愛の判別法
そう、愛の判別法とは、愛情が有るのか無いのかの判定を、言葉の表現ではなく、科学的に判定できるらしい。脳の研究が進んでいる、と言う。好い事か悪い事か分からないが、きっと、多くの女たらしの浮気者には、迷惑な話し出しだし、占いを信じる女性どもにもの夢を奪う事になってしまう。一方、愛に悩んで自殺しそうな人々を助ける、一助になるかもしれないが、それはそれで、はっきり判明した時の始末に困る。
その実験方法は、既婚女性に、電気ショックを与え続けると、与えようとすると「嫌悪」になる。脳回路が判定している。ショックは痛いのだから当たり前である。夫がそのときに手を握ってあげると、その嫌悪反応が減少して、苦痛の感じ方がなくなるという。なんと微笑ましい事ではないか。夫婦の「愛の力」となる。婦人が夫の愛に疑問を持っていると、苦痛の変化がないということになる。
斯様に、手の含む意味は大きい。「手を貸す」から始まって、「手を尽くす」「手間をかける」「手を焼く」「手を抜く」、、、最後には、「手を伝う」「手伝う」に行き着く。持てる人の最大のポイントは相手からみて手の動きが気になる人であるという研究もある。(「シンメトリーな人体は手がシンメトリー」)
愛を語るときには、「口ほどに眼が語る」と言うように、愛を無言でも眼、瞳が伝えてくれるという事であった。それ以上に「眼ほどに手が語る、手が伝える」という事になるらしい。決して、言葉に騙されてはいけない。先ずは、手話が先である。愛を表現したい人、手を尽くして手の訓練を怠らないように。ボケ爺のシワだらけでは、その効力は失せている。脳科学では脳の反応で、どれだけ良好な関係を築いているかが一目瞭然となる訳だ。クワバラクワバラ、これ以上に、社会が脳科学の発達でギクシャクしないようにしたいものだ。愛とは、「相手の気持ちを知ろうとする行為である」と確信するのだが。
<読書>
「わが女ひとりの記」水上勉 平凡社
古本屋で、偶然見つけた。1983年刊行である。水上の作品は好きなので、全作品の3割ぐらいは読んだ、と自負する。貧しい中で、社会を生き抜く人の心を描き、勇気付けられた。この世の中、まだこんなに恵まれない人たちがいるのだと、訴え続けられたのだ。この著書の貧乏な作家に関わった「女」との関係を赤裸々に語っている。全作品の原点を垣間見せてくれた。心にしみる。
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