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2008年11月30日 (日)

道草

 昨日も、またまた、休日出勤で、朝方は少し雨が残っていたが、帰る頃には、風が出てきて、急に冷え込んできました。休日出勤には、一時間ほど、歩いて通っている。ゆっくりと道草をしながら、通いたいのだが、子供には戻れない。今日は、小春日和であるが、並の寒さではない。そんな中、山道を散歩した。ふと、小学生時代の登校、下校時の道草を思い出した。急ぐ事もなく、のんびりと、右に左に、花を摘み、草を踏みつけ、石ころを蹴っ飛ばし、くねくねと道一杯使って歩いていた。あるときは立ち止まり、時には、鞄を道端に置いて神社へ、井戸への、横道を入ったりしていた姿が思い浮かんできた。

 そんな中、夏目漱石の晩年の作「道草」を思い出す。健三の生き様を描いた作品だ。健三は、漱石そのものだ。その意味では、もっとも自叙伝に近いのだろう。ボケ爺の、読んだ結論では、道草とは、人生の回り道のことである。本来の人生とは想っても見ない道を歩いてしまった事を言いたいのだろう。「人間が生存している事は理由もない孤独」その孤独を打ち破りたい作業なのだろう、と言っているように思える。漱石らしい「ねじれた人生」と言うことかもしれない。ボケ爺の「ひねくれ人生」と似たところがある。

 定年後、縁があって、今、韓国で、韓国企業に勤めている。想っていた以上に長くなっている。ボケ爺の理想とは、大きくかけ離れてしまった人生を歩んできた。だからか、未だに道草をしている。ボケ爺、道草のまま人生が終わってしまいそうだ。それが、漱石の言う、「理由なき孤独」と戦う、と言うことだろか。

<読書>

「道草のすすめ」辰巳琢朗 角川ONEテーマ21(角川新書)

ここでの「道草」は漱石の言う「道草」と定義が違う。辰巳はいろんな能力を兼ね備えている。その兼ね備えた能力に、短時間で挑戦してきた。そんな天才肌を、読者に、同じような事を勧めている。能力の全てに挑戦してみようよ、と進める。数ある能力をこなす事が道草と言う。天才には付いていけない。

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2008年11月29日 (土)

冬眠で至福のご飯の味を

 日本人は、熱々のご飯の味が、芳醇な幸せを与えていた時代を忘れてしまったのだろうか?炊き出しのおにぎりの、あの美味しさを忘れてしまったのだろうか。ボケ爺は、今でも思い出す。オコゲも含んだ、熱々のご飯だけで、腹いっぱい食べた日々の幸せを。そこに、少しばかりの香の物と、味噌汁があると、これ以上の幸せは無かった。

 我々は「富」の価値を間違えてきた。海外からのお客さんを日本に招き、会食をすると、彼らは驚く。日本人はこんなに沢山食べるのか?贅沢だし、食べすぎだ、と、接待したにもかかわらず、小言を聞く。アメリカ人に言われたくない、アメリカ人こそ、一品の量を半分にすべきだ。

 いずれにしても、食に対して、贅沢すぎる。クロマグロの漁獲量が制限されるらしい。その理由が、日本人が全世界の8割を食しているという。それも年々増えているという。本当か?日本人は、糖尿病、腎臓病が世界でもっとも多いと、言われている。消化系に脂モノの消化が弱りらしい。西洋人の、特にアメリカ人のあの肥満は尋常ではない、と想うが、糖尿病、腎臓病は、遥かに少ないという。日本人は、咀嚼に咀嚼を重ねて食べる習慣が良い。粗食に合うように作られているという。

 今回の金融危機は、まだまだ、底が見えない、2年後に最低が来るだろうといわれている。世界中が味合わなければならない、と言う。少々もがいても始まらない。この際、多くの動物と同じように、寒い経済の中、冬眠をして、3年は断食をしてみよう。目覚めた時の、白米のご飯に幸福感がこみ上げてくるはずだ。その至福感から強欲が無くなるのではないだろうか。

<読書>

「全てがFになる」森博嗣 講談社文庫

工学家らしい、ストーリである。科学的ミステリーはこんな形になるのかと感心する。工学家の文章にしては、平易で、読みやすい。疲れたときこそ、こんな面白い、ミステリーに癒される。

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2008年11月27日 (木)

やはり違う右脳と左脳

 やはり、右脳と左脳の構造が違っているという発見があった、と言う。マウス上のことだけれども。解明したのは、自然科学研究機構・生理学研究所の重本俊一教授らのグループだそうだ。記憶の空間認識をつかさどる「海馬」と言う部位で、シナップスの大きさや形が違うらしい、と言う。左脳よりも、右脳は大きなシナップスで、多く、グルタミンセンサが多いとも分かってきた。右脳が空間認識を、左脳が言語機能を担うなども、マウス上で解明されてきている。人間の解明にも可能性があるらしい。

 ボケ爺は、語学系が全くダメであることは何度か繰り返し、恥じている。だから、英語、英会話が苦手である。当然、韓国語も覚えられない。本当に情けない。言語ごとに、固有のパスバンドがあるという説を、かの有名な、福岡伸一分子生物学者が紹介されていた。「パスバンド論」はアルフレッド・トマティスが提唱している。優先的に使われる音の響きが民族によって著しく違うという。イギリス英語の音域は2000ヘルツに広がる。日本人は母音を基本としているので、100~1500ヘルツがパスバンドだという。韓国も、英語域と似て入るはずだ。子音が多い。幼い時からのすり込みで決まるという。多国言語に強くなるには、幼少の英才教育に頼るしかない。ボケ爺が、英語が聞き取れない、韓国語会話が聞き取れないのは、当然なのだ。子音を聞き取るのは、本当に難しい。当然、発音も出来ない。努力では難しい。

 右脳で勝負だ。さて、それとて、何をしたらいいのか?ひらめきで勝負?さてひらめきは右脳、左脳から?

<読書>

「ひらめきの導火線」茂木健一郎 PHP新書

創造力、独創力、個性はひらめき力によって決まるという。ひらめきは誰にも備わっているという。だったら全員が天才だが。小さなひらめきの喜びから初めよ!と言う。兎に角、会話をせよ!と。毎日考える。持続力で決まる。情熱、熱意が先ず必要だ。

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2008年11月23日 (日)

マウスだって冬が分かる?

 今日は、曇りで、日中でも10℃以下との予想だったので、外に出る事もなく、体を休める時だと朝寝坊をした。ところが、予想に反して、お昼前には、雲が薄くなり、太陽で一杯になってきた。これでは出かけないわけには行かないと、一大決心をする。平地の紅葉は美しく、時期は過ぎた。アパートから眺める山の方は、いつもの秋らしくなく、紅葉がさえないような気がしている。

 一週間の疲れもあり、あまり遠出はしないようにしょうと想って、出かけてみたが、小春日和の上々の天気に浮かれてきた。いつの間にか、最も近い登山口まで来ていた。その間約40分である。以前途中で挫折した山であるので、止めようかと戸惑ったが、途中から下りる、と決心して、登り始めた。

 苦しくなってきた、汗が滴り落ちる。思い出したのが、日経新聞で読んだ記事である。「マウスだって冬が分かる」と言う記事である。マウスは冬を感じないといわれていたようだ。人間の場合、気温の変化で、いち早く感じる。周りの景色でも分かる。当たり前だ。マウスの場合、脳内に夜に分泌されるメラトニン、と甲状腺刺激ホルモンが、視床下部に情報を伝達して認識できるそうだ。途中で会った、リスも、野うさぎも同じだろうか、など、くだらないことを考えていた。

 松林の間に広がる広葉樹から、木漏れ日が優しく降り注ぐ。至福の時である。よく見ると、葉っぱは落ち切っていない。生乾きのようにしがみ付いている。先週の寒波に、凍り付いてしまったのだろう。平地でもマイナス5℃だから、山頂はないナス10℃ほどだったのか。これで分かった、山々の紅葉の景色が美しくならないことが。

 江戸時代は、こんな山道を、行き来していたのだろうと、なぜか、想像しているボケ爺は、今日は少し変である。

<読書>

「夏の椿」北重人 文春文庫

古い名作だ、と言うことで読んでみる事にした。江戸時代を舞台にしたミステリーである。いろいろ複雑で、読み応えがある。時代の背景がよく分かる。小春日和の暇つぶしには最高である。

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2008年11月22日 (土)

豊穣な誤謬

 当地では、すでに、朝夕はマイナス5℃の日々を過ごした。少量の雪も降った。街路樹の美しく色づいていたイチョウは、すっかり、惜しみなく、落ち葉になってしまった。今回の金融危機で、「人間としての強欲」をすっかり、惜しみなく、枯葉のように落としてしまいたいものです。

 バラマキ給付金は、経済効果の説明もないまま、それも地方に一任してしまう無責任な政府は、その上、辞退を期待している。長部日出男作家は、辞退する年給には遥かに及ばないが、辞退する、という。その理由は、「精神のない専門人、心情のない享楽人」の仲間になりたくない、の一言である。ウェイバーの資本主義の最終段階に登場するのが「享楽人」で、破綻の始まりだそうである。

 アメリカの成功投資家、ソロスが言う。「人間は完全合理的ではない、限界合理性である」人間は、「大いに思い込むし、誤解するし、失敗もする。」そんなことの繰り返しである、とも言う。だから、バブルも起きるべくして起こる。それを、皮肉をこめて、人間は「豊穣な誤謬」をするものだ、と。豊穣な誤謬を、少しでも被害を少なくするためには、「開かれた社会」「適度な規制」が必要だという。

 ボケ爺も、今は、設計品質の向上に頭を痛めているが、失敗は、「豊穣な誤謬」であり、失敗率を下げるためには、「失敗を公開する」「適度な謙虚さ」が必要だろう、と思っている。

<読書>

「ソロスは警告する」ジョージ・ソロス 講談社

日本で翻訳された出版された頃は、ソロスの警告がホンモノになってしまっていた。それだけに、ソロスのバブルの警告は誠に的確である。ソロスは、住宅証券バブルだけではない、と言う。長期バブルと、旧宅バブルが今回は重なっているという。これから2年後が本当に深刻な事態になりそうだ、と言う。金融緩和策をしながら、出来るだけ被害は少なくしないといけないが、現状、金融市場が不透明で、手が打てない、と言う。

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2008年11月17日 (月)

日本は米を中心の食材に

 米の利用方法が研究されているらしい。米も、100%自給できている、と言う。今年の米作の出来ばえ、気温は高く、台風も少なく、よく出来ている。だから、流通価格が下がらないように、政府が備蓄米に買い上げるようだ。来年はさらに減反に追い込まれそうだと聞く。そうしながら、事故米の輸入をすると言う矛盾。

 備蓄米の増加で、小麦需要を増やすように、米より、パン食を進めさせられてきた。今になって、栄養価は、遥かに米の方が良いと、言う。米を微粉に出来れば、小麦の世界の商品はほとんど代替が出来るという。うどん、パン、ケーキ、などなど。蒸し饅頭など、古来の食べ方も工夫すればよい。これで小麦は自給でまかなえる。

 上京して来たころ、笹塚に御曹司の息子を友とした。彼は渋谷で遊ぶ。今は看板だけだが、「恋文横丁」なるところがあった。間口、一間の店が並んでいた。10円だったか、焼き麺をおごってくれた。腹いっぱいだし、美味しかった。それが「ビーフン炒め」であった事は、ズーと後で分かった。食感からの考察からである。先日の日経新聞に、木田元哲学者の「ビーフン健康法」と言うコラムが載っていた。胃ガンの手術後に、すこぶるいいようだ。ボケ爺も同意する。ビーフンには、国産がないそうだ。コシヒカリで食べてみたいといっておられた。韓国ではこのビーフンが食卓を賑わせる。

 飼料用に米の改良が進んでいるようだ。さらに改良して、トーモロコシの代替に使えればよい。飼料として、チーズ加工時に出る廃液を混ぜる。近くの、雑草類でまかなうと、トーモロコシの使用を今の3割以下に抑えられるという。これなら自給できる。

 残るは、大豆である。これは何とか、遺伝子の活用に期待したいのだが、大粒で、沢山実につけ、害虫や、気候変動に丈夫で、安全な遺伝子操作を期待したい。今、遺伝子操作では、野菜を利用した「食べる薬」の開発に取り組んでいるという。よくよく注意しながら、開発を急いでもらいたい。

季節知らずの野菜を食べるのではなく、旬の野菜だけで料理する事を心がける事である。すると自給できるという。旬の野菜は、体に良い事が分かっている古代からの人間の知恵である。夏野菜を冬に食べたのでは、体を冷やしてしまう。

 残るは価格である。流通を変えたい。JAの流通機関が癌である。我々自身が変わらなくてはならない。さらには贅沢を戒めなくてはならない。そうすることによって、食糧は自給できるはずである。

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2008年11月16日 (日)

聴覚派、視覚派

 先日のブログで、韓国人は、視覚派であり、日本人は、聴覚に強い感がすると記した。韓国で、よく山登りをする。しかし、小鳥の声に驚く事はない。聞こえていないのか、小鳥が少ないのか。それ以上に風景が気になる。秋の紅葉時にも、美しい紅葉に見とれて、聴覚が働かないのか、と疑って、今日、雨上がりの小春日に山に行ってみた。雫や、霧と紅葉の絡みには堪能したが、小鳥の騒ぎはやっぱり聞こえなかった。

 思い出すことに、東京の実家近くでは、特に秋口、時雨の後など、木の実を争って、啄ばむ小鳥の鳴き声にヘキヘキするぐらいにぎやかである。虫の音が気になって、秋を感じたりする。と言う想いに、日本人は聴覚が優れたのかな、と考えた。今、出だした、そのブログでは、匂いの強い木の花のことを書いた。初は沈丁花、秋は金木犀の臭覚派であったか。

 木田元哲学者が、日経新聞のコラムで、「視覚型か聴覚型」で、俳人の分類を試みておられた。芥川龍之介が「蕪村は目に訴える美しさ」「芭蕉には、調べの高さ」と供されたらしいが、ボケ爺は、芭蕉は音にこだわったのかな、と思い聴覚型と想っていた。さらに俳諧には、花の匂いなど、匂いの臭覚型もあり、触覚型の人も居るという。「何所やらに 花の香すなり 小夜時雨」に至っては、分類は無理のようだと締めくくられていた。

 ケンブリッジでの経験では、5月の初めだったと思うが、小鳥の騒ぎで目が覚めた事が印象に残っていて、イギリス人に尋ねたが、一向に気にすることはないようだ。ここでは、右脳と、左脳の発達の違いかもしれない。

 ここで一句、「紅葉が 喜び騒ぐ 雨上がり」「水たまり 落ち葉に夕日 萌えるなり」

<読書>

「俳句脳」茂木健一郎、黛まどか 角川oneテーマ21(新書)

俳句はひらめきだ、お二人。自然への挨拶、自己の発見につながる、まどか。完了ではなく継続の何かである、茂木。「さくらさくらもらうとすればのどぼとけ」まどか。

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2008年11月15日 (土)

豚もおだてりゃ木に登る

 金融サミット、G20が行われている。ばら撒き麻生首相は、またまた、大風呂敷を広げている。日本がこれまで、コツコツと溜めてきたなけなしの貯金を、この時ばかりとばら撒いている。こんな首相を傍観していていいのだろうか。

 日本をおだてりゃ、いくらでも、カネを振りまいてくれると、各国が擦り寄ってくる。バカ麻生内閣は、日本が世界に貢献でき、日本は尊敬され、日本が世界のリーダーとなれると勘違いして、いい気になっていく。日本国民を騙していく。

 日本の金融機関は、今がチャンスと、世界中に投資をしている。投資された国は、腹では煮えくりかえっている。日本のバブル前の苦い経験を忘れているのか。ジャパン・イズ・ナンバーワンといわれていい気になっていて、恨みを買ったことを。大きなしっぺ返しを食らったではないか。それを皆、国民にツケを押しすけた事も忘れているのか。そう言うと、前と状況が違う、と言うけれど、状況が違おうと、世界は日本を、心から信頼していないのだ。豚相当に見ているのだ。それも、「強欲な豚」と嫌われている。今だから仕方なく、おだててくれている。麻生内閣の豚は、木に登って、いい気になっている。高度成長をむさぼる「強欲な日本」を期待するのか。

 このままだと、オバマに、アフガニスタン問題で、今の2倍も3倍もの支援を押し付けられるであろう。豚の麻生内閣では、喜んで木に登り、巨額をばら撒くであろう。

 この混乱の回復にはかなりの期間がかかる。その間にじっくりと、本当に日本が平和で、心の豊かになる政策をと、世界で貢献できる政策を、どうしたら出来るか?の議論をすべきで、そのために「ばら撒こうとする金」を投資したいものだ。

<読書>

「消失、第4巻」高杉良 ダイヤモンド社

前回の日本のバブル時から、回復までの金融機関の裏のフィクションである。モデルがあり、ノンフィクションに近い。金融機関のダーティーな部分の抉り出しと、それに立ち向かう、若者の勇気の絡みがよく仕上がっている。若者への応援歌である。全4巻の最終版である。高杉流である。

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2008年11月12日 (水)

ひかりものの寿司食いね!

 ボケ爺は、寿司には目がない。関西の押し寿司から始まって、バラ寿司、〆寿司、最後には江戸に戻り、にぎり寿司となる。最近、美味しいにぎり寿司を食べていない。残念だが仕方がない。

 にぎり寿司食べ方にうるさい人が多い。能書きが多い。ゴク(厚焼き玉子)の美味しい店は、全てよし、と言う人。これももっともだ。自家製が減ってきたからかもしれない。とろけるようなアナゴが美味しいところが、好いと言う人もいる。極めつけは、「コハダだ」、と言う人は多い。〆具合が職人の技だという事らしい。

 ボケ爺は、先ずは、イカの耳を大切にしている店を選ぶ。何といって、コリコリ感が好い。それ以上に、安いことだ。それに、エンガワが美味しいところも好い。これだけあれば言うこと事はない。最後の締めが、ネギトロ巻き(手巻きはいけない。のりがすぐにしけって歯茎に張り付く。)である。

 日本経済新聞の「彩時季」に「ハゼ刺身も格別」と言う記事が載っていた。油が乗るのが、秋口から冬にかけてだそうだ。テンプラ料理ではよく食べた。甘露煮なども美味しい。刺身はまだである。刺身が美味しいのなら寿司にして食べてみたい。

 日本は、魚を多く食べる国民であるらしい。自給率はやはり、40%ぐらいらしい。しかし、「ひかりもの」といわれる秋刀魚、鰯、鯵、鯖、鰹、イカ、(蛸は?)などは100%自給出来ると言う。食の安全からしても、自給率からしても、これらの魚を中心にして、料理の仕方の工夫で、魚は100%自給にしたいものだ、刺身も、寿司も、これらの魚で十分だと思っている。マグロなんてメタボの根源だ。輸入の蟹や貝類も毒に犯されている。えびなどもチットも美味しくない。しかも青物はDHAで、頭がよくなる。

 皆様、ボケ爺の提案は如何なものでしょうか?賛同をいただけるといいのだが。

<佐藤春夫の切ない思い>

秋刀魚の歌  「あわれ、秋風よ、情あらば伝えよ、- 男ありて、今日の夕餉に、ひとりさんまを食いて、思いにふける、。。。」

佐藤は、谷崎の妻を奪って、妻譲渡事件を起して有名だ。

「さんま、さんま、さんま苦しいか塩つぱいか」

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2008年11月11日 (火)

ばら撒き給付金

 給付金について、経済復興に効果があるか?の質問アンケートに対し、回答結果は、70%の人が、効果はないだろう、と言う。国民はまともな見方をしている事に、ボケ爺は安心した。常識を失っていない。にもかかわらず、何故、ばら撒きをするのだろうか?高所得者は遠慮せよ、その意味も分からない。低所得者に対する減税の方が、いくら役に立たないという経済原理でも、経済原則に沿って、理にかなっている。

 世界から見た日本の競争力のデータが、日経産業新聞に出ていた。総合で22位だそうだ。経済効率が、29位、政府効率が39位である。ビジネス効率も24位、いま、この実態を自覚して、日本の将来の長期展望の議論をして欲しい。自民党保全のときではない。

 「官僚が書くブログ」があるらしい。「脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告」と脱藩官僚の会なるものもあるらしい。官僚は「欲張りな子供だ。権利、予算、取りたがり、目的としている」と言う。他人の評価と、自覚に大きなギャップがある、事が諸悪の根源だ。

 健康診断結果で、医者は必ず言い添える。それは、肥満が諸悪の根源です。肥満に気をつけてください。肥満を抑えるには、少食のこと、体を動かす事。今回の経済危機の原因は、肥満化した、金融証券、それを欲しがる企業、高度成長を求める人々。この肥満を抑えるには、欲張らない、小額の生活に慣れなくてはならない。そして、頭を使って、長期展望の政策を考えよう。体を使って、職人生活に満足し、文化を創造して育てる。と言うことか。くどい!よ、ボケ爺と言われそう。

<読書>

「貧乏は正しい!」橋本治 小学館文庫

1991年から、1998年昭和が終わったが、バブル健全な時の警告書であった。貧乏は正しいシリーズは全4巻であるらしい。名かなか洞察力があるし、今読み直しても退園に参考になる。

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2008年11月 9日 (日)

冬支度

 今日この頃は急に冷え込んできた。紅葉が平地でも、美しい。こんなに綺麗だとは以前は思わなかった。以前住んでいた所はブンダンといって、都市計画の行き届いた、高級アパート群であった。それ故、自然がないということだったのだろうか?今は、歴史深い、スオンと言う街の一角のアパートに住んでいる。無秩序に歴史が残っているためか。18階から眺めるアパート群内の広い庭、街の眺の家並みの間に、引き立つ紅葉の黄や赤のブチが織りなしが目立つ。

 昨日は、休日出勤で、自由な発想から、何とかヒントをつかめて高揚した気分であった。早めに引き上げて、夕日の残る街の公園のはしごをしながら帰宅した。約1時間半の足取りに、紅葉が堪能できた。

日本では濡れ落ち葉のボケ爺も、ここでは、独り身、天気もよく乾燥しているので、落ち葉の合奏がよく聞こえる。「カサ、シャカ、カサ、シャカ」と足元でリズムを繰り出す。舞下りを競う落ち葉が、「カラ、カラ、シャ、シャ」と音を立てる。木の名前は分からないが、芝生が分からないほどに積り、夕日に輝くは、炎のようである。その中に身を投じると、登り窯の炎に焼けていく土の気分になる。

サッカー場の北側は、サクラの並木道である。一枚一枚の紅葉は美しくはないが、ここまで整然とすると、土色に赤と黄色がまぜって、それは見事である。南側の通りは、銀杏並木である。これは単純な真黄色ではあるが、歩く人の顔までも黄色く染めている。

 モミジが美しいといわれていたが、事実である。ボケ爺の日本で住む家の庭にもモミジがあり毎年、その紅葉に感動していたが、黄色見が残ったまま朽ち果てる。ボケ爺のようにいい加減である。ここのモミジは違う。深刻なほどに、透明性を帯びた灼熱的な真紅色である。その情熱な終焉に、自然の魔力の怖さを感じた。 公園の多くの木には虫除けのコモが巻かれ、冬支度である。

<読書>

「犯罪小説家」雫井脩介 双葉社

緩やかな展開であり、犯罪の色がなかなかでてこない、終盤から少しずつ、推理小説らしくなり、終盤で一気に追い込む。この手法は、「犯人に告ぐ」と同じような展開とも想う。

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2008年11月 8日 (土)

田母神論文の審査人にも処分を

 田母神前航空幕僚長の懸賞論文に応募して、最優秀であった、と言う報道に騒ぎをかもし出している。その結果、今までの教科書問題とも、政府認識とも違っており、右翼の論説であることははっきりしている。早々に更迭されるのは、当たり前である。判明してからの、処分が早かったので、世界的に大事にならなかったことは不幸中の幸いであった。浜田靖一防衛相らの減給処分は当たり前である。だが本人だけは抵抗している。日本を代表する人間としてこれでいいのだろうか。

 更迭されたのであるから、当然に、懲戒免職であると、誰もが思ったであろう。政府見解と真っ向から対立するから、公務員としての資格がないということだ。処分無しで定年退職とは呆れる。しかも6千万円もの退職金が受け取れた?不思議と言うか、馬鹿馬鹿しい。懲戒免職の審議をすると8ヶ月ほど掛かってしまう、が、定年退職にした理由だ、とか?全世界が、日本を不審に思うことだろう。外部への投稿には、審査が必要だったと言う。その規約も破っている。そのほかにも、自衛官96人以上ものが、田母神の指導を受けて、投稿したらしい。落選したからいいと言うものではない。規定を破っての投稿なのだから、即刻、投稿した人たちも、懲戒免職すべきである。記者団の質問にも、当初は、「何が悪いのか」と開き直った記者会見にはあきれた。

 もう一つ不思議なのは、田母神論文を優秀とした、論文審査を担当した人がいるはずだ。その、審査人の罪も重い。主催が、アパグループである。グループ代表の元谷外志雄が怪しい。同じ思想を持っているのではないか。審査人が、日本の歴史を理解していないか、田母神と同じ見解を持っていたことになる。なぜ、政府も、とりわけ、民主党も、ジャーナリストもこの問題に、目をつぶっているのか?全く理解できない。

 ボケ爺の独り言である、が、ジャーナリストに憤慨している。故筑紫哲也さんなら、なんとコメントするだろうか?朝日ジャーナルが恋しい。合掌!

<読書>

「仕事道楽」 鈴木敏夫 岩波新書

暗いニュースが続く。こんな時こそ、明るい本を読んでみたい。スタジオジブリの現場からの報告である。職場で押し付けられてあがいているのではなく。自らが、想った事を立ち上げて、実現していける仕事こそ、「仕事道楽だ」。「アニメ」こそ、閉鎖的な世界経済を救う日本発の文化であろう。経済成長を求めず、文化創造に軸足を置こうではないか。今は、「ポニョ」。

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2008年11月 7日 (金)

麻生経済対策に焦り?

 解散を控え、麻生首相の緊急追加経済対策は、人気取りのばら撒きにしか思えない。経済状況の見通しも、「景気後退曲面に入った」の「のんびり感」と、実態とのギャップにボケが進行している、と想うのは、ボケ爺だけだろうか?それとも確信犯で、人気取りをしているのか。

 ばら撒き経済対策では、橋本首相が行って、見事に失敗し退陣を余儀なくなった。その二の舞の案である。全世界が、落ち込んでいる中、日本だけが、金をばら撒いて、経済対策となると思っているのだろうか?「円高」を、日本経済の強さ、の表れだと言う経済論者のボケと同じである。

 上場会社の業績は、21%の落ち込みだとの発表から、昨日は、トヨタの営業利益が、マイナス73%を越える、と言う。ヨーロッパでは追加の金利値下げを行ったが、株価の下げは止まらなかったとの報道である。IMFは、来年は、主要地域で、GDPはマイナス成長だと予想した。

 一人当たり、1万6千円あたりの給付金、約2兆円、これでどんな効果を期待するのか?まだ、減税を打ち出して将来の小さな政府対策を考えるべきであった。通行税を一般市民だけに、千円、にする。どれほどの期待をしているのか?住宅ローン金利引下げ、どのぐらいの住宅購入を期待しているのか?合わせて、5兆円の対策だそうだが、効果の期待額とか、効果の理由が全く説明されない。

 財源が問題である。埋蔵金と言う。今まで、埋蔵金はないといっていなかったか?いくら金を隠しているのだろうか?この内容こそ市民は怒るべきであろう、がおとなしい。政府の予算はどうなっているのか?ジャーナリストは言及しない。道路財源の一般化は当然としてこの使い道が問題だ。

 今は、ロシアの経済学者の言う、コンドラチェフの波、長期景気周期(50~60年)の「底」にあるのではないだろうか?あがいてもダメなのだ。今こそ、第五波(第4波上昇が1950年とすると)への上昇に向けての対策を打つために、投資をすべき時期である。日本にはその基礎技術が沢山ある。太陽(自然)エネルギー、電気自動車、再生医療、環境対策技術などなど、欧米に対して、投資額、税制面、補助金などに、大幅に遅れている。これらの「次の産業の芽」に対しての、「投資、減税、補助金」に、今回の5兆円をあてて、育成して欲しい。将来に夢をばら撒いてこそ、政治ではないのか?と考える人はボケ爺だけではないであろうか。

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2008年11月 6日 (木)

青春時代の思い出

 ボケ爺の青春時代の「淡い恋物語」など、艶文を暴露しようなどと、粋な事はできない。先日、フランク永井が亡くなった。田舎から東京に、いや、有楽町に憧れた。上野もその一つかもしれないが、関西からの上京は先ずは「有楽町で会いましょう」がうたい文句であった。上京する前に流行ったのだったか、上京してから流行ったのかは定かではない。57年のヒット曲だということだから、上京前である。兎に角、低音の魅力には感じ入った。ボケ爺はテノールだ。今日の歌手は、男女とも、高音に向かっている。キーキーと聞き苦しい。NHKのアナウンサーまでもが、高音を上ずっている。耳をふさぎたくなる。次が「君恋し」である。意味もよく分からなかったが、恋と言う言葉に魅了された。低音が魅力的だった。合掌!

 ポールニューマンが亡くなった。ほとんど、映画は観ないのだが、高校時代に23度は行った。「傷だらけの栄光」だったか「ハスラー」か?否、「明日に向かって撃て」の上京したときだったか?全く覚えては居ないが、ポールニューマンの格好の良さだけは記憶に残っている。たまにしか観なかったからか、強烈な印象を受けたのか、今になっては覚えていない。合掌!

 俳優の緒形拳も若くして亡くなってしまった。まだまだ、演技を見せてもらいたかった。追先ごろ、NHKの特別ドラマ「帽子」を見た。すばらしい出来であったと思っていた。緒形は健在と思っていた。緒形拳さんは、ボケ爺の青春時代の人ではなかったが、役者からの情熱を通して、情熱と言う青春を教えてくれた。大事にしまっておきたい。合掌!

 古い話はしたくないが、ボケ爺のよき時代の思い出である。過去を懐かしむようになると、人生終わりだとか?皆さん、合掌、合掌!

                   

<読書>

「砂の女」安部公房 新潮文庫

「燃え尽きた地図」を読んだ事がある。兎に角、怖かった事を覚えている。気になる作家だったが、その一冊だけだった。SFが理解、想像を越していたからだ。今になって読み返すと。昭和37年作、と言うことだから、この時代に今日の社会情勢、状況を予想できていたと言う事になる。優秀なSF作家であったのだ。社会から阻害されて、それでももがきながら生きて行ける。社会と分断されても生活の手段はある。人間の不思議さが描かれている。

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2008年11月 5日 (水)

素直力

 高橋尚子選手が現役引退、との記事があった。「Qちゃん、ご苦労さま」と声を掛けてあげたい。さぞ無念であろう。期待されながら、最後の花道が作れなかった悔しさは、サラリーマンとしてのボケ爺にもよく分かる事である。分かりすぎるからして、無念さがよく分かる。涙がそれを物語っている。

 ボケ爺が、なぜ、高橋尚子に興味を持ったかと言うと、シドニーでのぶっちぎりの優勝もさることながら、「素直さ」であった。小出義雄監督を追っかけて、指導を仰ぎ、無心に、その教えをただただ、信用して、素直に聞き入れ、従っていたあの姿が忘れられない。人の成長には、恩師の教えを、汚れなく素直に聞き入れる力が重要だと思っていたからだ。Qちゃんは、素直さの天才であった。即ち、「素直力」とボケ爺は命名した。サラリーマンと言えど、よき先輩に出くわして、素直に従えることほど幸せな事はない。

 しかし、Qちゃんも人の子であった。小出義雄監督の下を離れて、格好良く独立した。理由は山ほどあったと想う。自分の甘えに、ムチを打ちたかった、と解釈したかったが、自分の成長に、恩師への素直さがもっとも寄与した事に、気がつかなかった事だ。邪念が働いたとしか思えなかった。その時、ボケ爺は、今日の姿が予想できた。ボケ爺も同じような道を歩んだからだ。

 素直さこそ、成長の起爆剤である、とは、ボケ爺の信念である。「素直力、バンザイ!」

<読書>

「続ける力」伊藤真 幻冬社

コツコツ続ける事こそ、成功絵の道である。ここにも、率直に続けよ。寓直になれと言う。続ける事は能力だと言う人が居たが、能力だとは思えない。努力であり、意志力である。

ひたすら続ける事である。当たり前のことを言っている。当たり前が難しい。

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2008年11月 4日 (火)

コラーゲンに騙された。

 ボケ爺、肌の衰えに、女性ども以上に、気にしている。肌の潤いを保つには、コラーゲンと言う。女性のお肌のクリームには鮭の皮から獲ったコラーゲンが入れられていると言う。食品の棚には、コラーゲンの飲料用の粉が、沢山売られている。その中の、一つを、2年ほど一日も欠かさずのみ続けた。その分、潤った(?)肌を保てた、と想っていた。しかし先日、日経新聞の「明日への話題」に、福岡伸一分子生物学者が、コラーゲンは一種の共同幻想だ、と言う。

 「他者のコラーゲンは丸ごと消火器を通り抜け、細胞間や関節に届いて、その場所に補充される事は、全くありえない。」と、断定である。コラーゲンはたんぱく質で、消化器内で、分解されてアミノ酸になる。コラーゲンは消化が悪い。コラーゲンが必要ならば、アミノ酸からコラーゲンを作り出す。アミノ酸は一般の食料から十分に吸収されている、コラーゲンが足らなかったら自ら、簡単に作り出して行く。心配は要らない。

 プラセボ(似非薬)効果である、と言う。コラーゲンの共同幻想に陥っている人は幸せである、とまるでバカにされた。

池田了氏の疑似科学入門(岩波新書)にも、そのような効果の、効用のない、薬、飲料品がはびこっているので気をつけましょう、となっていた、まさか、コラーゲンが引っかかるとは想わなかった。これなど、厚労省で取締りが出来ないものだろうか。

 食品偽装がこれまた、はびこっている。生の食品も、安心して食べる事ができない。それに加えて、食品安全も、保つ事ができない。外部から、エキスを補充する方法は、先ずはないと想え。ボケ爺のように騙されるなよ。

<読書>

「文明の憂鬱」平野啓一郎 新潮文庫

若い人の、日ごろの起きている現象を批判エッセイとしてまとめてある。年寄りと、若者の違いが分かるのと、共有できるものとが、あって面白い。今回の共同幻想の件は出ていない。

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2008年11月 3日 (月)

女に弱いは、男の証?

 「男は辛いよ」は寅さんのせりふ。「男は弱いよ」はボケ爺のせりふ。この世は男と女、オスとメスの世界である。古くから、男は威張って生きてきた。「女は肋骨から作ってやった」、と宗教の力で縛ってきた。今日の男は、女に翻弄させられている。否、昔からだが。ここに来て、宗教のような隠れ蓑、ごまかしが無くなった。威張ってみる何者も無くなっていく。

 子供を育ててみても、男の子はよく病気にかかる。それだけでも生命に弱い。寿命はどうか?当然、女の方が、俄然長生きだ。癌になる確率は、男が2倍である。仕事上のストレスだとか、肉体労働が辛いとか言う弁明はむなしい。古今東西、フィクションの世界でも、女心に翻弄させられて疲れて朽ちるのは男である。女はしたたかに、強い男の遺伝子を狙っている。弱い男の生きる場所がない。だから自殺者も男が多い。動物の世界でも同じ事らしい。源氏物語1000年の記念行事が行われているが、読みたくない。女が好きになる物語である。この世は女系家族である。

 「できそこないの男たち」福岡伸一、光文社新書、が発行されて好評である。なるほど面白い。ストーリー立てが良い。遺伝子の解説書でもあり、ノンフィクション物語として読んでもいい。生命研究の歴史書でもある。「生命の基本仕様はメス。オスはそのカスタマイズ(変形)」だと闊歩する。要は、人間の7週目までは女としての体で成長している。SZY遺伝子がオンして、プログラムが働くようである。7週目から男性ホルモンの働きで、女の象徴を縫い合わせて男の象徴を作り上げてくるそうだ。言われてみると、実際にその縫い目が残っているから、驚きだ。Y染色体の遺伝子のRNAはよく書き間違いが起こるようで、病弱、精神薄弱、病気、取分け癌になりやすいそうだ。

 アリマキと言う虫の生涯がメス世界の代表だと言う。全てメスで生活をしていて、気温が下がってくると、メスがオスに変わり、種を植え付ける。植え付けが終われば、オスは死んでいく。春に生まれた子供は全てメス。オスはメスのカスタマイズ(変形だと言う。Yの過去をたどって行けば、アフリカに行き着く。さらには、そこからY染色体の詳細をたどれば、Y染色体の旅路が分かる。つまり人類の移動の歴史が分かってくる、と言う。

 結論は、男は女の奴隷、女に使い捨てられて一生を終える。このボケ爺はまさしくこの人生をなぞっている。

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2008年11月 2日 (日)

人間は下品だ

 数年前から、「品格論」が横行した。多分人間は下品だから、品格に気をつけよう。品格を有した人格者になれるように努力したい、と言う願望で、新書版として、ベストセラーが数多く作られた。

 平成初期の日本発の不動産バブルの時には、「清貧の進め」、が盛んに謳われた。いずれにしても、人間の欲望は無限である。欲望から逃れることが出来ない。欲望のためにあらゆる知恵を出す。これは下品でなくてなんだろうか。

 バブルの原因の最後の三点目は、資本主義の「資本とは何か?」に行き着く。資本と労働力(マルクスの原論)が生産工程に投下され、効率化によって、利益を生む。そして資本の蓄積が進む。更なる資本を求めるに、生産を基本とする産業資本では、我慢が出来なくなってきた。下品な欲望は、やがて、金融資本と言う魔物を見つけてきた。つまり、今日のバブルは、産業資本から金融資本への移行がもたらしめた結果である。ポストケインズのシカゴ学派によるマネタリアンが力を増して、金融工学を生み出したことから始まった。金融の商品化である。架空の証券(商品券)を巧みに組み合わせて、証券の証券化でリスク分散を図って、国民を騙していったのである。金詰りは起きない、資本は備蓄され、資本は無限に続く、と言う発想であった。不動産に、石油に、トーモロコシなどを巻き込んで、証書と言う紙切れの証券化商品を操ってきた。それを買う企業、個人にしても人間の欲望が故である。人間は下品だ。

 今日では、「資本と頭脳とが分離した」化け物の世界に身を置いているようなものである。その一つに、「レバレッジ(てこ入れ)」と言う御旗の下での、更なる金融投資を行う。全世界の首脳が集まって、追加融資の合意をしている。これは「レバリッジの嘘」である。これは結果として競争激化を生む。つまり合併、救済と言いながらの買収劇、「情けは人のためならず」と言う奴である。流動性を求めると言いながら、お金のバラまきを行っている。これらの政策は、自己増殖は止められない、と言うがの如し、である。あらゆる格差は無限に広がってゆく。一種のがん細胞と一緒である。誰が、この金融資本の癌を治療できるのか?先ずは融資を止めなければならない。そのためには、国民の「貧乏暮らし」に期待がかかる。

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2008年11月 1日 (土)

リニアーカーは必要か?

 高度成長主義がバブルを生む。日本は、高度成長に成功して、世界で二番の経済大国になったと喜んでいた。バブル崩壊後、二十番以下になり、悲観していて、ようやく回復したと喜んだ途端、アメリカ発のバブルに見舞われている。国民感覚からして、今日のバブルが悲壮だとは感じていないのではないか。十分に贅沢な暮らしをしている。

 政府をはじめ、企業においても、高度成長を今一度と、金切り声を発している。そうしないと経営者失格になるからだ。JR東海も同じ事である。51千億円もの投資を自前(借金)でして、これからの低成長時代に採算が合うのか?きっと高い運賃なるだろう。名古屋東京間が40分、通勤圏内と言う。大阪も1時間で通勤圏内も可能と言うことだ。政府がこんな物を認めれば、東京一極集中は止まらない。政府自らが、地方崩壊を推薦している。日帰り出張、構想道路網、高速での時間差縮小の高度成長政策を取り、結果は低成長だ。地方列島はシャッター街とされてしまったのである。

 つまり、高度成長と言う御旗の下、その投資のために、借金のための借金と、借金を積み重ねるからだ。本当に国債は返せるのだろうか。年金預金運用は、貸し倒れになるのではないだろうか?そのことを誤魔化すために、税率を上げると言う。リニアーカーは本当に必要なのか?その借金の返済に、在来線の新幹線料金を当てるという。その分下げてくれた方が、豊かな生活が出来る。道路公団と同じ思想である。これがバブル思想である。

 ケインズ経済原論は、有効需要原理を見つけたことにあり、投資が総生産を押し上げると言う。だから、誰もが高度成長のために、巨額の投資をする。行き過ぎた投資が、バブルを作っていく。金融機関も赤字だというのに、投資、投資に向かっている。何を考えているのか?バブルとは「高度成長のつわものどもの夢のあと」である。

 人口も減ってきている。十分に生活も出来ている。これ以上の高度成長は必要ないだろう。急ぐのを止めよう。投資を止めよう。

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