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2007年8月27日 (月)

世界陸上大阪はウインブルドン効果?

 熱帯夜は続くけれど、夜明けは確実に遅くなっている。多少、東の空はくすんでいたが、そのお蔭もあって、ご来光の太陽は真っ赤で真ん円であった。今日一日も暑くなりそうである。

 昨日、世界陸上大阪を見ていて、ふと、これは「ウインブルドン効果」になりうるか?と考えた。イギリスの経済の回復の大きな政策は、3点が上げられる。1)公営を民営にして大幅な規制を排除した。2)ロンドン市を金融の都市国家に仕上げた。3)テニスで、ゴルフで、(特に、英国人が強く、ヒーローが居るとか、得意なスポーツではない)海外からの観光客を呼び寄せる。(これを、最近の経済用語では、ウインブルドン効果、と言う)である。GDPでは日本を追い越してしまった。サッチャー元首相は偉大であった。安倍政権では期待できない。

 世界陸上大阪は、そんな意味で、ウインブルドン効果が発揮できているか?と疑問になった。1)映像チャンネルが独占されてしまっている。2)海外選手は沢山来てくれているが、海外見物者がほとんど居ない。3)日程が忙しすぎる。何でもかんでも入れ込みすぎ。などで、とてもウインブルドン効果には結びつかない。

 主催者側も、島国根性から脱皮できていないのではないか?日本人の見物者で会場が埋まればいいや、放送独占で、TV局は自己満足でいいや。これでは、経済効果は生まれない。世界が注目するように、全世界に発信できる、特長のある競技大会に盛り上げなくてならない。結果、世界中から見物客を呼び込むことである。

競技内容を絞ってゆったりと見物できるようにするとか、競技の前に、練習時間を2週間ほど出来るように施設を開放するとか?それも見学ルートに組み込む。京都、奈良の観光見学セットを組み合わせる、花火競演をセットにするとか。「ロック大阪」で、昼間を盛り上がらせるとか。海外の観光客誘致に、もっと、もっと力を入れる必要がある。そんな熱い夏の「大阪効果」の成功に期待する。ウインブルドンテニス大会を学んで、経済効果の最大化を研究して欲しいと思った。

<読書>

「明智左馬助の恋」加藤廣 日本経済新聞社

信長の「本能寺の変」を、信長からの見方、競争者(秀吉)からの見方、そして部下からの見方、という、三方からの見方の発想は面白い。本著はその最終章である。サラリーマン生活をしていると、人の噂で、翻弄させられることが日常茶飯事である。その噂は、立場によって、まったく違って解釈されるし、それを狙って操作もされる。だから、二方、三方からの立証なくして真意は分からない。さすがに、サラリーマンを全うしてからの作品だけに、会話のやり取りに迫力がある。

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2007年8月25日 (土)

ボケ爺は環境汚染患者?

 久しぶりに、新幹線こだまに乗った。ひかりが増えて、こだまは追い越されながら必死に進んでいく。その辛抱に付き合うことになった。例により、乗ってしばらくは、安眠に入る。気が付けば、静岡駅の手前である。沿線の変化は見られなかった。

 静岡を過ぎると、茶畑が続く。機械で摘むのだろう、形の良い並びが続いている。その奥に、「嬬ごえ」なる看板がある。ここがヤマハの音楽公演を中心とした遊園地である。なるほど、先日構想した、「楽器モノづくり大学」には最適で、環境の良いところであると、一人悦に入っていた。

 掛川を過ぎると今度は、稲の田園風景が続く。最後の水張りの時期のようである。もう少しで、新米が取れるだろう。この田園を見ていて、久しぶりに田舎を思い出した。田舎のわが家も昔は稲を作っていた。7反から8反はあったであろう。中学、高校の夏休みの、ボケ爺の田んぼの世話の分担は、害虫駆除の薬を散布ことであった。

 当時の薬の名前は「ホリドール」と言っていたと思う。「水銀と鉛」を中心に使っていた。所謂は環境汚染物質であった(高校卒業した年の夏からは発売が中止された)。30Kgほどのガソリンエンジンを背負って、その薬を散布する。一様、始めはタオルで口と鼻をマスクする。しかし炎天下、そんなものは何の役にも立たない。マスクなど気の利いたものはその頃売っていない。途中からは、粉末の防御など出来る状態ではない。ハーハーと、激しい息づかいを沈めるのが精一杯であった。田んぼの水は炎天下で熱せられ、生暖かいというよりは風呂の温度ぐらいである。それが、藻を育てて、ヌルヌルとすべり足が取られ何度か転ぶ。全田んぼを散布終えるには、一日仕事であった。その間たっぷりと、ホリドールなる環境汚染物を吸い込む訳である。口の近く、鼻の穴、まつげ、まつげ、髪の毛は極薄いピンク色に染まっていた。ひと夏に、2回、6年間欠かさず、環境汚染に漬かってきていた。水銀中毒、鉛中毒患者並みの体になってしまっているだろう。ボケ爺の頭が狂っているのも、身体の動きが鈍いのも、親孝行のせいである。こんな環境汚染患者は何時まで生きられるのやら。ボケ爺はそんな体の欠陥に、感謝している。

<読書>

「米原真里の「愛の法則」」米原真里 集英社新書

題名と中身がこんなに違っているとは!ロシア語の同時通訳者の米原真里は先日世を去られた。この本は、講演の内容をまとめたものであるらしい。なかなか辛らつな内容がいい。ガン闘病を45年続けられていた。その間文筆活動は病に対する絶望感を凌駕するべきギリギリで戦ってこられた。その分、講演内容、エッセイ書には味がある。

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2007年8月24日 (金)

チャイコフスキー国際コンクール、バイオリン製作部門

 今年の6月に開催された、チャイコフスキー国際コンクールで、バイオリン部門で神尾真由子さんが優勝したことは、多く報道されて、喜びに沸いていた様子を知っている人も多いことと思う。その時に、楽器製作部門で、コンクールがあったらしい。バイオリンの部門で、1位(ゴールド)で菊田浩、2位(シルバー)で高橋明が獲得した、という、小さなニュースを見た。日本の職人気質がここまでの力を発揮したのかと喜んでいる。話によると、これ以外のコンクールにも優勝しているらしい。

 日本で、日本人がここまで世界で通用する楽器の製作で、力を付けているとは思っても居なかった。何時までもストラディバリでもないのか、と感慨にふけった。よく読むと、いずれの方も、イタリアに在住されていると言う。つまり、職能流出なのだ。否、修行と言うことであるらしい。出来るだけ早く帰ってきて、これからは日本から、発信して言って欲しい。その為には日本に受け皿がなくてはいけない。さらに、楽器作りで、多くの人が、修行にイタリアを始め、他国にも出て行って日本の楽器製作技能を向上させて欲しい。

 例えば、ヤマハなどの本拠地の浜松市に「楽器モノづくり大学」を作り、バイオリンを始め、手作り楽器のメッカとして、「都市国家」を形成して欲しい。その時は、修行を終えた人々が帰国して、技能の継承を続けると共に、海外のベテランを受け入れて、交流を盛んにするなど、国の後押しが必要である。

 奏でるばかりでなく、裏方の「グローバル政策」も必要である。奏でるに併せ、楽器製作もクラッシックの発信は日本から、と、イタリア、フランス、ドイツと競いたい。「音楽芸術の大国日本」をつくりあげる構想に夢が膨らむ。このようなモノづくりは、大歓迎である。付加価値が高い。

 ボケ爺の近くにも2軒ほどの、バイオリン工房がある。桐朋学園があるからだろう。そういえば、浜松市でなくて、都市国家は調布市でも良いかも知れない。

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2007年8月23日 (木)

高校生日韓英語対決、日本大敗

 ネットニュースを見ていたら、日韓の高校1年生で、067月から071月に行った英語コミュニケーション能力テスト「GTEC for Student」を、日本では10校、韓国では5校で実施、比較の結果が公表されていた。読解、聞き取りでは大幅に日本は負けていた、と言う。

 日常生活での英語との接し方も比較されていた。「教科書以外で、英語の本を読む」では、韓国は76%、日本は27%。「テレビ、ラジオで英語のニュースを聞く」では、韓国は61%、日本は27%。「英語で書かれたホームパージ、ブログを読む」では、韓国は79%、日本は21%。英語への接触度が、日本は韓国の4分の1程度であることが分かる。

 昨年暮れに、仕事仲間の韓国の家族5人が日本に来るということで、一緒に食事をすることにした。お父さん、つまり仕事仲間は日本語が良く出来るので、なんとも思っていなかったが、お会いして、話を始めたら、奥さん、他子供3人は、初めての海外旅行で、全く日本語が出来ない。当然、ボケ爺は韓国語が出来ない。お父さんが翻訳していたが、手間取って、面白くない。思い切って、英語で話をし始めると、なんと、子供3人とも英語が話せる。長女は大学二年生、化学を専攻している。英語の発音はすばらしい。次女は高校生、大学での専攻希望は、ジャーナリストかデザイナーであると言う。最もおしゃべり、ゆっくりとしているがしっかりした構文での会話が印象的である。長男は中学生。恥ずかしがりやで、初めは無口であったが、しっかりした英会話が出来ることがわかった。別れ際では、長男が、家族を代表して、お礼の挨拶、(儒教の教え、家族全員はキリシタン)当然英語である。すばらしい家族、ブラボー!ボケ爺の英語が理解できるとは、かなりの能力である。

 と言うように、英語を聞き、話せる、は韓国の中上流の人々は当たり前であると言う。英語の先生はほとんどが英語圏から来ているとも言っていた。日本と比べて、心がけが違う。

 ボケ爺の世代は、どうでもいいが、これからの日本を背負って立つ若者への教育はこのままでは、いけないことだけは理解できる。

<読書>

「伝える力」池上彰 PHPビジネス新書

伝えること、伝わることの難しさに悩んでいるので、多くを期待しないで買ってみたが、その通りであった。円滑なコミュニケーションの項では、ボケ爺と全く逆の内容であった。だから伝わらない?

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2007年8月22日 (水)

日本のエコカー、ドイツで快走

 この暑さをどう過ごすかが、問題である。面白いことに気がついた。猛暑の朝、犬の散歩姿を良く見かけるが、良く注意して観察をしていると、イヤイヤ散歩に連れ出されている犬は、主人の後を引っ張られるように歩き、大きく下を垂らしている。井戸端会議が始まると、どちらも、四足を掘り出して、顎からお腹までを地面に付けてひたすら、動かない。また、暑さで余ほど辛いのだろう、地面に伏せてしまって、主人がいくら引っ張っても、テコでも動かない。小さい犬なら抱き上げればいいのだが、大型犬は、大変だ。綱を引っ張り、引っ張り、主人は汗を噴出して、犬にお願いしている姿は滑稽としか表現できない。こんなとき省エネで過ごす方法は無いものだろうか。さらに、チャーリーと過ごした夏を思い出す。合掌!

 そんな中、新聞に、表記の記事が載っていた。ドイツはディーゼルカーが45%以上になってきた、と言うことを聞いていた。ドイツ交通クラブが15日発表した「環境対応ランキング」で、ホンダのシビックのハイブリッドカーが二年連続で首位になった。上位10位に、日本車は7種が選ばれた。ドイツ車は、VWのポロだけであった、と言う。

 トヨタのプリウスは2位だと言う。どんな基準で選択されたかは、良く勉強していないので分からないが、ドイツで、ディーゼル式をハイブリッド式が勝つ、と言う面白い結果であることには変わりがない。益々激しくなる、エコカーの方式争いに目が離せない。

 ホンダの作戦が正しいと思う。つまり、タウンカーの小型車は、ハイブリッドカー、長距離、高速向きの中大型機は、クリーンディーゼルカーとする。何時になっても、ホンダはコンセプトつくりが上手いし公にもする。コンセプトは明確な戦略の宣言となって、人々に夢を見せてくれる。しかもトップで技術が先行するから痛快である。

 ボケ爺は幾つになっても、本田宗一郎の思想が好きだ。もっともっと、勉強しなければならない、と思っている。

<読書>

「新ホンダ哲学7+1」青野豊作 東洋経済新聞社

特に変わった、新事実はない。現福田威夫社長を中心として書かれている。特に本田宗一郎の哲学のDNAを強く受けているようだ。良くまとまっている。

「「ひらめき」の設計図」久米是志 小学館

三代目の社長であり、F1レースを制覇した人でもある。また、空冷式から、水冷式に方向転換するために、本田宗一郎と喧嘩した人でも有名である。四輪者開発の先駆者でもある。夢枕獏との対談は面白い。

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2007年8月21日 (火)

イノベーションはデザインからが合言葉

 デザイン先行の発想は昔からあった。ここ10年来、言われ続けているが、工業製品ではなかなか上手く機能していなかった。携帯電話、iPod以来、特に、騒がれている。

 発想する会社、「デザイン・ファーム、IDEO」(アメリカ、カリフォルニア)は有名である。この企業ではデザインを受注するだけでなく、デザインから商品の発想を促すコンサルティング業で、今は忙しいらしい。

 当然、一昔まえは、科学の芽、シーズをベースに、商品開発に結びつけるマネージメントが話題であった。それがMOT(技術経営)と言われて、デスバレイ(死の谷)(科学から技術へ)をどのように乗り切るか?ダーウィンの海(事業化)をどのように泳ぎきるか?の手法が議論されてきた。

 今や、逆にマネージメントすべきだと言うのは、IDEOのトム・ケリーである。顧客、マーケッティングからシーズへとさかのぼるマネージメントの時代であると言う。決して新しい発想ではない。この逆発想は昔から言われていたが、なかなか実現できなかった。演繹法から、帰納法に変換しなければない。これはむしろ技術家に向いているはずであるが。

 シャーパーイメージ(カリフォルニア)と言うデザイン家電販売店がある。通常に売られている家電製品をデザインで工夫をして一味違う製品に仕上げて販売している。結構人気があるようだ。

 ボケ爺は、これからは、MOTManagement of Technology)ではなく、MODManagement of Design)と言うことで、イノベーション発想学をまとめることにする。これとて、もう遅いか?次の発想が必要だ。発想できる前に、発狂しそうだよ、誰か助けてくれ!

<読書>

「イノベーションの発想」トム・ケリー 早川書房

発想する会社を作るためには、10人十色、それぞれの役割を持った人が集まらないといけないと言う。それらのバランスが大切である、とも言う。その役割の名前の付け方が、また、ユニークである。基本は、「情報収集」、「モデルを作る」、「刺激的に編集する」、の三ステップである、とまとめられている。

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2007年8月20日 (月)

残暑のあるひと時

 残暑厳しい中、何時もの散歩の時間なので、出かける。森のテラスがある坂を登っていると、蝉の死骸にアリが群がっている。そこら一面に、蝉のわずか1週間から10日ほどの一生を終えた、悲しい世界が散らばっている。アリにとっては、今が、もっとも稼ぎ時である。それにしても、なんとも、アリの多さかな。

 森のテラスの住人か、雇い人か分からないが、作務衣姿の若者から「暑いですね」と声を掛けられる。「今年はどうでしたか」と聞くと、「このように暑いと、誰も利用してくれません」との返事であった。そうかもしれない。音楽の音色も聞こえてこない。それに代わって、アブラゼミの鳴声に混じって、ツクツクホウシの鳴声が聞こえてくる。この鳴声は、夏の終わりを告げる鳴声である。今年は、真夏の蝉との競演となってしまっている。どちらの季節感が正しいのだろうか。

 世田谷区はまだ集団のゴミだしが行われている。誰かが間違えて置いたゴミ袋をカラスが破り、中の餌をあさっている。そこに、珍しくはとがやってきて、すばやく、食パンを取って逃げた。当然、カラスは怒って、追いかけていったが、ここはどうした訳か、はとは上手く逃げた。というよりは、カラスは残りの袋の中が気になるらしい。何時の時代も、どの世界にも、欲張りと者と、漁夫の利を狙っている者が居る。

 灼熱の太陽に逆らうような深紅のカンナの花が、集団で勇ましく咲き誇っている姿は、なんともたくましい美しさがある。黄色いカンナの花もいいが、この深紅色は意味深い、心のヒダが見えてくる。一層の情熱を感じることからは免れられない。そんな姿を観ながら、ボケ爺はタオルで汗を拭く。灼熱に騒音がかき消され、蝉の鳴声しか聞こえない残暑の散歩を愉しんだ。

<読書>

「武家用心集」乙川優三郎 集英社文庫

武家社会のしきたりの条件の中で、人はどんな生き方をすればいいか。「用心」とは「必要な心の用い方」というらしい。8編の短編集であるが、各編の終わりには泪が待っている。「人生の宿命」への心の処し方を、繊細に描く作家はこの乙川以外には居ないのではないか。乙川の小説は、思想ではない、倫理感でもない。過去の人物の偶像でもない。心底に潜む、心の変化、感情、情緒とも言えばいいのか、それを憎らしいぐらい巧みな日本語に表現する。結果、遅読となってしまう。

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2007年8月18日 (土)

だんだん解ってきた、創造力のある人

 朝から曇って、幾分過ごしやすい。我が家の温度計は相変わらず高く29℃を指している。小鳥も、蝉も一休みのようだ。今頃に勢いのいい向日葵も幾分元気がなさそうである。

 テレビニュースや、新聞などに、子供(小学生)の夏休みの過ごし方に変化がでてきていると言う。ホテルで働く体験をしてみたり、小売店で働いてみたり、家畜の世話の体験など、働く体験が増えているようだ。他には、株式取引上の見学とか、築地市場の見学だとかの大人の働く場面を見せると喜ぶとか言っている。

 とんでもない教育をしていると思う。子供の時代は、自然の生物の不思議さに触れさせるとか(ウニの生態など1週間で理解できる)、自然(海辺で、川面で、森林で)で遊ばして、小道具を作らせて見るとか、子供通しで、遊びの場面を作る(遊び方を考えさせる)とか、大人が関与しない世界で、体験できる遊びの場面を多く作ることではないのか?子供の時から働くとは何か、社会の仕組みなど知る必要は全くない。

 科学技術の仕事に携わってきて、創造力は最も重要な人間の機能である。その創造力を発揮できる人の、子供時代のすごし方を、ひそかに調べてきた。自然に接触する機会が多かった人(多分に田舎者)が、もっとも創造力で成功する確立が高い。その次は、絵画に親しんできた人である。その次が、音楽、取り分け、楽器が操作できる人であった。(理解力は、また別の分布が在る)番外編として、素直な人である基本の能力を持っていることである。

 今日本の危機はイノベーションの基本となる「創造力」が衰えていることである。先生になる教育に、「創造力」「理解力」「構想力」の実践教育が全くされていないことに問題がある。ボケ爺は嘆く。小学生の夏休みは、子供たちだけで、毎日毎日遊ばせるように出来ないものか?たかが1ヶ月である。「ゆとり教育」でなく、「遊び教育」を増やすべきである。

<読書>

「デザイン思考の道具箱」奥出直人 早川書房

上記、「遊び学」の話とはまったく違うので、勘違いをしないように。「日本で、何故iPodが作れないか?」の疑問に答える著書である。前半は、近年のイノベーション力の発想の転換を提案している人々の総論を上手くまとめてある。後半は、しからば、奥出Methodと言うノウハウを考え出したので、紹介しようとしている。前半は是非読んでみるべきである。

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2007年8月17日 (金)

経済はまだまだ不安定、都市国家社会の始まり

 アメリカ発、一週間の株価下落で、世界が震撼している。アメリカの悩みは、深刻である。その影響は、世界中に及ぼすであろう。日本も、「緩やかな回復が定着」は「再び不安や情勢、引き続き調整が必要」に変わるであろう。直接の原因は住宅ローンの焦げ付きであるが、その源は、都市格差の中に潜む社会構造による。

 アメリカは、何時の時代も悩みを持っている。社会構造の変化を率先して引き受けているからであろう。景気拡大はまだら模様と言うことである。アメリカが早かったが、全世界に及んでいる「都市国家」が進行しているからである。もはや国単位ではなくなっている。イギリスの景気回復は、ロンドン市で象徴される。アイスランドの一人当たりのGNPは日本を越している。それはダブリン市からである。中国経済は香港、上海氏からである。

 アメリカは、知識労働、或いは、知識産業化、あえて言うなら、クリエーティブ・クラスの都市が伸び、クリエーティブでない労働者はその都市から締め出されている。そんな都市国家の土地の値段は急激で、簡単には買えない。たとえば、テキサスの片田舎であった、オースティンは、今はハイテク、クリエーティブ・クラスの集合する大都市となった。土地の値段は、ここ5年で3倍以上に高騰している。

 知識産業は「都市国家」に依存する。片田舎でノンビリしていては、知識の変化についていけないからである。「大学を中心とした都市国家」が伸びる。それにも変化が起きていると言う。アメリカは外国人にグリーンカードの発行を渋っているからである。海外からの優秀な頭脳が輸入できなくなっている。所謂、外国人の頭脳に頼っていた国が今や、頭脳のUターンの憂き目と、学生の流入がなくなっていることによる。そこにアメリカと言う国の深刻さがある。

 日本の地域格差が非難されているが、都市国家が進行している世界情勢の中、これを先取り、受け入れて、日本も「都市国家単位」での「国お越し」を進めなければならない。東京都は、金融、知識産業都市として集中を、名古屋は、モノづくり都市国家、大阪は京阪市と改めて、バイオ、医療産業都市国家、とかに集中、変身しなければグローバルでは生きていけない。そうしないと益々、地域格差が生まれてしまう。それを実現するために、海外から頭脳を輸入しなければならない。日本であり余るポスドクは海外で腕を磨き、Uターンをする。こんな「頭脳循環」がなければ、21世紀の日本の明日はない。

<読書>

「クリエーティブ・クラスの世紀」リチャード・フロリダ ダイヤモンド社

アメリカの悩みを分かりやすく解説されている。日本はここまで来ていないが、早く手を打たなければ、21世紀は、負け国家となる。

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2007年8月16日 (木)

死に行く我輩の夢を見る

 今日の朝方、地震で目が覚めた。不思議な気持ちである。アブラゼミ、クマゼミがこの時間から鳴いている。部屋の温度計は30℃を指している。当然、全身汗が噴出している。エアコンは2時間ほどで切れるようにしてあった。

 ハッキリと思い出す。ボケ爺は、死に及んで、静かに眠る姿を、モノトーンで見えた。何だか順序が逆になってしまった。数日前は葬儀の姿を、同じく、モノトーンのすばらしい映像で見てきたところである。同じ作者のようなつくりであった。

 スーッと気が遠くなってくる。周りの景色は薄く、淡く生って行く。「アレ、この現象は、以前にも時々起きていた」が、すぐ直っていた。そうだ、これは前兆であったのだ。その時に気を付けていれば、何か防げたのかもしれない。今日は、どんどん、気分は軽くなってゆくと同時に、景色は白けて来る。オヤジの顔が浮かんできた。「寂しいから、話し相手に、来ておくれ」と言う。次は、オフクロの顔である。「私より先に、行くとはけしからん」と騒いでいる。走馬灯のように、過去に出会った人々の顔が繰り出してくる。真っ白い世界になってから、家族の顔が出てきた。子供たちは「地獄にだけには行くなよ!真面目に答えず、ボケたままで試験を受けるのだ」と、地獄極楽テストを受ける心がけを教えてくれている。連れ合いは、「所詮、地獄にしかいけないから」とニコニコ手を振っている。

 ボケ爺にも何か言わせて欲しいのだが、しゃべることが出来ない。全く口は動かないのだ。頭はさえている。全身は何も感じない。痛みもない。空に浮いているようなものである。気分も良い。

 子供たちは親を越えて、生きてゆく道を確立してくれたので、今更、何も言うことはない。連れ合いだけには、少々残したお金の使い道だけは言っておきたかったが、目で合図してしても、そっぽを向いている。まもなく泪がにじんできた。瞬きをしたくても出来ない。白い世界が曇ってきて灰色から暗闇へと変わってきた。この世界では言葉はないのだ。これからは寡黙で。暗闇の世界をさまようのだろう、と思った。

<読書>

「寡黙なる巨人」多田富雄 集英社

免疫学の先駆者である。ボケ爺は、免疫学をこの先生の本で学んだ。「目から鱗」の連続であった。次の著書を待っていたが一向に出てこなかった。脳血栓で倒れて、7年ほどになる。リハビリでここまで回復されている。海外で単身生活の時NHKの放映でそのことを知った。壮絶な戦いに、震撼したものだ。その戦いがこの著書にリアルに現れている。

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2007年8月15日 (水)

バイオ燃料に期待

 バイオエタノールで日本は出遅れてしまった。ともろこしから作ることで、これに関する価格が高騰して、家計に直撃している。日本は古くから研究されていたはずだが、ハイブリッドエンジンが成功したことから、熱意が醒めてしまったのか?

 先日、新聞で、ともろこしを使わなくて、植物の茎や葉っぱから、遺伝子組み換えの微生物など使って、発酵させて作れると言う。早く工業化に持ち込んでもらいたい。

 昨日の新聞に、今度は「雑草からディーゼル燃料」が作れるような見通しが立ったと、地球環境機構から発表されていた。燃料成分は「プタノール」と言うアルコールの一種である。これも、遺伝子組み換えの微生物を作り、植物繊維を分解して糖を作り出すと言う。実際の走行テストも終えて、同じ性能が出せるところまで、実証ができていると言う。これなども早く実用化して欲しい。

 この先、石油価格は下がりそうにない。ガソリンは代替燃料が必要である。燃料電池などへの変更はまだまだ先のこととなろう。ハイブリッドは市街地走行には、効果が良いが、高速道路では、ガソリン車と変わりがない。そんなことから、ディーゼル車が、好まれる国が多い。燃料資源のない日本は、バイオアルコールで攻勢をかけなくてはならない。政府の戦略的政策としなければならないのではないか?

 遺伝子組み換えという、危険性もあるが、完全封じ込めなど、日本にはその技術はある、と思っている。農業にも力が入ることとなるのではないだろうか。

<読書>

「日本進化論 2020年に向かって」出井伸之 幻冬舎新書

ここでは、2020年には自動車エンジンはモータに変わっていると言う。そんなに速い変化は来ないと思う。今の日本は世界から観て微妙な立場であり、何事も中途半端であると言う。経済学者とも違う感覚である。やはり経営者と言う立場からの分析であろう。あまりハッキリした根拠は展開されていないが、直感として、マクロとしては当たっているような気がしている。野口悠紀雄、内藤克人などと一部共有するところがある。本人も言っているように、かなり楽観的である。

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2007年8月13日 (月)

我輩の「訃報と葬儀」の夢を見る

 毎年、お盆がやってくる。今年は格別暑いお盆である。亡父をお迎えに行かなくてはならない。いつもながら、敬服は形ばかりであるが、知恵の借用を賜っている。いろんな困難な局面に出会うと、「親父ならどう考える」と自問自答することが多い。勝手な時の神(親父)頼みは続いている。西を向いて手を合わせる。合掌!

 昨日、故郷に居る兄貴から、珍しく手紙が来た。それもA4サイズである。急いで確認をすると、田舎のお墓に道路が通ることで区画整理があり、半分ほど立ち退きがあるという。ボケ爺のお墓の用地は親父が用意してくれていたので、今後どうすべきかのアンケートに答えよ!であった。先祖代々のお墓も、ボケ爺の用地も立ち退きの対象ではなかった。親父の先見の明であるのか。

 すると、不思議な夢を見た。完全モノクロの世界であった。ボケ爺が死に、訃報を知らせるところから始まったようである。誰に知らせればいいのか名簿が無い。連れ合いと子供たちが笑いながら、悪口を言い始めた。「ずぼらだったから、ろくに名簿も作って無い」「知らせるほどの人物でもないし、知らせても誰も来てくれないから。せめて親戚だけは伝えたら。」「親戚だって、ろくに付き合っていないのだから、迷惑だ、と思うよ」「写真も無いよ!」「写真など無くていい、省こう」などと言いやっている。

 「人を褒めたことも無いのだから、嫌われていたんじゃないの」ここでボケ爺が何故だか「褒めはしなかったが、激励は沢山したぞ!」と言い訳をしている。「ろくに業績が無い」「部下の面倒もろくに見なかった」「決して尊敬に値する人ではなかったし」「人徳があったわけでもないし」「そういえば品格も無いよね」そこでボケ爺は「余計なお世話だ!」と陰で言う。

 お通やには親子しか集まらなかった。当然、葬儀にも見事に誰も集まらなかった。また親子そろって、「それ言ったとおりでしょ、誰も来てくれなかったでしょう」と言う。

 無事に済んだようであるが、揉め事が始まった。ボケ爺の遺言で、「遺骨は灰として捨てること」と言い渡してあった。庭に撒くのか、川に流すのか、海で捨てるのか?この遺言だけは真面目に聞こうとしているらしい。ここで夢は終わってしまった。

 ボケ爺が第三者として、しっかりと夢の中で眺めていた。イヤにリアルであった。文章では言い表せない細かい描写動き、背景など、映画を観ているようであった。

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2007年8月11日 (土)

「日本的」に背を向けた任天堂が快走

 上記の記事が日経新聞に載っていた。そうだ一社忘れていた、「Wii」で、「ニンテンドーDS」などのゲーム機、ソフトで、一兆円を越す企業があった。それが任天堂である。忘れていて誠に申し訳ない。いまや、時価総額で、キャノンを超えて二位になったことがある。

 企業構造の全てが日本的ではない。ここに意味がある。開国先駆者である。

1:社員が若い。社長も40代。

2:従業員3000人ほどで、一兆円を稼ぐ。まるでグーグルと同じである。

3:製造部門を持たない、ファブレスである。「カイゼン、など生産現場掛け声は無い」

4:ゲーム機の中身は、既存の部品ばかりである。そこに革新はない。デザインコンセプトに革新がある。iPodと全く同じ発想である。SWには技術にイノベーションがある。画像処理エンジンである。

5:「簡単に、楽しい」と言う、「モノ」でない「コト」からの発想である。

このような内容からして、基本的にはグローバルな企業の一員と言える。しかし、現地に人材の雇用を呼び込んでいないところは、残念ながら、グーグルや、アップルと違いがある。もう一歩の努力が必要だろう。

 ソニーのゲーム機事業は惨憺たる状態である。何故か、高速と言う「H/W」のイノベーションに重点を置いたからである。「セル」チップの開発に2千億円も投じたと言うから驚く。もっとSWエンジンのイノベーションに投資する考えがあったはずである。ソニーともあろう会社が、何を間違えたのか?それとも、未だに製造業発想から抜け出せていないのか?

 これからの革新は「コト」つまりSWエンジンのイノベーションである。それは、経験値という「心」、とデザインと言う「感性」の組み合わせが大切な時代である。

 ボケ爺はボケた頭で考え、疲れて益々ボケて、それが元で狂ってきた。

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2007年8月10日 (金)

伝わることは難しい

 このごろ、つくづく「伝わる、伝える」コトは難しいと思う。昨日も経験した。同じ内容を、違う人が言う。受け手は、一方は理解できて、もう一方は理解できないと言う。多くの人は、同じコトを言っていると言う証拠があるのだが。

 言い方、聞き方、は個性である。つまり感情である。コノ人なら聞こう、アノ人はちょっと、と、最初から決めて掛かってしまっているのだ。ロジックであると考えると、大きな誤解が生まれる。

 それに、多くは、生い立ち、つまり経験してきたことが違う。経験の無いところに、常識と思っていて話を進めても、話は通じない。

 経験にプラスして、慣用で言葉に意味に違いが生まれる。つまり定義が違っていることが多い。通じたと思っているとまるで反対の答えが返ってくる。

 さらには、人それぞれのこだわりがある。考えるに柔軟な人、聞いて自分の考えを修正しよう、など考えられる人と、オレの考えは正しい、と最初から思っている人(エリートに多い)とで伝わり方がまったく違う。

 自尊心の強い人は、いつも言い訳に身を構えている。話は聞けない、質問されていても言い訳から入る。疑問など提示されようものなら、話の流れなど無視して永遠に自分の行為の正当化の弁明をしている。

 とにかく暑い日が続く。真夏の花として似合う、「カンナ」の美しさとたくましさは心を癒してくれると思う。しかし、これとて、受け止め方は人それぞれで、一致することは少ないであろう。とかくこの世は住みにくい。

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2007年8月 9日 (木)

頭脳循環で開国

 iPhoneを日本の携帯プロバイダーが導入しそうで、日本の創造性が危機にさらされそうであると、コメントしたことがある。創造の基本のパターンが変わってきているからである。それに気がつかない日本の頭脳の鎖国状態は如何なものか。

 日本の産業構造は何も変わっていない。狭い日本の市場での発想しか出来ない。商品は海外で売れない。日本の市場で売れているから好いや、で終わる。

 最も閉鎖的な大学の先端技術が未だにモノづくりにこだわっている。労咳化した教授どもが、新しい提案が出来ないので、教授として生きるために詭弁を振るっている。安倍首相の続投の詭弁(基本路線は支持されているはず)と全く同じ論法である。保守的な人は同じ詭弁を使う穴の狢である。モノづくりなど、高賃金から低賃金へ流れることは歴史が示している。設備革新がその垣根を取り払うことも明らかである。中国の現場を見た人たちは明らかに驚きと日本の危機を確実に把握出来ているはすである。

 頭脳とか、組織とかが、エントロピーの法則に乗っかってしまっては、滅びるしかない。ギリシャ神話のアテナイから、ディオニソスの神に至って滅びたように。ボケ爺はかっては、ディオニソス時代のフラットな社会と祭の享楽に憧れていたが、間違いであった。

 生物が生きている基本は循環である。物事は循環していなければ「生きた状態」ではないのだ。新しい発想も、創造も、「頭脳の循環」の中でこそ、成り立つものと信じる。アメリカの企業トップ10位までで、製造業が入っているのはGEだけである。それも従来の製造業か怪しい。残りは「ソフトウエア」或いは「モノではなくコト」を生業にしている。一方日本は相変わらず、重厚長大の製造業である。軽薄短小は元気が無い。

 江戸から明治の革命の大きな決め手は、鎖国から開国をしなければならないことであった。多くの優秀な頭脳を持った人が世界で活躍して、日本を顧みる。そして日本は海外からあらたな頭脳を受け入れる。そんな循環が必須であろう。これは頭脳流出ではない。迎合とも違う。

 大学教育は、もっと、サイエンス、システムエンジニアを育てなくてはならない。ソフトウエア教育は世界で最下位に属している。どうして、半数ぐらいの海外からの教授が居ないのか?

<読書>

「資本開国論」野口悠紀雄 ダイアモンド社

日本の財政政策は閉鎖過ぎる。多くの資本が有効に使われていない。大きな損失は鎖国主義にある。早く開国せよ、と迫っている。ボケ爺、財政の事はよく分からないが、産業構造を変えなくてはならないことは身につまされる。日本人は特殊な発想の国民である。必読書である。

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2007年8月 8日 (水)

気のおけない人

 今日8月8日は、ひょうたんの日であるようだ。昨日8月7日は花の日、鼻の日、バナナの日だったそうである。さほどの意味があるとは思えない。暑さで、頭の働きも鈍くなるようだ。

 気の合う人と、気のおけない人、とは少し意味が違う。先日、どこかで、「肥満の連鎖」の記事が載っていた。なるほどと思ったので紹介をしておく。まじめな研究であるらしい。ボストン近郊の1. 2万人を対称に、なんと32年間に渡って研究を積み上げた結果だそうだ。

 肥満度、BMI30以上を対象に調査をした肥満の人と肥満の人の相関は、次のようになるという。

1:肥満の友人が居ると、57%の友達が肥満にかかる。

2:兄妹で肥満が居ると、40%の兄妹が肥満になる。

3:親が肥満だと、子供は37%が肥満になる。

と言うことであるという。

 これからすると、「気の合う人同士」がもっとも危険な関係と言うことになりそうである。つまり微妙な緊張感を持った親密感の関係、つまり気の合うことが、お互いが気を許せる関係となって、気にしなくなるのか?

 生物は、熱力学の法則のエントロピー増大を受けないように、食物と細胞たんぱく質とが入れ替わっているが、人間関係では、エントロピー増大の関係を保つらしい。なんとも皮肉な面白い現象のようだ。

 世の中、恋人、夫婦関係もエントロピーが拡散増大して、収拾が付かなくなっている人が増えていると言う。先日の参議院銀選挙もそんな兆候が現れてきている。小泉でエネルギーを集中させてしまった結果、安倍でエントロピー増大が起こっている。このことは物理の法則のアナロジーを楽しんでいる場合ではない。日本は物理法則で片付けられない危機的状況に遭遇している。

<読書>

「剣客商売十六 浮沈」池波正太郎 新潮文庫

剣客商売シリーズの最終回である。小兵衛66から67歳の、晩年の仕上げである。過去に絡んだ人達の恨みを晴らしたり時代と共に忘れ去ったり。明治になる8060年前の江戸末期の人身の変貌、乱れ、世代交代での変化など、参考になる。

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2007年8月 5日 (日)

日本にも偉大な人が居る

 朝早く散歩に出る。大阪は、緑が少ない都市である。蝉の鳴声がけたたましい。ビルの合間の緑にどれだけの蝉が生存しているのか、ミンミンゼミとクマゼミの合掌は人のひそひそ話など、全く聞こえない。車のクラクションすら聞こえないのだ。静かに過ごしたい人に意地悪をしているようだ。大阪人の喋り好きはここから来ているかも知れない。

 朝刊を眺めていて、なぜかアフガニスタンのことを思い出した。2~3年前かNHKが特集を組んで紹介していた人が居る。「中村哲」氏である。今でも日本でこの人を知る人は少ない。パキスタンの州都ペシャワールに住み着いて、何年になるのか。医師で、確か、ハンセン病の治療を本業としているようだった。

 当然、医師としても、難民の国で命をかけて治療に当たるだけでも、十分にすごい人であり尊敬に値する。日本人として、誇りにも思う。彼の業績はそれだけではない。

 源流をなすパキスタンは、9割が農業で豊かな作物に囲まれていたから、裕福な国をなしていたと聞く。今ではアフガニスタンは侵略、内戦、空爆など国としても崩壊している。だから貧困の国であり、難民の数が半端でないようだ。追い討ちをかけるように、干ばつと、洪水続きで、作物が取れないことが、根本的な原因のようである。

 難民の病気を治すためには、水が基本である。さらに食べ物の確保は水である、として、その乾燥砂漠化した原野に、井戸を掘り、水を引く、治水事業に乗りだした。白衣を脱いで作業服に着替えて、数十年、今では1500本以上の井戸を掘った、灌漑用水路は13kmもできたと言う。これからは6~3000m級の山からの用水路の建設である、と夢を語っていた笑顔を思い出している。

 工事機械は人しかない。人々が賛同して労働力を提供してくれないと出来ない。それは並の人の数ではない。その数の人々を説得できる人徳も並ではない。それにも増して、戦略と、経営力と、さらには壮大な夢、ロマンを持ち続けられたことに普通人ではない。成長した木々からの上昇気流で夕立が起こり始めたそうである。

 すごい人が日本にも居る。世界を救う人が居る。そんな夢とロマンを、ボケ爺、今からでも持ちたいが、今から爪の垢でもせんじて飲んで、効き目があって間に合うのか?間に合わなくていい。大きなロマンを追っかけよう、と思い直している。

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2007年8月 4日 (土)

夏は白い、白いは暑い

 1日休みが取れるときは、古本屋を覗いてから、仙川のコーヒーショップで過ごすことがある。今日は午後から出張と言うことで、例の店でアメリカンを飲んでいた。本を読むのも疲れたので、ふと、入り口を見ると、白い通りを人々が行きかっている。雲ひとつ無い全く真夏と言うように日差しが強い。灼熱の光は白く輝く。

薄暗い室内を額として入り口の、白い四角の光景は、ふと、田舎を思い出す。木陰の路地に引いたゴザでは、夏風が通り過ぎて意外に涼しい。ぞうりを作ったり、スイカを楽しんだりしていた夏休みを思い出したのでは無い。木陰が作った額の向こうには、真っ白い光景があった。その光景が、真夏の季節感を実感として記憶している。その記憶がよみがえったのだ。考えてみると、それだけボケ爺は歳を取ったと言うことであろう。

強い日差しに汗が止まらない。絞れば汗が滴る。久しぶりの新幹線での移動であるが、名古屋駅手前まですっかり寝込んでしまった。大きなイビキを掻いていなかったか心配であるが確認する方法が無い。すっかり曇っている。どうやら、夕立が来ていたらしく、道路は打ち水を打ったように、涼しげであった。関が原近辺の山々はうっすらと霞んでいて、神社の入り口の鳥居だけが、やたら目に付く。鳥居の奥はうっそうとした茂った木々で覆われた暗い道が社まで続いて、狐の石碑が迎えてくれることであろう。

着いた大阪も暑い。ホテルに着いたときには、全身、汗が噴出している、何処から拭けばいいのか、その箇所すら、気にすることは無いほどである。夏は暑い、は分かっているけれど、愚痴が出る。それらも、ボケ爺の歳であろうか。

<読書>

「剣客商売十五 二十番斬り」池波正太郎 新潮文庫

小兵衛は66歳である。めまいで倒れることも始まっている。歳の分、出来事が複雑である。それが面白い。

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2007年8月 3日 (金)

阿久悠の死を悼む

 梅雨明けを迎えた模様、と曖昧な発表があった。日本の特長を良く表している、無責任な言い方である。こんな表現を気にしないで生きて行かなければ、長生きは出来ない。日本語は美しい?寝苦しい夜明けとなった。

 駐車場の前輪の近くに、何かが目に止まった。拾い上げると、せみの薄緑の頭が半分ほど飛び出している。脱皮中であった。コンクリートの上である。何処から来たのか、庭から落ちたのか、隠れ場所をさがし迷っている間に脱皮が始まってしまったのか。生きているのかと、つまみ上げて前足に触れてみると、ボケ爺の指にしがみつく、助けを求めているようだ。つつじの葉っぱの上においてやった。うっかり見逃すと、今頃タイヤの下敷きであった。

 成城の例の信号近くで、カラスが路上で格闘している。赤信号で止まってもカラスは逃げていかない。良く観るとなにやら、大きな幼虫を銜えて格闘している。カブトムシかクワガタの幼虫のように見えた。「オッと、しまった。」天敵に良く見える木の上に置いてきてしまったことを後悔した。夜帰って、抜け殻を探したが、悪い予感が的中した。抜け殻も見つからない。合掌。

 夜のニュースで、阿久悠の訃報を報じていた。70歳の若さである。気力、気概では癌には勝てなかったことになる。毎日を厳格に厳しく生き抜いた生活態度には頭が下がる。5000曲以上に及作品は、昭和時代を駆け抜けていった。作風は、時代背景をよく読んで半歩先を詩にした。その史観、史実美学は、ダンディズムにも繋がる、と思う。その洞察力、思考力、そして発想力、創造力に繋がっていったのだ。さらには、若き日の生活の苦労は人一倍何処ではなかった、と聞くにつれ、苦労、苦しみ無き状態からの成長はありえないことを再確認させられる。清貧そのものであったと想像する。そのような態度だったからこそヒット作につながった、と思う。著書は以前にも紹介したことがある。

 もっともっと、自叙伝を残してもらいたかった。その中から、阿久悠史観を学び取りたかった。読み返してみよう。合掌。

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2007年8月 1日 (水)

悔し涙の宮里藍

 今、高校野球の甲子園出場の地方大会の放映が続いている。いつもながら、喜びの笑顔と、悔し涙の物語には感動が待っている。喜びには、達成感の感動があり、涙には、努力の未達の悔しさがにじみ出るからである。

 新聞のコラムの「息子に感謝」には、「泥だらけのユニホームを洗い続けて、息子の検討を祈っていたけれど、負けてしまった。そのことでは涙も、感慨も無かったが、息子から、「お母さん、負けてしまった。今までありがとう!」と電話を受けた時、思わず、号泣が爆発してしまった。「お母さんこそ、楽しませてもらっていたのだ!」「息子よ。ありがとう」」と書かれていた。

 先日の、女子マッチプレイで、決勝まで勝ち上がって来た、宮里が、負けとは知らず、パターを打とうとしていた、そこまで集中していた。終わったと知らされて、悔しさをにじませてかみ締めた唇、うつむいた時の気持ち、そして、インタビューでの思わず噴出してしまった涙。何時もの冷静な宮里藍ではなかった。

 その気持ちは、痛いほど分かるような気がする。その悔しさは、並ではないのだと思う。球児が流し続ける涙とは、その深さが違う、と思う。我慢に我慢していた悔しさが、堪え切れなく、思わず意思逆らってこぼれ出てしまう、それをカメラに見せてしまった悔しさにも、顔がゆがむ。苦しみが伝わってきた。美しい、感動をありがとう。

 この悔しさがあってこそ、きっと、大物になると思う。近年、悔しさを味わうことなく大人になる、否、老人になってしまう人が多い。悔しさの味は苦労の多さに比例する。苦労が多いと悔しさも増す。悔しさが増すと他人の気持ちが、その分理解できる。苦労の少ない、苦労を避けることが美徳の世の中では、相手の気持ちは理解できない。人付き合いの情が薄くなる。先行きが暗い。ボケ爺のボヤキである。

<読書>

「剣客商売十三 波紋」池波正太郎 新潮文庫

60歳を越した老人剣客、秋山小兵衛の大活躍の編である。老人ならでの、複雑な絡み、老巧な対応、策、など、楽しませてくれる。深い複雑な発想が見事である。

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