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2007年11月30日 (金)

イイ日旅立ち

 11月は「イイ」月と言うらしい。「イイ」とは「良い」とか「好い」とか「善い」のことである。そんな月も終わって、師走に突入である。ボケると1年が遅く感じるのかと思いきや、益々早く過ぎる。

 サラリーマンをしていて、業績評価は、大きく分けて、最初と最後で決まるような気がする。最初とは、業務の提案である。職制ごとに違いはあれども、必ず求められる。大きな提案を考えると、必ず反対をする人がいる。「嫉妬」の世界は人間らしい。これを通すためには、独断専制型のトップダウンであれば、上司の説得に向けて一点集中型で攻めればいい。日ごろのゴマすりが功を奏することが多い。しかし、その後の仕事がやりやすいかはまた別である。一般的には、そうはいかない。ボケ爺の経験では、4分の3、つまり、3人の説得、根回しが最低線である。3人の同調が得られれば以外に、75%の賛成は得やすい、と、ビジネス法則を作っている。

 最終は結果報告である。必ず100%の出来ではない。そこで、言い訳となる。うまい言い訳を考えなければ、例え、85%の出来でも20%まで評価は落ちる。言い訳の方法は、宗教によって変わることを発見した。大きくは「神」、と「仏」でまったく違ってくる。社会常識でも関わってくる。ボケ爺の経験からして、「楽観的な言い訳」が良い。つまり「笑って誤魔化す」事である。極め付きは、程度な時に、「おっしゃるとおり、御意」で終われるようにすることである。ほのかな達成感が漂う。

 人の脳は、どうもそのように出来ているらしい、との裏付けが出てきていると言う。脳研究者で有名な池谷裕二が「脳は何かと言い訳をする。その意味は、プライド保ち、生きる希望を失わずに済む」それで幸せになるらしい。また人間の意思力も結構弱くて、「3人もの同調者」がいれば、自分の主張を変えるように働くらしい。所謂体制に溶け込まなくては生き辛い、事を本能的に知っている、と言う。

 ボケ爺のこのビジネス法則を活用してください。

 ボケ爺は来月から、また新しい仕事に挑むことになった。明日から「イイ日旅立ち」である。

<読書>

「ビジネス法則の落とし穴」東谷暁 学研新書

サラリーマンにとって面白い本であろう。ボケ爺は、理系であるから、直ぐに定理とか公理とかの法則に興味がある。結構、社会現象も法則を作りたがる。ピーターの法則、パーキンソンの法則など、興味深い。説得にも役立つことがある。

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2007年11月29日 (木)

当然の逮捕!守屋夫婦

 守屋元次官夫婦の逮捕は当然である。徹底して解明をして欲しい。さらには、各省庁と民間企業の癒着も暴きだせると言いのだが。厚労省と薬剤企業と大学教授の三つ巴も許しがたい癒着があるはずである。これらの二省は事、国民に直接の被害のかかわりがある。建設土木についても、おおいに困る。こちらも人身事故に繋がるし、税金の無駄使いに関わる。文科省は、日本の未来を歪めてしまっている。

 国民は怒りをもっているが直接の訴えは出来ない、諦めの状態である。この諦めが、日本の今日の状況であろう。全てが投げやりである。

 30年ほど前の経験である。名前は失念したが立川市に、防衛、基地関係を接待場所する専門ビルがあった。表には出てこない。全館がそのように出来上がっている。1階は車寄せ、2階は食事場所、3階はカラオケ、4階は?(想像してください)となっていた。こちらは民間企業同士の慰労会。幹事にどうしてこんな場所選んだのか?と叱責すると、大事なお客さんだと総務に聞いたら、ここを紹介された。後で調べると、防衛庁関係の専門の接待場所であると言う。結果はボケ爺で決済できる金額ではなかった(2階までも)。30年前当時で、3階までで、一人当たり、十ウン万円、最後の4階までであれば、想像ができない。言いたいことは接待にしても、民間の製造業の常識(銀行、損保は、製造業の2倍から3倍と聞いている)と比べて、10倍どころでは済まないほど、かかると言うことである。これは実体験である。しかも、課長クラスで、これであるから、次官ともあれば、ゴルフで、一回、最低30万円は使うでしょう。300回として、それだけで、1億円です。記事は実費を言っているが、実態はそのようなものではないことは経験で分かる。

 それにしても、ご婦人もたいしたもので肝が据わっている。良き伴侶だったようである。一連の騒ぎには、野球帽子をかぶって夫の防衛(ガードマン役)をしていたのだから、立派なものである。エリート夫婦はかくも違うのだ、と。

<読書>

「仇花」諸田玲子 光文社時代小説文庫

守屋夫人のような、物語である。家康、69歳の時の、14歳の側室の出世、と恋の物語である。実話に近い、ミステリーでの仕上げは、諸田でしか作りえない構想で、愉快である。しかも、複雑な人の絡みと人間の生き方の多様性についても言及しているところに、並みの作家ではない。

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2007年11月28日 (水)

「すり合わせ」型の日本

 産業界での日本の得意とするモノに、「モノづくり技術」であるとして、失われた10年を反省して、モノづくり、取り分け、すり合わせ技術に日本の特徴を求めるべきであると、議論されている。今では、誰もが、「モノづくり」のニッポン、と思い込んでいる。

 モノづくりには、大きく分けて、モジュラー型、とすり合わせ型に分けられている。モジュラー型はすっかり、韓国勢に負けてしまっている。これからは中国にも追い上げられるであろう。だから、すり合わせ型に生きる道を求めている。これは全く楽観的すぎる。「すり合わせ」もデジタル化されて、モジュラー型になるからだ。これらは、学者の世間知らずの論法である。学者の中には、「コト作り」に軸足を移せ!と警告している人が居る。少数派であるが、正しい、と思う。

 一方、企業活動に目を移せば、暗黙知の得意な日本があり、もっと暗黙知社会を強化せよ!と言う。本当だろうか?形式知では駄目なのか?形式知はモジュラー型で、暗黙知はすり合わせ型である。

 日本社会は何時までたっても、すり合わせ型である。防衛庁をはじめ、厚労省の薬害にしても、宴席、ゴルフ、などなど、「裏の、闇の根回し」を前提とするコミュニケーション(すり合わせ)を得意として日常活動が行われている。これは、世界では通じない。

 この前提が成り立つのは、「内、同朋、仲間」と言う意識が前提である。そうでない他の世界は受け付けられないし、受け入れない。こんな社会では、多様な人材の活用も出来ない。もっと、モジュラー型の社会構成に馴染むようにならなければならない。インターフェイスをきっちり決めることが苦手な日本人は、訓練をしなければならない。

 何時までも変われなければ、世界から取り残されることは必定である。ボケ爺も大いに反省して、一歩を踏み出して生きたい。

<読書>

「モノづくり幻想が日本経済をダメにする」野口悠紀雄 ダイヤモンド社

変わる世界、変わらぬ日本がある。変わらぬ日本も、懐かしくはあるが、進歩が止まる。企業も、政府も、国民もこの懐かしさに心地よさを感じていると、ニッポンに悲劇がやってくる。「すり合わせ型」が日本を潰す。

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2007年11月27日 (火)

変わらぬ街がある、神田、神保町

 人間ドッグが思いのほか早く終わったので、春日町から、後楽園、水道橋、神保町と歩いてみることにした。水道橋から神保町へは、大学や専門学校が多い。日本大学の経済学部の斜め前に、今もやっている小さな古本屋が残っている。

 ちょうど40年も前になるだろう。第三機動隊の大内隊長(東京オリンピックで重量挙げ、ライトヘビー級で銅メダルを取った人である)、に追っかけられて飛び込んだ古本屋さんである。その節は助かりました。今になって、頭を下げる。大学近代化の大学闘争の始まりの頃であった。この近くで、機動隊に押し込められて、シャッターがつぶれてしまったお店はこのあたりだろうが、どの店であったかは思い出せない。今、謝ることは出来ない。それにしても第三機動隊は強かった。次が、第四機動隊であった。

 神保町交差点で西を望めば、岩波書店が威風堂々と建っている。経済学はその岩波ホールで勉強した。サミエルソンの経済学、上下を読破する会ができて出席をした。6時からの講義であった。この経験は、技術家にとって、企業人になってから役に立ったと思いたい。その時立ち寄ったその周りの古本屋も今も変わりがない。この界隈の古本屋も懐かしい店の名前が立ち並んでいる。時間が無いので、いちいち覗き込むことは出来なかったが、変わらぬ風景に、懐かしく、思い出が一杯吹き出そうになった。

 すずらん通りに足を向けると、そこは多少変わってきている。餃子の元祖と言う店は未だに営業していた。改装していないので、全てが色あせている。洋がらしで、食べる味も思い出す。安くて、美味くて、ボリューム一杯の天ぷら家の「西村」はさすがに無くなって、立派なビルに変わってしまっていた。

 文房堂は今も、画材店としての威厳を整えている。銅版画部材では一番整っている店か。6万円ほどのセットが、今では8万円になっている。40年の歴史では、むしろ、実質値下がり、と思える。隠居生活ではここに通うことが多くなりそうだ。

<読書>

「雨やどり」半村 良 文春文庫

懐かしい、人と人の機微がある。今も人の関係は変わりない。恋の幾重は複雑である。そんな中身を、読ませて泣かせる文体がある。実に巧みである。誰もが一読すべき。

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2007年11月26日 (月)

健康診断でうつ病になる。

 24日の土曜日、都営三田線の春日駅近くの人間ドッグ専門病院に出かけた。大変に行き届いたいい病院ではある。しかし、ボケ爺には、言葉の一つ一つ、気に掛かる。受付からして、丁寧な言葉だけに、「如何ですか?今日は診断大丈夫でしょうか?」大丈夫だから来ているのだ、とむかつく。最初が血圧検査である。「もう一度測りますから良く、心呼吸をしてください。」「リラックスしていないと高くでますよ。」とすでに脅しが入る。生きているのが不思議だと、化石を見るような目つきでは、気の弱いボケ爺は益々、緊張する。

 直ぐに、医師の診断に入る。「高血圧の薬を飲まないと、何時脳溢血で倒れてもおかしくは無いですね。」「前回、腸に異物があると、診断されていますね、精密診断を受けられましたか?」受けていません、と答えると、「ガンの兆候があるのですから、死にたくなかったら診断なさった方がいいですよ。」「振動に雑音があります。以前何か言われましたか?」ハイ、弁膜症と診断されました。「それは何時ですか?」8年前です。「随分、たっていますね。治療はしていなかったのですか?」「直ぐにでも受けて治療しなくては。。。」

 この出足で、鬱になり各所の測定で、首を傾げられる。特に、超音波診断が曲者である。毎回、新しい発見がある。「前回はすい臓がはっきり移らなかったので心配でしたが今回ははっきりと移っています。何か言われるかもしれません。」「腎臓に石があり、これは動いていませんね。」「肝臓にはポリープがあります。前回よりは?」次は、胃の検査、いきなり「胃カメラで調べないのですか?」レントゲンではダメですか、と聞くと「いや、べつに。」「お年ですから、その方がいいと思いますよ」終わってみれば、アー、と言う言葉しか出てこない。会社のために受けておかなくてはならないから受けている。人を殺すには、簡単である。医者が、「あなたは明日にも危ないですよ。」で、人間は完全にうつ病になってしまう。

 さらに高尿酸値のことを持ち出されていると、「生きているのが不思議だ!」とまで言われそうである。

<読書>

「恋ぐるい」諸田玲子 新潮文庫

平賀源内とその下女、野乃、との恋の物語である。才能におぼれていく平賀源内の見つめる、野乃はそれでも一途に、慕い続け、思いを持ち続ける。それを無視しながらも、死に面して、やっと野乃を、狂おしく思い出して、後悔をする。それにしても、諸田玲子と言う作家はすばらしい。

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2007年11月21日 (水)

雪景色

 昨朝に引き続き、今朝もうっすらと雪が積もっている。氷点下、4℃とか、で、すっかり冬景色である。一週間前は、イチョウの黄色で街が明るかったと思ったが、今では、しがみついているイチョウの葉っぱは全く無い。すっかり、冬将軍に持っていかれ、道路にもその痕跡は残っていない。ボケ爺に、何時そんな時が訪れるのか、イチョウの木に聞いてみたい。

 紅葉のもみじは、葉が落ちる前に、雪が積もって、戸惑って、驚いていることだろう。プラタナスですら、まさに朽ちる葉っぱに雪が積もって、落ちるか、しがみ付いていようか、迷っているようで、哀れな姿である。朝日で、歩道は輝いている。凍っていることの証拠で、きっとすべる人が居るだろうと想像する。

 南山の木々の間に見える地面も真っ白である。ホテルの上から眺める街の景色は、そんな雪模様で美しい。プールも水を抜く前に凍り、雪が積もっている。冬支度が忙しくなるだろう。道路はタイヤのあとの模様が、何だか、抽象画(シュールリアリズム)のようで、眺めていて飽きない。

 四季を持つ地域も、2季になってしまったかのような、今日この頃である。人の人生も、何だか、そのようになっているのか?ボケ爺も務めが終われば、それで終わりのような気がして、哀れを感じる。

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2007年11月18日 (日)

飛行機の背中はセクシー!

 437分、ボケ爺の乗った飛行機の前の滑走路の先には、AirDOが居て、滑空を始める。

なかなか飛び立たない。やっと頭を上げた。ほぼ後ろから背中を見たのはこれが始めてである。(横からや、下からはよくあることである。)ピーンと背を反って、頭をもたげている姿は、なかなか、エロチックである。思わず興奮をしてしまった。

 ボケ爺の飛行機は北に飛び立ち、お台場の手前を東に旋回する。西の空の遠くには冨士のシルエットは周りがピンク色で美しい。富士山の麓らしい箱根の山々の上辺りは真っ赤に燃えているような黒と赤の雲の模様が見受けられる。山火事ではないかと、思うほどの驚きと胸騒ぎに出会ってしまった。東の空は、淡いコバルト色で、何層かの雲の間から見える。機首が西を向けたころには、冬独特の雲の上を滑空している。

 その雲の先は、夕焼けで真っ赤に燃えている。何時までも何時までも。全く揺れることも無い静かな滑空である。思わずうつらうつらとしてしまう。そんな時、食事の用意が出来ました、と、起こされてしまって、何かいい夢を見ていたようだったが思い出すことも出来ない。惜しい気分である。

 その点では、昨夜の夢の中で、教訓のような名文を思いついて、起きてメモをしようかと思ったが、こんな名文は忘れもしないだろうと、惰眠を続けた。案の定、見事に忘れてしまっている。その後、何とか思い出そうと、機上でも、このことに集中したが全く思い出せない。偶然に出会うことが発想の元と言うが、思い出せないと元もこうも無い。

 それだけボケた、と言うことだ。ボケ爺らしい、一日であった。

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2007年11月15日 (木)

追突されるが、無事!

 朝から良い天気である。ご来光にはまだ時間がある。前から2両目に並べば、座れるだろう、と思っていた。しかし混んでいて、身動きが窮屈だ。隣の老人が何だかブツブツ言っている。冬場になって何故混むのか、今日は特別か、とよくよく考えてみると、夏場は、527分、つつじヶ丘発、急行、新宿行きであった。今日は、625分、つつじヶ丘発、通勤快速であった。つまり1時間の違いであったことに気が付いた。

 新宿でJR山手線内回りに、飛び乗ろうとしたが、寸前で間に合わなかった。5分待って山手線に乗り、品川で、京急に乗り換えようとした。すでに入電していて、特急、浦賀行きである。小走りで、改札口に急いだ。降りてきた人達をスイスイ避けたのはいいのだが、まさか後ろから、追突されるとは思ってもいなかった。若者である。スニーカーを履いていた。ボケ爺は右には重いカバン、左でポケットのSuicaを取り出そうとした時で、さらにポンと左に避けたときであったと思う。バランスを崩し、改札口に倒れながら滑り込んだ。前の老人にぶつかり、さらに、Suicaをかざすツイタテに顔面制動するほどになった。メガネが壊れると思い、限りなく顔を左に向けた。唇から、顎のかけてぶつける事となり、そこで支えたから、かろうじてブザマな全身の転び姿は避けることが出来た。

ぶつかった老人からは、「なにやってんだ!」と怒鳴りつけられる。追突した若者は、「ボケ爺、もたもたするな!」と毒つかれる。無残にも、特急は出てしまう。次の特急まで、13分も待たなくてはならないはめになった。アー、惨めな気持ち。

気が付けば、首が痛い、唇の回りも痛みがある。顎には痛みが走る。ブザマであり、惨めな思いをした。ボケ爺になっても待つことに抵抗がある。その事が、今回の追突に繋がっているのだろう。待つことに慣れよう。

<読書>

「暴走老人」藤原智美 文芸春秋

「「新」老人は若者より、キレやすい」「待てない、我慢できない、止まらない」現在社会に多量に生み出される孤独な老人たち。<暴走>の裏に隠されているのは?と、帯に書かれている。まさしくその通り、中身はさらに過激であり、刺激的である。老人は読むべし。

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2007年11月12日 (月)

韓国の秋

 韓国の秋は美しい。しかし、今年はいささか異変である。未だに寒さがやってこない。日本よりは寒いが、ハダを刺す寒さはまだやってきていないようだ。何時もの韓国の秋は、取り分け、山もみじの紅葉が美しい。韓国では、もっとも美しい四季は秋であると自慢する。

 それでも、イチョウの黄色が今は盛りで、街を黄色一色に染めている。決して日本のように大木にはならない。岩土がそれを阻んでいるようだ。今宿泊のシンラホテルの裏庭はもみじの紅葉で、絶好調である。それでもいつもより赤さは薄いようだ。西に見えるソールのシンボルの南山はまだ紅葉の山とは言えない未熟な状態である。

 先ほど、ホテルに帰ってきて、ハッピーアワーのサービス夕食をいただいた。結構な料理である。一人寂しい夕食を済ませて、TVをつけて、BSを見ると、ビックショウをやっていた。「みやこ蝶々、おもろうて、ちょっと哀しい」の独演会であった。なかなか渋い。歳を取るとこんな渋さが、魅力的である。ボケ爺もこのような人物になることを夢見ているが、修行が足りない。まだまだ長い道のりである。

 「どんなに哀しい時も笑顔、いつかは、泪も枯れる」は、泪が枯れるまで、泣かないといけない人生がある、と言うことだ。「哀しい時に泣くのは簡単である」など含蓄に富んでいる。「出会いがあって、別れがある」は、人は必ず別れがあるということか。「別れを知って、人を知る」は、そんな哀しい人生でなくては人の気持ちが分からないと言うことであろう。「一期一会が人生だ」歌あり語りあり、苦労の人生、笑いですっ飛ばす、さすがみやこ蝶々。蝶々バンザイである。

 ボケ爺もそんな修行の旅をしなければならない。この歳でも未熟であるからして。親父の晩年の笑顔、その笑顔になれるのは何時の日か。合掌!

<読書>

「笑う警官」佐々木譲 角川春樹事務所

官人の不祥事は許せない。我々の税金の無駄使いは、怒りが増す。取り分け、警察官のやる気の無い生活、さらには裏金不正、勤務怠慢、キャリア、ノンキャリアの摩擦での消耗戦は本当に許せない。だから、こんな、警察暴露本が面白い。面白く無いわけが無い。

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2007年11月10日 (土)

色彩の恵み

 朝の松本は冷え込んでいる。アルプスの山々はまだ雪をかぶっていない。イチョウの黄色が冴えている。昨日までの雲に覆われた日々から一転して太陽の光を浴びている。特急あずさから見える東京都出口の景色は、イチョウが黄色く色づき始めている。小淵沢駅近辺は遅い紅葉の、見ごろ時期であった。ここら当たりは、黄色から深紅の色合いの多彩な色づきに驚く、改めて自然のなす業に感激をする。偶然に出張と言う業務の中で、和むひと時は幸せを感じる。

 圧巻は、真っ白な木の肌の白樺に、真っ赤なつたが絡みついている。白樺自身は黄色く染まっている。なんと言う、自然が織り成す色彩の使い手なのだろう。その周りには、ヒダ、やカエデなどが、協奏し、優美である。そこには、切なさをにじませる色気も漂うと思うのは、狂想のボケ爺だけだろうか。

 人の網膜は、3種の色のセンサーからなっている。そう、人の視界の世界は三原色である。鳥類、爬虫類、昆虫などは、紫外線に強く感じるセンサーがあるという。紫外線で発する文様を感じることで、恋をすることもあり、弱肉強食の世界を生きなければならないこともあるらしい。

 犬や牛などは、二色だそうである。ねずみは一色ではないかと、言われている。なんとつまらない世界で生活をしているのか。同情をしてしまう。しかし、人間の見える三原色は、美意識を覚醒して、想像を巡らせ、混沌と狂ってしまう世界もまた哀れ、と言うことか。ボケ爺は色彩の恵みに狂わんばかりに感謝している。

<読書>

「偶然のチカラ」植島啓司 集英社新書

我々の生活の半分は「愚痴」の中、半分は「知恵」の中、偶然の織り成す世界。わたる世間は嘘ばかり、これなど的を射ている。偶然のごとく「あなたは、かけがいの無い人ですよ」と言ってみよう、直ぐに何かが開けてくる。「人生はもつれてしまった糸巻きで、偶然にしか解きほぐせない」などなど、偶然は「運」なのか、「感」なのか。偶然は難しい。

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2007年11月 8日 (木)

福田、小沢の勝負は決まった!

ハロウィンが終わり、11月に入った途端、クリスマスムードである。数年前は、12月に入ってからがクリスマス商戦だったように、思っていたが、地球温暖化と同じように、季節感をなくしてしまっている。例の京都駅のビルはクリスマスデコレーションで満開であった。

 自然は、まだ紅葉もままならない。一方、柿の実は熟して、傘の柄で、引き寄せて、もぎ取っている家があった。実篤公園の隣の柿は渋柿であるが十分に熟している。干し柿にすると美味しそうである。今に小鳥の餌になってしまう。空き家になってしまって久しい隣は、富有柿の実だけが哀れを誘っている。

 前回の寄稿で、政治が面白くなってきた、目が離せない、狸オヤジどもの戦いに注目をしよう、と呼びかけた後、なんと言う子供じみた小沢の行動で、簡単に決着が付いてしまった。小沢はかなりの悪、狸と思っていたが、単純な子供であったとは、驚いた。知らなかった。

 福田は、小沢の弱みを知り尽くしている。これで、勝負は付いた。小沢のような茶番劇を容認する民主党の政権奪回はありえないだろう。民主党を潰す位の気概が人と思っていたが。考えてみれば、国会の空白は、何ヶ月にもおよび、子供のお遊びでは税金の無駄使いである。その間の不正疑惑が、すっかりすっ飛んでしまって、これもつまらない。国民不在は言い尽くされているが、改めて、税金が高い、と思う。

 狸とは、戦略であるはずである。戦略無き、戦術では、小沢さん、勝てませんよ。お金の面だけが戦略に長けていたのでしょうか?騙された。つまらない世の中ですね。

<読書>

「亡国から再生へ」高杉良 光文社

ボケ爺の好きな経済作家の日本憂国論である。企業の恥部を暴きだす作家として、亡き城山三郎と並ぶ。政治の恥部も、城山以上に暴きだして欲しい。著者は小泉、竹中連合の批判者でもあって、日本売国に警戒も忘れない。とにかく、かくも日本は危機に瀕している。

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2007年11月 3日 (土)

面白くなった福田、小沢の駆け引き

 久しぶりに、政治が面白くなった。と言っても我々の生活の足しになる政策論議は全く前進は無い。その点では、不祥事ばかり、後追いの政策ばかりで、落胆の連続である。小さく縮み上がった組織、人物ばかりである。 これでは経済はよくならない。

 さすがに、福田総理(首相)狸オヤジである。仕掛けが早い。それに、国民の同情を買う、選挙対策に長けている。仕掛けられた小沢民主代表も狸。福田総理にすれば、次の戦況で勝つための戦略のみを、したたかに推し進めているように思える。政策は多分、ほとんどやらないだろう。「したくても出来ないのは、民主党のせい」であるとして、あらゆる対策を講じるだろう。

 さて、民主小沢代表は、その動きは十分に知っているはず。裏をどう描くか?期待して待っている。囲碁の白黒の領地は、解散選挙後、どちらが広くなっているでしょう。建前論のみでの民主党は、完全に福田戦略に負けるであろう。

 物理の世界でも、三体(地球、月、太陽)問題を解くことは難しい。国民、福田、小沢の三体問題である。物理は作用が引力のみである。政治は、感情と言う引力作用素が軸になる。福田はこのことを熟知しているようだ。小沢は、国会内の感情を重視していないか?民主党内の多党首政党の欠点が露呈するであろう。福田はその弱みを側面から攻撃をするだろう。こんな駆け引きで、今の政府を見ると、賭け事の仕掛け、勝負の戦略、戦術に、目が離せない。

 ボケ爺、今まで、政治には全く関心がなかったが、毎日の福田の仕掛けに、興味が湧いてきた。ボケ爺も、そこまで狸にはなれない、のではなく、そこまでの戦略が打ち立てられないのだ。「おぬしも悪よの!」の世界である。

<読書>

「マーケティング戦争」アル・ライズ、ジャック・ラウト 翔泳社

専門書は紹介していないのであるが、これは専門書と言うよりは、商品の浮き沈みの物語である。今の政治の戦争のようで、戦争物語として読む分には、楽しい。福田、小沢のような人が、マーケットの世界にも沢山居る。

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2007年11月 1日 (木)

残すは、あと2ヶ月

 早いもので、今年も残すは後2か月になってしまった。猛暑、残暑がひときわ目立った今年であったが、生物は、確実に季節を刻んでいるようだ。早咲き山茶花が、咲き綻んでいる。多摩川の上空には、鳥が集団滑空を楽しんでいる様子が伺える。優雅な滑空である。

 昨日は、ハロウィンであったそうだ。そう言えば、先週の日曜日、仙川の街に出かけた。クリーニング屋に用事があったことと、何時もの散歩である。愛用のクリーニング屋さんは、日曜の午後は何時も長蛇の列で待ち時間が長い、それでも並ぶのはそれだけの価値があるからだ。価格、納品速度、品質の三拍子が整うからだろう。ビジネスの基本が出来ている。

 この商店街は気が狂ってしまったのか、と思うほど、混み合っている。しかも、子供たちが多い。さらには、ハロウィンの主人公に仮装した姿で。それに親が加わるから、まずは動けない。お菓子を入れる袋は並みの大きさではない。小さな子供は、そのフクロを引きずっている。親たちは、ニコニコ顔で、「これで当分お菓子を買うことはない」と豪語している。何時の間に、日本はこんなに変化してしまっているのか、とボケ爺は驚いた。

 歳を取ったことに、正直にならなければならない、と思った。このことが、下り坂をうまく歩むことに繋げないといけないだろう。登山と同じである。下りをバカにして、力いっぱいはしゃぐと、膝が笑って、取り返しの付かない重病人になる。基本的には老咳なのだ。老醜、老臭をばら撒かないように、気をつけなければならない。

 何事にも笑いが一番である。他人が笑うのではなく、自分自らが笑うことだ。ボケ爺は、次のことを心がけようと思う。老臭には、メンズ用の香水を振り掛ける。老醜に深い帽子が善い。人に接触するには、変人ぶる、変人を喜ぶことだ。他人はそれを噂として楽しんでくれる。どんなに努力しても、必ず逆に取られてしまうので、喋らない、人に接触することを避けて孤独を楽しめるようになることだ。人に接しなければ、災いは寄ってこない。そして、いずれ訪れる死について考えることである。死までに考えなければならないことが沢山ある。それだけで、直ぐに死期を迎える。

 さてさて、ボケ爺、今日から、「ぐれ」てやる。エーすでに「ぐれ」てるって!

<読書>

「大往生」永六輔 岩波新書

一言、面白い。これだけ喋っていてもきっちりと記憶できていることに、まずは驚き。人の話をしっかり聞いていることに驚き。話題が豊富。「人生今が一番若い」はしばし名言。

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