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2007年6月13日 (水)

凛とした立葵

 ボケ爺の家の近くで、通勤の途中に、当て付けがましく(関西弁か?)もゲートボール場が出来ている。二年目の今年は、葵(立葵)が背丈の倍にもなって垣根のように凛として立ち誇っている。ピンクの花は天気のいい日には特に冴える。その周辺は見違えるような若々しく元気な雰囲気が漂ってくる。ゲートボールを興じる年寄りもこれを眺めて癒されることだろう。

 それにしても社会保険庁の怠慢には呆れるしかない。何時の時代にも、甘い汁を吸ってヌクヌク暮らしている人がいる。格差以前の問題である。高官だけではない。民間にも要領のいい奴はウヨウヨいて、別世界を楽しんでいる。

 都市化した日本の社会は、さらに、バブル後の55年体制の崩壊と、似非グローバル化の波によって、混乱している。「緩やかな変革を選んだ日本」は長い混迷の時代から、先が益々見えなくなっている。

 しかし、誰もが明日の問題に振り回されて、根本の選択を提案できる能力もない。ビジョンのない軍国化、ビジョンのない税制課題、ビジョンのない教育改革、ビジョンのない財政課題、ビジョンのない地方分権化、ビジョンのない数々の外交課題、等など。国民は何故こんな状態で黙っているのだろうか。日本人は本当にアイデンティティがない。最後の頼りは「お上」と言う社会主義社会を期待しているのか?江戸時代からの体質に簡単には変わりそうにないのか。

 企業もそうである。国内市場にのみウツツを言って、グローバル化を避けている。避けていると言えばまだしも、グローバル化に異論さえ唱えて、世界標準に逆らっている。世界に勝てる商品がなくて日本の経済の明日はない、と断言できる。

 初夏に似合う「立葵」のように、日本も日本人も「凛と立ち向かいたい」ですね。

<読書>

「日本の選択」ビル・エモット、ピーター・カスカ 講談社インターナショナル

「美しい国」か「刺激的な国」か、の選択の時に来ているという。著者らは、いまさら紹介するのもおこがましいが、ここまで日本通の「外人」は居ない。グローバルメッセンジャの二人の会話は刺激的である。真剣に日本を考えてくれている。今こそ、未来の日本の選択をしなければ、一流から三流に後退する。永遠に後れを取る。凛と立ちたい人の一冊である。

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