« グローバル化は必要悪か? | トップページ | 読字障害 »

2008年10月18日 (土)

釣瓶落とし

 「秋の日は釣瓶落とし」油断していると、あっという間に日が暮れる。今回の証券化商品経済の原理は、まさにバブル。釣瓶落としの経済原理を抱えていた。秋分の日が過ぎると当然のように起きてしまった。

 「勝ち組み」「負け組み」の自由市場原理を謳歌して来た。そんな、原理など元々無かったのではないか?イノベーション!イノベーションが足らない、と言われて、従来の有形財では行き着いてしまったので、本来、無形財であったものを有形財に見せかけて、勝ち負けのゲームを楽しんだのだ。この経済を原理かのように世界に押し付けたのは、アメリカである。ゲームは終わったのだ。

 結果は、「勝ち組み」「負け組み」もいなかったのだ。人間の生物である。生態の原理に立ち返って、考えなければならないときにきている。ダーウィンの説の自然淘汰に立ち返らなければならない。象の企業、狼の企業、狸の企業、など、仲間同士は仲良く、それぞれは、主の生存ルールの中で、相対的に生きて行く。天敵も相対的に生存する。

 だから、いらぬ投資などして、生態を崩してはならない。この際自然淘汰に任せて、ひとまず、この騒ぎを収める事が肝要だ。皆、この痛みを感受しよう。公的資金投資で、期待の欺瞞には将来、何年待っても夢がない。モノ作りなど捨てよう。芸術だ、工芸だ、文化だ。これこそグローバルだ。

 老人(傷だらけの企業も)を薬漬けにして、長生きさせるは止めよう。姨捨山の原理に戻ろう。ボケ爺の世代が我慢すれば、若者にきっと夢のある時代を作り上げる事ができる。

<読書>

「鬱の力」 五木寛之・香山リカ 幻冬舎

まさに、こんにちは鬱の時代である。それを無理して、躁になろうと、足掻くから、バブルを生んでします。うつむいて歩む事だ。そんな鬱に力が潜む、と言う。「登山の醍醐味は下山にある。経済も然り。鬱の中でこそ全てが豊かに成熟する。そんな鬱の時代を楽しもう、鬱を力にしよう、と言う。ボケ爺の好きな芥川龍之介(漠然たる不安)も夏目漱石(一匹のむく犬の如く)の鬱であった。鬱の力が、名作を生んだ。

|

« グローバル化は必要悪か? | トップページ | 読字障害 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/160469/42831983

この記事へのトラックバック一覧です: 釣瓶落とし:

« グローバル化は必要悪か? | トップページ | 読字障害 »