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2007年9月30日 (日)

犬も歩けば棒に当たる

 ここソールも天気が悪い。毎日どんより曇っている。時々雨の天気である。気温はまだ秋には遠く、少し高めである。この国も、雨と高温で、異常な気候は日本と変わりないようである。ホテルの庭の森の中のイチョウの木は未だ緑がしっかりしている。未だ秋とは言えないながら銀杏が色好き始めている。未だしっかりとしがみついているが、風の悪戯か、我慢が足らなかったのか、少しばかり落ちて踏みつけられている。

 日曜日だけれど、午前中は会議があった。午後から、散歩で体力つくりと街に繰り出してみた。地図を持たず、ふらふらと歩いてみた。いつの間にか、大学通りに来ていた。ソール大学跡で、アートフェスティバルなる催しが行われていた。ポップスの演奏あり、パントマイムがあり、古典音楽の演奏があったが、人盛りは、日本と同じコメディー演劇で、興味があるようである。このあたりは、多くの演劇の小屋が沢山あり、多くの広告の争いである。喫茶、食堂、ファッション、と、日本で言えば、原宿的なところかと思う。

 チョンゲチョン(清渓川)は有名である。高速道路で埋められていたところを元に戻し、散歩道(川を復元して)になっていて、多くの憩いの場となっている。その橋の上では、民族踊りあり、古典音楽ありで、豊作をお祝いしていた。多くの人々が一緒になって騒いでいる。いずこも祭りは楽しいようである。

 森羅ホテルから、東大門は近い。多くのデパートが集まっているし、南大門とよく似た、市場が所狭し、とひしめいている。これで商売が出来るのか、と心配になる。

 まさに、犬も歩けば棒に当たる。では無いが「ボケ爺歩けばけつまずく」、である。

<読書>

「探偵ガリレオ」東野圭吾 文春文庫

短編の推理小説である。ガリレオと名が付いているだけに、犯罪の局面が科学現象のなぞが多くでてくるところが、並みの推理小説ではない。その化学現象を科学的に立証できないと、問題は解決できない。そこが面白い。

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2007年9月27日 (木)

「ネット・アスリート」になろう

 「ネット・アスリートになろう」は有名な脳科学者の「茂木健一郎」氏の呼びかけである。「自分作り」の基本、発想の基本、創造の基本は、「セレンディピティー」(偶然の幸運、或いは、偶然の出会い)を生かすことである、と言う。検索し(出会いを求める)、選択する(何が良いか考える)ことが人格を淘汰する、とも言う。

 最近の検索エンジンは、「検索できないものは無い」とまで言われるほど、知識に埋まっている。ネットサーフィンをしていると、偶然の出会いもあるし、人生が変わる選択も生まれる可能性が高くなっている。出会いは天文学的な数字になってくる。

 ネットサーフィンなくして生きていけない。ほとんどの論文は公開されている(世界中の)。大学の講義の中身すら分かる。さらには、HP或いはBlogで専門分野の議論が出来るようにもなっている。いいBlogは全て英文であるが。

 インターネット上の「経済圏」は検索と選択の補完関係で成り立っているはずである。このような中、人々は一体どのような行動を取るのだろうか?不確定なネット上の情報を選択する脳のメカニズムの解明を「神経経済学」と命名して、人間行動のプロセスを解明する学問に取り組んでいるのが「茂木健一郎」氏である。

 ネットサーフィンにも厳しく効率良く、が求められる。何せ天文学的数字から選択しなければならないからである。ネット検索を最高に使いこなすためには、強い運動選手のように、効率の良いトレーニングが必要である。敏捷で、柔軟な神経を育てる訓練が必要となってきている。そのトレーニングをした人を「ネット・アスリート」と呼ぶ。

 ボケ爺のBlogの読者が増えない。どうしてだ、面白くは無い、の反省はある。読者に感謝している。もっと努力するから、もっと書き込んで欲しい。さらに、読者にお願いがある、読者を増やすために多くの人に呼びかけて欲しい。Google(グーグル)検索で「チャーリーの旅」と入れると、トップに出てくる。

 宜しくお願いします。

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2007年9月26日 (水)

今日は付いていない、気ままな信号!

 今日は朝から付いていない。自宅からの信号でことごとく赤信号に引っかかってしまった。いつもより10%は余分に時間が掛かってしまった。そのお蔭で、成城のお屋敷の生垣のところに、マンジュシャゲ(彼岸花)が火の炎のような真っ赤な花が咲かせていた。田舎では、家に植えてはならない、摘むのもいけない、「死人のお花」と教えられていた。思わず、新幹線の豊橋駅の手前に小川がある。その土手に咲く彼岸花は炎が舞い上がっていくように見えるほど、土手一面、一杯に咲く季節であることを思い出した。再び見てみたいものだ。

 と言うように、人間は何時も気ままに話が飛んでしまう。経済学は何か?で、哲学者の土屋賢二教授が解説を書かれていた。経済学者と哲学者は、信用を失わない点でよく似ている、と言う。それは「言動に責任」を取らなくてもいい、ところだと言う。

 素人は経済学に不信感を持っているが、不信感を持ちながら経済学に頼っている。株の上がり下がりで、経済学者がもうけた、という人は居ない。それだけ、理論が合わないことを証明している。責任を取らなくてもいいのは、気象予想と同じで、当たらなくても、人々は非難しないほどに頼られていると言うことである。それにしても、言い訳もせず、詭弁を発するのには、よほど人間性を鍛えなくては、普通の神経では生きていけない。経営者トップも然り、詭弁に通じてない人はトップでは務まらない。ボケ爺は理系でよかった、が、理論通り出来なくて謝罪の毎日である。

 経済学が理論学であるとするなら、経済現象が説明できなくてはならない。それに理論なら予測が出来なくてはならない。予測が出来て、初めて理論と言えるのである。

 それにしても、経済は人間の気ままな行動を予測できるだろうか?妻の行動、消費など全く予想できない。今日一日、否、毎日、ボケ爺は頭を垂れて過ごさなければならない。

<読書>

「ソクラテスの口説き方」土屋賢二 文集文庫

土屋論説は何時も愉快だ。皮肉、逆説などふんだんに使われて、心から笑える。それでいて、哲学的である。哲学的とは、哲学かどうか分からないが、人生の存在、時間の概念、など哲学の話題を、論法(否定、否定に否定、逆説、仮説、演繹、帰納、など)と、詭弁で、笑腹、笑拝させてしまう。こんな文章がかけるようになりたい。

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2007年9月25日 (火)

時雨のあと

 3時ごろ、大粒の時雨がやってきた。大きな音を立てて、カワラを叩く。あまりの大きな音にちょっと外が気になる。なるほど大きいな雨粒である。まだ咲き残っている百日紅のピンクの花がかわいそうである。

 あっという間に過ぎ去っていったので散歩に出ることにする。実篤公園では、本館の改装工事がそろそろ終りに近づいているようだ。作業用の車に工事用建具を片付けている。再館すれば直ぐに入ってみよう。今から楽しみだ。

 仙川への坂道にある森のテラスには、そよ風によっては雨粒が滴る。裏のテラスでは、2人の中年の男供が陶芸の話をしている。いつもは、案内文が置かれているところに、ベニヤ板に描かれた、赤を基調にした鳥の絵、どうやら、深紅に彩った紅葉の中で、青空を眺めるりりしい雷鳥の姿を描いているようだ。具象画だが、ハッキリと読み取れる。ボケ爺の好きな色使いであり、構図である。奥の方から、マリンバの演奏が始まったようだ。急いで坂を登りきり、表のテラスに回ってみた。子供たちの演奏会のようであった。涼しいそよ風に流れるように、木々の小枝を震わせるように響くマリンバの音色もいつもと違って、一層奥深い共鳴音に聞こえた。

 仙川の街では、灰色のコントラバスのケースを難なく担いでいる背の高い細身の女性が颯爽と歩いている。真っ赤なチェロのケース、黒のケースを持った女性二人組みに出会った。いずれもどこかにぶつけたのであろう傷だらけが経験の年輪を感じて嬉しくなる。バイオリンのケースを背負っている子供たち、マリンバケースを抱えている女学生の一団とすれ違う。こんな文化を感じる仙川は、ボケ爺は大好きである。ボケ爺は古本屋で3200円のハードカバー本を手に入れてニヤ付いている。

<読書>

「人妻魂」嵐山光三郎 マガジンハウス

作家どものお相手をした不倫女性(50人以上)の生き方を集めている。不倫を足がかりとして、作家になった人、育児で子供たちを有名にした人。逆手にとって、優雅に過ごした人。イヤハヤ、女性はたくましい。一般には男性は自殺したりして、早く死んでしまっている。さらには、ほとんどの有名な作家は不倫がお好きなようである。それも、良家の人妻である。

 中村屋のセレブな人妻、相馬黒光。良家のお嬢さんが化ける、与謝野晶子。4回の人妻を経験した、宇野千代。多夫一婦を貫いた、森美千代。などなど。

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2007年9月22日 (土)

奈良にて

 奈良も暑い。京都駅では待ち合わせで、じっとしているだけで、汗が滴り落ちる。痛風のボケ爺は、水補給に忙しい。コーヒー代よりはるかにお金が掛かる。

 厳しい打ち合わせが終わり、ほっとしても汗は止まない。近鉄奈良駅で30分ほどの待ち合わせが出来たので、JR奈良駅までの歩道通りを歩いてみたが、よくもこんなに小店が集まったと思う。小店の競業と共生が、どうしてうまくいくのか、企業競争、協業についてのビジネスモデルとして、よくよく参考にしなければならない。仕組みが分かる人が居たらこっそりと教えてもらいたい。

 近鉄奈良駅の改札口の直ぐ近くには、スターバックスが周りとは不釣合いで頑張っている。不思議な光景であるが、落ち着きを持っている。奈良駅を出発すると直ぐ左側に、平城京跡が見える。多くの観光客が、特に老人クラブの一団は、カメラに収めるのに急がしそうである。

 稲田が続く宇治地域であるが、掛川のように茶畑は見当たらない。きっと東の方角の山の方にあるのだろうか。宇治川は水量豊かである。川くだり船はシーズンが過ぎたのだろう、白く乾いて静かに繋がれている。それに引き換え、鴨川は水量が少ない。

桃山御陵駅前で急に速度が鈍る。このあたりは、この近くの大手の元社長につれてきていただいた酒蔵が多いところである。伏見と言うらしい。駅の近くは御香宮神社を始め、旧家が多く良き時代の昔の情緒が伝わってくる、と言う。

ボケ爺が少しは日本歴史に詳しかったら、奈良から京都までを観察するのだろうが、幸いか、生憎か、その趣味は無い。むしろ京都の新旧混在の不思議に思い巡らす方が面白そうである。

<読書>

「哲学塾;もしもソクラテスに口説かれたら‐愛について・自己について」 土屋賢二 岩波書店

ソクラテスの心身二元の難題に挑む。その意味と、論法の矛盾など、面白く解析している。哲学の基本を教えてくれる。哲学とは、「心」と「身体」のかかわりが全てであるし、ロジックの大切さなどの意味を教えてくれる。

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2007年9月21日 (金)

京都にて

 京都は暑い。昨日は34.5℃である。仕事の話が、全く進まず、早めの散会となってしまった。

 散歩にでた。東本願寺が目の前である。ちょうど参拝時間が過ぎたらしく無常にも閉門している。周りには水郷がある。蓮の花が一輪咲いていた。そのほかは種が実っていた。田舎をしのぶ、裏庭の池には蓮があり、夏休みには沢山お花を見ることが出来た。早朝の露を使っての習字の宿題は6年間続いた。蓮の露で習字を練習すると字がうまくなるとの事であったが、ボケ爺には無縁であった。未だに情けない字を書く。

 その足で、西本願寺まで行ってみることにする。ボケ爺の先祖の菩提はこの西本願寺と言うことだ。お爺さんの分納には来た覚えがある。龍谷大学は2009年で、なんと370年の歴史となるらしい。建物は、なぜか古い西洋館である。本堂とのバランスが微妙である。これが京都と言うことらしい。

 そういえば、京都駅ビルは10年を迎えるらしいが、実にすばらしい建物である。多くの反対があったということであるが(少なくとも京都タワーよりははるかにましである)、こんなに凝った、単純なようで複雑な面を見せる建物も世界中で見ても珍しいと思う。色彩も面白い。きっと後世に残る思い出となると思う。一巡するだけでもたっぷりと時間を見ておかなければならない。内部は驚きの空間で一杯である。

 今日は早朝(6時半)から出かける。朝から暑い。三十三間堂の美しい庭園を横目で眺めながら、智積院を通り、妙法寺を過ぎた頃に大谷廊にぶつかった。どこかで見たことがあると思ったら、数年前に親父の分骨した西本願寺の納骨堂のあるところであった。遠くから手を合わせて、日ごろの不精を謝った。合掌!清水寺まで近道と言う、ちゃわん坂を登っていった。清水焼のギャラリーが沢山ある。やはり陶芸を趣味とすべきかとキョロキョロ目移りをしてしまう。6時半からの開園であり、すでに、小学校の団体が訪れている。寺院内を一巡してくると、次から次に、小学校の団体が押し寄せてきていて、寺院内はにぎやかであった。

 ホテルまでの帰り道にも有名な、八坂塔、高台寺、金比羅宮、建仁寺、渉成園、に出合った。新旧混ぜかえった京都は不思議な町である。やっとホテルである。3時間の散歩コースとなった。

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2007年9月20日 (木)

「世界の電機」へ再編加速

 確かに、日本のもっとも得意と思っていた電機産業が、世界規模で見ると、いつの間にか、ジリ貧となってきている。シエアで見るのがいいのかどうかは疑問を持つが、しかし、規模の世界でもある。利益が稼げない。それでは企業とはいえなくなる。電機業界ではその差が顕著に広がっている。いま再編がすすんでいる。

 ボケ爺は早くからグローバルな視点での対応が必要と言ってきている。商品企画の世界規模での発想、頭脳循環の考え方、などである。一方、日本ならでは、の発想も必要である。金融、文化産業、環境対応産業などの、「都市化社会へのグランドプラン」、と一緒に進行しなければならない。

 グローバルでは世界規模で見ると、格差が広がっている。これはグローバル化の副産物である。その為には、日本がとるべき政策は、上記以外に、エネルギー、と、食料の自給自足である。今以上に、依存率を上げ続けると日本は破綻するだろう。

 幸い、クリーンエネルギーの可能性技術を持っている。風、水、太陽光、バイオマスエネルギーである。風の利用と、バイオマスにさらに、もっと、もっと力を入れなくてはならない。

後は、食料問題である。親父(故人)は「農業が大切な時代が来る」、誰か農業をやってくれる子供か孫は居ないものか、と嘆いていた。その時、ボケ爺は一笑した。食料は、人工の水循環機構、蛍光灯、LEDライトなどの施設で、食物が工場化されて、十分な自給自足は出来るよ、と。魚は養殖で溢れかえる。酪農も工業化されているだろう、との説を唱えたが、益々、輸入依存度が高くなってきている。親父の説が正しかったことになる。

<読書>

「もう一つの日本は可能だ」内橋克人 光文社

著者は早くから、「市場競争原理主義に異論を唱える」「アメリカ一辺倒に反対」の、代表者である。一方的に、市場主義原理を否定は出来ないと思うが、このままでいいかは大いに疑問である。日本としてのグランドプランが欲しい。そんなことから、著者の本の示す警鐘は聴くに値する。「体で働く喜び」を大切にしたいと、言ってもいる。

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2007年9月19日 (水)

複葉の超音速機なんて!

 超音速旅客機(SST)はコンコルドが飛行中止してから久しい。飛行機野郎は、どうしても、音速を超えた飛行機を開発したい。音速を破る時に発生する、衝撃波は耐えられない。幾度も検討されているが、未だ夢の中である。

 それが、東北大、大林茂教授グループが、新しい発想で、衝撃波の騒音を従来の80%も減らすことが出来る、と発表した。それが複葉機である。従来は一枚翼での検討がほとんどであった。そこに、複葉を持ち込んだ新しい発想は全く目から鱗である。飛行機の始まり時代はほとんど複葉であったが。

 以前に騒音を下げるためにステレス型三角翼が良いとされているとは、このブログにも期待を込めて書き込んだことがある。今回の複葉機も、三角翼を基本としているようだ。さらに、翼の先端はくっついているから、カルマン渦の発生は少なくなるであろう、が、十分ではないと思われる。今回の複葉翼の端末処理は、円形状にしたい、とボケ爺は提案する。楕円型の複葉機の発想も、今、アメリカでは盛んに検討されている。参考にされることを望む。さらに、エンジン位置と翼の配置、胴体と翼の配置など一工夫あるといいと思える。

 何はともあれ、日本から、このような発想と、コンセプトが生まれ、提案できることは、嬉しい。モノづくりは、何処がやってもよい。基本のコンセプトが提案できるところに意味がある。最近はやりの「デザイン力」での勝負であり、「シミュレーション力」である。このようなソフトを提案できると、日本国は頼もしい姿となる。

 同じように、防衛庁が開発している、小型無人偵察機は、紙飛行機からの発想で、翼設計などが行われている、と言う。騒音が出ては直ぐに察知される。極小の動力で飛べるには、紙飛行機の発想が必要であったのだろう。こんな発想も将来の飛行機を原点となろう。

 飛行機の部材は、いま日本が半分以上のモノづくりをしている、と言う。炭素繊維の機体をはじめ、厨房、トイレ、タイヤ、センサー、電源、映像音響機器に至るまで、さまざまである。

ボケ爺のやれなかった夢を、誰かがかなえてくれそうだ。

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2007年9月18日 (火)

蚊の生命力

 まだまだ、残暑が続いている。あまりにも暑いので、狭い庭にでも水を撒くと涼しくなるかと思い、水撒きをした。こんなにカラカラになっているのに、やぶ蚊は健在で、格好の獲物だと思い、必要に追っかけてくる。シャツ、パンツの上かも狙ってくる。その挙句、まつわりついて室内までくっついてくる。夜中に活動し始める。一向に眠れない。

 目がさえて耳を澄ますと、熱帯夜でも、秋の虫は子孫保存の法則に則って、優しい音色を響かせている。一晩中、鳴いているように思える。そんなに相手が見つからないのか、と心配をしてあげる。

 一匹のトンボが駆け抜けていった。赤とんぼではなかった。トンボの目に興味がある。単機能の目が束になって、認識しているらしい。どんな認識の世界が待っているのだろうか。まさか人間と同じように見えているわけではない。人間でも姿を、風景を見て、情緒を、危険を認識できることは豊かな生活が出来る。さらに、それを補助できる、映像の認識機構は重要な研究課題である。トンボの目を応用できないか。近接場で、単色で、動くものしか見えないのかもしれない。するとトンボの絵描きは、どんな絵を描けるのだろうか。

<読書>

「蚊が脳梗塞を治す!昆虫能力の驚異」長島孝行 講談社+α新書

蚊は血液を凝集させない物質を持っている。それを応用すれば、人間の血液はサラサラになる。哺乳類で4600種、魚類で2万種、昆虫は100万種、ダニ、蜘蛛をあわせると、なんと90%以上を占める。さらには、人間の15倍以上の体重になる、と言う。昆虫の遺伝子研究も面白いが、昆虫から学ばなければならないことが沢山ある。

 特にカイコのように、たんぱく質の糸を作る昆虫は10万種にもなると言う。これを応用しないことは損害であると言う。今では、犬、猫の薬は、遺伝子操作のカイコから作られていると言う。チャーリーもその恩恵を預かっていたのだと思うと不思議である。

 昆虫は血管が無く、体液で出来ている。別世界のたんぱく質である。これも不思議だし、活用が検討されている。昆虫の歴史の方がはるかに長い、その分、進化しているときことになる。もっともっと研究がすすむことを願う。

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2007年9月17日 (月)

ボケ爺はまだ敬老ではない。

 仙川への坂道に、例の森のテラスの家の木々(ブナ、楢、樫、など)から、どんぐりが沢山落ちている。先週の台風で痛めつけられた結果であろうが、残暑が続いているだけに少し痛ましい。

今日は敬老の日で、祝日らしい。らしい、と言うのは、近年、祝日がありがたいと思うことがなくなっている。その間の過ごし方が分からない。ボーとしている間に時間は過ぎるのだが。定年後の準備をするための試行をしてみようと思うが、気が進まない。無芸大食では終わりたくない。ただでさえバカにされているに、これ以上、バカにされたくない。と言うことを考えるのも、億劫になってきた。

 会社内においても、もういい加減辞めるだろうと露骨に言い合って、部員達は意見に従うことはなくなってきた。益々孤独にのめりこんでいく。意見を聞こうとしないなら、お互い勝手なことを言うことなり、年寄りが頑固になっていくのが分かる。この事は少々謙遜である。本当は、まだ情熱を持って気概を持って、夢を追っかけている。部員達はそれが羨ましくて、反論するらしい。いずれにしても孤独には違いない。

 「バカ」を恐れているわけではない。バカは初めからであり、治しようがない。その自覚も出来ている。「孤独」を恐れているわけではない。生まれつきである。何時も一人ボッチであった。「高血圧」を恐れているわけでもない。生まれつきである。「欲望」を忘却したことを恐れているわけではない。若い時に酷使すぎた。

 何も出来ない年寄りが敬老の日を数回以上も過ごすことを恐れている。

<読書>

「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」 宗像恒次 講談社+α新書

DNA,「科学的」に促されて購入した。さらには、帯には、「画期的遺伝子学」と書かれている。科学者を自認しているからして、買わざるを得なかった。結果は、はずれ。DNAとも、科学とも大きく外れている、と思う。著者は筑波大学の教授である。ボケ爺が誤読しているのか?DNAと言う名を借りた新しい、性格占いであるかもしれない。要は、自分に合わないことをしてはいけない。好き勝手にしていれば、癌にはならない、と言っているようだ。シンプルでいい。

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2007年9月15日 (土)

RNA、常識覆す(でも、日本は出遅れた)

 ゲノム(遺伝情報)、遺伝子の話は良くご存知のはずですが、このところいろんな説が出てきて、次から次に変化が起きています。

 遺伝子はDNARNAの対の螺旋構造で、出来ている。RNA(リボ核酸)RNA(デオキシリボ核酸)のコピー機能で、一種の遺伝情報の書き換え時の保存機能と見られていた。であるから、これまでは、主に遺伝子情報分析はDNAの解析に研究の重点が置かれていた。

 RNAに新しい役割があると分かってきた。その一つが、ガン発生の抑制機能があるという。DNAの遺伝子(情報)からたんぱく質の設計図がRNAに転写されて、たんぱく質が合成される、と言うメカニズムであるが、RNAの中に、たんぱく質の設計図が転写されていない、否、持っていないノンコーディングRNAが無数にあることが分かってきた。「これは何ぞや!」、と言うことになって、この部分に、新大陸発見のように騒がれているらしい。

 マクロ的に、「遺伝子オン、オフ説」などは、案外、RNAの正確な働きから来るものかもしれない。生物は益々複雑になる。1年前の説は、もう古い、と言うことであろう。

 脳の研究でも、1年前の説は直ぐに覆る。特に、みんなの興味の中心の、女性と男性の脳差、或いは能差は10年前の説(差がある、右脳、左脳)など、今では誰も、言うことはなく、益々混迷に時代になっている。毎日が変化である。

 ボケ爺、技術面から、RNAの解明の分析器が作れないか、興味が湧いてきた。夢を見たい。アメリカでは、「RNA干渉薬」なるものができていると言う。すでに日本は後れを取ってしまっていると言うことか?

<読書>

「挑戦 外資()」高杉良 小学館

外資の経営手法を解析しながら、海外の人間マネージメント、日本流、など織り交ぜた展開など、ダイナミックである。高杉作品には何時も英雄が居る。若者のモチベーションを高めるための作品集でもある。日本経済界の応援歌を提供してくれている。

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2007年9月13日 (木)

石油代替エネルギーの未来

 安倍総理の辞任劇、今になって、と言う思いはゆがめない。無能な代替は何処にでも転がっている。その無責任さは経済界でも、企業の人事でも同じことである。無能の根源は、近年思うに、「目的と手段の混同」がはなはだしい、否、区別が分かっていないからだと思っている。

 政治、経済の混迷の連日の記事に混じって、急激に、石油代替エネルギーの記事が賑わっている。「雑草からポリプロピレン」、「バイオ燃料は、日本は稲から」「CO²からプラスティック(ポリプロピレン、ポリエチレン)」いずれも対環境に優しいと言うことである。

 以前にも言及したが、将来の日本産業の特徴を「モノつくり」など言わないで、エコ産業の創出として、世界の先端を行くべきである。そこへの投資に重点配分をするべきであろう。バイオ(微生物を遺伝子組み換えで)で出遅れた分、代替エネルギーに絞って、活用すべきだし、昔からの酵素技術など復活させて、技術の加速を図ることが、夢を起こす。

 もし、雑草から、稲からアルコールが効率よく作れるならば、早く成長する雑草、稲をおもバイオ操作で活用が出来、荒れた休耕地がよみがえってくる。そこに緑が増えて、里山がよみがえり、さらに良い循環が生まれることは、誰にも理解できる。代替エネルギーと言う、「手段」ではなく、壮大な自然を守ると言う「目的」に、総合技術の結集を図るべきである。そんな夢「目的」を語りたい。

 もちろん、遺伝子操作が行われるので、生物、きわめて昆虫類の環境の変化は起こるであろう。注意深く、見守っていかなければならない。トウモロコシ、サトウキビでは出遅れているが、挽回の余地は、必ずやある。科学家、技術家に頑張ってもらいたい。

 ボケ爺、草葉の陰から応援をする。

<読書>

「挑戦、巨大外資()」高杉良 小学館

若い企業の人間のドロドロな世界が良く描かれている。人事抗争は何処でもある話で、企業小説の中心テーゼである。特に外資系は、もっと違ったことがある。高杉は何時も、英雄を作る。それによって、読書後に、読者に勇気を与えてくれる。まだ上巻である。後半の波乱に期待したい。

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2007年9月11日 (火)

国分寺崖線について

 ボケ爺の家から東を見上げると、小高い丘になっている。そこに仙川町がある。実篤公園はその丘陵の中腹から谷間まで続いている。散歩道の森のテラスもその横にある。仙川の町の東側からは、新宿の街が下に見える。西からは、立川が下に見える。東京都のもっとも高い位置に属する。

 この丘陵は国分寺崖線といって、国分寺あたりから小金井、深大寺、仙川、成城、二子玉川、等々力あたりまで続いていると言う。その西側には野川と言う川が、流れ、二子玉川で多摩川に合流する。野川はチャーリーの散歩道であった。久しぶりに歩いてみたが、未だ多くの水鳥が騒いでいた。まだ赤とんぼは見ることが出来なかった。夕方には、こうもりが飛んでいるところに出くわすこともある。

 世田谷区、成城の近辺に至ると、グーッと情景が田舎くさくなってくる。このあたりを「きしべの路」と読んでいて、湧き水、林など豊かな自然が残っている。成城の駅のほうに登っていく坂道は森となっていて、涼感をそそる。「明神の森」と呼ばれていて、途中には「みつ池」がある。

 崖線は一種の断層だろうと思う。その断層には豊かな湧き水が滲みだすのだろう、大木の森となって、自然を豊かにしてくれている。一方、地震が来ると、どうなるのだろうかとも心配もある。今は大木に囲まれた自然に感謝している。

 チャーリーが居ない中、ほとんど忘れてしまっていた、散歩道である。

<読書>

「ビター・ブラッド」雫井脩介 幻冬舎

情緒的な推理小説である。刑事モノではあるが、その凄みは無い。情緒的であるが、ストーリーはこみいっている。雫井の作品は今回が初めてだが、一味違う推理小説に仕上がっている。

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2007年9月10日 (月)

残炎、お見舞い申し上げます。

 この土曜日、日曜日は残暑を通り越して、残炎がぴったり当てはまる日々であった。しかしながら、二日とも、夕焼けに、富士山のシルエットが丹沢の峰の上にくっきりと映っていた。土曜日はオフィスの窓から、日曜日は仙川の高台から。その現象は空気が澄んできたことになる。

 実篤公園、森のテラスの大木にはツクツクホウシが朝夕鳴き誇っている。百日紅の花と、芙蓉の花は、長い夏を咲き続けてきたが、そろそろ散り始めている。いつもの年より長く咲いて、少々疲れ気味であろう。

 ボケ爺も夏ばてが出てきている。以前にも紹介した仙川湯の里温泉に出かけることにした。ボケ爺の家から歩いて15分ぐらいである。チャーリーの散歩道にある。出来た当時と代わらない650円(土、日曜料金)である。駐車場は満杯で、10台も並んでいる。

 いろんなジャグジーで体をほぐす。三回ほど出たり入ったりであった。足の裏のジャグジーが良く効く感じである。サウナには15分ほど二回、脂汗が吹き出て、毒素が取り除かれている感じである。露天風呂から、空を見上げると、鰯雲が出ている。空には秋の気配が押し寄せている。畳のベッドが行かれているが、5人ほど、昼寝で、待っていても空きそうに無い。年齢はすぐに分かる。お腹の出具合と、お尻の垂れ具合で、判別が出来る。この時期、ツートンカラーが目立つ。一時間ちょっとである。ロビーでは、少々揉め事が起きている。それは、家族で来ている人も多い、総じて、ご婦人どもが遅い、亭主はそれをなじっている。

 ボケ爺、久しぶりにすっきりした。疲れが取れた感じである。お風呂、サウナがこんなに効果があるとは、一週間に一度は来てみるか、と考えたが。

<読書>

「霧の果て」藤沢周平 文春文庫

神谷玄次郎捕り物控え、と言う副題のごとく、探偵モノである。探偵モノでは、池波正太郎の方が面白い。単純でスピード感が違う。周平は、ゆっくりと展開される。それだけ、奥が深いということになるが、少々、かったるい。仕込みは複雑でこみいっている。周平らしい作品である。

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2007年9月 5日 (水)

怒る気力をなくしたか?

 社会保険庁員が、着服?その回答が、「特定する時間がもったいない。」舛添厚生大臣も、「場合によっては、刑事告発も」いずれにしても考えられない発言である。本人も本人なら、大臣も大臣。ようは横領であるから、直ぐに「刑事告発事件」としなければならないはずである。叩けば、3億円の10倍は出てくるだろう。

 公務員だから、と言うわけではないが、公務員天下り先の特殊法人の不正事件は後を絶たない。しかしそれらが刑事告訴されない、事が不思議である。民間だと即、書類差し押さえに入るはずである。なぜ、告発に入れないのか?

政府はまた、沢山の特定団体、特殊法人を作ったものである。ここで消費されている税金、横領されているお金を合わせれば、消費税1%以上に相当するロスを生んでいる。日本人は何故怒らないのだろうか?

政治家は、選挙に、人脈に、お金がいる。ROIから考えると、お金集めに奔放しなければ採算が合わない。2万円や3万円の記載ミスで、辞めていく役員も居れば、ウン億円の裏金作りをしている政治家がのさばっている、現状もある。

お金に汚い社会に慣れて、怒らない国民も同罪と言うべきか?

そう言えば、大学生も大人しくなってしまっている。昔なら、憲法問題の「自衛隊の海外派遣」で国会デモが繰り返されるはずであるが、何処吹く風の様子である。無関心が、もっとも、楽な生き方なのだろうか?

ともあれ、怒る気力をなくした日本に、政治だけでなく、経済についても発展の望みは無くなる。ボケ爺は悩む。

<読書>

「芥川龍之介」戸部原文三監修、小石川文学研究会編 KKロングセラーズ

今、芥川龍之介ブームだそうである。ひそかに読み直されているという。ボケ爺も昔から、「侏儒の言葉」では慰められている。多くの短編の中に、生きる時の清貧の思想がにじませてある。今の社会だから読み、味わう意味がある、と思う。

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2007年9月 4日 (火)

ボケ爺の体は欠陥品?

 ボケ爺の体が欠陥品だと分かったのが、今から10年ほど前である。先天的なモノである。前回、暴露したように、後天的には、環境ホルモン失調者(汚染者)である。

 そこから類推するには、いろんな生物としてのなぞが解けてくる。生まれたときは、色が白い子供として、喜ばれたのである。髪の毛はブラウン、眼()もブラウン、顔はお袋に似て可愛い。最高の条件であった。父親が違う、といじめられたこと、外人の血が混じっているとも言われてはいじめられた。小学校4年生ごろから、黄色人種へ、醜男へと、父親の遺伝子の方に、オンしてしまった。つまり、ダイナミック・ノックアウトしてしまって、今日のブオトコに至っている。

 左心室肥大、スポーツ心臓とも言う、つまり、弁膜症であった。血液の送りが悪かったので、色が白かっただけであった。それを両親は、勘違いをして、弁膜症をほったらかしてしまった。今までは、そのため、不都合が出たわけではない。運動能力(才能ではなく体力)は結構在る方である。病院のベッドに寝た事は無い。かぜ、熱にも強い。しかし、血液の循環の悪さの欠陥は、脳に来ている。早く言えば血の巡りの悪いバカになった。正確には不都合があった訳だ。

 弁膜症は、DNAの書き間違いなのか、正確に遺伝したのかは、父親が死んでしまったので、今になっては分からない。生物であるボケ爺の体は、その欠陥を補うように、体内活動をしているようだ。血液の送り出し効率が落ちる訳だから、ポンプは良く働く。だから左心室は肥大する。しかも高血圧でなくてはならない。血液の流動性をよくするために、血液を薄くしている。つまり、通常より、比重が低い。生物はこのように、DNAの書き間違いで何かが壊れていても、適合していくものであるらしい。これを「動的平衡」があるという。しかし、胚細胞、つまりES細胞に欠陥があると、(弁膜症はこのES細胞に欠陥があったかも知れない。)これは、おかしなことになるようである。この細胞は、繁殖の時間を制御しているらしい。モテル人のシンメトリー説はこの細胞で決まる、とは大昔のBlogで伝授したことがある。

 今から思えば、親父の遺伝子にダイナミック・ノックアウトせず、お袋の遺伝子のままで居たかった。お袋さんよ!

<読書>

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一 講談社現代新書

この内容と同じことは、以前にこのブログで紹介した。だから、特には読む必要は無かった。しかし、こんなな硬い本がベストセラーになるので、好奇心から読んでみた。一言、すばらしい。文章がうまい。構成もうまい。著者は天才である。ミステリー本?科学解説書?歴史小説?ファンタジー物?文芸書である。全てを兼ね備えている。

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2007年9月 3日 (月)

秋を知る機能は?

 金浦空港では赤とんぼが見られた。上空の雲は三層、四層の複雑な構造となっている。いたるところに、未だ入道雲が威張っている。房総半島を上空から眺めると、田んぼは黄色く色付いている。稲の収穫時期であろう。

実篤公園から森のテラスでは、ツクツクホウシが「過ぎ行く夏は哀しき」と泣き叫ぶ。その近くの庭には、コスモスの花が咲き乱れている。夜には、いつの間にか、美しいとはいえないが虫の音の合奏が耳を澄ませば聞こえてくるようになってきた。

 これらの生物は、どのようにして秋を知るのであろうか?残炎未だ去らず、のこの時期に。人間の体内時計は大局的な季節感は感じ無い様だ。生物が織り成す変化を感じて、季節感を味わっているのではないだろうか?そんな生物と営みを一緒に出来て感謝しなければならない。人間らしさを磨きたい。

 日の出はすっかり遅くなって、ここ東京では、5時台に突入している。夕刻は6時半では暗くなり始めている。いつの間にか、夏至から2ヶ月以上になる。取り分け今年は、暑さが後半にやってきたので、未だ夏盛りと、体調は警戒している。ボケ爺の体調も少し変調をきたし始めている。クワバラクワバラ。鈍感に勤め、緊張を少なくして、秋の夜長を良く寝ることにしよう。

<読書> 

「秘花」瀬戸内寂聴 新潮社

久しぶりの小説である。それも人物歴史モノである。帯には「85歳の命を注ぎ込んだ大作!」となっている。難解である。複雑な構成で、目が回ってしまった。良く調べてあるが、世阿弥の偉大さが十分に表現できていない。その人物を通して、何が主題で、作者はどんなことを主張したかったのか?分からないままである。残念。

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