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2008年6月29日 (日)

梅雨の雨

 梅雨とは季節の事か、雨も含むのか、ボケ爺の記憶では曖昧すぎる。とにかく、昨日の昼ごろから、今日の昼ごろまで、降ったり止んだりの、典型的な梅雨時の粘りつくような雨に見舞われた。木々には、潤いの恵みである。緑が深く生き生きしてきたように思える。

今日の昼食が終わった頃、一斉に、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。雨が上がったかな、感じた時、アパートの周辺は、子供の声でにぎやかになってきた。この団地は子供が多いようである。庭には、数々の遊戯施設が整っている。何時の時代も子供の甲高い声は、将来の希望である。子供は元気が一番、と思う。

先ほど、ランニングから返ってきた。いつものコースである。室内に閉じ込められていた鬱憤を晴らすかのように、サッカー場の周辺は、ウォーキングする人で賑わっていた。カップル、夫婦連れも多いが、親子連れが特に多いのには驚く。親子が会話をしながら、一緒にウォーキングしている姿は、家庭の平和の元であり、子供の自立に良い環境である。仲の良い家族が多いのには、本当に羨ましい。日本も少しは学ばなければならないように思う。

老若男女、親子も、手を繋いで歩いている姿は、ボケ爺には、羨ましいやら、気恥ずかしいやら。

<読書>

「ヒトのオスは飼わないの?」 米原万里 文春文庫

タイトルは過激である。筆者が、独身だからである。中身は、筆者の猫、犬の飼育日誌、エッセイである。ダイナミックな文体でありながら、女性らしいきめ細かさがある。ボケ爺も、犬猫を買ってきたことがあるので、犬猫の様子はよく理解できる。が、こんなすばらしい文章は書けない。

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2008年6月28日 (土)

ウインブルドン効果

 テニスのウインブルドンが始まっている。波乱が続いている。観る物からするとそれが話題でもあり、楽しみでもある。ウインブルドンテニス大会を楽しみに、見学する人は、なんと多いことだろう。抜群の集客力です。他に類を見ない。

 今年の話題は何といっても、シャラポァであったであろう。初日から、ファッションショウで、度肝を抜かれた感がある。英国風の白のタキシードのシースルールックのウエアである。テニスの強さといい、妖精であり、全てが揃っている。2回戦で敗退である。残念!2回戦目は、何が起きたのか、疑っても始まらないが、ボールはあらぬ方向に飛んでいってしまう。微妙を通り越していた。イワノビッチも初戦で敗退である。期待の錦織も1回戦で放棄である。今後どんな展開になるのか、楽しみが続く。

 ところで、何故、イギリスのウインブルドンなのだろうか?イギリス出身の名テニスプレイヤーは見当たらない。ほとんどが、海外である。見学者も海外比率が高い。1年に1回のためだけに、このコートは使われる。もったいないのか、それ以上の経済効果があるのか。当然に経営が成り立つからだ。

 このウインブルドン効果が、イギリスの元気の元である。ロンドンを見ると同じような効果を生んでいる事象がある。金融業界に、ロンドンを開放して、海外から、金融企業を呼び込んだのだ。場所を提供して自由に使ってもらって、何ぼの儲けになっている。モノ作りでない方法で、元気が出る。

 頭が古くて固い日本の政治家、官僚には、発想も出来ないであろう。目のあたりにしていても、動けない。親方に頼るのも情けないが、物まねも出来なくなってしまった。その分、アメリカに媚を振りまくしか能が無くなったのだ。

 アアー、クリエイティブ、クリエイティブが欲し~い!

<読書>

「パンツの面目ふんどしの沽券」米原万里 ちくま文庫

淑女の著書ですよ!それにしても、パンツ、ふんどし文化で、一冊のボリュームである。これを呼んで、実に感じ入った。下着は、民族の文化である。昔は、下着などなかったらしい。糞の話から入る。そう言えばボケ爺も海外行くと、匂い、硬さが変わる。食べ物のせいである。まじめな本である。ユーモラスに富んでいるが。文献の数が半端ではない。

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2008年6月27日 (金)

ねじれ経済の日本

ねじれ国会など、可愛い物である。考えようによっては、皆が是非を考えるようになって、良い方向に向かっているかもしれない。一方、経済、経営の方を見れば、ねじれにねじれて、国民をバカにしているとしか思われない。

原油高、原材料高に、サブプリム問題で、市場は混乱に混乱しているようだ。これは一件そのようだが、裏を返せば、漁夫の利で、ぬけぬけと儲けているところもある。まずは、無利子に近い貯蓄を我慢させ、血税を注ぎ、空前の利益を得たと思ったら、貯蓄者に還元するのではなく、海外投資、原油投資に走っている。原油高の片棒を担ごうというわけだ。

又、円安に、原材料の高騰で、輸入でべらぼうな儲けを出している、商社は、各社とも空前の儲けで、使い道に困っているという。その儲けの隠しどころに石油投資も含まれて、困ったような顔をして裏で舌を出している。原料高を商品に転嫁できず、製造物にしわ寄せが来ている。まじめにモノ(農産物も含まれる)を作っている人々を苛めている。結果として、日本の所得流出が、13月で、26兆円までになっているという。

一体こんな状態を誰が救うのであろうか?隠れてでも儲けられればいいや、と言う発想は、今の、食品偽装、医療偽装、官僚汚職、となんら変わらない。

ボケ爺は、製造業だから、憤慨しているわけではない。一国民として、資源インフレ、加工生産物デフレ、のねじれを憂うる。それにもましてそこから利益を得ている奴らが許せない。

<読書>

「遊女のあと」諸田玲子 新潮社

いつも、良い作品をありがとう。今回は最もスケールが大きい。博多と江戸から、名古屋でもつれる。読書していてよかったと思わせてくれる。

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2008年6月25日 (水)

クリストファー・ヒル国務次官補

 北朝鮮の非核化の核放棄交渉の、アメリカ代表のヒル国務次官補は、よく分からない人である。6カ国協議の調整役として、今も君臨している。ブッシュ大統領のイラク安定化の失敗から、何とか、北朝鮮の非核化で、功績を挙げようと、焦っているように見える。

 北朝鮮を、交渉の場に引きずり出したベルリン会議までは、順調かな、と思いきや、凍結された預金を、北朝鮮は、北朝鮮が手に取ってからでないと、次の協議に移らない、となってから、何を約束していたのか、交渉の内容に疑問な事があからさまになってきた。ヒル国務次官補も驚いたかもしれない。英雄になれるところが、全く偽善者となってしまったからである。

 その後も、交渉を続けているが、内容が明らかにならない。各国も当てにしなくなっていた。そこで、今回は大幅も大幅、大幅に妥協して、「核計画書の提出」で、「テロ支援国家を解除」とする、と言う。ブッシュ大統領も、ヒル次官補も、ライス国務長官も任期までに、成果を強調して、名誉を確保しようと考えているようだ。元々、韓国も、ロシアも、中国も、お付き合いだったので、アメリカが、矛先を収めてくれれば何も文句はないはずである。

 それにしても、日本はどうだったのだろうか。拉致に固守して、いつも交渉の蚊帳の外に置かれていた。福田首相も、アメリカの言いなりで、拉致問題は別にして、今回のアメリカの決断に従うと、いっている。制裁も全面的に解除する、となるだろう。今までのこだわりは何であったのか?交渉下手は今更に始まったわけではないが。せめて、正当な責任は取ってもらいたい。否、無責任時代だからムキになるほうが大人気ないのだ

 いい加減なボケ爺でも、このようなあからさまな負け戦の宣言は赤面して言い出せないのだが。

<読書>

「消失 第3巻」高杉良 ダイヤモンド社

長い続きもだから、前回の内容を忘れている。しかし、読み始めると鮮明に思い出す。こんな人事抗争は、どこにもある話ではある。思わずうなずき、ボケ爺も今までの経験を書いてみようか、何て思ったりするほど迫力がある。

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2008年6月24日 (火)

限界集落

 地震災難は、予期できない大きさであり、場所であり、時間である。今回の岩手宮城内陸地震も、まさか、と言う所である。お見舞い申し上げます。地震予報者は、何時起きてもおかしくないと、必ず報告をする。「もし」、が言えるなら、東南に50km~70kmに震源地が来ていたら、仙台の街を中心に、もっと大きな被害になっていたろう。

 近年は、中越地震が二回、能登地震、そして今回である。年寄りの集落である。これも神の戯れなのか、と、神に毒付きたくなる。いずれも、「限界家族」地方を襲っている。改めて、過疎化になっていることを実感する。限界家族地域とはこのような状態を言うらしい。上空から見る地滑りは、想像を絶するほど大きな被害である。

 どうして、生計を立てているのかと思う。意外に、特産品がある。先祖からの、地域の地元ならではの生産物である。田舎には、創造性が息づいていると思う。ボケ爺は、

一関市

に、仕事の関係で、20年ほど前に頻繁に行ったことがある。そのプロジェクトは失敗してしまったが。その奥にある栗駒高原には憧れがあった。藤原一族の栄華の歴史の土地である。一度は訪れてみたいと思っていたが、忘れてしまっていた。このボケ爺が、一人ほり出されて、藤原一族の栄華のような時代を築くためには、特産の産物を創造しなければならないが、出来るだろうか。岩魚の養殖、高級イチゴ、などなど。

 さて、次の標的はどこになるのか、東南海地方、東海地方、それとも東京直下型?いずれも何時来てもおかしくない周期はとっくに越している。クワバラ、クワラバ!

<読書>

「風味絶佳」 山田詠美 文春文庫

この作家の作品は始めてである。短編集だから、買ってみた。高橋源一郎が絶賛している。「言葉のシェフ」だと。うまいとは思うが、世代の違いを感じる

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2008年6月23日 (月)

継続は苦痛なり

 継続は力なり、とはよく言ったものである。これを才能の一つ、と言う人がいるが、決して才能ではない。努力である。努力には苦痛が伴う。努力は万人に平等に与えられている。努力に伴う苦痛の我慢をどこまで出来るか?その方法がいる。

 ここ韓国でもメタボに取り組んでいる。我社も、エレベータ内のTVにその対応方法を示している。そのためか、散歩する人、ランニングする人、とにかく運動する人が多い。天気がよければ、夜8時~10時でも、散歩している。山登りもその一つである。

 韓国の食事は、野菜、海草、魚など、バランスが良い。メタボ対策には重要なファクターである。食材はソコソコ日本と似ているのかもしれない。だからといって安心してはいけない。何事も、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」食べすぎては効き目が無くなる。食欲にも耐える努力が必要である。

 ボケ爺も、ランニングを始めて、少しは、胴回りが減ってきた。しかしなかなか、それ以上の効果が現れない。そうなると、ついついサボってしまう。サボる誘惑には弱い。つい負けてしまう。特に、今月は、出張と、週に3回ほどの飲み会があったために、サボる事が多かった。すると、昨日、今日と、体が重く、走る気持ちが失せてしまう。梅雨の合間は、貴重で、頑張りが必要なのだが、楽もしたい。食欲の誘惑にも負ける。よくよく、ボケ爺は、怠け者である。

 これ以上の努力の継続は苦痛である。止めたいよ~。

<読書>

「葡萄酒か、さもなくば拳銃を」 手嶋龍一 講談社

著者はNHK、アメリカ支局にいた人である。9.11の報道時に、クールで淡々とした、語りべは、印象に残っている。フリーになってからの、何作目であるが、政治の世界を、淡々と語る、語りはそのままである。政治の世界は、感情と理性の駆け引きである事がよく分かる。これもセンスか?

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2008年6月21日 (土)

日は西に、月は東から

 太陽が西に沈むと、月は東から昇る。今週初めから始まった、韓国の梅雨入りの一瞬の隙間の当たり前が訪れた。夕日に見送られ帰宅。ランニングに出ると、満月を少し過ぎたような月の光が、梅雨雲の間からこぼれてきた。いつもの変凡な静かな変化である。当たり前が、すこぶる心地よい。

 しとしとと降る雨の音に似た音を立てて、焼くチジミの美味しさに満足するのも、これ平和である。アパートに作られた人工池には、黄色の菖蒲の花が過ぎて、白いはすの花が美しく咲き誇っている。その周りのベンチには、お年寄りの井戸端会議で花が咲いている。会社の広場は、まばゆい芝生の緑色が、眼にしみて、その新鮮さが心にしみる。

 年々、早くなり、暑くなる夏の到来に、道路まではみ出した屋台が、いい匂いをさせて食欲と、少しのお酒の欲望をそそる。これだって平和を感じる。

 さて、どうやら、今日はボケ爺の誕生日であるらしい。休出すると、ボケ爺の部下も出てきていた。「今日が誕生日ですよね、おめでとう」、と祝ってくれる。他の部署の人が、やって来て、「一緒に食事をしませんか?」「アア、好いよ」といって一緒に会社を出て、タクシーを拾う。アパートの前まで来た。「皆が待っているので、ボケ爺の部屋まで行こう」と言う。どうもおかしいと、感じた時にはモウ遅い。部下が、待っていてくれて、誕生日を祝ってくれた。食事を楽しんだ後に、カラオケに行って、また、楽しいひと時を過ごして、今返ってきた。

 嬉しい事である。遠くから集まって来てくれて、休みの土曜日をつぶさせてしまった。嬉しいやら、気恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、平和な日が過ぎようとしている。心から感謝をする。気持ちの優しい人たちに囲まれて、ボケ爺は幸せである。

<読書>

「朱夏」今野敏 新潮文庫

警視庁、強行犯係、樋口顕シリーズの一つである。いつものように、」誰もが犯人と認めない人を、直感で読み取る。信じる事と、疑う事との葛藤で激しく揺れるが、最後は信じる事が勝利を得る。これとて平和である。

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2008年6月15日 (日)

クラッシク・コリア

 クラッシク・コリアの定義は知らない。日曜日の11時から、FM・クラッシクで、クラッシク・コリア版が始まる(日曜日だけかは知らない)。いつも楽しみな音楽番組である。何故楽しいか分からない。なんだかジャズに通じるように思えるからだろう。ボケ爺は、音楽に通じているわけではないから、当てにはならない、と付け加えておく。

 いつもながら、土曜日は、散歩しながら会社に出向く事にしている。11時に家を出た。京畿道文化の殿堂の横に大公園がある。その一角に、野外音楽の施設があり、そのあたりから、太鼓の音が聞こえてきた。どうやら、スウォン華城祭りらしい。日本で言うと、祭り音楽に相当するのか?所謂クラッシク・コリアである。多くの愛好家同士の大会のようだ。様だというのは、ハングル語が読めないからだ。

 特に今回は、太鼓、カネ類だけで、笛や、弦の音が無い。グループの構成は、ほとんど、否、100%か、が、ご婦人ドモである。二組の演奏が終わって、今度は、ドリル演奏になった。た針ご婦人ドモである。頭には例のリボンを回す帽子をかぶっての、集団ドリルが始まった。演奏のすばらしさ、もさることながら、リボンを回す首から上の動きが、どうにも色気を感じる。阿波踊りの蓑笠をかぶったご婦人の色気に通じる。徐々に激しくなる。一種の絶頂感のしぐさに似ている、と衝撃が走った。阿波踊りに通じている。あるいは、東北の鹿踊りなのかもしれない。我を忘れる事に通じる。

 去りがたかったが、会社が待っている。その間、1時間半ほど、楽しむことが出来た。いろいろ考えてみたが、はっきりしないが、やはりジャズに通じる何かがある。勿論、単純な、豊作の祭り音楽もあっただろう。苦悩からの解放、自分を演じる。実らない恋を語る。

ボケ爺は、だから好きなのだ。益々、クラッシク・コリアが気に入っている事だけは事実である。

<読書>

「リオ」今野敏 新潮社文庫

警察庁、強行犯係 樋口顕シリーズの最初である。容疑者と誰もが認めたが、樋口刑事だけは、「犯人ではないと」論理を構築する粘りと、そのロジックはこの小説の凄みである。

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2008年6月14日 (土)

iPhoneG3携帯電話

 アップルから、iPhoneの後継機にiPhoneG3が発表された。それと時を同じく、ソフトバンクから、日本版を発表した。販売は711日だそうだ。日本での価格はまだ決まっていないが、アメリカはAT&Tが独占販売権を持っている。機能アップして、$199(旧モデルは$299)である。機能の大幅な向上にあわせてなお、価格が下がる、がIT産業である。自ら首を絞めているように思えてならない。デジタルの時代、すぐに、追従される。だから価格競争で、相手の攻撃を避ける事になってしまう。これをコモディティー化と言う。

 孫は「iPhoneは日本の携帯電話を、まったく別の次元に運んでくれる」といっている。確かな感覚は、ボケ爺にも感じる。サムスンはiPhoneに対応(対向)するために、タッチパネルの最新携帯電話をすでに発表している。ボケ爺もそれを要求して、古い携帯電話を交換してもらった。前の携帯電話では、機能説明書が分厚くて、全く興味が持てなくて、メモリーが必要な事は、若者にお願いし、電話するだけだったが、タッチパネルのこの新モデルは、楽しい、画面が踊る、タッチのたびにボディーは震える。いきなり必要な機能に移れる。取扱説明書を読む必要はない。なるほど楽しい。ついつい触ってみては、機能を確かめている自分に驚いている。孫氏の言うように、異次元を経験する事になった。

 今回の機種の販売について、ビジネスモデルも変更しているようだ。従来は、独占販売とともに、通信費の収入に応じて、ロイアリッティを徴収していたが、新しい、ビジネスモデルでは、機器の販売(基本契約)に限っているようだ。一昔のビジネスモデルに戻っている。アップルの閉鎖主義の反省なのか、今後の動きが見逃せない。

 確か、NTTもアップルと交渉していたと聞いていたが、今のところ静観しているようだ。そんな暇はないと思うが、典型的な日本式経営方針である。理由は、契約費(約3割)が高い、と言うことらしい。iPhoneの魅力が分かるかどうかで決めることだが。これも、面白い経営モデル(殿様経営)となろう。NTTがなくなるかもしれない、数年後が楽しみである。

<読書>

「とける、とろける」唯川恵 新潮社

iPod, iPhoneで、とろける、と言う感じ、皮膚感覚の世界。言葉での表現は難しい。新しい生活観になるのだろうか?

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2008年6月13日 (金)

真夏日

 ご当地、ソウル市、スウォン市では、30℃となる、真夏日を経験した。まだ、6月の中と言うのに。確実に、温暖化になっているように感じる。夕方の6時ごろ発生した雷雲(入道雲)が、見る見るうちの急激な発達は、8時には、にわか雨が始まり、暖まっていた路面や建物が、雷の音と伴に、音を立てて、冷やされているようである。高層ビルに落ちる稲妻は、花火よりも迫力のある美しさが、嬉しい。

遠い田舎をもいだす。小中学校時代の夏は、ほぼ毎日、東から、南から、西からやってくる積乱雲の稲妻の祭典を、こわごわ眺めては、歓喜に酔っていた。今ではその田舎もそんな稲妻はまれにしか訪れない、という。やはり何かが変化している。

短期的に観ると、本当に温暖化で、異常気象現象が起きているように思えるが、果たして本当なのだろうか?長期的に観なければならないが、これが難しい。全世界的に、気象現象が過去と違う分布になってきているようである。先週のドゥセルドルフでも、地元の人は、今頃は、爽やかな初夏のいい天気が続くのだが、近年は、天気が良くない、と嘆いていた。

 長期展望を洞察する事は、何事も、いつも難しい。平均気温温度は、そんなに上昇しているとはいえないようなデータが出てくる。経済予想でも、短期の周期、長期の周期の組み合わせで予想してきた。最近は、その周期説では語れない現象が次から次に現れているらしい。企業経営でも同様である。

 地震予測も同じである。日本では、今や周期説で説明できていない。四川省の地震は悲惨である。周期説はあったのだろうか?

<読書>

「さまよう刀」東野圭吾 角川文庫

正義とは何か、被害者の叫びを聞け、となっている。犯罪被害を受けた側から見たサスペンス物である。多くの犯罪報道は、容疑者、犯罪者の分析が報道され手いることが多い。しかし、犯罪を受けた方の復讐は、正当化されるのか?

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2008年6月 9日 (月)

弘法筆を選ばず。

 「能書筆を選ばず」の方が正しいのかもしれない。いずれにしても、すばらしい書を書く人は、筆を選らばなくても、うまく書ける技術を持ち合わせている、と言うことである。芸、技術を極めれば、道具などいかなる物でも実力が発揮できるはずであり、そうだからこそ、極めた人として尊敬される事になるのだろう。

 下手の道具選び、善処は紙筆を選ばず、名筆は筆を選ばず、など言われている。ボケ爺は、息子からもらった、ランニングシューズを履くと、自然に、走りたくなる。シューズと言う道具がその気にさせる。少々、書を嗜んでいるが、やはり、筆と、墨と、紙は高級な物がいい。うまく書けたように思える。最も、ボケ爺は、弘法までの技術を極めているわけではない。ビギナーに過ぎない。つまり、「ヘタな者は、当然、道具を選ぶ」、で、今回の話とは関係がない。

 先週の、競泳大会での水着には驚いた。水着で、そんなに違うことはないだろうと思っていたが、結果は、スピード社製の水着を着用した世界一流のアスリートが、ほとんど、日本新(17件)、で、当初、ウザイといっていた平泳ぎでも世界新が生まれた。ここまで実証されれば、スピード社製を身につけるだろう。

この水着については、15年以上も前から、研究されていたはずであり、日本の技術が進んでいると、言っている人が多かったが、今回見事に技術研究が遅れていることが分かった。多分、水着だけではないだろう。靴ももっと技術差があるのではなかろうか?日本製しか使えないから分からない。これも、国産主義で、鎖国主義がもたらした悲しい出来事である。

どうして、ここまで、鎖国を好むのか分からない。開国こそ、日本を強くする、最も良い政策だと思うのだが、遅れた物事を保護して、誰が助かるのだろうか?心底、日本を愛する人は、全てに対して、開国主義であるべきだ。自分の実力を知るには、他人の力を知ることである。

<読書>

「ビート」今野敏 新潮文庫

警視庁、強行犯係、樋口顕シリーズの一つである。今、この今野敏の作品が面白い。刑事の息子が容疑者に。それを戒めるために、自分を追い詰めると、息子を殺し、自殺しか方策はない。結果は思い込みであったのだが、ベテラン刑事も思い込み捜査で自分を追い込んでしまう。血のつながりが理性を狂わせる。

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2008年6月 2日 (月)

ドゥセルドルフにて、その2

 31日、土曜日に、19時に待ち合わせをしていた友達が、何を間違えたか、18時に迎えに来た。仕事から早めに帰っていたからいいものの、ともかく、お互い年寄は気をつけなくてはならない。彼曰く、このドゥセルドルフ出身(今はベルリン)だから、一番美味しい食事場所を紹介すると、早くもはしゃいでいる。ホテルのカウンタから予約を入れるが、いずれも満杯。チョットがっかり、不満顔になる。とにかく街の中に出よう、と言うことで、ダウンタウンに向かう。

 ドゥセルドルフのこの工科大学で学んでいたと、大学の周りを一巡して、ライン川に出た。その公園を過ぎると、美術館、教会、公舎などの歴史的な建物を案内してくれる。土曜日は駐車場が空いていないのだが、「サッカーの試合があって、家に縛られているから、簡単に見つかるだろう」なんて言っていたが、いずこも満杯である。

 4軒ほどのレストランと交渉してくれたが、いずれも満杯。仕方が無いので海沿いの面白いところを紹介する、とライン川の岸に行った。右と左に、同じデザインの橋が架かっている。その間に、200mほどの居酒屋風のテント小屋が並んでいる。ライン川を眺めながら、ビール、ワインを愉しんでいる人々で賑わっている。食事は、ジャンクフードである。

ひっきりなしに、貨物船、観光船が行き交っている。岸には、10隻以上の観光船が停泊している。ライン川は、思った以上に水かさがあり、速い流れである。 二杯のビールと、ジャガイモと、シーフードを堪能したら、エスプレッソが飲みたい、と街の中に繰り出す。

市庁舎前を中心に、食堂街があり、左右から、道の中程まで張り出して、野外の食事を愉しんでいる。人人で一杯、歌声や、はしゃぎ声が渦巻いている。そこを通り過ぎると、自家製ビールを造っている通りに出た。通れないほどの人で賑わっている。所謂、立ち飲みである。そこでまた2杯のビールを愉しんだ。水より安いから、ビールは売れる。スペイン系の食堂が集まっている通りを案内してくれた。オリーブオイルの匂いで一杯だし、ギター演奏なども気分をあおってくれる。

 いずれの通りも、2時ごろまで若者が騒ぐ、と言う。友達も、学生時代に良くここに来て騒いだ、と懐かしそうに目を細めている。夏時間になっていないここでは、8時半が過ぎても明るい。歴史的な建物、近代的な建物(それも変わった丸みのデザインである)を案内してくれる。こぢんまりとした混在が面白く、楽しめる。ドイツは、どの街も絵になる。絵にしたくなる。

 大恩師の佐貫亦男が、こよなく愛したドイツ美を懐かしく思い出した。合掌!

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