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2007年6月 7日 (木)

曲芸を再認識した。

 今日の午後の天気は風が出て来て、今にも雨が降りそうである。厠で用を足しながら、窓から外を眺めていると、いろんな小鳥がやってきて、ゆれている電線に機用に泊まったり、激しくなびいている木の枝に、何の躊躇もなく、ひょいと泊まったり羽を休める。

 揺れていなくて、平らなものの上であれば、目標値が広いので、それなりに分からないでもない。三次元空間のそれも、細く、ゆれている線に、それを失敗もなく、大きくつんのめる事も無く、心地よく軟着陸が出来ることは、曲芸としか言いようが無い。

 これを、コンピュータとかAIシステムで実現させる方法は何時になったら出来るのであろうか?ロボット時代と言えども、出来ない、と断言も出来るぐらいである。人間よりはるかに少ない脳細胞で、訓練も無く、いとも簡単にやり遂げる機能の分析は、いつになったら出来るのであろうか?

 など、考えていると、すでに終えている用足し部分が、涼しくなっており、隣の人がいぶかっている。ボケ爺も、頻尿かと疑われたようである。

<読書>

「ニッポン。サバイバル 不確かな時代を生き抜く10のヒント」姜尚中 集英社新書

自由なのに息苦しいこの国で、「まとも」に生き残る道を考えました、という内容である。姜教授の発言は何時も鋭い。よくもここまで自分を苛め抜けるものだと感心する。ここで問われている内容は、我々ニッポン人は真摯に考えなければ明日は見えない。この本を紐解いて、アイデンティティ意識に薄いニッポン人の明日を考えてみたい。

「お金」「自由」「仕事」「友人関係」「メディア」「知性」「反日」「紛争」「平和」そして「幸せ」

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