無呼吸症候の居眠り
本日の朝、第三京浜で居眠り運転ではないか、と思われるようなドライバーにお目にかかった。そういえば、居眠り運転経験者は、結構いるらしいが、そのうちで、睡眠時無呼吸症侯(SAS)と判断された内、居眠りの運転の経験者は4割も居ると言うアンケートの結果があるそうだ。事故を起こしたか起こしそうであった、と答えた人は39%で、居眠り経験者とほぼ同数である。
そういえば、ボケ爺は2度、居眠り運転で事故を起こした経験がある。一回は、信号の赤を確認して、ブレーキは踏んだのだが、その時、眠気が襲い、ブレーキが緩み、気がついて急ブレーキは間に合わず相手のバンパーにホンのわずか、触れた触れない程度のキスをしてしまった。その間、0.0?秒の出来事であった。約20年前の話である。
もう一度は、レンタカーを借りて引越しの手伝いの帰り、東北高速道で、ガードレールに接触をしてしまった。紐を引っ掛けるフックを一本フッ飛ばしてしまった。緩やかにガードレールの方に沿うように接触したのが幸いで、今日が在るのは誰かのおかげである。前日来3時間ほどしか眠っていなく、重い荷物の肉体労働の結果であった。保険金の5万円が返ってこなかった。神さんから、「専門家に頼んだ方が安く付いた」、と愚痴を百回以上も聞く羽目になってしまった。約9年前の話である。
ボケ爺のイビキと寝言は激しいらしく、25年ほど前から、神さんは一緒に寝てくれない。きっと、無呼吸症候群の一派ではないかとひそかに、軽く悩んでいる。その分、運転は気を付けなければならない。一つ一つ老いぼれていくボケ爺の姿も、それなりに老人の風格が整ってきた。
<読書>
「小学五年生」重松 清 文芸春秋
確かに、小学五年生は、大人になる入り口であったと思う。四年生ではない。早すぎる。六年生では、生意気になりすぎていた。いいところに目を向けている。人生の経験のかなりの予行演習を経験している。本題の経験談はボケ爺にも100%通じるものがある。だから、重松の作品は目が離せない。
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