危険など、仕組みも良く分かり、愉快である。元、海外バンカーの経験のある著者の面目躍如と言うところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月22日 (日)

身の丈にあった成長

 NHKの日曜日の朝の放送で、「経済の羅針盤」がある。海外にいても見ることが出来る。出来るだけ見るようにしている。いろんな企業の重鎮が、企業経営のあり方を披露してくださるからであり、大変に役に立つ。今回は、とりわけ経済危機の中にあって、順調に成長していると言う、中堅どころの、ニッチな食料加工工業の会長さんであった。

 報道されたので、名前を出してもいいのだろう。伊那食品工業、で、寒天を主力にした食料加工の会長、塚越寛会長である。「年輪経営」と言う本も出されて人気が上がっているとか、言われていた。

 塚越会長の経営論

1)     急な成長を望まない。身の丈にあった継続的な成長を考える。年輪のように。

2)     ヒット商品についても、急激な売込みをしない、それで急成長をすると必ず、しっぺ返しが起こる。好景気には、不景気が付き物だ。ブームが過ぎれば投資の負債が残る。(スーパーからの要望も、断ってきている、と言う)

3)     余裕のある経営に心がける。開発には惜しみなく投資をして、ヒット商品を、在庫として貯めておく。

4)     成長は善と、成金が善、と言う思想はない。市場のパイの過酷な奪い合いこそ、悪である。

5)     100年のカレンダーで、社員一人ひとりが、将来を考えるべきである。ちなみに、塚越会長として、少なくとも20年先は読んでいる、と闊歩しておられた。

6)     社員には特別に、大切にしなければならない。そのために福利厚生面で、十分な補償をする。(創業以来、全社員のアルバムを金庫にしまっている)

7)     社会、社員の将来の幸せになることを考えて行動する。

今は、金資本主義を見直さなければならないときに、すでに実施している企業があることに、頭が下がる。今の状態は、バブル(急成長)の負の資産の余波が押し寄せているからだ。

<読書>

「螢川」宮本輝 角川文庫

戦後の貧しい生活には、皆が必死に生きていた。そこに、人間味も現れ、隣人愛もあり、皆が一緒だ、と言う思い、もあっただろう。その分格差が少なかったのかもしれない。今の時代、もう一度原点に戻らなければならないのではないだろうか。この小説はその一端を担っているように思える。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年3月21日 (土)

多弁か、寡黙か

 天気がいいのだが、黄砂がひどい。それだけ暖かくなったようだ。少々風邪気味だったのだが、昨日、多弁な友人と呑んだ百歳酒(一様薬種)(少々甘いのだが)が良かったのか、多弁に酔ったのがよかったのか、今朝はすこぶる調子が良い。

 ボケ爺は、いつも不思議な事を味わう。多弁な説明と、寡黙な説明と、どちらに効果があるのか?仕事柄、この歳になると、「説得」「理解を求める」場面によく接する。反省をするのだが、結論は出ない。

 石田衣良作、「美丘」角川文庫を呼んで、またまた、考えさせられている。石田衣良の小説を読むと、ここまで、詳細に、他に解釈のしようのないように導く文章は、多弁と言うことになるのではないか?無駄口の多弁ではない。読者は、作家の意志以外の解釈が全く出来ないようになっている。

 一方、夏目漱石の作品を読むと、読者が感じることは多様に別れるだろうと思うような、曖昧になるような表現が続く。それは、表現を極度に絞っているように思える。寡黙と言う事になるのではないか。その証拠に、読み返すたびに、新しい発見がある。

 さて、ボケ爺、この歳になって、悩んでも始まらないのだが、ボケ爺の一声は一向に重みを増さない。「雀の千声鶴の一声」の鶴の一声に憧れる。それ以上に、「口は禍の元」、「禍は口」を、数多く経験して悔しい思いをしている。さらには、「物言えば唇寒し秋の風」も経験している。クワバラ、クワバラ、「キジも鳴かねば撃たれまい」に徹したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月19日 (木)

賭け事

 ボケ爺は、賭け事が嫌いである。兎に角、勝った事がない。と言うことはやったことはある。勝てないから、嫌いで、やらないことを誓っている。子供の頃から、コマ、凧揚げ、メンコ、ビー玉、いろいろあったが、全く浮かばれなかった。今思い出したが、一点勝ち誇ったのがある。「握り」といって、ビー玉を何個握っているか、をあてる賭け事である。沢山のビー玉をその賭け事から稼いだ。

 この歳で、今、賭け事をしている。が、相変わらず負けている。それは、WBCである。韓国に住んでいるから、周りから、賭けようと押し寄せてくる。日本人のメンツで、ついつい賭ける。どうして日本は韓国戦に弱いのか?相手は10人ほど、ウン万円が飛んでしまった。明日は、なんとしても勝ってほしい。

 韓国と日本を比べると、平均値では、日本が有利であり優秀である、と思う。しかし、精神力、というか、集中力は、韓国人に負ける。「勝つ」と言う信念と言うか、瞬発力であるというか、韓国人には及ばない。デジタル産業についても同じことが言える。

 話は変わるが、グリーンニューディール政策にしても、アメリカに遥かに及ばなくなってしまった。太陽電池のパネルの技術にしても、蓄電池の材料技術にしても、風力発電のプロペラ材料にしても、部品レベルの技術は今でも優れている。しかし、システムとして仕上げる力は、海外の力には遅れがある。「モノ作り」ばかりを提唱するからである。すぐに追いつかれる。太陽電池では、ドイツに遥かに遅れてしまった。

 集中力の徹底的な不足。システム思考(社会機構も含めたソフトウエア力)が欠如している。これには、大きな夢が描けない、からだろう。たこつぼ型精神が抜けない。縄張りから抜け出せない、縄張りの中で満足。グローバルな時代で鍛えられたはずだが、未だに、江戸時代の社会DNAは変わらない。残念。

<読書>

「ならぬ堪忍」山本周五郎 新潮文庫

本当に、今の日本は、ならぬ堪忍の現状である。何時までも変わらない精神構造をうまく描いている。さすがに周五郎である。歴史モノを面白く読んで感心しているようだと、ボケ爺も、同じアナの狢かも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年3月16日 (月)

ノイズの中から

 学生の就職活動の様子がTVで報じられるたびに、思うのだが、学生時代の個性のまま面接を受けてみないのは何故だろうか?学生時代が、偽の自分なのか?就職後が自分なのか?どんな気持ちでいるのか知りたい。ボケ爺時代は、あまり節目(ギャップ)は無かったように思う。

 情報時代の生産性向上とは、どんな事か?成長期の製品は、何を作っても売れた。今の時代は、そうは行かない。うずもれた情報から、ヒットのアイデアを掘り起こさなければならない。

情報はノイズである。ノイズの中に何かがある。ノイズは大きいほうが良い。ノイズの中から、何かを見つけ出せる法則はない、と思っている。社会の中で生活する人間ドモもノイズのような行動している。その中で個性がある者が、何かを表現し始める。個性とは、常識を破る体力、気力を持ち合わせている。個性を持って生活するには、摩擦が生じる。それに打ち勝つ事に耐える人であろう。

異文化に接触して摩擦を感じて、それに耐えられることで、何かを捕まえられる。企業内で、個性のある奴を、大切にしないまでも、泳がしておく度量の上司が多い、とその企業は伸びている。上司の顔色に合わせているようでは先が見えている。気の合う仲間だけで飲みに行っているようでは、ノイズが低く、摩擦が少なく、生産性は上がらない。

異文化交流を盛んにして、異見がいえて、ノイズを大きくするような環境作りがあってもいいのではないだろうか。世直しは、情報と言うノイズを大きく出来る社会作りであろう。

<読書>

「魔女伝記」半村良 角川文庫

魔女とは、テレパシーが使えるテレパスの事であった。テレパシーを取り扱った小説は多いのではなかろうか?安部公房、筒井康隆など、何かミステリーであり、SF的であり、不思議な展開が待っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月15日 (日)

ノイズの中から

 学生の就職活動の様子がTVで報じられるたびに、思うのだが、学生時代の個性のまま面接を受けてみないのは何故だろうか?学生時代が、偽の自分なのか?就職後が自分なのか?どんな気持ちでいるのか知りたい。ボケ爺時代は、あまり節目(ギャップ)は無かったように思う。

 情報時代の生産性向上とは、どんな事か?成長期の製品は、何を作っても売れた。今の時代は、そうは行かない。うずもれた情報から、ヒットのアイデアを掘り起こさなければならない。

情報はノイズである。ノイズの中に何かがある。ノイズは大きいほうが良い。ノイズの中から、何かを見つけ出せる法則はない、と思っている。社会の中で生活する人間ドモもノイズのような行動している。その中で個性がある者が、何かを表現し始める。個性とは、常識を破る体力、気力を持ち合わせている。個性を持って生活するには、摩擦が生じる。それに打ち勝つ事に耐える人であろう。

異文化に接触して摩擦を感じて、それに耐えられることで、何かを捕まえられる。企業内で、個性のある奴を、大切にしないまでも、泳がしておく度量の上司が多い、とその企業は伸びている。上司の顔色に合わせているようでは先が見えている。気の合う仲間だけで飲みに行っているようでは、ノイズが低く、摩擦が少なく、生産性は上がらない。

異文化交流を盛んにして、異見がいえて、ノイズを大きくするような環境作りがあってもいいのではないだろうか。世直しは、情報と言うノイズを大きく出来る社会作りであろう。

<読書>

「魔女伝記」半村良 角川文庫

魔女とは、テレパシーが使えるテレパスの事であった。テレパシーを取り扱った小説は多いのではなかろうか?安部公房、筒井康隆など、何かミステリーであり、SF的であり、不思議な展開が待っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヒット商品に物語性を

 今年は、経済状態とは裏腹に、春が早く訪れるようだ。昨日はそれでも朝夕はマイナスであったが、今日は一転暖かい。天候と、経済危機は全く連動しなくなっている。農業ベースでないので、当たり前であろう。

 日本では、2008年、デジタル家電では、上位メーカーの寡占化が目立つようになってきている。主要11品目で、上位二社の国内販売のシエアが伸びたのが、7品目。9品目では、なんと二社で50%以上のシエアになっている。下位メーカーのシエアの落ち込みが目立つそうだ。この経済不況で、体力勝負の時代となって、なんと残酷な時代に入ったものだ。業界再編は必須であろう。

 ヒット商品の法則が読み取れそうだという。これまでは、「不景気にはロングスカートが流行る」は、当てはまらないそうだ。相変わらず、「ミニモノ」が流行っているらしい。」景気後退期には、「モノトーン」が、これも当てはまらない、との事。「車のデザインは角型」も当てはまらない。「映画は不況に強い」は当てはまっている、という。

 一般には、1)節約志向、2)家庭回帰、3)一点豪華主義、であったが、先ず一点豪華主義のヒットは生まれていない、と言う。「タジン鍋」を知っていますか?蒸し焼き鍋のことである。今流行っているそうだ。ここには「物語性」があるという。何故いいのか?などの説明や、デザインのいわれだとか、いっぱい説明しなければならないからである。「何故」と言う物語を語りたい人が多くいるからだ。これからのヒット商品は「物語性」が必要だ、が結論である。

<読書>

「土を喰う日々」水上勉 新潮社

不景気には、家庭回帰である。手ごろな野菜類で、手軽に料理を作り、美味しいお酒で、おもてなし、これ最高。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月10日 (火)

早く痴呆老人なりたい

 早く、痴呆老人になりたい、と思っている。自分には認知できないのだから、気楽な物だ。どんどん忘れていって、幻覚に陥るわけだから、回りには迷惑な話だ。攻撃症にだけにはなりたくはない。笑顔だけの痴呆症になりたい。

 現在は、個人主義であって、「自立」「自己責任」を強要されている。その上で、無限の欲望を追求する事が是、といわれている。ボケ爺のように、田舎育ちで、農耕も経験した物に、この個人主義の人格にはなりきれない。その分、寂しさを味わっている。

 アメリカの認知症の研究において、面白いことが分かってきたらしい。認知症は、認知能力低下が中心であって、それに、「周辺症状」の被害妄想、夜間せん妄、幻覚、攻撃症などが現れるらしい。厄介なのは、この周辺症状が強い時である。介護に当たる人は、自尊心をかなぐり捨てなければならないらしい。介護人に大変な迷惑を掛ける。

 統計の結果、周辺症状が現れやすいのは、「都会型」生活者であって、「田舎型」生活者には少ない、と言うことである。都会型生活者には、個人主義者が多い。自己を確立して自己責任が確立している人々である。競争社会を生き抜いてきた戦士の人々であるらしい。

 周辺症状が現れにくく、認知能力低下だけで済むのは田舎型生活者である。田舎型生活者は、閉鎖的社会生活を営み、自然の太陽に流されて、「他者に繋がる、他者に頼ろうとする自己を持っている人々」である。競争を避け、談合の生活者である。さて、ボケ爺、今から田舎型生活者に変身しなければならない。出来るだろうか不安である。

<読書>

「夏目漱石の全小説を読む」国文学 第39巻2号 臨時増刊 平成6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 3日 (火)

後悔と反省と、自己防衛

 人間は後悔する動物であるという。宮本武蔵も処世訓で、大いに後悔の意味を説いているらしい。太宰治は「花吹雪」の中で、「後悔をする、きっと後悔する、分かっていながら大いに後悔する」と言う意味のことを言っている。ボケ爺も、毎日後悔の連続である。悪い癖は、永遠に繰り返す。そのたびに後悔をする。

 後悔するという事は、反省していることになるのだろうか。反省したことは後悔していることなのだろう。「神」「仏」の前で、反省しているのだろうか、後悔しているのだろうか。後悔を認めてもらって、捨て去りたい、忘れたいから、お祈りをしているのか?ボケ爺には難しくて分からなくなっている。

 企業内の業務の上で、反省しなければならないことが日常茶飯事である。失敗の連続で、後悔もし、懺悔もしなければならないことが多い。企業の場では、ほとんどが、「自己防衛」に走る。自己責任と反省の弁はほとんど見られない。「競走の場」「生活の基盤の場」だから弱みを見せられない、と言う理由からだろうか。ボケ爺の職場は、アングロサクソンから、いろんな人々が集まっている。しかし、反省などかけらも無く、自己防衛、自己主張の連続である。責任を取るとは言わない。しかも、批判から、相手を非難し、正当防衛に走る。公然と行われる。正当化は人間の権利なのだろうか。それとも、外と、内と違う表現が人間の性なのか。これはいけない事なのか、当然のことなのか、今では全く分からない。

 後悔とはなんだろう、反省とは、自己正当化も、人間と言う動物の証なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

祭りごとを活かせ!

 生物学者の福岡伸一教授の著書は読みやすい。確か、「生物と無生物のあいだ」は、難しい本であるが、ベストセラーであり、ロングテールである。物語風で読みやすいからだろう。その時、ボケ爺は、生物である動物と植物の違いはなんだろうか、きっと、動物はトポロジー的、トポロジー(位相幾何学)が成立する事ではないかと、考えた。つまり口から肛門まで外界に面しているのだ。この説があっているかどうかは、ボケ爺、生物学者ではないので保証できない。

 生物の誕生は、精子と卵子の結合から始まり細胞分裂が繰り返されて、美しい形が出来上がる。その細胞の分裂の間に、遺伝子に組み込まれたプログラムに沿って、機能が分化していると信じていた。どうやら、隣と隣の細胞間の情報交換で、君は脳、俺は皮膚、と役割を決めているらしい。コミュニケーションを通じて、相互補完的に組み立てられていると言う。まるで、皆が集まって「お祭り騒ぎ」をしているようだ。分裂を始めた細胞の胚を取り出して、バラバラにすると、ほとんどが死んでしまうが、時には、無個性のまま生きのこる。それを、ES細胞と言う。無個性だから、何所の細胞とも結合して、結合した細胞の性質に溶け込むのである。再生医療に無限の可能を持っている。

 社会、企業でも、同じことが言えるのではないだろうか。コミュニケーションが良く取れているところは、良いアイデアが飛び出して、活性化されている。お互いの役割分担を心得て、相互補助の精神が出来上がって、無駄な摩擦が少ない。又、優秀な外部人材(ES細胞)を抵抗無く受け入れて、それを元に再生、成長していく。

 生物の営みを知ると、企業の組織、運営のある方の参考になるようだ。異分野から教わる事が多い。このような展開をアナロジー的思考法と呼ぶ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 1日 (日)

純粋と情熱

 昨年と比べると、2週間ほど早く春が来そうだ。あったかくなってきた。それはそれで、嬉しいのだが、零下何度も、懐かしい。韓国では3月から新学期が始まる。

 土曜時代劇「浪花の華~緒方洪庵事件帳」はNHKのドラマだ。この主人公、緒方洪庵の若かりし頃の「章」と言われて、書生時代を背景にしている。章を演ずる「窪田正孝」の演技が好い。若者の純粋さが丸出しである。さらには、情熱も強く描き出されている。「学問は人を救うものであって、決して権力として支配するのではない」と勉学に励む。女性にも純粋な恋をするも、言い出せない。純粋と情熱は使い方で、多くの過ちも出てしまう。

 ボケ爺の、章君の頃の年齢では、何を考えていただろうか?田舎の高校時代であろう。希望も無く、情熱も無く、勉強もせず、成績は落ちるだけ落ち。それでも、毎日学校には通っていた。どうしてそんな生活であったのか、の原因も、理由も特別になかった。今でも思い出せない。

それでもなんとなく卒業して、東京で下宿し始めた頃には、小学校時代からの望みの飛行機の勉強が出来ると喜び、改めて勉学に励む意欲、と情熱は回復できていた。しかし、今考えると勉強の時間は多くはなかった。田舎育ちのボケ爺は、純粋であったかも知れないが、章君ほどだったか、は疑わしい。反省しても取り返せないが。

 この時代劇から、不思議にも同時代の昔を思い出させてくれる。ボケ爺もこんな時代を過ごしたが、果たして、その頃の純粋と情熱を実現できたのだろうか。東京育ちの友達からは、多くの刺激をもらった。よき青春の一時であった。

 青春の過ごし方として、新訳、カラマーゾフの兄弟 亀山郁夫訳がベストセラーと言うことで、昔、岩波文庫で読んだ記憶があるが、改めて読み始めた。第一巻が3週間掛かっても読み終えない。なんともだらだらと、退屈である。辛くて、ついに放棄することに決めた。残り4巻は積んでおく事にした。他に読まなければならない日本の名作が沢山ある。純粋さと情熱が少なくなった証拠であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »