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2008年1月30日 (水)

異才、ピナ・バウワ

 ふと思い出した。何時だったか何処かで聞いた名前のようで、インタビューの話が頭をよぎった。何故だか解らない。確か、昨年、京都賞に選ばれた時であろうか。

 ピナ・バウワはドイツで活動の、ダンス振付師、演出家である。何処かで見たこともある。多分TVである。強烈な印象が残っている。モダンを遥かに通り越している。画家で言うピカソなど通り越している。ダリでもない。抽象画とも言えない。ダンスは動きがある。物語であった。

 私には、私を主張できる表現できるだけの「言葉が見つからない」。出来るのは、「体であり、体の動きを通して表現するしか方法を知らない」。「それだけではない、舞台背景、音楽とのコラボレーションも含まれる」。

 その創造の基はダンスを学んだ大学時代にある。総合芸術大学であったので、オペラ、絵画、デザイン、などあらゆる芸術を学べた事であり、専攻している人たちとの、会話があったからである、いずれの分野でも、基本が大切であると、と闊歩した。その言い切れる顔が印象に残っている。そうなると、このボケ爺、脱帽である。基礎が出来ていないからである。

 演出には、ダンサー一人ずつに、役の、立場の、表現の仕方について、「質問を繰り返し、役作りを共有する」という。質問をする事により、演出家の私も演出のあり方を学ぶ、ダンサーも、その気持ちを作り上げて行く、という事であるらしい。マネージャーには参考になる。

 作品を仕上げていくには、「情熱」「忍耐」「集中」「偶然性」である、という。異文化との接触も大切である。混沌からの脱却の努力を試みる勇気が必要であるとも強調していた。「努力の継続」が必ず「ひらめきを生む」と信じている、といい終えた。

 ボケ爺の悪い記憶であるから幾分か、フィクションが含まれているとは思う。偶然にも思い出していた。

<読書>

「欲望する脳」茂木健一郎 集英社新書

難しい。というより、著者は何時もこんな課題を考えているのだろうか?課題を見つけるだけでも、それだけで、驚きである。それに自分の意見が幅広い知識で埋め込める、ことが次の驚きである。元々頭の構造が違う、としか言いようがない。本著は重い内容である。

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2008年1月27日 (日)

脆弱性

 韓国は寒い日が2週間ほど続いている。ボケ爺の住む町、スウォン(水原)では、朝方は、-10℃から-5℃で、昼間も、-3℃から3℃である。みんなの話だと、例年よりは寒い、という事だが。

 今日は、天気が良い。午後から、ワールドカップスタジオに出かけた。4年ほど前に、息子からもらった、ランニングシューズと、ジャージを着込んで。昨日は、コットンパンツで、普通のウォーキングシューズで出かけて、走ろうとしたが、その気になれなかった。手袋を忘れた事もあり、とても寒く感じた。今日は、手袋も用意したし、気力が出てきた。一周は、約850mであるらしい。走ってもいいように、線が引いてあり、距離も刻んである。サッカー競技場の裏手には、本格的な陸上競技場もあるのだが、冬はお休みのようである。競技場の裏手は、雪の固まりは未だに溶けずに凍て付いている。

 3周ほどすると、登山で痛めた右の膝が、ガクガクと笑い始めたので、初日である事から止めにした。スタジアムには、立派なセレモニー会場があって、連日の土日は賑わっている。何で賑わっているのかと好奇心を抱いて、入り込むと、なんと結婚式の会場となっている。今日は二組である。変な目で見られ、急いで出てきたが。

 近くにスポーツクラブがあり、ゴルフ練習場、水泳、ジム、スカッシューがある。いずれも満員で、1時間待ちの様子である。スカッシューをやりたいが、言葉の関係でとても出来そうにない。これからは、走ることにしよう。一番安上がりである。サッカースタジアムは夜12時ごろまでライトアップされていることを、18階のアパートから確認している。冬場は、土日だけにして、春からは、帰社後にも走りたい。

 気は焦る物の、ボケ爺の体力はねずみの年のように早く衰える。それをカバーしたいと思う気力も、三日坊主という脆弱性を持病としている。何事についても。トホホ!

<読書>

「本の話 絵の話」山本容子 文芸春秋

山本容子は、今更説明は要らないと思うけれど、ボケ爺の好きな版画家である。彼女が、版画だけでなく、文章も書くのかと驚き、古本屋で見つけたときは迷いも無く買い求めた。大変な多読家であり、絵に結び付けられるところが、驚愕である。小説が絵とこんなに絡んでいるとは、うろこがはがれた思いである。

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2008年1月26日 (土)

情報の繭

 情報の繭が民主主義を怪しくする、と言う人がいる。確かに、インターネット、つまりWebでは、得られない情報がないというほど、行き届いている。ネットサーフィンを試みると、きりがない。あっという間に、一日がそれで終わってしまう。これだけ情報の洪水が起きていると、自然に、得ようとする情報は「お気に入り」に傾いてしまう。その「お好み」が情報の偏り、という重大な事態が起きて、社会は民主化を崩す。

 ボケ爺の場合、内容の理解が浅い、覚えている時間がほとんどない。なんとも、液晶の画面では、そうなってしまうのである。勢い、印刷をしてしまう。そんなことをしていると、考える時間がなくなってきているようで、何か発言すると、あれ?何処かで得た情報のまま、丸写しでしゃべってしまっている事に気が付いて、赤面する事がある。

 一方、自分からの情報発信は、誠に都合が良い。Blogがそれである。ここで書き込むと、たとえ、まずい文章、まとまっていない意見でも、見てくれる人が居る。その数に一喜一憂する。そんな喜びは得られる。

 ある学者が言う。大学で教えても、年間、せいぜい教室に来る学生で、100人止まりであろう。しかしWebでは、5000人、10000人へ伝える事ができる。意見も返ってきて反応がつぶさに分かる。意見、論文の発表の場は、Webに限るという。問題は、英語力である。日本語では、伝わらないという。読者が少ないということであるらしい。それだけネット利用は、日本はまだ世界水準には程遠いようである。

 それに、ボケ爺、悩みがある。論文が書けるだけ勉強が出来ていない、という事である。どこまで続けられるのか、継続が鍵でもある。Blogを分割する!と宣言したのは新年の挨拶の時であった。未だに、まとまっていない。やはり三日坊主、否、初めから出来ないのだ。トホホ!

<読書>

「ウェブ時代をゆく」梅田望夫 筑摩新書

ウェブはもう一つの世界がある(地球が出来る)という。だから、「新しい職業」が出来るともいう。日本の場合の最大の課題は「英語力」と「本当の情報を理解できている人が少ない」という事である、という。本当の情報とは?と聞かれると、確かに自信がない。「ウェッブは自ら助ける者を助ける」という学問事始、という事だ。

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2008年1月24日 (木)

「ニッポン」失望

 日本に失望している。「あなたに失望」と言われているように、グサリと心にしみる。前に、海外の友人から、「日本に訪問する魅力が無くなった」と言われた事があり、ブロッグに書き込んだことを思い出す。

 海外メディアがここに来てこぞって、ニッポンに失望すると指摘している。「海外の投資家は日本市場を諦めている」との内容である。ウォールストリートジャーナルは「企業同士が株を持ち合って株主に鈍感である。さらに、日本企業の自己資本利益率は9%と低い。一般には15%である。」「日本は益々迷路」と指摘する。

 ニューズウィークは「グーグルのような企業は出てこない。独創的な企業はソニーからアップルに変わった。その課題は、①年功序列、②IT知識が不足、特に管理者に。③大学と産業界の交流が薄い。」と言うし、ファイナンスタイムズは「日本の代表が「偽」であり、「少子高齢化の影響が大きく出始めた。」、英エコノミストでは「起業力はあらゆる指標で劣っている。」

 アジアマネー誌は「日本は21世紀の自己認識の危機の代表である。」とまで言い切り日本の社会性に警報を鳴らしている。政治だけがねじれ現象ではない、経済、企業運営などにも同じような現象がある、と海外は見ている。

 ボケ爺も海外の友人から、同じような事を言われており、悲しい現状に嘆いている。

<読書>

「日本の行く道」橋本治 集英社新書

読むのに疲れる。じわじわと言い進めて、これでもか。と結論を出す。いつもながら、卓越した指摘が多い。日本を良くする結論は、「都市化を拒む、高層ビルをつぶせ」、である。農業などの機械化を止める、と家庭が戻る。最もな指摘が多い。

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2008年1月22日 (火)

ヒラリーの善戦は「女の涙」

 アメリカの大統領選挙はドラマであり、部外者も面白く観戦させていただいている。前にも書いたことがある。ニューハンプシャーで逆転をして、ネバダで連勝である。事前調査と、投票後の調査とでは、女性票が大きく、クリントンに流れたとの調査結果が出ている。

 It’s not easy(簡単なのとじゃないのよ)と二回繰り返し、眼が潤んだ。言葉がつまり、声が震え、涙をこらえていた。米メディアが一斉に取り上げた。「これは作戦か」「これで大きく流れが変わる可能性」「クールで強い女性が」など。「ヒラリーの涙」は、いずれにせよ今のところ大成功といわれている。

 その後の調査でも、「涙は女の武器か?」の質問に、男性では、「そう思う」が70%弱。女性では、「そう思わない」が53%ほどあるという。しかし、「まさかあの人が、余程なのか」の意外性を伴うと、強い武器となる、と言う。

 日本でも以前、同じような事件があった。小泉首相も「涙は女の最大の武器だって言うからね」と発言している。日本も女性議員が増えてきた。時々「涙に訴えている女性」がいる。強く、完璧な男女、と見られていた人が涙を見せると、人間味を見せられた、と女性の心が揺さぶられる、と言うことらしい。

 さて、ボケ爺は年寄りだ。何もかも枯れてしまった。「年寄りが武器」に出来ないだろうか。作戦を練ってみよう。

<読書>

「それでも脳はたくらむ」茂木健一郎 中公新書クラレ

ここまで、多作になってくると、基本的な言い分は繰り返されてくる。この内容はほとんどが、今までの繰り返しであった。「脳の取り扱い説明書」と言うノウハウ本に仕上げている発想はやはり茂木の独創性か?「意欲」「偶有性」「好き嫌い」「集中」「継続」「体験」など。分かっているがそれが出来ないから、ボケ爺は悩んでいる。

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2008年1月21日 (月)

株価から見ると、地方企業が強い

 1989年に全銘柄を一単元買ったとし、2007年11月現在で、平均すると、マイナスである。そんな中、240社以上がプラスになっている、という。二倍以上が60社以上もあることに、驚く。

 上位銘柄を見ると意外な共通点がある。投資収益率トップテンには東京本社は1社のみである。ヤマダ電機、イビデン、久光製薬、など。30社を見ても東京本社企業は8社しかない。

 長期に株主に報いてきた優秀企業が地方に多い事実を見ると、地方が元気でない、というわ訳ではないのだろうか?地域格差と叫ばれて、経済格差が、都市と地方で有るわけではない、とも言えるのではないか。格差を埋めるのは生産性の向上である。地方ばら撒きの予算成立は気休めである。否、無駄である。独創的な企業活動の邪魔になる可能性すら指摘されている。シャッター商店街は、努力が足りないのだ。行政に甘えているからだ。親方日の丸根性が未だに続いている。

 グローバル化した社会で、国際基準に背を向けた企業は存在し得ないことは、ここに来て、明らかである。自動車が元気なのは、国際基準を先ず優先するからであろう。IT産業は、先ず国内で稼いでから、海外で、との考えが未だにある。だから、IT産業は回復することはない。変化に対して、分析が出来ないか、追撃が出来ない活力不足か、何だかおかしい日本が浮き彫りにされる。ムードだけで動いてしまう。日本は「夢遊病」になってしまった。

<読書>

「消失、第2巻」高杉良 ダイヤモンド社

「金融腐敗列島」と副題が付いている。日本の金融機関も、多額の血税を平気で使い切ってくれた。金利と税金を足して、どこまで市民を食い物にすれば済むのだろうか?そんな事実を暴いてくれる。

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2008年1月20日 (日)

愛の判別法

 そう、愛の判別法とは、愛情が有るのか無いのかの判定を、言葉の表現ではなく、科学的に判定できるらしい。脳の研究が進んでいる、と言う。好い事か悪い事か分からないが、きっと、多くの女たらしの浮気者には、迷惑な話し出しだし、占いを信じる女性どもにもの夢を奪う事になってしまう。一方、愛に悩んで自殺しそうな人々を助ける、一助になるかもしれないが、それはそれで、はっきり判明した時の始末に困る。

 その実験方法は、既婚女性に、電気ショックを与え続けると、与えようとすると「嫌悪」になる。脳回路が判定している。ショックは痛いのだから当たり前である。夫がそのときに手を握ってあげると、その嫌悪反応が減少して、苦痛の感じ方がなくなるという。なんと微笑ましい事ではないか。夫婦の「愛の力」となる。婦人が夫の愛に疑問を持っていると、苦痛の変化がないということになる。

 斯様に、手の含む意味は大きい。「手を貸す」から始まって、「手を尽くす」「手間をかける」「手を焼く」「手を抜く」、、、最後には、「手を伝う」「手伝う」に行き着く。持てる人の最大のポイントは相手からみて手の動きが気になる人であるという研究もある。(「シンメトリーな人体は手がシンメトリー」)

 愛を語るときには、「口ほどに眼が語る」と言うように、愛を無言でも眼、瞳が伝えてくれるという事であった。それ以上に「眼ほどに手が語る、手が伝える」という事になるらしい。決して、言葉に騙されてはいけない。先ずは、手話が先である。愛を表現したい人、手を尽くして手の訓練を怠らないように。ボケ爺のシワだらけでは、その効力は失せている。脳科学では脳の反応で、どれだけ良好な関係を築いているかが一目瞭然となる訳だ。クワバラクワバラ、これ以上に、社会が脳科学の発達でギクシャクしないようにしたいものだ。愛とは、「相手の気持ちを知ろうとする行為である」と確信するのだが。

<読書>

「わが女ひとりの記」水上勉 平凡社

古本屋で、偶然見つけた。1983年刊行である。水上の作品は好きなので、全作品の3割ぐらいは読んだ、と自負する。貧しい中で、社会を生き抜く人の心を描き、勇気付けられた。この世の中、まだこんなに恵まれない人たちがいるのだと、訴え続けられたのだ。この著書の貧乏な作家に関わった「女」との関係を赤裸々に語っている。全作品の原点を垣間見せてくれた。心にしみる。

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2008年1月19日 (土)

ウィーン氏の10大予想

 アメリカの株価の下げが止まらない。サブプライムローンの焦げ付きから始まった金融機関の不良債権の処理が予想を超してはるかに大きいからである。結果はアメリカ経済の不景気感が、IT産業が好調としても期待以下だとして、払拭できていない。資金援助もアメリカ国内では出来なくて、従来では考えられない、第3国からの借り入れが続いている。

 そんな中、バイロン・ウィーン氏の「今年のびっくり10大予想」の発表があった。氏はアメリカ市場のストラテジストである。毎年、3割以上と、良く当たるという事で、評判である、と言う。先ず、トップに上げたのが、「アメリカ経済の後退、2001年以下になるであろう」、という事である。多くのエコノミストは、「回復する」との楽観的な見通しであるらしい。

 このほか、「500社の減益」が顕著になる。「後半には、ドル安」となる。「原油価格が110ドル」となる。「インフレ圧力の高まりから、オリンピック以後の中国株の急落」「オバマ氏の第44代大統領の出現」などが予想されている。

 さて、ボケ爺の今年の予想は?昨年の10大ニュースをも作れていないのだから、予想など、この方、試みたことがなかった。自称戦略家として大いなる欠陥である事を今になって反省している。今までは、このような人、経済調査会社の予想に期待して、それ批評をしていただけであった。ボケ爺が今、直感で言えることは、ウィーン氏とダブルところが多いのだが、「アメリカ経済の影響を、BRICsを除いて、全世界的に受けるであろう。」「オバマ氏が当選、日本とはギクシャクする。」「日本のGDPが7位(?)から、13位に落ちる。」「政管での収賄の摘発が続く。」という事か。

自分の業務の10大予想までとは言わず、3大予想ぐらいは出来なくてはならないだろう。今なら、まだ旧正月に間に合う。ボケ爺のバカ頭を絞って、少しは汗でも掻くことにしよう。

<読書>

「二度目の大往生」永六輔 岩波新書

大往生は200万部も売れたらしい。良くしゃべる分、雑学というと失礼だが、多くの知識を記憶されている。それを戯曲的に表現できるところが魅力的なのだろう。今回も借用して見たい文章がちりばめられている。「生、老、病、死」とうまく分類されている。

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2008年1月17日 (木)

臨界期

 臨界期という言葉は、何だか意味慎重な言葉のように思えてならない。いつだったか何処かで聴いた言葉を突如思い出した。ボケ爺は頭が悪い、特に記憶能力が並外れて、低い。人の名前、所の名前、単語、年代、などなど。こんな不公平は何故起こるのだろうか、と悩んだ時代があった。

 脳の発達には、二段階に分かれているという。つまり臨界期が第一段階である。ほぼ3歳がピークで、8歳までは続くそうである。脳の重要な構造物であるニューロンが増えている間の事を言うのだそうだ。ニューロンは基本的には、この間での作られた数と、構造で決まってしまう、という事である。

 という事は、3歳まで、遅くとの6歳までで、基本構造は決まってしまうことなる。その間の親の役目は、かなり重要であるという事である。子を持つ親として、どうだったか反省してみる必要があるが、ほとんど記憶にない。特にこの間は、刷り込み、つまり親の行動を繰り返し、繰り返し、記憶に残そうとしているらしい。それに、新しいことへの興味が大変に強いのだそうである。それはさらに8歳まで続くそうだ。

 ニューロンは、基本的には、その頃から増えないそうである。ニューロン間の繋がり方はその後、環境に応じてどのようにも変化するらしい。しかし例外があるという。海馬にある一部では新生ニューロンといって、ニューロンが死んだり生まれたりしているという。つまり事次第によっては、増え続けるらしい。

 解剖学者の養老孟司氏が言うように、五感を刺激する事が最も大切な事である、事と一致する。五感の刺激には、モノ作りに励む事である、という。つまり、田舎暮らしをして、農業、酪農など、不便な中で工夫してもの作りをすれば、健全な脳が作れるという。さてボケ爺、これからどうしよう。

<読書>

「大人にも出来る脳細胞の増やし方」久恒辰博 角川oneテーマ21

年取っても、まだまだ大丈夫だとの応援メッセージが書かれている内容であるが、にわかに信じられない。あるいは、当たり前の内容である。つまり、「いつまでも脳を刺激し続けろ」という事である。

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2008年1月15日 (火)

米大統領選の品定めのドラマ

 今年の秋の大統領選出のために、候補者の指名選挙が、始まった。民主党大会では、断然トップとの前評判のヒラリー候補が、初戦ではオバマ候補に負けるという波乱の幕開けとなった。共和党大会でも、人気は薄いものの、混戦が続いている。アメリカの最も関心は、史上初の女性大統領の誕生か、史上初の黒人大統領の壇上か、であり、その誕生のドラマを楽しんでいるように見受ける。

 アメリカ国民は、長い、長い大統領選挙を「連続フィクションドラマ」として、熱狂的に熱い視線を送っている。映画を初めとするエンターテイメント産業においても、自動車業界の動向、防衛産業の動向、それに、今回の大統領の行方が三大ドラマ作成の課題である、と言う。

 まだ本番までは、10ヶ月もある。アメリカ国民にとって、簡単に変えかえられない大統領を、高価な商品のように、念入りに吟味し、品定めをしているように思える。

かたや、日本はどうか、簡単に返品がきくから、他人事のように、あっさりと選ばれる。その代わり賞味期限前にも簡単に捨ててしまえる。事前にはほとんど品質の吟味がなされない。走りながら吟味をする。

 どちらがいいのかは分からない。4年間、今度の買い物は失敗したと我慢するのか、雲の上での持ち回りとして、グチをこぼして、諦めるのか。いずれにしても、嘆く事には変わりがない。最も重要な事は、政治家はヴィジョンが明確でブレないことだと、ボケ爺は考える。

<読書>

「私の男」桜庭一樹 文芸春秋

不幸にも家族が全ていなくなってしなった、男女が親子であり、兄妹であり、男と女であるという奇妙な世界を描いている。その環境は想像できる範囲ではあるが、一体作者は何が言いたいのか?文章、構成などよくは出来ているが。

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2008年1月14日 (月)

心を知りたがる脳

 脳科学者の究極の脳研究はなんだろうか?と考えるのも、脳のおかげである。心は、感動を五感として味あうことが出来る。自分のことは、自然に分かったように考えているらしい。「言い訳」がいい証拠である。言い訳が出来る事は、自分の立場を正当化、自分に都合のいいように繕う事である。ある程度自分という立場を知っていなければ出来ないはずである。

 問題は、他人の心を見たがることである。良く「相手の立場になって考えてみる事だ」と言われるが、元々相手の気持ちが分からないので、相手の立場などなりようがない。そんな事から、相手の気持ちを、脳は最も知りたがっている、と言えるのか。

 もし、脳の研究で、相手の気持ちが、自分のごとく良く理解できる時代になると、一体人間関係はどうなるのだろうか。想像してみると、気持ち悪くなる。きっと発狂してしまって、組織、仲間など出来なくなるのではないだろうか。愛なども生まれないであろう。

 小説(ノンフィクション)など存在できなくならないだろうか。今の小説は、相手の気持ちを、アアでもない、こうかもしれない、と想像できるところに成立して、著者に同意できたり、憤慨したりできるのだから。

 相手の心を読むために、言葉は勿論の事、相手の表現やしぐさなど、手振りをも心の理解に全霊を傾けている。このような努力で、他人の心を推測できてこそ、否、心を推測する努力をしてこそ社会が社会として成立しているように思える。そこに喜怒哀楽が現れる。ボケ爺は、この歳でも日々コミュニケーションに悩んでいる。

 コミュニケーションが大切である事が改めて知る事である。来年には、裁判員制度が導入される。検事側、弁護士側の表現力、しぐさによって、判定は大きく変わるであろう。文章を棒読みでは、判断が出来ないだろう。

<読書>

「ダイイング・アイ」東野圭吾 光文社

誰もが少しずつ嘘を付いて、誰かを陥れようとする。言い訳をするために、少しの嘘を作ると、6人と連鎖すると、全く違ったことになってしまう。相手の心を読みきれない、関係が連鎖すると、とんでもない結果が起こる。

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2008年1月13日 (日)

「ねずみ」のおかげで、人生150年?

 今年は、ねずみ年であることは言うまでもない。田舎での幼少時代を良く思い出す。一つには、天井裏がいつもガサガサと音を立てていた。お袋の話では、「ねずみの仕業だ」、そうで、猫を飼っていても、「この猫は役立たずだ」、とよく言っていた。その猫は、結構、大きくて、ボケ爺に一番なついていた。それだけに、苦情は悲しかった。自分のことを言われているようだった。それでも時々、捕まえてきては、自慢げに、半殺しで遊んでいるところをボケ爺に見せてくれていた。もう一つは、溝鼠に出会う事である。とにかく大きい。怖くて逃げ回っていた事を思い出す。

 そのねずみが、治療のために、大いに役立っている事はご高承の事であろう。人体実験の前には必ずねずみでテストされている。病気とストレスの関係、栄養と病気の関係、挙句の果てには、高血圧症にまでにさせられての遺伝子研究など、遺伝子で実証にも活用されている。皮膚病などもおなじみである。

 昨年は、京都大学で、再生医療の万能細胞が出来そうだというニュースが大きな話題となった。これは大変な発見である。日本は最長寿命国になっている。100歳以上も増え続けている。さらに再生細胞が出来、病気の遺伝子が明確になると、ヒョットすると、人生150歳(今でも遺伝子的には150年は可能だという説もある)となってしまうのではないだろうか?これは大変だ。ボケ爺は今までの人生のさらに倍ははるかに生きていなければならない。元気ではあるが、体力は減少しているし、脳は確実に衰えているはずである。シワと脂肪のアンバランスで、怪物になってしまう。夜中に何回もトイレはゴメンだ。だからといってもパンパースはさらにゴメンこうむりたい。考えるだけでも、ゾーとする。約半分70年は養老院生活(生活保護を受けている)をしなければならない。夫婦という社会形態も続ける事になるのだが、果たして、120年も一緒にいられるのだろうか?

<読書>

「閉鎖病棟」ハハキギ蓬生 新潮文庫

精神科病棟に入っている人たちが精神を病んでいるのだろうか、見方によってはそれが正常で、正常だという人たちが、生きることに嘘をついていてズルイ人達なのかも知れない。精神病だという個性を持って明るく生きていこうとする人々の、一寸したズレが生きることを複雑にしてしまう。純真な行き方に、もらい泣きをしてしまう。

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2008年1月12日 (土)

「老後は海外で」が夢になった

 昨日の朝から降った雪は、一人では広すぎる新居としたアパートの18階から、ワールドサッカー場を真っ白な銀世界にしてくれていた。今日はどうなる事かと思っていたが、比較的あったかく、午後にはすっかり溶けてしまった。新居に入った早々美しい景色が楽しめて、今年は縁起がいいのかもしえないと勝手な事を考えていた。

 午後から、ワールドサッカー場の周辺を散歩していたら、その先に、スポーツジムがあった。大きなスポーツジムでほとんどの競技が出来る。スコッシュコートが8面もあるが、一杯である。一人で、ふらりとやって来て出来る状態ではない。50mプールの水泳も一杯である。ゴルフの打ちっぱなしも2時間待ちである。会員になろうかと値段を見ると、結構高い。日本の1.3倍ぐらいか?それでも混雑するのは豊かな証拠である。

 ウォンはいずれの通貨に対しても強い。こんなに世界から苛められても、結構、企業業績は伸びている。どうしてか?日本で言うと全ての通貨が90円を割っているようなものである。そんな時代もあったがその頃は、悲鳴を上げていたし、政府(経済産業省)は「老後は海外」で過ごせばいい、20万ほどの年金をもらえば、どの国にでも、気楽に住める、などと、風潮していた。ボケ爺もそのころは、「老後は海外」でを真剣に考えてもいた。

 しかし今はどうか、円が安くなってしまって、スペインはおろか、オーストラリアもダメである。タイもそろそろだめになりそうである。当然に、韓国には住めない。

 どんどん日本は世界から見放されている。さらに国内の諸経費が値上がりである。年金で暮らすことも出来なくなった。ボケ爺はあとわずかだが、子供たちの時代が心配である。

<読書>

「無名」沢木耕太郎 幻冬舎 

親父の介護録と親父の存在についての私小説というよりフィクションであるようだ。ボケ爺の親父と比べてしまう。ボケ爺は親不孝だったな!と思う。感傷的は親父回顧録は泣ける。文章にも無駄がない、研ぎ澄まされている。人は死んだ人の思いを掘り起こしたい物だ。生きて死ぬ事の厳粛な営みが描かれている。

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2008年1月11日 (金)

正月ボケは抜けたかな?

 6日の日に、片道チケットで、日本を飛び出した。視界が良くて、東京湾を一望して、富士山を拝み、南アルプス、北アルプスの雪渓を美しいと感激をして、いつもと違う気持ちで、感傷的になっていた。何といっても片道チケットが心にしみる。

 この歳で、帰国で働くのは、いろいろ心配事がある。先ずは健康面である。強がりを言っていても、いろいろガタが来ている事は自分としてよく分かっている。仕事上の能力の問題もある。経過はある、それは過去のものであり、革新的提案には、邪魔になるだけである。革新的な仕事が出来るだろうか?勉強が続けられるだろうか。言葉の壁も課題である。

 そんな事から、正月ボケが続いている。このままボケてしまうのだろうか。新聞に、習い事で三日坊主ならない7ヶ条と言うのが載っていた。いずれも最もであるが、どうしたら守れるかは書かれていない。イチローが言うように、とにかく毎日、決めたことを徹底して守り抜く事であるのだが、誰もがそれが出来れば三日坊主という言葉はなくなる。同じ事の習慣化ほど難しいものはない。必ず変化を求めてしまう。そこに、凡人と天才の違いが出てくるのであろう。

 さて、凡人ボケ爺はどうすればいいのだろう。凡人でも出来る事を教えて欲しい。

(ご無沙汰してしまいました。やっとネットワークが繋がった。)

<読書>

「誰か」宮部みゆき 文春文庫

宮部の作品は始めてであった。評判は高い。ストーリの中では結構無駄口が多いように思う。正直好きにはなれない文章だ。構成は、良く出来ていると思う。人の機微が出ているが、ストレートすぎる。とかにかく、人の気持ちの真実は分かりにくい。理解は難しい。

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2008年1月 2日 (水)

初夢

 初夢を見るべく、早めに寝たのだが、見たようで見ないようで、あいまいである。早々に朝風呂に入って、思い出そうとしただが、長風呂でもやはり思い出すことはかなわなかった。

 曖昧な中に、どうやら、穏やかな親父の顔を見たような気がする。定年退職した後は穏やかな顔になっていた。きっと早くそうあれと、初夢に出てきたのかもしれない。ボケ爺はまだ修行が足りない、と言う事らしい。

 「旗を立てない、旗を振らない」と、強く心に決めるようにと親父が言った気もする。皆の後押しに徹する事が、これからの人生であるとも思う。「チョボチョボ」、あるいは、「ぼちぼち」、どちらも関西弁かな。そんな言葉が面白い。ボケ爺には必要な言葉である。

 今日の朝は良く晴れて、空気はこの冬一番に透き通っている。こんな正月は近年珍しい。きっといい船出であろう。しかし、風雲が待っているようにも、初夢で見たようにも思える。そんなストレスを感じたようでもある。

 Iを考え、Youと対決して、Weの仲となろうと思う。そんなコミュニケーションが出来るようになりたい。自然と、「We」が連発できるような仲間作りが出来るように頑張りたい。否、頑張ってはいけないのであって、チョボ、チョボと歩もう。

 正月2日は、学問(習い事)の事始の日でもある、机に向かうが、身が入らない。ついついTVのスイッチを押してしまう。ボケ爺、困った者である。情けない。

<読書>

「月を吐く」諸田玲子 集英社文庫

すっかり、この作者が気に入っている。それ故、古本屋ではツイツイ、手が伸びてしまう。実にきめ細かく歴史を調べ、歴史を背景に、人(男、あるいは女)とは何者かを問うている様だ。特に人の情を丁寧に、あるいはトリック的に解き明かそうとしている。

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2008年1月 1日 (火)

 2008年元旦

 皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もお付き合いいただきたくよろしくお願いいたします。今年はどんな年になるのでしょうか?どんな年に出来るのでしょうか。言える事は、今の円安状態だけは良い結果にはならない、と断定できる。

一年ごとに、新しい目的を設定するのもいいのかもしれないと思うようになりました。ヴィジョン、目的ではあるが、目標とはチョイと違うのである。一層、の区的、目標、手段を間違わないようにしていきたい。明確に分析、分離しよう。

 ボケ爺は「チョボチョボ」で行こうと思う。力むことなく、自然体でもなく、多少の「ストレス」を薬に、チョボチョボやりまひょうか。

 一つには、このBlogの改革から始めたいのだが、考慮中なので、多分、一ヵ月後には一新したいと思っています。基本はどこまで勉強できるか、見極めをしたい。それには一ヶ月ほどかかりそうである。

 一年の計は元旦にあり、と教えられた。が、いまだこの年までに、実行できた事がない。今年は、違いたいと心に誓いたい。第三者発言となってしまうのが残念である。だから、Blogの一新を誓う。

三日坊主、とはよく言ったものである。自慢ではないが、ボケ爺はそれだけいい加減であると言う事だ。とにかく、手に何かを身に付けたい。頭で考えたりしないで、率直に体で感じたい。体感できる事に感激を求めたい。三日坊主にならないように体に覚えさせたい。

これがボケ爺の新年の挨拶代わりである。

<読書>

「江戸群盗伝」半村良 文芸春秋

文体がいい、構想も面白い、痛快とはいえないけれど、人生観は傑作である。と言う平凡な批評しか出来ないほど面白い。半村の作品はムラが大きいような気がするが?良書にぶつかる事が読書の楽しみでもある。

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