« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月31日 (月)

去る3月に思う

 機会があって、日本に出張した。行きの飛行は、天気に恵まれて、日本国の地形が綺麗に眺めることができた。北アルプス、南アルプス、それに富士山、の積雪の美しさは日本だと、思う。羽田に着陸のために眺める東京湾からの富士山の存在は、大きいものがある。しかしながら、高度1000mぐらいから下が、黄色いスモッグのような霞に覆われている。コレは何だろう?黄砂?それにしては風が少ないし、高度が低すぎる。杉の花粉か?もし、そうだとすれば、強烈だ。35年ほど前のロスアンゼルスの沖合から見たスモッグを思い出す。良く似ているのだが、まさか?

 帰りには、東京のサクラが満開を迎えた。堪能するほど、今年は楽しんだ。帰国時の空は一転して、雪のような真っ白な雲の上を滑空している。それを乱す雲は何一つない。北を見ても、南を見ても全く同じである。東京上空からソウル上空まで全く変化がない。広い寒波との境目の雲なのか?地球は丸いと、雲の海の先から分かるような気がする。自然は、時には不思議な光景を作る。初めての体験である。こんな偶然の出会いを大切にしたい。残り少ない人生になると、こんな感傷的な気持ちになってしまうのは許されてもいいかな、と思う。

<読書>

「「世逃げ」の進め」ひろ さちや 集英社新書

夜逃げとは違うことは明らかである。世逃げとは「世を捨てて家に帰ろう」、と言うらしい。家がない人はどうすればいいのだろうか?ボケ爺は、古風な家の次男坊に生まれて、帰れる故郷がない。次男は故郷を捨てなくてはならなかったのである。古里を守っているには、当然長男である。

 世逃げには、「でたらめ哲学」を持たなくてはならない。「あきらめ思考」でなくてはならない。「いい加減」に行動しなければならない。そんな当然のことを言われても、ボケ爺は救われない。逃げて、行く場所がないからだ。逃げ込む家がない人はどうすればいいのか?教えてくれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月27日 (木)

若者、ポスト合理主義?

 桑田の引退のニュースが飛び込んできた。メジャーでないと意味が無い、と言うのが引退のきっかけのようである。こだわり人生の生き様を示したことになる。一方、岡ちゃんサッカーがバーレーンに負けてしまった。なんとだらしない負け方か?全くしまりが無い。これが若者人材図鑑の代表なのかも知れない。

 荒川沖駅での、誰での良い、殺傷事件。岡山での、ムシャクシャ無差別殺人、児童の飛び降り自殺。何だか連鎖反応のように思える。昨日、トップ私大の教授と話をしていたら、5人に一人は、非弱な若者がいて、「君の、論文は・・・」などといおうものなら、明日が恐ろしいことになると言う。「君達は・・」と漠然と指さなければならないそうだ。200名ほどのある研究所でも、1割ほどのひ弱な人が居るらしい。親が飛び出してくると言う。ボケ爺の出身企業でも、毎日、「パワーハラスメント」に気を使い、上司(後輩)はくたびれてしまっているようだ。

 大手企業の、人事部の責任者との話の中で、新入社員には「カーリング体制」で臨む、と言っていた。「本人の性格を読み、そっと背中」を押してやり、「進む道を磨いてやらなければならない」そのようにしないと途中で止まってしまうようである。「磨きすぎると、飛び出してしまう者」「組織で飛び跳ねてしまう者」がいる、と言う。微妙なブラシ捌きが求められる。

 若者はけちではない。高級ホテルで過ごしたり、リムジンでパーティーを開いたりする。事前に調査するとか、試すことはきらいらしい。居酒屋などでは「とりあえずビール」は無いようだ、好きなものを頼むらしい。初めから腹にたまるものを食べきるらしい。自動車の所有率は下がっている。酒への出資は26%も減少している、と言う結果がある。

 女性のポニーテール(一つに束ねる)が増えている。36%まで増えてきている、と言う。「手入れが簡単」「経費の削減」だからである。ボケ爺の昔は良かった、との嘆きは無い。変化についていけないだけだ。

<読書>

「空中ブランコ」奥田英明 文春文庫

初めて読む作家である。若者の作品は読まないようにしようと、思っていたのだが、昔の直木賞との帯に惹かれて読んでみた。これで、直木賞とは?ボケ爺には分からない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月25日 (火)

公私混同は必要悪?

 必要悪なのか、必然悪なのか、分からないが、商品開発には、どうやら、四角紙面では良い商品が計画、開発はできないと思う。今までの企業は、真面目に、無言で黙々と考えて、企業人としてのエリートとして育てられた人たちが、事業戦略や、商品戦略や、技術戦略に従事している。こんな人は、公私混同など真っ平であろう。

 こんな人々からは、きっとヒット商品は生まれたことは無い、と言うことだけは確かである。少々崩れた人が面白い考えを出すのではないか、と思っている。

 消費者主導、顧客先行型、が必然の時代と言うことは、企業人のエリート人材からの発想ではない、と言うことで、結構消費者の気持ちが分かるとは、公私混同の、「いい加減」な人が面白いのではないか、と思い始めている。「不真面目」な人物が、或いは思わずヒット商品を生み出すような気がする。

 消費するとは「私的な感情(感覚)」である。その私的な感覚を、企業と言う社会的「公の場」でポテンシャルを主張するべきであることになる。営業の「心からの笑顔」は、心から、つまり「私的」でなくては生まれない。企業人は偽り、無理やりの笑顔となってしまう。これでは、業績は上げられない。「人の心を打つ仕事は「私」の良さを生かす」ことが必然である。

 「私」の無い仕事、「公」の無い仕事は、それぞれでは成立しない時代のようである。それぞれの良さを上手に活かせることに成果が決まるような気がしている。だから、「公私混同」は必要悪(必然悪)と言うことである。

<読書>

「イノベーション思考法」黒川清 PHP新書

黒川清と言えば知る人ど知る日本の知的先導者であると言われている。政府諮問機関の「イノベーション25」の座長でもある、その他、日本の知的諮問委員会の多くの委員を務めている。だから期待したのだが、この本を読む限り、こんな人に日本を引っ張っていけるわけが無い、こんな人がのさばっていたのでは、日本は沈没の一途をたどる。全くクリエーティブは無い。人々の主張は上手く丸めているが、自己主張は無い。さすがにエリートと言うほかはない。日本はこれでいいのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月24日 (月)

ぽかぽか陽気に誘われて

 3月に入って、どうした訳か、一月、二月の寒さはなんだったのか、と思わせる、ぽかぽか陽気が続く。そう言っても、ここ韓国では、草花の芽は、まだ硬い。野の草は幾分緑が生き生きしてきた。

 散歩道は、枯れ草の間から新芽が覗く。多くの小型犬が散歩を愉しみ、走る姿も軽やかである。

「春草は足の短き犬に萌ゆ」(中村草田男)

 ボケ爺を癒してくれた故愛犬の名前は「チャーリー」で、ダックスフントであった。腹を引きずるような短い足で、季節の先取りをしていたのかと、この俳句で、春先の散歩姿を、改めて思い出す。合掌!

 ボケ爺も、ぽかぽか陽気に誘われて、ランニングを試みるが、右ひざは未だ治らず、2週もすれば、ガタガタと笑い出す。寒さのせいだと思っていたが、恒久的に痛めてしまっているらしい。

 それにしても、野草(雑草)は多年草が多い。雑草は強い。踏まれても引っこ抜かれても、我慢しながら、力強く生き抜いていく。嫌われても、嫌われても、生き抜く。この雑草の活用方法は無いものか?きっと変わった何かを持っているのではないだろうか?沖縄の雑草の中に、エタノール(バイオ燃料)還元効率の高いものがあるとか聞いたことがある。成長も早いとか?食料を使わずにエネルギーに変わると嬉しい。

 ボケ爺は、雑草から、粘りのある生き方を学びたい。その雑草がバイオ燃料に生まれ変わることを夢見ている。そんな人生に夢がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

 40年ぶり国産旅客機が

 エアバスA380の受注が順調であるという。空港のインフラが心配である。特にエアバスA340XWBの受注が順調であると言う。首位奪回はできなくてボーイングには若干及ばなかったものの、肉薄しているようだ。EUは強くなった、と思う。2008年の結果がどうなるか楽しみである。

 一方、日本では、YS11依頼、40年目の国産旅客機を、三菱重工で開発しようとしている。トヨタ自動車も資本援助をするようだ。当然に経済産業省も援助すると言う。今回が日本で開発できる最後のチャンスでもあると言う。競争が激しいからである。

 ボケ爺は、本当に嬉しい、国産旅客機をなんとしても成功させて欲しい。その成功の鍵は、狙いどころのターゲットマーケットである。小型ジェット旅客機である。確かにローカルフライト用では90人乗りは最適な乗客数であろう。しかしこのセグメントは競争が激しい。4機種はある。前にも言ったかもしれないが、100人程度にするか、70人程度に抑えた方がいいのかもしれない。写真からすると、胴体を伸ばせるバランスを持っているようなので、このままでよいのかもしれない。差別化するためには。燃費、航続距離が決めてであろう。

 マーケットとして、国内だけでなく、海外で売れる世にする事が必要である。これから、どれだけ海外から受注できるかが成否の鍵である。とにかく、頑張って欲しい、成功して欲しい。ボケ爺に夢がよみがえって、長生きが出来るかもしれない。これ以上の長生きは周りに迷惑か?

<読書>

「生きるために、一句」細谷亮太 講談社

著者は、小児ガンの専門医である。羨ましい、仕事と、趣味を両立させておられる。子供たちの末期がんと戦っていると、生きることの難しさ、死を迎えることの悲しさ。俳句はそのような喜怒哀楽を美しく表現できると言う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月19日 (水)

混沌が続く大変な時代

 寒い冬だと思っていると急激に温かくなり、日本では桜前線の毎日の報道に気がはやる。ここ韓国でも、ケナリの咲く日はいつかと待ち望んでいる。

 その変化と時を同じように、急激な為替変動である。日本では、円高が進んでいる、韓国ではウォン安に走っている。いずれにしても急激な変化は、経営に悪い影響が現れるはずである。ボケ爺も、日本円が固定相場から変動相場になってからの商品開発は原価が付いていけなく、大変な赤字を作ってしまった時を思い出す。受注するたびに、赤字が膨らむし、開発着手時の予想を上回って、円高が進んでしまっていたのだから始末が置けない。

今までが、日本ではあまりにも安楽な対応であったのだろう。景気の回復は他人任せであったわけだから。コレからが本番である。どう対処するか。一方韓国は、やっとウィン安から脱却して、景気の回復に向かうのではないかと期待されている。

しかし、事態はそうは簡単ではない。オイル高から、ガソリン高、材料高で、景気の後退が進む。アメリカの金融危機により景気の後退が、徐々に全世界に恐怖を与えていく。中国は、民族闘争が経済を危うくするであろう。イラン問題も燻ぶっている。イスラエル、パレスティナも泥沼である。

経済には、春が見えてこない。サクラはどこに咲くのであろう。政治にも春は程遠い。大変な時代が続きそうだ。夢がない、希望も持てない。若者に申し訳がない。辛い時代は今しばらく、少なくとも10年は続くであろう、とボケ爺は予想する。誰かの予想のように、消費税が、2017年には20%となってしまいそうである。

こんな時だから、美味しく食べて、飲んで、全てを忘れたいが、顔は何時も引きつってしまっている。真の笑顔は何時戻るのだろうか?

<読書>

「動物の言い分、人間の言い分」日高敏隆 角川oneテーマ21

こんな時代だから、動物のようにしたたかに生きないといけない。動物の言い分をよく聞いてみようではないか。きっと明日が明るく、楽しくなる事請け合いである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月16日 (日)

私の知らない漱石

 カラマーゾフの兄弟、ドストエフスキー作の新訳が評判で、ベストセラーになるという。文学愛好家には正当な読者に感激をするであろう。また海外からは、村上春樹が人気で多くの翻訳が発売されていると言う。夏目漱石の翻訳は少なくて、海外ではほぼ無名だと言う。ボケ爺は、漱石のファンであるが、良い読者ではないであろう。もっと繰り返し読まなければならないし、もっと深く解釈をしなければならないのだろう。

 一方、森鴎外は、自己主張の私小説者だと断定する。自己主張の小説や、不満を小説にして、鬱憤を晴らしていた人と思える、特に後半の時代小説が特に鼻に付く。

 「三四郎」では、冒頭の上京シーンがいい。ボケ爺の上京と重なるところがある。ボケ爺の親父が言った、「お前には何もしてやれない、やれなかった」と繰り返していた。三四郎もその意味で、多少、田舎では父親の恩恵を受けて育てられたが、東京では、全く通じない、孤独で、東京には、もう一つ馴染めないまま、複雑な社会に巻き込まれていく。ボケ爺は、三四郎から、やっと親父の意味が理解できた。

 「坊ちゃん」からは、偏屈な人の生き方が、社会の体制の中で生きていくことの窮屈さが、ボケ爺の偏屈と重なり、慰められた。勝ち組、負け組みと言う先読みも、さすがである。負け組みのボケ爺には、痛いほど良く理解できる。

 イギリスでの生活は苦痛で、それを逃れたから、より日本的な文学が生まれた、との多くの学説に、ボケ爺は何時も疑問を抱いていた。

 「世界のスパースター夏目漱石」ダミアン・フラナガン 講談社インターナショナルから発売された夏目漱石論は、一風代わっている。が、ボケ爺の疑問に真っ向から答えてくれている。彼は、漱石がシェイクスピアと並ぶ、2大世界文豪だと言う。嬉しいではないか。人間は多様であり、生活で抱える悩みの表現力は、世界ひろしと言えど、シェイクスピアと、漱石以外無い、と闊歩する。

 ニーチェは多くの漱石作品に影響を与えていると言う、取分け「門」に。シェイクスピアも影響を与えたのではないか、「虞美人草」などの仕立にも及んでいると言う。

 「坊ちゃん」は「ドン・キホーテ」に匹敵すると言う。「野分」や「こころ」は「ベニスの商人」と対比できると言う。

 日本人の漱石研究は、「箸の上げ下げ」しか、出てこない。ボケ爺は外国人による漱石研究に期待する。漱石の発想はイギリスから見た日本、日本人と、海外文学の読み込みから想像で成り立っていると思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月15日 (土)

ロバストネスとは?

 気になっていることがある。失敗学なる学問が大手を振っているという。不思議な事象と思っている。確かに反省は必要である。失敗のない設計、社会、失敗しない人間?いるのだろうか。ボケ爺など、この方、失敗の連続である。ロバストネスほど、弱点(フラジャイル)があるものはないと思っている。全てがリスクを抱えている。リスクとの戦いでもある、と思い続けているが、皆さんに置かれては如何な物か?

 制御工学を学びシステム学を専攻してきた。どうしてもシステムの構造、その制御に、思考の基礎に、考えが及んでしまう。べヒクル(飛行機)のダイナミックスと、空気力学のポテンシャル場とのバランスに重点を置いたのだが。制御から見て、システムから見て、ロバストネスとは何だろうか。

 「したたかな生命」北野弘明、竹内薫 ダイヤモンド社、を読んで嬉しく思っている。生命もシステムから捕らえると、ロバストネスを求めて、ロバストネスとの戦いなのだと言う事がはっきりしてきた。それはシステム制御そのものである。

 生活病の基本はフィードバック機構のデカップリングであるらしい。癌は、ロバストネスのがん細胞は一つではなくロバストネスな細胞遺伝子で多種のロバストネスな細胞を生んでしまう。一緒の耐抗剤ではすまなくなると言う。コレを退治するためには、ロバストネスが故に、フラジャイルを探す事だという。その基礎は、案外ロングテールな薬のあり方かも知れないとの提案もある。(漢方薬のような物か)

 HIVはモジュール化された生命機構のコア細胞システムを犯すと言う、決定的な攻撃を受けているようだと言う。免疫システムのロバストネスに対するフラジャイルを攻撃された事になる。

 読んでいて、ボケ爺、したたかな生命システムに無限の楽しみを味わった。このしたたかな生命システムは、商品設計、会社経営にもシステム論でアナロジーが活用できるような気がしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月12日 (水)

東京都に思う

 東京都の至る所で、再開発が進んでいて、暫く留守にしていると、変化が激しく、風景が変わっていて、本当に分からなくなってします。東京都への再流入は激しそうである。これだけオフィスビルディングが出来で、埋まるのかと勝手な心配をしてしまう。が、結構早く埋まってしまうようだ。高い家賃でも。

 と言うことは、東京都の一人勝ち、と言うことになる。東京都の税収は、再開発をしたおかげで、バブル時よりの増えてきたようである。その自信からか、石原都知事は、新銀行東京の経営不振に、400億円を融資するという。経営者が悪かったので、経営者を変え、融資すれば、立ち直れる、と言う。本当だろうか?

 実感として、福祉が格段と良くなったとは思えない。区とか市で施設が変わるし、生活観では、何も変わっていないようにする。都心のマンションラッシュは、きっと、金持ちの年寄りの集まりになっているのではないだろうか。

すると、福祉で、破綻する可能性だってあるだろう。債務残高は経営悪化したときから7年前から変わっていないようである。一方都心の周辺の古くなった施設は何時修理再建が出来るのだろうか。

相変わらず、車の渋滞は改善されていない。むしろ悪くなっている。道路は、東京都の権限ではないのかもしれないが。道路状況の改善以上に人を、経済を集めすぎているからである。東京は、日本の経済のけん引役になっているのだろうか?都民に還元できる頃に、破綻するような事はないだろうか。

都市化経済圏の傾向は世界的事象ではあるし、そのような政策は必要だが、日本全体を考えて、東京と一人勝ちはこれ以上にならないようにしなければ、第二、第三の都市化が出来なくなる。ボケ爺は心配する。この心配はボケ爺だけだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 9日 (日)

時代おくれ

 環境問題が一つの大きな課題であることは間違いない。が、どうにもすっきりしない。地球温暖化で、全世界で協議されているけれど、どうにもすっきりしない。CO2の売買など、何か違和感がある。本当に、温暖化はCO2が原因だろうか?誰が証明したのだろうか?これだけ人口が増え、経済発展もすれば、エネルギーは消費されるのだから、温暖化は確かなようだし、局部的気象異変も確かなようだ。総合的な科学の解明が必要であると思っている。何だか、「CO2環境バブル」が押し寄せてきているようである。金融バブルと類似して「資本の原理」のように思えるのは、ボケ爺だけだろうか?

 ゴアの「不都合な真実」など、「現象」を積み上げているだけである。「原因」があるはずである。「本質」があるはずである。その追求が必要だ。

 古紙100%が偽装だった。その後、どんな議論がなされているのだろう。この偽装で、誰が罰せられるのか?通常は偽装をすれば罰せられるはずである。神に誓った言葉は罪になるが、製品は罪に問われない。しかし何処かのミンチ肉事件は告発されたのだが。

 リサイクル技術、省エネ技術などは本質の技術なのだろうか?日本は、このようなマッチポンプのような仕事が得意である。自ら問題を起こして、その問題を解決しようとする技術が出来たと自慢する。今になってリサイクルは、CO2削減が出来ていないと告白が続いている。これも偽装だ。古い技術を発展途上国に売って、改造技術が出来た、と売りつける。これも偽装だ。これが日本の実態だ。本質の議論が出来ないのも日本の実態だ。

 「時代おくれ」阿久悠作詞の詩を思い出す。確か、バブル絶頂期(崩壊の23年前だと思う)に、ボケ爺はこの詩を実感した。田舎育ちのボケ爺には、バブルの宴には酔うことが出来なかった。時代遅れのボケは未だに続いている。ボケ爺は不機嫌である。

<読書>

「悪人」吉田修一 朝日新聞社

生きる人生、本当の悪人は誰か?事件が起きる。その犯罪者と、被害者と、それぞれの親や、友達や、それぞれに、絡まった要因がある。原因ではないがきっかけはある。それに、一つの言葉、行動に、良い、悪い、の善悪に諸刃の剣がある。一体何が真実で、誰が運命を操っているのか、そんな悪人は誰か?上から下へ、横から横へ、パノラマのように展開をして、犯人探しの推理は、人生を見つめなおすには最高である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月 8日 (土)

2月は逃げる、三月は去る

 前にも話をしたかどうか忘れたが、27階建てのアパートの18階に住居を構えている。最近エレベーター(各階、2世帯の専用である)の待ち時間が長くなって、車寄せまで、時間がかかることに気が付いた。と言ってのも、2分か3分そこらである。乗り合わせに、小学生、中学生が多くなった、と思った。多くは1階で下りるのだが。高校生などは、母親が車で送っていくらしく、地下まで一緒、ということも多い。

 よくよく考えたら、(考えなくてもいいのだが)韓国では、新学期は、3月から始まる。そのせいだと分かると、何だかホッとした。近くには、小学校、中学校が沢山あって、いろんな制服の生徒が交差点を渡っている。会社員の人事異動はどうだろうか?判然としない。

 二月は逃げる、は、韓国も同じ事である、とりわけ、正月があるから、過ぎ去りは一層早く感じる。日本では、3月は去ると言う。年度末でバタバタしたり、新学期の準備だったりするからだろう。後輩の戦友達が、退職をする頃でもあり、23人の顔が浮かんでくる。ご苦労さまでした。そこで、ボケ爺が一句!

 穏やかな リタイヤを潮に 花つぼみ

これからが花()だということだ、否、きっと誰もが穏やかではなかったのではないか。だから、これからを華にしなければならないと戒めを読んでみた。

 サッカースタジアムを3週した。暖かくなったので、多くの人が集まっている。いよいよサッカーのリーグ戦が始まるらしい。地元(スウォン)ティームのグッズ売店もオープンに向けて準備をしていた。ノボリ旗も飾り付けられている。「ブルー・ウィングス」と言う。NECのブルー・ロケッツ(バレーボール)を思い出す。ボケ爺の膝は、相変わらず治らない。

<読書>

「八日目の蝉」角田光代 中央公論新社

角田光代の著書を読むのは始めてである。文体は、小刻みで心地よい、少し男性的か?作品のせいか?人間の性(サガ)の重みを訴えている。特に女と子供の関係と生き様(優しさと、大胆さ)とを、これでもか、と訴えている。それとも、母親の性(サガ)は、子供も受け継ぐものなのか?怖い話であり、生きることへの困難さを描ききっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金)

暖かい一日

 寒いね、寒いね!と言っていた日が懐かしいほど、今日は暖かい。たまたま、今日は、建物と建物との間の移動が多い日であった。本当に暖かい、汗かきのボケ爺は、汗が出てくるほどである。春はすぐそこまで来ているのか。単純にはこのままで終わらないであろう。

 日本のTV放送で知る桜開花予想は、ほぼ例年のようである。昨年よりかは、遅い。韓国の桜はそれから2週間ほど遅くなる。その前に黄色のレンギョの花が美しく咲き誇る。黄色の好きなボケ爺は、黄色(狂人色)の季節が待ち遠しい。

 想像するに、今はスギ花粉の季節であろう。昨年の3倍はあると言う予想を聞いたことがある。花粉症のボケ爺は、幸いにして、ここでは、全く症状は出ない。本当にありがたいことである。

 杉には罪がないと思う。全ての山の木が杉になったのだから、成長の早い杉は、杉同士で、生存競争に励んでいるのではないかと想像される。生物の基本は、自己の子孫(遺伝子)を残すと言う営みである。動物だけに限らず、生物にも当てはまる。だから、競争と言うストレスに悲鳴を上げながら、杉は沢山の花粉を「これでもか」と、ばら撒くのではないでしょうか。杉は格差社会の犠牲者かもしれない。そのように思うと何だか、スギ花粉も気の毒に思え、哀れにも思う。少しは同情も出来る。

 韓国では、松ノ木が多いので、松の木間で、きっと競争しているのだろう。ただし、松の木の成長は遅いので、背丈はそんなに差はない。生存ストレスよりは、スローライフを楽しんでいるのかもしれない。ボケ爺は杉の木よりは松の木になりたい。

<読書>

「荒地の恋」ねじめ正一 文芸春秋

人間の性(さが)か?性(さが)の重さを知る重い本である。大人の男と女の性(さが)が圧し掛かるように綴られている。ここでは、詩人の仲間の付き合いの人間関係をフィクションか、ノンフィクションかの物語として、語りかけてくれる。すごい迫力がある。人間とは何か?改めて考えさせられる。大正時代の小説家の仲間でも同じような話があったが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 3日 (月)

黄砂の一日

 日曜の午後から、曇っているのか、黄砂かわからなかったが、今朝はくっきりと、まん丸な日の出を迎えて、黄砂だ、と分かった。33階のオフィスから眺める太陽は、相変わらず、真っ赤な太陽が、夕焼けのように眺める事ができる。今回の黄砂は、南を通ったおかげで、ニュースで知る限り、日本よりは、当地の被害は少なかったようだ。

 日が長くなって来た。いつもの帰宅時間でも、太陽が沈んでいない。気が付けばすっかり、黄砂は消えている。そう言えば、3月に突入しているのだ。肌寒く、春には、少々遠い。これからは、日一日と暮れるのが遅くなっていくだろう。すると春だ。三寒四温はこれからの特長だ。

 元の会社の研究所の重鎮であって、CTOを長く担ってきた某氏が昨年暮れに亡くなっていた。日経新聞の追悼録に載っていた。82歳だったそうだ。技術経営(MOT)の先駆者であった。ボケ爺も、中央研究所から、多くの先端技術の種をもらって、世界初、世界一、の応用製品を開発が出来た。これは、この人在ってのことであったことは疑いもない。チャレンジを最優先したよき時代の哀愁である。よき思い出をもらった、と言うことか。また一人先生をなくしてしまった。合掌!

 最近、会社の昼食で、プレミアム品がお目見えした。有料となり、少々高い。今日はグループで、申し込んで、プレミア品を楽しんだ。美味しい。お金の出し甲斐があるが、毎日では食事代が破産する。月に一回ぐらいを楽しみたい。外国人(ロシア、インド、中国、日本)の日もあって、日本食は月一回で、食べ放題で、腹いっぱい食べられる。ボケ爺、メタボに気をつけなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 2日 (日)

競争原理の表と裏

 当地は、朝から曇り空で、朝風呂に入ったは長風呂で少々疲れた。昼間前には雪が降り始めた。今日は散歩するのを諦めた。と言うか、怠け心もあり、ラッキーと思ってしまう。情けないことである。

 こんなな怠け心は、競争原理からは程遠い。裏の競争原理と言う事にはならないだろうか?誰かが、サルが人家に下りてくる事を阻止して、山に追い返していると言う話を聴いたことがある。サルも安きに流れると言う事だろう。一つの行動特性で、楽に方に付いていく。楽に向かって行動を共有すると言う事だろう。

 一方、縦社会を作り、獲物を確保しなければ、生きられないと言う社会も存在する。動物園など、サルのサル山の話を聞くと、えさの確保をめぐって、闘争が起こる。これは競争原理の表の社会である。相手を気にして、生きるために競争せざるを得なくなる。

 今の社会は、多くがゼロサムの社会であるから、有限の生活源を競争して奪い合う。特に、自国で、自然に真摯に向き合い、足りるを知って、慎ましやかに生きる価値観がなくなってしまった。食料依存率が39%である事は、他国を攻めている事になる。エネルギーも然りである。これは、人口が増えすぎたが故か、隣の芝生が青く見えて、欲張り心が出てきてしまったせいか。

 ボケ爺の人生にも、バブルの以前の贅沢的な生活と、その後続く、節約的な生活とを経験して、どちらがホンモノなのだろうか、正しいのか考えることがある。結論は出ない。これからの若者に何も言い残せるモノはない。

 その後の落ち込みは一向に治らない。サテサテ、明日も来てしまう。

<読書>

「魔女の盟約」大沢在昌 文芸春秋

日中韓の三国間の壮大な裏社会の課題を抉り出している。この話の半分は本当なのだろう。特に中国の二重社会と日本のヤクザと、韓国の闇社会の連合構想は、凄みがある。何時も大沢の作品はスケールが大きい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

NHKのど自慢全国チャンピオン大会

 たまたま、この番組に行き着いた。何度か、ブロッグで、日曜日の楽しみは、のど自慢を聞くことだと、豪語してきた。異国に来てからはその楽しみは奪われていた。チャンピオン大会だから、本当にうまい人が多い。さらに、個性がまた幅広い。世の中には、才能にあふれている人たちが多い。それだけ、人間はすばらしい。人間バンダイ、と言うことであろう。グランドチャンピオンが発表されて、感動が生まれる。感動は人生だ。

 ボケ爺の小学校からの学友も、いろんな才能を持っている人たちであった。それが、進学を勧めるにつれ、個性が無くなり、才能も、一点に絞られてきてしまう。その間の才能を持っていた人たちは、どこに行ってしまったのか。そんな社会はやはりおかしいのかも知れない。幅広い個性と才能が発揮できるチャンスが均等にあることを願うばかりである。眼を瞑れば、才能を持った学友の顔が思い出される。今は何をしているのだろうか。そんな田舎を久しぶりに思い出した。

 審査員のコメントも、なかなか味がある。その味は、やはり才能なのだろう。一芸に優れた能力に努力した結果でもあろうか。

 ボケ爺は、先日、重要な会議で、コメントを求められて、大失敗をしてしまって、今は大変に落ち込んでいる。未だに、修行の足りなさをつくづく、反省すること、才能の無さを悔やんでいる。自分の立場を、状況に応じて、適応しなければならないが、いつも変われなく、自己主張から始めて、行動する事を第一にし、コメントしてしまう。今回の場合は、担当者の発表を冷静に分析して、経営に向けてのコメントを求められていたのだ、時が付いた時は遅かった。しかも英語でしゃべればよかったのに、通訳がいたのでつい甘えが出てしまった。こんなチャンスはもうないであろう。

 ボケ爺、こんなに落ち込んだ事はない。才能がないのだから仕方がないが、それにしても、何回失敗すればすむのだろうか。

<読書>

「藤沢周平があいした静謐な日本」松本健一

周平作品の評論、コメント集である。周平の作品理解には大いに参考になる。少なくとも周平の作品を読んでから、読むべきで、決して先にこの本は読まないこと。しかし、鋭いコメントが多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »