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2007年6月29日 (金)

昭和時代の歌姫;美空ひばり

 2007年も半分を終わろうとしている。先週末から急に海外となり、到着日の夜、テレビをつけるとBSで、美空ひばり70周年記念番組が組まれていた。思わず、2時間だったか3時間だったかを、観てしまった。

 戦後の昭和を駆け抜けたボケ爺の憧れと、夢を与えてくれた、人でもあった。小学校の校庭に、白い布のスクリーンを作り、何とか獅子、鞍馬天狗などの子役俳優を夢中になって追っかけていた。歌手に転向して、戦後の貧しい時代から、経済成長サマサマの激動を支えたのは、なんと言っても美空ひばりであった、と思う。

 力道山の出現が、テレビ産業の発展に大いに寄与し、日本経済の発展を加速した。その過程で生まれた格差社会の歪みの中で、美空ひばりが、大衆娯楽、酒場の裏経済の発展に寄与したことは間違いない。それだけではなく、戦後と言う、人々の心の痛手を癒してくれたことも忘れてはならない。当然、美空ひばり一人ではない。それにすがった芸能人、憧れた人々、対抗した人々の多かったことも忘れてはならない。

 韓国のアズマたちが、韓国演歌が流れると、熱狂的に自然に踊りだす姿を見て、韓国の苦しい時代を生き抜いたアズマの心の支えがここにあったのだ、と心から歴史の悲しみと、哀悼の気持ちが訪れる。今年もそんな姿が見られる時期が来た。若者たちはそれを見てバカにし、恥ずかしい、と言っているが、ボケ爺にはその気持ちは痛いほど理解できる。

 アメリカには、ジャズがある。黒人奴隷社会の悲しい物語である。ジャズなくしでは生きて活けないのである。マンハッタンで、スウィートウォータに集まる黒人喫茶はでは、田舎から集まる黒人で、踊る歌う、笑う泣くの大宴会が始まる。人種差別の悲しい物語の癒しの文化である。

 フランスでは、モンマルトの丘の中腹に多く点在する、シャンソンの店でシャンソンと言うフランス演歌に聞き入っている。歌手と手を取り合ってご婦人どもがハンカチで目頭を押さえている姿は、生活の苦しさを忘れようと踏ん張っている姿である。古今東西、変わりはない。

<読書>

「わが人生の歌がたり」五木寛之 角川書店

昭和の哀歓、となっている。戦前からの昭和の時代を駆け抜けてきた、五木の心の支えとなった「歌」の物語である。「俗な歌」を心の支えとしてきた五木の心のヒダが分かってよい。物語は、至るところで披露している五木人生の重複が目立つ。年寄りの愚痴を感じる。

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2007年6月20日 (水)

日本の市場は特殊

 日本の市場は本当に特殊である、と思う。世界市場で受け入れられるような製品開発はなく、日本市場でしか受け入れられないような製品開発が未だに続いている、と思う。そのことを、きっと気がつかないのだと思う。バブル以前は、日本の市場で受け入れられないと、世界には通じない、をボケ爺は信じて商品を開発して売りに歩いた。バブル以前は、それでよかったのかもしれない、ジャパンアズナンバーワンと持てはやされた。確かにその時はそれでよかった。時代は変わっているのだ。世界も動いている。

 「モノづくりの日本」と、キチガイのように叫ぶ人達がいる。その人達はバブル以前には冷や飯を食っていた人達である。日本の「特殊なモノづくり」で、その逆で、「モノづくりと特殊」に考える日本で、グローバルな世界市場を勝ち抜けるわけが無い。

 iPhoneNTTがアップルと交渉に入った、と言う。Iモードを誇っていたあのNTTが。(Iモードを世界に売りに回った様子を未だにボケ爺は思い出す。滑稽な売り方であった。結果は、無残であった。)大変だ!iPodと同じように、iPhoneが日本の市場を食い荒らす。

 日本市場も外来種で駆逐される時代がそこまで来ている。生物において、日本は外来種で、多くの自然が変わりつつあるという現象に良く似ている。ブラックバス(ハゲタカ)のような投資ファウンダーに、目を白黒させながら、日本では、日本の倫理感ではけしからんと、叫んでいる評論家、当事者である社長に違和感と、滑稽さを感じる。日本は、本当に世界を知らないと思う。何だか、江戸時代の鎖国政策の真っただ中にいるような錯覚に陥る。iPodiPhoneが黒舟であるかのようにも思ってくれればいいのだが。

 日本で多少売れても、世界で売れないモノは、結果として、滅びる。日本市場に特化したモノは、特殊であり、環境耐力が無いからである。(生物の世界と同じである、特殊なものは、環境変化に弱い)それは日本を滅ぼす悪しき思想である。「モノづくりのモノの市場」を知らないで、「モノづくりの中身」を検討しないで、「モノづくりが日本を救う」と叫ぶ人々は日本を滅ぼそうとしている悪しき人々である。

 今、日本の起業で、世界で通じる数社は、発想の原点を世界においている。その良い例が、逆輸入してみると、日本市場では苦戦を強いられている事で証明されている。

 明治維新を成し遂げた、意思ある若者たちの出現が待たれる。(その時代には、ボケ爺はこの世に居ないか?)

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2007年6月18日 (月)

梅雨時のカビは「ひらめき」の天敵?

 この土日曜はこれでもか、と真夏日になった。気象庁をいじめている高気圧のせいである。世の中、こんな天邪鬼の集まりである。これでは、梅雨時のカビは蔓延る事が出来ない。

 しかし、ボケ爺の脳みそには、相変わらず、カビが蔓延って、思考の柔軟性は失われてきている。今に、ぼろぼろとかけ落ちることだろう。寂しい気持ちになってくる。

 それでも何とか、思考できる場所があるように思える。本屋であり、古本屋である。が、時間の覚悟が居る。少なくとも1時間以上は過ごす覚悟である。「じっくりと欲しい本を探すぞ」という覚悟である。さらには、定点観測がいい。つまり、長い居する本屋を決めることだ。何処にどのような類の本棚があるかは知っておかなくてはならない。長い間置かれている本、新しく入荷した本、派手に新聞などであ騒がれている本があるか?それかの経過はどうか?などなど、観察して、以前に気になった本を、繰り返し手にとって見る。すると、いろんな考えが浮かび始める。古本屋だって同じである。

 そうそう、メモ用紙を持っていくことを忘れないように、必ずひらめきが待っている。ひらめきは、直ぐに書き留めなくては、直ぐに忘れる。天才ほど忘れることが早いのだそうだ。ひらめきこそ、偉業の生まれる源である。

 週一回のペースで観察するのが好ましい。一週間後にもう一度考えて買おうかな、と思っている本がなくなっていると、しまった!と思わず声がでてしまう。そこに、忘れられない知識の思い出が残る。

 もっと手っ取り早いのが、コミュニケーションである。つまり、知識人に、幼少の頃のように、何故、何故を連発して、教えを乞うことである。コミュニケーションのコツは、自尊心をかなぐり捨てることである。自尊心があると、質問内容も浮かばないし、聞く耳が閉ざされてしまう。相手の話から得られた知識をそのまま貰う訳ではない。それをヒントに、「ひらめき」をもらうのである。簡単に言うならば、「耳学問法」というものである。もっとも簡単で考課の高い方法は他には無い。

 「ひらめき」程、大切な思考法は無い、と知識に乏しいボケ爺は思っている。

<読書>

「ニーチェ入門」梅香彰 大和書房

人々にも、社会にも、商品開発にも、積もりに積もった「呪縛」がある。ニーチェは「神の呪縛」から救った人である。「呪縛」からの発想法を学べる。

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2007年6月16日 (土)

ポリバレントな人材になりたい

 梅雨に入った途端の晴天である。夏至に近いからであるが、カーテン越しは4時には明るくなってくる。それにつれて小鳥たちが騒ぎ始める。今年も、仏法僧が山から下りてきて、鳴き始めた。「ぶっ・ぽう・そ!」と啼いているように聞こえる。話によると、綺麗な色をしているのだそうだ。未だに見たこともないが、音質はバリトンの太い、魅力のある音声、とボケ爺には聞こえ、鳴声を楽しんでいる。

 小鳥は地域に固定して住んでいるものと、移動して暮らす者が居るようだ。東京都23区のちょっとはずれのボケ爺の近くでは、秩父の山奥からやってくるのだろう、春先のウグイス、めじろ、そして、仏法僧、セキレイ系もいろんなタイプがやってくる。ボケ爺の乏しい観察の経験からである。

 小鳥の社会でも、きっと誰かが、あちらの森に移動しよう、こちらにしようと、仕切っている者が居るのだろう。それはポリバレント(Polyvalent)な親分であるに違いない。 サッカーの世界で、最近さかんに使われ始めた「ポリバレントな人材」とは的を射た使い方のように思っている。ボケ爺の製品開発の現場においても、まさに、「ポリバレントな人材」が必要である。企業では「プロジェクトマネージャー」と呼ばれる職種に当たる人材は、この「ポリバレントな人材」が適任である。(経営者は当然として)

 ボケ爺の経験で、10年ほど前に痛風になった。その時は当然痛風とは分からなかった。近くの大学病院の緊急治療にお世話になったが、専門家のたらいまわしである。内科、皮膚科、外科、挙句の果てに、整形外科では薬の調合を間違え副作用、呆れてしまう。外科まで回った時に、若い美しい看護師が外科医に、「通風ですよ」とささやいた。ここまで、医者も専門バカになってしまっている。ポリバレントな医者の出現に期待する。当然に、医学だけの世界にとどまらない。

 さて、ポリバレントな人材の育成には苦労をする。未だ方策は見つかっていない。ボケ爺の一生の課題である。一般的には、「I型から、T型へ、そしてΠ型」へ、と考えるのだが?

<読書>

「ポストモダンとはなんだったのか」本上まもる PHP新書

正直、難しくって分からない。浅田彰の「構造と力」はショックであった。そんな時代から、福田知也まで駆け抜けてきている。ポリバレントな教育に悩んでいるが、思想環境の時間は止まっていない。時代によって人々の思想は変わっている。教育思想、方法は、何時も遅れている。だからポストモダンは明確にならない。ボケ爺はクラッシクから抜け出せない。トホッホ!(汗)

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2007年6月15日 (金)

大食漢の日本

 先日、ロシアが生蟹の輸出を制限する、ヨーロッパがヨーロッパうなぎの輸出を制限する。マグロも制限が始まって久しい。鯨も続くという。これらの直接の影響は日本である。

 日本は、食品自給率が40%である。食料を供給する人々(生産者)が少なくなったのか?趣向が変わって、生産種の変化についていけないのか、経済原則が働いてなのか分からないが。

面白い統計があった。食糧輸入総量に輸入距離を掛けてみると、日本は、約9千億トン・キロ、となる、「フードマイル」値が計算されている。二位のアメリカ、韓国の約3倍だそうである。

 総量か、距離かが大きいわけだけれど、いずれにしても3倍とは、量が多くないとすれば、地の果てまで、日本人は食い荒らしていることになる。これを観ても、食うことに日本人は鈍感なのかも知れない。味には微妙な感覚を残している、といわれているが、世界の中の日本であることには変わりはない。世界食料総量は年々減少しているという。日本だけが独り占め出来る訳が無い。ここにも日本人は世界が見えない、個人主義がはびこっている。アメリカの大盛り、と日本の美食を止めれば、世界は飢える事は無い、と考えるのはボケ爺のような居候の発想か。

 B級ご当地グルメの祭典の2回目が行われ、富士宮市の「富士宮やきそば」が二年連続でグランプリに輝いたそうである。平和な戦いである。富士宮市にしてみれば、こんな祭典のおかげで、経済の活性化が起きているという。その経済効果は、妬く2百17億円ということになるそうだ。麺の販売増だけでも70億円以上というから驚きである。

 その他のメリットは人々の心「ソフト」の麺が活性化しているという。「コト」の発想である。ボケ爺のようなオヤジギャグが次から次と生まれるから、脳の活性化、若返りに効果がある、という。「やきそばG麺」「三者麺談」「ミッション麺ポッシブル」「ヤ・キ・ソ・バ・イ・ブ・ル」(焼きそば、とバイブル)「旧焼聖書」「新焼聖書」などなど。ボケ爺には、お寒いギャクが気に入っている。

<読書>

「いつのまにやら本の虫」出久根達郎 講談社文庫

この類の本を読むと、落ちこぼれていると分かっていても、つい読んでしまう。つまり、著者は「こんなに本を読んでいる」と、自慢しているように思うからである。古本屋の出久根氏はちょっと違っていた。本の評論をしているのではなく、日常の情景から本の紹介をしてくれている。読んで損はない。

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2007年6月13日 (水)

凛とした立葵

 ボケ爺の家の近くで、通勤の途中に、当て付けがましく(関西弁か?)もゲートボール場が出来ている。二年目の今年は、葵(立葵)が背丈の倍にもなって垣根のように凛として立ち誇っている。ピンクの花は天気のいい日には特に冴える。その周辺は見違えるような若々しく元気な雰囲気が漂ってくる。ゲートボールを興じる年寄りもこれを眺めて癒されることだろう。

 それにしても社会保険庁の怠慢には呆れるしかない。何時の時代にも、甘い汁を吸ってヌクヌク暮らしている人がいる。格差以前の問題である。高官だけではない。民間にも要領のいい奴はウヨウヨいて、別世界を楽しんでいる。

 都市化した日本の社会は、さらに、バブル後の55年体制の崩壊と、似非グローバル化の波によって、混乱している。「緩やかな変革を選んだ日本」は長い混迷の時代から、先が益々見えなくなっている。

 しかし、誰もが明日の問題に振り回されて、根本の選択を提案できる能力もない。ビジョンのない軍国化、ビジョンのない税制課題、ビジョンのない教育改革、ビジョンのない財政課題、ビジョンのない地方分権化、ビジョンのない数々の外交課題、等など。国民は何故こんな状態で黙っているのだろうか。日本人は本当にアイデンティティがない。最後の頼りは「お上」と言う社会主義社会を期待しているのか?江戸時代からの体質に簡単には変わりそうにないのか。

 企業もそうである。国内市場にのみウツツを言って、グローバル化を避けている。避けていると言えばまだしも、グローバル化に異論さえ唱えて、世界標準に逆らっている。世界に勝てる商品がなくて日本の経済の明日はない、と断言できる。

 初夏に似合う「立葵」のように、日本も日本人も「凛と立ち向かいたい」ですね。

<読書>

「日本の選択」ビル・エモット、ピーター・カスカ 講談社インターナショナル

「美しい国」か「刺激的な国」か、の選択の時に来ているという。著者らは、いまさら紹介するのもおこがましいが、ここまで日本通の「外人」は居ない。グローバルメッセンジャの二人の会話は刺激的である。真剣に日本を考えてくれている。今こそ、未来の日本の選択をしなければ、一流から三流に後退する。永遠に後れを取る。凛と立ちたい人の一冊である。

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2007年6月11日 (月)

雨の中の紫陽花

 紫陽花が元気を出して、本来の美しさが冴えてきた。昨日は久しぶりに本格的な雨になった。その前までの紫陽花は、咲き時が来たので、仕方なく咲いたのだが、と元気がなかった。わが家の額紫陽花も美しく雨の中で誇らしげに輝いて観えた。

 雨が降っていなかったので、散歩に出ようと玄関を出るとポツポツ降り始めた。にわかに雷が近くでなり始めた。それでも、まだ遠くであると分かり、安心していた。例の坂道の上にある森のテラスを過ぎた時、周りが一瞬黄色く光ったと思った瞬間、落雷音が鳴り響いた。ボケ爺は久しぶりに、吹っ飛ばされたようで宙に浮いた気持ちの後、心臓が激しく鳴り響いていた。半径300mm以内に落ちたことは間違いない。しかし、落雷音が地響きを立てなかったので、木とか、電柱に落ちたわけではない。避雷針に落ちた音であった。これでもボケ爺は、落雷音には詳しい、と思っている。小学生の時に課題研究をしたことがある。変わった研究と笑われたり、しかられたり、の思い出がある。それにしても、ここに住んでから40数年、こんなに近くに現れた落雷は始めてで、正直久しぶりに驚いた。歳のせいか、その驚きが遅れてやってきたのには、思わず自分で笑ってしまった。しばらく、立ち止まって様子を伺ったが、過ぎ去ったと思えたので散歩を続けた。家々の紫陽花はそのせいか、輝いて観える。

 帰り道はまだ激しい雨が続いていた。無料の実篤公園を通り抜けた。実篤公園の中は、葉っぱを叩きつけて弾いた雨が霧状に成ったのであろう、霧にむせび、たそがれのような薄暗い散歩道となっていた。時々拭く風で、雨が活きよいよく叩きつける様は風情と言うよりも自然のリズムのいたずらの面白さが伺える。花菖蒲からは、やっとの雨乞いが叶ったような喜びの色が伝わってくる。

 愛犬チャーリーをまたしても思い出してしまった。合掌!

<読書>

「後手という生き方」瀬川晶司 角川oneテーマ21

将棋にしても、囲碁にしても、先手、と後手がある。将棋の世界では先手が52%で勝つという。しかし後手でも48%も勝てるチャンスがあると強調する。それに、著者は、その先手、後手ではなく、人生遅くから目がでることも沢山あることを強調している。著者は、サラリーマンから最近、プロになった棋士である。すでに閉ざされたプロの道を、こつこつと積み重ねて、夢を失わなかったことで、周りが、もう一度チャンスを与えてやろう!と、そのチャンスをものにした。それだけに、後手の行き方の話しに説得力がある。ボケ爺の経験からも納得の行く話と同感する。リカバリーショットの出来る、それをチャレンジする社会になってほしい。

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2007年6月 9日 (土)

「なんば」やで!

 ボケ爺の田舎は関西である。前に勤めていた会社は本社が大阪にあった。その会社を定年退職した先輩、友人から相次いでメールが来た。格別の用事はない。ボケ爺も一年ばかり、単身赴任をして大阪に住んだことがあった。その意味では、大阪に親しみはある。

 その時は、特別に大阪と言う特長を見出すことはなかった。印象も残っていない。単身赴任と言ったが、少しばかり嘘で、チャーリーと住んでいた。この生活を語れば、面白いことがたくさんあって書き尽くすことが出来ない。

 「コテコテ論序説」上田賢一 新潮新書を読んだ。「なんば」はニッポンの右脳である、と言う副題に引かれた。発想を促す本のタイトルにはきわめて弱い。たこ焼きを食いながら横断歩道を渡るオバハンをみて、「これがアジヤや!」と、島田紳助はいったと言うことが帯に書かれていたことも新鮮であった。

 そういえば、大阪は、オバハンの声がうるさい、女性の服装が派手(特に色使い)を思い出した。これらが、右脳とは関係はないだろう。

 著者の言いたいこととは若干違うかもしれないが、製造企業人から見てみると、「なんば」初の商品が、大阪名物となっていることが多い、ように思える。そんな意味では、「なんば」は右脳で発想できるところなのかも知れない。

 「かも南蛮」から始まって、「バッテラ」「オムライス」「吉兆」「ヒレ肉テキ」「かば焼き、まむし」「うどんすき」などなど、回転寿司の「元禄」はなんと大阪からである(ボケ爺は、今まで仙台が本店かと思っていた)。娯楽では、「宝塚歌劇」「吉本のお笑い」がある。

 近代企業は「松下」を初め、大阪から始まったと言ってもよい。

何時の時代にも、経済を反映させる元は、「人の欲望」である。それは「モノ」であり「コト」であることには間違いない。ビジネスの基本は「商品」である。商品発想の元は「右脳」である。ということで、三段論法で話が上手くまとまった。

 信長の楽市楽座、豊臣の茶会を初めとする贅沢、家康の祭ごと(イベント屋)、何時の時代も変わらない歴史を持っているように、ボケ爺には思える。

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2007年6月 8日 (金)

フューチャリストでありたい。

 ボケ爺は、幼少の頃から、フューチャリストであった。未来の夢だけを追っかけていた楽観主義者であった。小学校6年生の未来は何になるか?の定番の答えに、(飛行機)エンジニアと書いて、笑われたこと思い出す。アトムの手塚治虫のフューチャリストをこよなく愛し、憧れてきた。大人になってからは、本田宗一郎のフューチャリストにも陶酔している。

 「フューチャリスト宣言」梅田望夫 茂木健一郎 ちくま新書、を読む。雲の上を行く、二人の対談は、益々浮いている。ウェブ、とクオリアの世界は、共通点があるようだ。

 今、未来を語って、引っ張っていける人は、狂人でなければ出来ないことだと言う。マイクロソフトのゲイツ、アップルのジョブスは、今も、未来を作り続けている。四六時中、未来を考えている狂人である。だからイノベーションが生まれてくる、と言う。

 ボケ爺は、今は、未来への展望が全く見えなくなってしまった。なってしまったとは、以前はあったのかと言うことになる。少なくとも若い時には少しは有った、狂人だったからである。コンピュータの端末メモリーの動向で、未来は見えていた。残業で、12時ごろに家に帰って、それから朝の4時、5時まで、コタツの中で論文を書いていた。6ヶ月ほどかかったが、楽しかった。1年後に、IBMがその構想と同じ製品を出してきた。その後も、世界で最初、という部品、コンセプトなど、開発がどんどん出来ていた。今はない。

 ウェブ2.0の世界は未来を変える。公共性、と、利他性の「向こうの世界「「こちらの世界」が、人々の生きる世界を広げると言う。ボケ爺は「こちらの世界」から抜け出せない。

これからの、ウェブ2.0の時代は、Blogで講義が出来る。大学など全く要らない、と断言する。Blogに集まる人は、この両人で言えば、2万人以上のアクセスがあるようだ。未来を語るには、ウェブの世界でなくては語れない、フューチャリスト宣言で集まろうという訳だ。

「向こうにいる」、著者の二人の会話は実感的に理解が出来ない。ボケ爺は、時代遅れの惨めさを味わっている。未来が語れなくなった老いを感じる。

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2007年6月 7日 (木)

曲芸を再認識した。

 今日の午後の天気は風が出て来て、今にも雨が降りそうである。厠で用を足しながら、窓から外を眺めていると、いろんな小鳥がやってきて、ゆれている電線に機用に泊まったり、激しくなびいている木の枝に、何の躊躇もなく、ひょいと泊まったり羽を休める。

 揺れていなくて、平らなものの上であれば、目標値が広いので、それなりに分からないでもない。三次元空間のそれも、細く、ゆれている線に、それを失敗もなく、大きくつんのめる事も無く、心地よく軟着陸が出来ることは、曲芸としか言いようが無い。

 これを、コンピュータとかAIシステムで実現させる方法は何時になったら出来るのであろうか?ロボット時代と言えども、出来ない、と断言も出来るぐらいである。人間よりはるかに少ない脳細胞で、訓練も無く、いとも簡単にやり遂げる機能の分析は、いつになったら出来るのであろうか?

 など、考えていると、すでに終えている用足し部分が、涼しくなっており、隣の人がいぶかっている。ボケ爺も、頻尿かと疑われたようである。

<読書>

「ニッポン。サバイバル 不確かな時代を生き抜く10のヒント」姜尚中 集英社新書

自由なのに息苦しいこの国で、「まとも」に生き残る道を考えました、という内容である。姜教授の発言は何時も鋭い。よくもここまで自分を苛め抜けるものだと感心する。ここで問われている内容は、我々ニッポン人は真摯に考えなければ明日は見えない。この本を紐解いて、アイデンティティ意識に薄いニッポン人の明日を考えてみたい。

「お金」「自由」「仕事」「友人関係」「メディア」「知性」「反日」「紛争」「平和」そして「幸せ」

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2007年6月 2日 (土)

初夏のある朝

 土曜日だと言うのに、朝早く目が覚めるのは、年寄りの特長である、という。ボケ爺もその仲間である。ソール市の南山のふもとにある森羅ホテルは広大な庭園を持っている。帰国日と言うことで少々時間があるので、早々に散歩に出る。強羅にある彫刻の森のように、いたるところに彫刻が設置されている。うっそうと生い茂る森に良く似合う。枯れた木には、光も通過しなく下草も生えないところでも、いち早く茸が宿る。菌細胞の生命力に不思議さを感じる。アップダウンが激しく、気温も高いことから、汗がでる。約40分の散歩コースである。痛めた右ひざは未だよくなっていない。もう少し経つと杖が必要になるのであろうか?クワバラ!クワバラ!

 森羅ホテルは迎賓館を持っている。現在建築のホテルの本館とは違って、典型的な韓国館である。日本の建築物がこれらの影響を大きく受けていることが分かる。屋根の作りは特に、強い影響を受けている。鴨居、瓦と言い、形は全く変わらない。屋根のカーブも同じである。鬼瓦の基本もしっかり伝わっている。今日はイベントがあるらしく、飾り付けに忙しそうである。

<読書>

iPhone 衝撃のビジネスモデル」岡崎裕史 光文社新書

 期待ほどの切れはない。しかし、いろんな示唆を含んでいる。IT時代のネットワークのからの見方、マンマシンインタフェースからの見方、ソフトウエアの存在のあり方など幅広い。それだけ、何故「iPhone」が衝撃的なビジネスモデルなのか?言及し切れていない。

 今の携帯の操作性は、年寄りのボケ爺には全く難しい。電話機能がまず基本で、それに付加していく発想は、必ず行き詰まってしまう。「iPhone」はその発想を捨てて、機能全てを大切にすると言う操作性である。だから画期的である。(ボケ爺の開発商品の操作パネルも「iPhone」のような操作性の開発を要求したが、屁理屈を言ってやらない。あまり使わない伝統の機能に、追加機能を入れるものであるから、全く先の展開が出来なくなっている。開発者の意識を変えることは困難である。)

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