« いらだつ社会 | トップページ | 竹島(独島)で思うこと »

2008年7月12日 (土)

愛されなかったボケ爺

 両親に愛されなかった、と思い続けたボケ爺はひねくれた。母親から、いつも言われていた、「この子は少しひねくれているからね。」と。しかし、幼少の頃は、母親の袂を掴んで、くっ付き虫のようにまつわり付いていたようだ。いつも、理想的な兄と比べられて、出来の悪さに非難を浴びていた。おじいさん、おばあさん、それに親の愛は全て、兄に集中していた。だからボケ爺はひねくれた。だから郷里を捨てた。

 続く無差別殺人、つい先ごろは秋葉原で起きた。今日は9年前の下関無差別殺人事件の判定が下った、「死刑」と。犯罪の理由は簡単で、自分の失敗の「憂さ晴らし」である。そんな精神になることが課題である。当然、自由と、競争の中の孤独を生む社会の課題でもあるだろう。

 人格形成に必要な基礎は、親の愛である。盲目の愛ではなく、子供との、適度な反応を持った愛なのだと思う。親の責任から逃れてはいけない。相対した、「真剣な親子の戦い」をする事だと思う。先生や社会のせいにするわけにはいかない。子供たちとは真剣な喧嘩をしてきた。結果は?

 ボケ爺のひねくれ程度は、可愛い物である。この程度に納まったのは、親の愛情の賜物であった。

<読書>

「漱石 母に愛されなかった子」三浦雅士 岩波新書

良書にぶつかった。漱石解釈の仕方の一つである。母の愛を疑い続けた、さらには、それを隠すべく逃避も行われた。漱石の作品は、一貫して母親の愛の不足から、解釈できると言う。「なるほど」、と唸る。

 幼少の頃は養子に出され、養子にまつわる借金も抱える。登校拒否もしている。ひねて、ひがみ根性が芽生えたのである。自殺の課題も抱いていたようだ。漱石の作品の全ての評価が「母の愛情不足」で説明が出来る。すばらしい。

 ボケ爺の人生と多少重なる点に、漱石が好きになった根拠を見つけることが出来て嬉しい。

|

« いらだつ社会 | トップページ | 竹島(独島)で思うこと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 愛されなかったボケ爺:

« いらだつ社会 | トップページ | 竹島(独島)で思うこと »