ことばのちから事業
松山市は「ことばのちから事業」推進していると言う。市内の路線電車には投句ポストがあるらしい。今春から、車体の外側に当選句が張り出されているらしい。
一例を挙げると、「伝えなきゃ伝わらない」「ピカソはピカソ、私は私」「「ありがとう」で心がまんまる」「君の速さであるけばいい」など、思わず元気が出てくるように思える。
「まんまるい 地球の隅で ゆがみあい」「道路族 天の川にも 橋をかけ」は、健やか食生活協会会長の「堤恒雄」さん、の川柳である。目がご不自由で、川柳の会員の全員が目に障害がある、と言う。本当の意味で言葉が命である。
「社会保険庁 言葉なくしても なんでもあり」はボケ爺の発句である。「安倍詭弁と 病院へ逃避行 これ常道なり」は字余りすぎで、ごめんなさい。「安倍おどる 御主も悪よの! と黒幕は言い」など、簡単だ。出来栄えを無視すれば、川柳は面白い。
今では川柳専門誌「川柳マガジン」なるものがあるらしい。「大物だ 漫画になれる貌を持つ」「百歳に聞けば薬は止せと言う」これらは句にユーモアがある。まだまだある。「核ボタン押すとき終わる進化論」「いい友を沢山もって茶がうまい」「ケータイを切って高原を謳歌する」などなど。
川柳と、俳句の違いは何か、の議論の結論は、川柳は一義的、俳句は多義的、であると言う。ボケ爺には才能がないのだから、どちらでも良い。
ビジネスの場でも、川柳でも俳句でもいいのだが、そのセンスは必要である。提案書、報告書なるものが、Power-pointで作られるのが、川柳であり、ワードで作られるのが、短編小説である。いずれの力も必要であるが、コトの発想には「Power-point」流、つまり、川柳的センスが必要だ、と常日頃考えている。如何かな?
<読書>
「別れてのちの恋歌」高橋治 新潮社
実に巧い。言葉も、ストーリも。「風の盆恋歌」でも感動したが、祭と恋を絡ませて、田舎言葉を巧みに操る作家は高橋を右にして誰も居ないのではないか。余韻も楽しめる。女心を知り尽くしているようだ。また、近年の高橋治は小説だけではない多彩な活動を続けている。高橋治を読もう。(3冊200円の中の一冊であった)
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