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2008年11月16日 (日)

聴覚派、視覚派

 先日のブログで、韓国人は、視覚派であり、日本人は、聴覚に強い感がすると記した。韓国で、よく山登りをする。しかし、小鳥の声に驚く事はない。聞こえていないのか、小鳥が少ないのか。それ以上に風景が気になる。秋の紅葉時にも、美しい紅葉に見とれて、聴覚が働かないのか、と疑って、今日、雨上がりの小春日に山に行ってみた。雫や、霧と紅葉の絡みには堪能したが、小鳥の騒ぎはやっぱり聞こえなかった。

 思い出すことに、東京の実家近くでは、特に秋口、時雨の後など、木の実を争って、啄ばむ小鳥の鳴き声にヘキヘキするぐらいにぎやかである。虫の音が気になって、秋を感じたりする。と言う想いに、日本人は聴覚が優れたのかな、と考えた。今、出だした、そのブログでは、匂いの強い木の花のことを書いた。初は沈丁花、秋は金木犀の臭覚派であったか。

 木田元哲学者が、日経新聞のコラムで、「視覚型か聴覚型」で、俳人の分類を試みておられた。芥川龍之介が「蕪村は目に訴える美しさ」「芭蕉には、調べの高さ」と供されたらしいが、ボケ爺は、芭蕉は音にこだわったのかな、と思い聴覚型と想っていた。さらに俳諧には、花の匂いなど、匂いの臭覚型もあり、触覚型の人も居るという。「何所やらに 花の香すなり 小夜時雨」に至っては、分類は無理のようだと締めくくられていた。

 ケンブリッジでの経験では、5月の初めだったと思うが、小鳥の騒ぎで目が覚めた事が印象に残っていて、イギリス人に尋ねたが、一向に気にすることはないようだ。ここでは、右脳と、左脳の発達の違いかもしれない。

 ここで一句、「紅葉が 喜び騒ぐ 雨上がり」「水たまり 落ち葉に夕日 萌えるなり」

<読書>

「俳句脳」茂木健一郎、黛まどか 角川oneテーマ21(新書)

俳句はひらめきだ、お二人。自然への挨拶、自己の発見につながる、まどか。完了ではなく継続の何かである、茂木。「さくらさくらもらうとすればのどぼとけ」まどか。

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