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2008年2月 9日 (土)

沈黙の重要性

 最近、発想力の減退が目立つ。モトモト、そんなに発想力がある方ではない。だからそんなに悩む必要も無いのだが、ここに来て、企業の存続は、やはり商品の差別化、付加価値化の発想が生命であるとの実例が続いている。

 どうして、発想が乏しくなったのか、思考の補助線がなくなっているのかも知れないと、悩んでいた。そうではなくて、「耳を澄ます」ことがなくなっているのではないか、という疑問が湧いてきた。ひたすら、喋ってばかりいるように思える。皆に「浅い考え」を聞いてもらい理解してもらうために、ひっきりなしに喋っている自分に気が付いた。「聴く」事に専念していないのだ。理解を求めるだけになっている。「沈黙は金也」という。

1)質問に対して、何人にも沈黙(黙秘)の権利がある。自己防衛権ということか?

2)対話は解決をもたらさない。永遠に平行線か、理解度は離れるばかりである。人間関係の理解には、非ユークリッド幾何学は成立しない。沈黙が唯一の解となるということか?

 それ以外に、遠藤周作の「沈黙」という作の世界もある。

 男と女、仕事上の共感、生きるということは「不協和音のシンフォニー」と言う事か?すばらしい発想は、不協和音でもあるが、「音がしない空間」を知った時の体を駆け抜ける戦慄は何なのか?音がしないことが分かるまで、耳を澄まして聴く、徹底して聴き入ることになる、と思ってきた。

 クロッキーでもそうだった。黒く塗りつぶしては、消してみる。「消された空間」に美の驚愕に頭脳で共振して手が、足が震える感覚を味わうことがある。

 そうだ「沈黙は芸術の空間と等価」なのかも知れない。

<読書>

「すべては音楽から生まれる」茂木健一郎 PHP新書

生命の躍動は音から来るという。ときめきが肝心という、絵画にも、文学にもときめきはあるが、音楽が最高という。つまり「旋律は戦慄」という。クオリアは無限の感覚にある、という。モーツアルト効果の「喜びの高揚」から、シューベルトの不協和音の「人の苦悩の味」がすべてである、という。

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コメント

理科系へ行って留学までさせてもらったのにダメだった茂木健一郎が、文科系に落ちてきてメディアに乗せてもらって荒稼ぎをしているのには、あきれはててしまう!東大ですらとにかく入りやすい理学部や工学部からも毎年毎年モノにならないやつが相当数文科系の学部に落ちてくる。彼らは理系の才能がないので、日本では優雅に食える文科系に転部してくるのだ。茂木健一郎も理系にいられずに途中から試験もなしに2年間文系にもぐりこんでいかにも知的にふるまっているが、その実態は落ちこぼれのやくざである。東大の学者が、非常に優秀な新井泉さんを強制的に監禁虐待して、食事も睡眠も奪い取って、新井泉さんの人生も健康も破壊しまくっている。凶悪な彼らが捕まらないのをいいことに、やくざの茂木が国営放送どもと共謀して、何の罪もない新井泉さんを暗殺しようとしたのだ。こうして新井泉さんを虐殺してしまえば、あとは国営官庁や国営企業に入れてもらった凶悪犯どもだけが優雅に暮らせるとたかをくくっている。無能学者の茂木も犯罪に加わってすっかりアイドルになったが、暴力団とつるんでこんな邪悪な犯罪で栄耀栄華を楽しんでいる極悪人を早く滅ぼさなければならない。

投稿: 具子 | 2008年2月19日 (火) 06時19分

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