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2008年5月19日 (月)

疲労感はどこから

 三日坊主で終わるかもしれないとおもっていた、ランニングは、3週間ほど続いている。その分疲労を感じる日もある。これは肉体の疲労である。筋肉痛と伴って、何だか体がだるく、感じる時がある。疲労が蓄積されているようではない。仕事の出来の具合と関係しているようにも思える。仕事で前進がない日は、ランニングに出かける意欲が薄れる。

 今まで、肉体的疲労は、乳酸悪玉説が主流であった。乳酸菌が血液に溶け込んで、脳に伝えるのではないか、と言うことであった。動物テストでは、その相関が取れないということで、乳酸説は否定されている。しかし、筋肉が張っているのは事実であるが、疲労感との関係は別らしい。

 脳に、疲労を感じる場所があり、免疫系や内部分泌などが複雑に絡んでいるという説が中心であった。ウイルス汚染では、サイトカインと言う免疫物質を作る。インターフェロンを投与すると疲労感が現れるなど。肝心の疲労を感じる場所が見つかっていない。

 最近の検討では、PETなどで、前頭葉の働きを調べていると、前頭葉の「前帯状回」と言う領域で、血液の流れが減って、神経伝達系物質のセトロニンの働きに異常が現れることが分かってきた。この領域は、集中力や、意欲をつかさどる場所でもある。つまり、意欲や達成感などが大きいと疲れを感じない、と言うことに繋がる。案外治療は簡単なのかもしれない。疲労回復の妙薬に期待したい。

 疲れを感じない体調を作るには、精神面の充実が重要だという事になる。ストレスのすくない、良い仕事が出来ることが肝心である。さて、いい仕事は、どうしたら出来るのだろうか。そこがボケ爺の悩みである。悩んでいるとランニングに出かける意欲が薄れる。楽天的に生きるのがもっともの妙薬かもしれない。ところで楽天的になるには、と、疑問は尽きない。歳を取り、ボケてくるとヒツコクていけない。

 疲れた顔ですよ、といわれると、疲れではなく、歳のせいで、皮膚がたるんでいるのだと、反論したいのだが、反論は野暮である事を知るようになった。

<読書>

「夢のもつれ」鷲田清一 角川ソフィヤ文庫

前にも紹介したような気がするが、今読んでも前に呼んだ事が思い出されないので、紹介する。哲学者のエッセイである。中身は難しい。表題はすばらしい。二章には「夢の引きつれ」「夢のささくれ」「揺らめく、散らばる」と続く。

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