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2007年4月29日 (日)

腹八分目、ボケ爺流

 土曜日の朝、5時ごろから、左下腹が痛み始めて目が覚めた。6時にはじっとしていられない。鈍重な痛みである。何かが当たったにしては、時間が経っている。胃腸が痛いにしては下過ぎる。何処からこの痛みが来ているのか、判然としない事にイライラする。散歩して、運動すれば、便がでるかもしれないと、無理に散歩にでるが、むしろ痛みが増す。こうすれば寝ているに限ると、床に入っても痛みの方が眠気の方より強い。午後から2件の面会がある。早々に断りの電話をかけるが、いずれも通じない、やっと留守電に事情を入れて断る。がやはり通じていなく待合時間に続々と電話がかかってくる。まことに申し訳ない。痛みは日曜日まで続く。丸二日、寝て過ごしてしまった。そのためか夕刻の今は収まったようなので海外出張の一週間は持つだろうと、空港に向かうことにした。

 老人には飲みすぎ食べすぎを慎むように、世の人は忠告をしてくれる。酒飲みには、週に1日にも休肝日を設けるように、という。ボケ爺は酒に弱いので、休刊日が必要だということは、神に誓っても無い。

 腹八分目は守れない。だから、休胃腸日が必要ではないか、と思うようになった。今後、土曜日日曜日は、食事をしないまでも極々少なくしようと反省している。今回の腹痛は、食べすぎからか、どうか分からないが、ひとまず食べすぎとしておこう。

 ボケ爺の生まれた頃は食料が無かった。、食べることには飢えていた。戦争が終わっても、田舎は台風が来て、米は実らなかったようである。芋もひげのようなやせた芋しか取れなかった。雑草も良く食べた。食べることには、今でも卑しくて恥ずかしい。この年になっても、腹いっぱいのその欲望を抑えられない。

 約一年前にも、便秘が丸二日続いて、一切の食物を絶つことで、治したことを思い出している。休胃腸日は必ず実行するぞ!と恥ずかしめながら、寂しい誓いを立てた。

<読書>

「漱石先生の事件簿;猫の巻」柳 広司 理論社

漱石というから読む気になった。漱石の「我輩は猫である」に出てくる登場人物を活用しながら裏話を描いているつもりだが、読みようによって面白いかも知れないが、もう少し漱石の心理状態に迫ってもらいたかった。

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