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2007年9月26日 (水)

今日は付いていない、気ままな信号!

 今日は朝から付いていない。自宅からの信号でことごとく赤信号に引っかかってしまった。いつもより10%は余分に時間が掛かってしまった。そのお蔭で、成城のお屋敷の生垣のところに、マンジュシャゲ(彼岸花)が火の炎のような真っ赤な花が咲かせていた。田舎では、家に植えてはならない、摘むのもいけない、「死人のお花」と教えられていた。思わず、新幹線の豊橋駅の手前に小川がある。その土手に咲く彼岸花は炎が舞い上がっていくように見えるほど、土手一面、一杯に咲く季節であることを思い出した。再び見てみたいものだ。

 と言うように、人間は何時も気ままに話が飛んでしまう。経済学は何か?で、哲学者の土屋賢二教授が解説を書かれていた。経済学者と哲学者は、信用を失わない点でよく似ている、と言う。それは「言動に責任」を取らなくてもいい、ところだと言う。

 素人は経済学に不信感を持っているが、不信感を持ちながら経済学に頼っている。株の上がり下がりで、経済学者がもうけた、という人は居ない。それだけ、理論が合わないことを証明している。責任を取らなくてもいいのは、気象予想と同じで、当たらなくても、人々は非難しないほどに頼られていると言うことである。それにしても、言い訳もせず、詭弁を発するのには、よほど人間性を鍛えなくては、普通の神経では生きていけない。経営者トップも然り、詭弁に通じてない人はトップでは務まらない。ボケ爺は理系でよかった、が、理論通り出来なくて謝罪の毎日である。

 経済学が理論学であるとするなら、経済現象が説明できなくてはならない。それに理論なら予測が出来なくてはならない。予測が出来て、初めて理論と言えるのである。

 それにしても、経済は人間の気ままな行動を予測できるだろうか?妻の行動、消費など全く予想できない。今日一日、否、毎日、ボケ爺は頭を垂れて過ごさなければならない。

<読書>

「ソクラテスの口説き方」土屋賢二 文集文庫

土屋論説は何時も愉快だ。皮肉、逆説などふんだんに使われて、心から笑える。それでいて、哲学的である。哲学的とは、哲学かどうか分からないが、人生の存在、時間の概念、など哲学の話題を、論法(否定、否定に否定、逆説、仮説、演繹、帰納、など)と、詭弁で、笑腹、笑拝させてしまう。こんな文章がかけるようになりたい。

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