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2007年3月31日 (土)

ウグイスが来た

 この一週間、朝早く目覚める。とはいっても5時半ごろである。関東の日の出は5時半ごろとなってきているらしい。それとは関係は無い。「春眠暁を覚えず」と、孟浩然が詠んだが、全くその通りである。日中は、暖かくなると、すぐに寝てしまう。会議中など最も良い睡眠時間である。仕事が忙しくなると、朝の目覚めが早くなる癖がある。一つは歳をとったからであろうと思う。

 朝起きは三文の徳と、よく言うが、布団の中で、どうしようかと迷っていると、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。ボケ爺はしばらく外に出ていたので、日本で春を迎えるのは3年振りである。まだ、ウグイスが山から下りてきてくれていたなんて嬉しいではないか。耳を澄ますといろんな鳥の声もする。

 ごみの捨て方が変わってから、カラスがやってこない。各家が自己管理をしっかりやるようになったからであろう。そんな意味からでも「自己責任で解決」は有効な手段である。だから益々、小鳥が元気になったのだと思うと、嬉しい限りである。

 しかし困ったことに、そのウグイスの鳴き声に元気が無いのではないかと心配している。今までなら、「ホーホケキョ、ホーホケキョ、ヶキョ」であったが、この一週間の朝は「ケキョ、ケキョ ホーケキョ、ヶキョ」である。しかし毎日啼いてくれるのだから贅沢は許せない。

 と、思いきや、今日は土曜日、朝ゆっくりしていたら、近所の人達の井戸端会議で「昨日はウグイスが、この家の庭で、元気に一時間ほど啼いていましたね」ウグイスも目覚めは機嫌が悪いのだと解釈したのはボケ爺だけではないだろう。庭の椿も終わりとなった。

<読書>

「サムスン高度成長の軌跡;10年改革」 イ・ゴンヒ ソフトバンク

サムスングループの会長、イ・ゴンヒの経営の理念、手法、行動、について、まとめられている。10年間で、世界一流にするためのノウハウが詰まっている。だからマネをすれば伸ばせるとは限らない。が、学ぶべき点は多い。

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2007年3月30日 (金)

サクラがサイタ

 桜が咲いた。8分咲きが満開と定義されているらしい。今日が満開と言う事らしい。東京の開花宣言は靖国神社の特定された桜の木の5つの花が開くと「開花」と騒ぐ。そこから、一週間である。なぜ、日本人はこの桜を何故にこよなく愛するのだろうか?ボケ爺にはその心の歴史に不思議さを感じている。

 確かに美しい。多くの桜があるからだ、と単純にも思う。通勤途中でも、多くの桜で美しい。まずは、若葉小学校の校庭の桜。その内2本は一週間ほど早く咲く。NTT中央学園の桜は道路を100mほどの間、覆いかぶせて、誇らしげに咲いている。成城八丁目の枝垂桜は4本、その内一本は枝の中で3色ほど違った色で咲く。これがまた風情が在り、あでやかである。成城四丁目の開業医の玄関先の一本の古い桜は、二股に分かれており、病気になって手当てがなされて痛々しいが、隣の屋根を覆うぐらいの大木で、これまた雄大である。成城3丁目の明正小学校の桜群は、校舎を包んでいるほど多いが、春休み中の学童が現れず、寂しくたたずんでいる。桜色の淡さが悲しさをそそっている。

 昨夜は、多摩川土手の桜の名所を求めて帰ってきたが、平日で夜も遅いというのに、もうゴザを広げて騒いでいる気の早い人達がいる。

 春は、桜に元気をもらって、多くのサラリーマンは年度末を忘れ、新規年度を頑張ろうと、酒を飲んで、騒いで、桜に誓うのだろう。学校はどうなるのか?9月入学が真剣に検討されているが、ボケ爺には、ちょっと気になる話である。

<読書>

「酒日誌」坪内祐三 マガジンハウス

これだけ飲んで、仕事もしっかりこなし、こんなタフネスは無い、驚くばかりである。しかし、中身は自慢話ばかりで、俺はこんなに飲めるのだ、ちゃんと仕事もやっている、交友もこんなに居るのだ、飲み屋もこんなに知っている、と言わんばかりである。

 さらに気になる点は、お金がこんなにも続くものだと驚く。一夜で平均3軒のハシゴ。月に平均、10日として、タクシー代併せて、最低、月50万円は飲み代?文人もたかりの一種で、社用族であると、分かる。この本代、1600円は、出版社の交際費を補填するのかと思うとしゃくに障る。不愉快な本であった。その分本代を安くすべきである。出版社、明朗会計報告をして欲しい。ボケ爺の僻み!

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2007年3月26日 (月)

春の雨

 気が付けば、9時である。朝寝坊で起きられなかった。外は春の雨である。早々に軽い朝食を済ませて、また、寝ようと思っていると、雨は益々激しく、叩きつけるような激しさである。ここのところ雨は降っていなくて、20日間ほど乾燥続きだと、ラジオで言っていた。

 再び起きると、12時半であった。それでもまだ寝たり無い。酸素不足を補うために散歩にでた。散歩コースは何時ものチャーリーの好きなコースである。気温も適当でいい。木々、草花が濡れて、しっとりとした肌の感触もすがすがしい。

実篤公園にはこぶしの大木が3本ある。幹の直径が70cmぐらいはあろうか、15mは優にある。激しい雨で、美しい白い花は地面に叩きつけられている。こぶしが真っ先に咲くのには、作戦があるらしい。こぶしの花はパラボラアンテナのようになっていて、光を反射させて花弁をあっためて、昆虫を呼び寄せる、という、生物の生きる知恵である。そういえば、ボケ爺の好きな、ラッパ水仙の深い黄色は、川の向かいの空き地に二箇所ほどで、未だに寂しくたたずんでいる。春に黄色が多いのは、これも昆虫を呼び寄せるためらしい。昆虫には暖色と見えるようである。植物にも、動物と同じように生き残り作戦があるようだ。良い遺伝子を残そうと躍起である。

 啓蟄(36日ごろ)という日がある。土ごもりしていた昆虫たちがいっせいに地上に出てきて活動を始めるという日だそうだ。その前に花は咲いている。立春(24日ごろ)はとっくに過ぎているし、これは少し時期がずれているのかと思うが、暦ではそんな言葉を付けて四季の変化を祝っている。

 しだれ桜は、いたるところで満開を迎えている。仙川駅のソメイヨシノの古木は、市民活動で残された二本が開花を待っている。41日には、桐朋学園の学生たちを中心として、桜の木の下でコンサートが開かれる。今日は20度になるというので、満開は週末まで持ってくれまい。41日では楽器の音色を散り桜で柔らかく奏でてくれるものと、つぼみで埋め尽くされた古木を見上げながら、ボケ爺は期待する。

<読書>

「剣客商売四、天魔」池波正太郎 新潮文庫

疲れた頭を癒すには申し分なし。これ以上の説明も要らない。

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2007年3月24日 (土)

集中化と分散化

 超大型機、エアバス「A380」がアメリカに姿を見せた。ジョンエフケネディー空港とロスアンジェルス空港とに飛来して、購買宣伝活動を行ったようである。総二階建てで、800人ほどが乗れる超ジャンボ機である。すでに2年ほど遅れているし、最終は何時になるかはっきりしていないようである。ここまで大型機であるから、慎重に最終検査をして品質を確保してもらわなくては、怖くて乗れない。ラウンジがあり、バーカウンターもあるというが、活用が出来るのか?ゆれるとすぐに席にもどれ、シートベルトを締めろ、となることは明らかである。またエアポートのインフラが整っていないと乗客が乗り降りするのに、今のジャンボ機で40分が必要、きっと、「A380」では1時間は掛かるだろう。

 大陸間のハブを結ぶらしいのだが、本当に必要な飛行機か、疑問である。これはセンター集中型の発想である。アメリカの発注は今のところキャンセルもあってゼロだそうだ、キャンセル前の活用は貨物用であったらしい。それなら納得である。

 一方、中型機、「B787」は500機もの受注を抱えているようだ。分散化のコミュートを図るからであろう。飛行機のネットワークも分散化の時代を迎えている。10数年前のハブ構想は少なくなってきている。いつでも何処でものネットワーク時代、基地間の伝送にそれほどの意味を見出せない。

 交通機構も情報伝送とよく似ている、人か、電子データの違いである。コンピュータの発展歴史を見れば歴然と分かる。大型コンピュータの勇、IBMが構造改革の苦難の道をたどったのは、センター集中型を進めていたIBMが自らの提案の分作化に飲み込まれてしまったからである。これからは益々、スター型分散化ネットワーク化に進むであろう。これからはPCでのグリッドコンピューティングに期待がかかる。

 ボケ爺の仕事分野もそれを戦略としていきたいがそれを完成させるまでには時間が無い。愚笑妙チャーリーと天国で慰めあうことになろう。

<読書>

「インテリジェンス武器なき戦争」手嶋龍一、佐藤優 幻冬舎新書

当然に情報戦争は何処でも重要な攻撃防衛手段である。情報の読み方が大切、当然。情報の入手の仕方が重要、当然。それが東京にかなりの情報があるということには、疑問。情報の入手は語られている、自慢話として。戦争の戦略、戦争の仕方は省かれている、戦争論でないから?

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2007年3月23日 (金)

「日本人男性は世界一孤独」のウソ

 日本経済新聞に「日本人男性は世界一孤独」OECDの報告による。が小さく報じられていた。OECD加盟国のうち21カ国を対象に調査した、となっている。

 その調査内容は、「業務以外で、友人や同僚と出かけたり、サークル活動に参加したことがありますか?」16.7%が一度もない、と回答していて、チェコの9.7%をはるかに上回っている、という。

 本当だろうか?必ずしも、この結果を信じがたい。日本人は結構、「公私混同をする事に平気な国民性」を持っている。業務といいながら、同僚と仕事以外の雑談をしている。あるいは友人と会っている、会社がサークル活動を仕事の延長で奨励している、など、諸外国とは違うような気がする。また、会社の構成なども、諸外国とは違う、特に雇用形態が違う。必要な人を人事が与えてくれる日本と、必要な人材は自分が調達する諸外国とは、人的交流の基本が違ってしまっている。(世界通のボケ爺の体験談より)

 以前にも、日本人は働きすぎか?という調査で、日本人は最も労働時間が多い国、となっていたが、その中身の吟味がなされていない。事務処理の生産性が問題である。日本人は、最も生産性が悪い、と言われる様になって久しい。アメリカなど、知っている人達は、朝早くから、夜遅くまでよく働く。ドイツが最も労働時間が少ないと言われているが、ホームワークが日常化していると、友人は言う。

 それはさて置き、近年は、話しする場が少なくなっていると思う。業務上の会議の場でも、アフター5でも、こみいった話をしようというとする姿が少ないと思う。それを避けようという状況でもあるようだ。この「会話の少なさと創造性の無さ」は比例しているように思えてならない。日本人から創造性が貧困化している状況は、コミュニケーションが貧困化している事と等価ではないのだろうか?「ヒット商品は激論の中から」生まれている、と信じきっているボケ爺である。そう思うのはボケ爺だけだろうか?

<読書>

「学者のウソ」掛谷英紀 ソフトバンク

実名入りでウソをバラス事は、痛快である。基本的に学者は専門以外ではバカである。バカでなければ専門部門がまともではない証拠でもある。専門部門もバカな学者が多い。

 バカなもっともの基本は、「目的と手段」を取り違えているからである。回りにもたくさん居ますよ、こんな人が。

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2007年3月21日 (水)

人生のブレーキ

 苦しく、重く、悲しい夢を見てしまった。辛く、深く考えさせられる夢であった。

 その夢の背景はモノクロの世界であって、どんよりと曇っているような闇のようなハーフトーンの世界であった。何かを届けに、急いでいるようだが、体が重く、走ろうとしているにもにもかかわらず、その速度は一向に上がらない。なぜ急がなければならないかは判然としない。周りには同じ方向に歩いている人で一杯である。どんどん人に置いていかれる。足が重くて回転しない。手を大きく振ろうとしても重くて、重くて、振ることが出来ない。こんなはずはない、手を大きく振れば、きっと早くなるはずだ、と焦る。が、全くその動作は改善されず、重い重力を受けて思うように動かない。あるいは、高度な粘性の中で抵抗を受けて動かないようなものである。しかし、比較される多くの人は、軽々と早足で歩んでいる。なぜ、ボケ爺だけが、動けないのか、動かないのか、その理由は、夢では語ってくれない。

 夢の場面は一転して、大きな橋を渡っている。多くの人々と逆に、引き返しているのだ。用事を済ませて引き返しているのか、途中で諦めて引き返さざるを得なかったのか、全く分かっていない。唯一人、多くの人とぶつかるのを避けるように橋の端の坂道をモクモクと引き返している。往きと同じように、体が重く動かない状態は変わらない。早く逃げるように、走りたいのだが、足、かた、腰は思うように動かない。うしろ姿は背広を着ていた。上はグレー、パンツ(ズボン)は黒色であった。だがヨレヨレであった。

 ここで目が覚めた。夢の中では、手を振れ、腰を動かせ、などの意識は働いていたが、話し言葉が全く出てこない。涙が一滴流れていた。

なぜ今こんな夢を見てしまったのか?なぜ今、ただ一人、引き返しているのか、敗北して引き返しているのか、きっと敗北して引き返しているのだと思うが、さらに追い討ちをかけるように、どうして、引き返しまで、ブレーキがかかってしまうのか。

ボケ爺は、死を強く無意識で、し始めたのであろう。体のどこかにそんな兆候があるのだろう、と思う。いよいよ死に向かって、人生の反省を夢で見始めたのだと重く、深く受け止めることにした。

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2007年3月20日 (火)

焼き芋の時代

 上野毛から、二子玉川(通常、二子玉)へ下る、ひばり御殿坂のわき道から、ヒョッと、焼き芋カーが飛び出してきて、前を走ることになった。今時、焼き芋カーとは珍しい、と、昔を懐かしんだ。

 なんと、前を走ること、しばらくで、ついに、成城学園の街まで来てしまった。ボケ爺の帰り道である。焼き芋を、この成城学園の住宅街で商売をするのか、まだ先の祖師谷方面まで行くのか?焼き芋売りの「やきい~も」の声は久しく聞かない、売れるのであろうか、心配する。それにしても、なぜ、上野毛から、成城まで、(まだ先があるのか)、こんなに遠くを移動するのか?理解できない。売りながら走るならまだしも、一目散で、移動だから驚く。赤信号で時々蒔きを食えに下りてきては火加減を見て一本ほり込んでいく。芋焼きは続いていることになる。

 わが町、つつじヶ丘(若葉町)近辺では、20年ほど前から、焼き芋売りが盛んに訪れるようになった。初めは、リヤカーに窯を積み、手押しか、自転車で引いていた。その頃はよく売れていたと思う。その後、軽自動車に変わってからは、幾分売れ行きが落ちたのではないか?その頃から、定点売り(駅前で停まっての売り方)が多く在ってきた。5年ほど前からは、ほとんど見受けなくなった。コンビに、スーパーの深夜営業の影響をもろに受けたのであろう。軽自動車時代は投資がかさみ全く採算が合わなかったのではないか、と心配する。

 夏場はそんな焼き芋カーを保管する場所までが近所にあったが、今は住宅開発で、見受けなくなってしまった。時代の変化であろう。

 ロングテールビジネスで、再び復活し始めたのか?それにしても、なぜ、15Km以上も移動しなくてはならないのだろうか?上野毛あたりも成城学園以上に高級住宅街である。車の保管場所の関係か?売れ筋探しのサーベイなのか?なぜ春先か?売れる場所が分かっている?だから一商売が終わって返っていくところであったか?ビジネスの疑問は次から次に湧いてくる。

<読書>

「不機嫌な時代」ピーター・タスカ 講談社

10年前に書かれた、日本への警告の著書である。焼き芋屋ではないが、「陽はまた本当に昇るのか」を考え直す必要がある。読み返してみて、自体は一向に変化していないことが分かる。特に「日本の閉塞感」は全く認識されていないのではないか?

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2007年3月18日 (日)

ハノーバー便り、その2

 もうアルコールはこれ以上はいらない。連日のドンカラットは老いたボケ爺の体には強すぎる。頭のてっぺんまで、真っ赤になって、酒が醒める余地がない。どうして、同じDNAを持っている韓国の人たち(老若男女とも)は酒に強いのか、全く理解できない。そういえば血液型の分布は日本人と違う。

 今日は一転して雨とともにお目覚めとなった。雪でなくて良かった。フライト日程に影響がないからである、昨日はハノーバーのダウンタウンでの会食となった。街の中は、地下鉄、市電と入り乱れている。いたるところに、広場があって、心が和む。その公園には、黄色のラッパ水仙が所狭しと咲き誇っている。早春を知らせるは、ヨーロッパでは、この深い黄色である。そういえば日本でもまず冬の明けを知らせる色は黄色である。ボケ爺はこの深みのある黄色が好きであるが、うっかりと黄色が好きであるとはいえない。ボケ爺は普段も疑われている精神分裂症と言われかねないからである。油絵の具も多くの黄色があるが、毒性が強い。ボケ爺とよく似ている。何時までも何時までも、この黄色の広がりを見つめていたい。出来るならスケッチがしたいが、時間が許さない。

 こんなに入り組んだ街の道は迷路である。2年前のことである、泊まったホテルから、散歩に出たのだが、地図には強いボケ爺でも結果は惨めなことで、タクシーに頼らなければ戻れなかった。古くからヨーロッパでは都市世界を築き上げてきた、襲われた時に、敵を混乱させるために、迷路にしたと聞いたことがある。機上から見る、街々は見事に市内は迷路である。美しい街並みとは裏腹の歴史が刻まれている。

 ハノーバーは北へ、東への基点の都市のようで、北の要所であったようだ。鉄道の起点でもある。ベルリンへはここを通る。昔の会社の販社が、隣街のラーゲンハーゲンの片田舎にあったことを思い出した。赤い屋根、黒い屋根が入り混じって美しい。未だに屋根の色の違いが分からない。

 ドイツ人の顔は3種に分離できるとは、ドイツに詳しい亡き恩師に教わった。ここらあたりで北の顔と東の顔に別れるらしい。細長い顔に、長い長いまつげがうらやましい。背が高くなり、肌も白く透きとおってくるから不思議である。北はゲルマン人から離れるからか。そういえば下あごの髭も多く見かけるようになる。

<読書>

「剣客商売三、陽炎の男」池波正太郎 新潮文庫

疲れる旅の友には、このような痛快モノがいい。よくもこんなに事件を考えられるものだ。それぞれが日常で起きてもおかしくないから面白い。

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2007年3月16日 (金)

ハノーバー便り

 快晴である。地平線から立ち登る日の出はいずこも尊厳な気持ちにさせてくれる。気温は7℃ほどで、早春の霧が格別に森から押し寄せてくる。爽快である。すでに芝生や、牧草は青々としている。空は抜けるような青さで、飛行機雲が東西南北に走っている。

 セイビットが開かれるメッセ会場への道路はこの時期、大きなリンク状(円を描くように)の一方通行になる。さすがドイツ人の考えることであり、対面交通が、いっせいに同じ方向に走り始める。その為、降りる出口を誤ると永遠に回っていなくてはならないことになる。ここハノーバーは年に数回あるこの展示会場で賑わうこと意外は、いたってのどかな田園地帯である。計画的に残されている林も酸性雨の影響がまだ続いているようで、枯れ木が目立つ。昨年は風力発電の塔が3本であったが、今年は20本ほどが見える。クリーンエネルギー化が進んでいるように思える。

 毎年、初日の来館者の出足が悪くなっていて、少なくなっているようだ。展示会社も内容も変化が激しい。その上、来年はIT産業と、通信産業とが分離され、違う日となるようだ。セイビットは益々規模が小さくなってしまうことだろう。

 今年は昨年と違って派手なデモンストレーションは少ないようで、比較的に静かである。新製品も昨年ほどではない。少し、競争が控えめになったように思う。その分技術の熟成が進んでいて、細かい点での差別化が進行している。

 帰りが混むので、少し早めに帰ることにして、タクシーを使った。やはりディーゼル車がほとんどで、仕方なく乗ることにした。アッという間に170kmほどにスピードアップする。それでも追い越される車が多く、遅く感じるから不思議である。ディーゼルエンジンの音はそんなに感じない。それにも増してタイヤからの音が大きい。コンクリートだからである。ヨーロッパの低燃費車といえば、ディーゼル車であることがよく理解できる。今では40%以上になっているそうだ。ビジネスは地域で違うことがよく分かる。

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2007年3月15日 (木)

機上にて

 午前半ばのフライトは、珍しい。ドイツはミュンヘンとハノーバーしか知らない。その他の都市は一見さんであった。今回もハノーバーである。毎年の行事となってしまっている。セイビットといわれる展示会が開かれるからである。

 機体はオンデマンドのオーディオが付いている。こうなると映画の見っぱなしになり、寝れないし、本が読めない、ということになる。寝ることを義務付けようと、言い聞かせたが、誘惑には弱い。4本も見てしまった。おかげで、2時間ほどしか眠れなかった。

 機内には、花粉が一杯詰まっているらしい。クシャミ、鼻汁、涙がいつもより多いようだ。せっかく花粉から逃れようとしていたのに、不愉快である。寝不足と併せて、ボケ頭は益々ボケてくる。ジャンボのほぼ満員の乗客は4百人が狭い機内に花粉を持ち込んだことになるから、花粉が高密度となっているのだろう。機内の空調システムはフィルターが十分でないと誰かが騒いでいた。

 今、乗り継ぎのため待合ラウンジに居るのだけれど、花粉症は一向に治らない、いっそう重くなっているようだ。ティッシュペーパーが放せない。ラウンジに入るのに、もめた。会員権が、2月で期限切れだと言う、なるほど切れている。確認するように依頼するが、事務所は電話に出ない。ここはドイツである。融通が利かない、が粘りがちで、やっと許しが出た。最近の出張は必ず、何かが起きる。それだけボケ爺も年寄りだということと自覚する。フライトを下りるととたんに、出張を後悔するようになってきる。必ずしも出張しなくても良かったのではないかと、歳が後悔を促すようだ。

 フランクフルトは曇っているとアナウンスされたが、晴天である。気温は16℃と言う事で、ここも暖かい、暖冬の影響があるのだろう。コートを着ていると汗で一杯になる。そういえば、セイビットの今の季節は、これに参加し始めた頃からは、雪、あられ、氷点下、冷雨と必ず荒れたものである。ここ3年ほどは、天気がよく、暖かい。地球規模の気候異常であることが想像できる。

 早く花粉症から逃れたい、と思ったとたん、ボケ爺の低い鼻から鼻汁が落ちてしまった。あわててパソコンを拭く始末である。

<読書>

「藤沢周平という生き方」高橋敏夫 PHP新書

「負のロマンチスト」と言い切る著者は大の周平ファンである。「苦しみと悲しみの交感」が周平の生き様であるという。ダンディは池波正太郎、に比べ周平は「ダサイ」ということだろう。市井の苦労人を主人公にする周平の作品に比べ、英雄を主人公に据える司馬遼太郎と大きく違う。ボケ爺は、当然に「ダサイ」周平の行き方に共感する

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2007年3月13日 (火)

開花は延びるが花粉症が。

 18日が開花宣言と予想されて久しい。暖冬を受けての納得であったが、ここのところ寒さが体に応える。それでも通勤途中の小学校の桜並木の十数本ある中の二本だけが6分咲きである。品種が違うのか?大木の立ち振る舞いは他と違わない。ゆっくり観察する余裕はない、先を急ぐ。

 右前に梅の大木の真っ赤な花が一段と艶やかである、それはまぶしい朝日のせいである。目がくらむほどの光量となってきた。NTT中央学園の中道の坂を上りきった正面から降り注ぐ。周りは何も見えないほど、目がくらむ。今朝は、格別に強い。周りは桜並木であるはずだが開花には程遠いと思う。

 こんな日は嫌である。花粉症が強く襲い掛かるからである。朝日を浴びながらも、何回かクシャミがでてしまう。ハンカチーフが離せない。残り1ヶ月は続くだろう。誰もいないオフィスで、土曜日の夕刊を見ていると、ヨーロッパにも花粉症があるそうな。取り分け、フランスの南、イタリア全土、スペインなどで、ハンノキ、ポプラ、カバノキ、スギ、などの花粉だそうだが、2割ほどが苦しめられるようだ。

 アメリカ西海岸のサンホゼに研究所を設立して、毎年、花粉症を避けるため、3月の終わりごろに行くことにしていた。(若かりし折のボケ爺が自主的に行けた訳ではない。会社の命令である?)そこも安心できなかった。多くの花粉が飛んでいて、結構クシャミがでる。目がゴロゴロするほどではないが、はっきりと花粉症であると、認められる。ヒマラヤスギ、他、であるらしい。

 韓国は全くそれがない、スギらしき木が存在しないからだ。快適な生活を送ることが出来ていた。早く、出張を作って花粉を避けたいものだ。夏場の避暑のようであるが、そんな優雅な話ではない。

 ドイツは花粉があまり飛ばないそうだ。そんな訳で、明日は機上の人となり、花粉を避けるためにドイツに出張することにした。一週間でも鼻を休めて、目を清めてきたい。願わくは、ボケ爺のボケ頭も多少はすっきりとすることを期待したいのだが。

<読書>

「「ゼロ戦」でわかる失敗しない学」日下公人 ワックブンコ

「失敗はある」、それを繰り返さないことである。その例を「ゼロ戦闘機」の開発導入の歴史から、実に明快に説明している。敵も学習する。状況は絶えず変化している。「柳の下に再びドジョウはいない」。だが、ボケ爺の失敗の繰り返しは止まらない。反省が、学習力がない、嘆かわしい。

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2007年3月12日 (月)

老舗百貨店

 休出が相変わらず続く。面談の用事で会う近くで、駐車場を探していたら、デパートの駐車場が見つかった。幸い休みだというのに、すんなりと、停めることが出来た。その分早かったので、昼食を取っておこうと思い、最上階の食堂に行こうとした。エレベータを見つけると、これが古いエレベータである。四台あるがボタンはそれぞれに押さなくては応答しない。大きな針が居場所を知らせるタイプである。さすがにドアーは手で開けなくても良かったが。一階の床も幾分斜めに傾いているように思える。

 七階の食堂の名が、「お好み食堂」となっている。いまどき「お好み食堂」とは、ここだけではないか?窓はステンドグラス。入り口は明治時代の開港の写真が飾ってある。客層の平均年齢は70歳を超えているだろう。ボケ爺が若者と間違えられそうである。九割が女性(ばあさん)である。給仕さん(この名がふさわしい)の平均年齢は50歳以上であろう。そういえば、他の店内の客層も、お年寄りが多い。食事の量はボケ爺にも少し多めである。それらをお年寄りのばあさんたちは平らげている。ロースカツなど人気らしい。その老人パワーには圧倒される。

 デパートではなく百貨店は、レトルト調で、結構落ち着いていて、ノンビリとした雰囲気が漂っている。案外、年寄り向けに絞って、こんな老舗風の百貨店も、ビジネスになるのかも知れない。団塊の年寄りの時代にはふさわしい発想ではないか、売上額はいかほどにと、考え込んでしまった。店員も、若者が見つからない。疑いもなく平均年齢が50歳であり、結構、年寄りの扱いが上手いのだろう。それでいて。なかなか混んでいるのであるから、これからが恐ろしい。

 老人ビジネス、ここにあり、と、妙に納得した。その分ボケ爺も十分に老人の仲間入りだったりして。クワバラクワバラ!

<読書>

「適当論」高田純次 ソフトバンク新書

世捨て人のようなタイトルの本をよく手にしてしまう。これも年寄り、老人になったせいであろう。「適当」とは「いい加減」ということであろう。「バランスがある」とも言うのかもしれない。さらには「無責任」であれ、ということか。力を抜いて、むきにならず、焦らず、ノンビリと、リラックスした生活を楽しもうということである。ボケ爺にはないものねだり、だから読んでしまう。

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2007年3月11日 (日)

ぶらぶら散歩

 普段の運動不足を補おうと思い立ち、散歩に出た。老犬チャーリーは居ない。昔一緒に散歩した最長の散歩道をたどってみる。実篤公園の中道には、相変わらず、メジロの大群が何時もの葉が落ちてしまっているも紅葉の木で楽しく跳ね回って遊んでいた。沈丁花の白い花が咲き誇っているが、いい匂いは伝わらない、花粉症のせいで鼻が詰まってしまっているからだ。こぶしが隙間もなく満開である。

広大なNTT中央学園(高校、大学校)の構内を散歩した。桜(バラ科)と名札がぶら下がっている桜が満開である。ヨシイソメノとは違う。オシベが大きく長い。写真に収めている人が居る。立派な武道館では、小学生の女の子だけの合気道の練習が行われている。構内をでると、若者たちに捕まった、「体育館は何処ですか?」と聞かれ、一緒に行きましょうと、西の敷地に案内した。そこではバトミントンの試合が行われていた。ボケ爺の得意とするところである。眺めていたが、下手である。トーナメント表を見ると、「初心者」となっていた、ウズウズするが、ノンビリしていては、運動にはならないので裏に回って、野球場、テニス場へと進んでいった。いずれも練習で皆汗をかいている。若者はいい、生き生きしている。

雑木林の中に富士見台があるが、今日はかすんで富士山が見えない。チャーリーはここで一休みを楽しみにしたものである。寮のほうに進むと様子が変である。住んでいるようには思えない、12棟ほどの寮が、お化け屋敷化している。ニ三年前までは、地方から出てきた学生でごった返していた。県木は健在であったが手入れはされていなかった。「若者は寮に住みたくなくなったのか、人材がいらなくなったのか、NTTはどうしたのだろうか、どうなってしまうのか?」など考えていたら、警備員に捕まってしまった。ボケ爺のうす汚さに驚きながら、早く出て行くように催促された。桜の木々は健在であった。3月の末にはチャーリーと花見に来たいが、叶わない。サッカー場の周りの芝生にはタンポポの一群が咲き誇っている。

そこから、家まで一気に走って帰って、朝(昼)風呂を楽しんだ。

<読書>

「脳は直感している」佐々木正悟 祥伝社

「直観力を鍛える7つの方法」と副題がついている。発想力に、想像力に直観力は大切な源となっている事は、多く体験している。ボケ爺の発想力の90%は直感である。その直感を如何説明したらいいのか、直観力はどうすれば身につくのか?いつも気にしている。本能である部分もあるが、経験、学習などの努力が必須だとも分かる。ひらめきであり、胸騒ぎである。

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2007年3月10日 (土)

人生の折り返し点?

 ボケ爺は人生の折り返し点を十分に過ぎている。定年退職して、縁があってまた働かせて頂いている。

人生にマラソンを例えるなら、マラソンのように「中間点を折り返す」、というと、折り返してからもゴールまで走り続けなければならない。帰路といっても、走っていなければ時間までにゴールには戻れないことになる。それより、30Kmあたりが本当の勝負時で在る。戻る道は来た道と違っているから、また、迷いながら戻らなくてはならない。人生、何時までも、迷い、走り続けよ!となってしまう。辛いの~!

登山に例え、山を登り、「頂上から引き返す」、といって、下山が登りと同じで道で、のんびりと引き返せることもない。つまずき方が違うし、使う筋肉もまったく違う。上るという表現は、なんとなく分かる。「降りる、下りる」は分かりそうで分からない。後ろ向きに歩むこととも違う。「上る、登る」はある地位まで、と例えるなら、その地位を下りることであっても、生活は下りる、あるいはサボることも、ボケてみて誤魔化しても、悩みを忘れることも、捨てることも、置いてくることも出来ない。粗大ごみだけに誰も受け取ってはくれないのだ。

誰か答えを持っている人、教えてください。

 ボケ爺の考えは、人生の折り返し点、何んぞはないと思う。前に進むようにしか作られていない。車のようにバックするなぞ、出来ないようになっている。そうしているうちに、「死」が訪れることになる。だから、もっとも理想な死に方は「野垂れ死に」である。幸いにして、ボケ爺には先生が居る。親父がそうであるし、愛犬チャーリーがそうである。瞬間にして死が訪れる。誰にも迷惑をかけない。父親も、愛犬チャーリーも尊敬して止まない。だから、ボケ爺はどうすれば、そんな死に方が出来るか、毎日考えている。その内「死への方法論」なる論文を書こうかとも、真剣に考えている。その前に、誰か、一瞬に死ねる方法論を教えてください。トホホ~!

<読書>

「ビジネス脳はどうつくるか」今北純一 文芸春秋

ハウツーものかと、手にとって見たら、思想本であった。売れるために題が付けられたのか?「資本とは何か」「マインドセットとは」「市場とは」「欲望と経済」など、もう一度、経済の仕組みを考える枠組みを提案している。疲れた。

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2007年3月 9日 (金)

親父を超えたか?

 昨日の続きになるが、最近、親父がよく出てくるのには、訳がある。「ボケ爺は、親父を超えることが出来たか?」である。実は、親父は、ボケ爺の前で、「親父を超すことができた」と、理由は分からないが、よく言っていたことを思い出すからである。

 「何を」が明確でないので、超えたかどうかはよく分かっていない。ボケ爺は、3点において、親父に及ばないことがある。

まず、親父を超えることが出来ていない明確なことがある。それは、「親が子を思い、精神的、金銭的支援すること」において、全く親父には脱帽である。どんなに、精神的にだけ、と言っても、足元にも及ばない。「子供たちが目的」、で働いてきた。親父は孫たちにまで、あらゆる愛情を注いだ。

二番目は、人徳であろうか、家族間では人気がない、気難しく、怒りっぽく、近づきがたい存在であった。唯、お酒が入ると、全く人物が変わった。やさしく、何時までもペットの頭をなでているがのごとく細い目で眺めていた。所謂、外面が良かった。たくさんの仲間を大切に、部下を大切に、心の底から大切にしていた。それだけに集まってくる人は多く、我が家はいつも酒盛りの場となっていた。伴侶には迷惑至極である。被害は次男のボケ爺まで及んだ。(被害の内容は以前に紹介した)現役を退いてから20年近くになっての葬儀では、50万都市のもっとも大きな斎場に、来客が溢れていたことでも分かる。

三番目は、「労働」には真摯に立ち向かっていた。頭の悪かった親父は「肉体労働」でしか、補うことが出来ないと直感していたのであろう。労働時間の多さも集中力もずば抜けた力があった。寸分を惜しんで働いていた。お酒とその時の謡ぐらいしか趣味を持たなかった。苗木を育てることが好きであったので、盆栽をやったら、と言ってもあんな道楽はイヤだ!と振り向きもしなかった。合掌!

ここまで負けていれば、情けない哀れなボケ爺は穴を掘って籠もるしか仕方ない。

<読書>

「デザインにひそむ<美しさ>の法則」木全 賢 ソフトバンク新書

デザインの美しさの秘訣は①黄金比、②白銀比、③三分の一比、④シンプル、⑤そして色、だそうである。

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2007年3月 8日 (木)

確か父親の命日?

 今日は、確か父親の命日であろう。こんなにいい加減な寓息も居ないであろう。没してから何年目になるのか?確か9年目か10年目であるはずだ。

 入院したと聞いたのが、午前の遅くで、小康状態だから、来ることはない、と確認したので安心していたら、6時半ごろだったか、「死んでしもうた」と、方言で蚊の鳴くような声で知らされて、慌てて飛び出し、終電車に間に合い、田舎に付いた時は、夜中の12時ごろになってしまった。誰にも迷惑をかけることなく、恨み事を言うこともなく、一瞬に逝ってしまった。合掌!

 綺麗な顔であったし、穏やかな顔でもあった。「わが人生、満足であった」と言わんばかりに見えた。しかし、まじめな人生の仕上げとしては少々やる事が残っていたと想像に難くない。そんな恨み言は、一切言わないと、口をヘノ字につむんでいた。「ありがとう」と言っても不思議に、涙はこぼれなかった。臨終には立ち会って、最後に、出来の悪い息子への愚痴ぐらいは聞きたかった。最後の最後まで、ボケ爺の人生の先生であり続けた。合掌!

 今年に限って、父親のことをよく思い出す。ボケ爺も死に時が近づいてきたのか、ちょっと気になる。最初の50歳になっての転職の時は、何か言われると思ったが、何一つ愚痴らなかった。老母から、後で聞いた時は「もう少しだというのに我慢が出来ないのか?」「間違いは起こさないだろうが」といっていたようである。その後、いろんなことで考えなければならなくなると、「故人なら如何判断しただろう」と父との判断の違いを確認したものである。今も比較法が続いている。合掌!

 確か、60歳を過ぎた頃から、AB型の怒りっぽい、きつい性格が少しずつ治り、穏やかな顔つきに変わって行った。ボケ爺は今だに、その域に達していないのは、残念ながら、親を超えられていない。合掌!

<読書>

「木漏れ日の街で」諸田玲子 文芸春秋

日常の家族の、なんとなく過ごしている平凡な話題をテーマに、実にきめ細かく描写が出来ていて、リアリティーに描けている。近所、友人、親子、兄妹の愛情ある心理状態、いろんな形の男女の愛のパターンを描きながら、人生のさまざま情景と人の心の複雑性を描ききっている。すばらしい出来のよい小説である。気に入った。感激した。

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2007年3月 4日 (日)

万博中央公園

 春が来たような霞の東京の上空を急上昇して、大阪に向かう。厚木の上空をアメリカから返してもらって、航路が変わり、西に向かう時間は若干早くなった。機内アナウンスで、大阪はすでに19℃となっているという。東京が17℃であったから、それよりも高い、それでも、金曜日の天気予報では、大阪は日曜日、雨になるということだったから、コートを持ってきてしまった。

 多少時間があったので、伊丹から都心に出る方法を、モノレールを選んだ。その駅に、「万博中央公園」がある。周りには白い花(名は忘れた)が7分咲きである、車中からは見えないが、梅祭りは11日までと垂れ幕にはなっている。最近盛んに見直されている、岡本太郎の太陽の塔が見える公園のゲートまでの渡り橋は、駅から人で溢れかえっている。皆は、薄着である、その上春らしいカラフルでもある。春霞がその雰囲気を一層、行楽を楽しくしてくれているようだ。

 少し歩けば、汗で一杯である。ボケ爺は人一倍汗かきであるが、それだけでなく、周りもハンカチを手に持っている人が多い。コートとジャケットを手に抱えると、急ぎ足になってしまう。汗は止まらない。雨は一日遅れたようである。

 高層ホテルからは六甲山の沖合いに落ちる夕日が淀川を赤く染め、輝いている。その淀川は穏やかで鏡のようであった。その反射光で高層ビルの窓も赤く輝き始めた。その赤さも霞がかっている。夕刻まで春の到来が続いたことになる。今日は平和な一日であった。

番外: わが道の 苦あり裏あり ここまでか

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2007年3月 3日 (土)

愛犬チャーリーの命日

 今日は愛犬チャーリーの命日である。3回忌と言う事になり、法事の記念すべき日である。16年(17年の説もある)間、家族同様の生活を送ってきた。娘のペットとして、癒し、として活躍してくれて随分と成果を挙げてくれた。娘が家をでる事になってからは、ボケ爺の腕を枕にして、一緒に寝起きしていた。その間、約10年の長きにわたった。ボケ爺はチャーリーに、「寝言やいびきを聞いてやった」というと、チャーリーは垂れた耳をクルクル動かせて、目はボケ爺を睨み、「ボケ爺には言われたくない、俺は、ボケ爺の愚痴っぽい寝言、隣の家まで響くいびきにどれだけ付きやってあげたか分からない、とんでもない!」と言わんばかりであった。仕事で悩む時は、チャーリーの頭を叩きながら「お前なら、如何考える」と聞くと、嫌な顔を一度もすることなく「ボケ爺でも悩むのか」とぺろりと、優しい眼をして、手や顔を舐めてくれた。散歩で、立ち止まり、考え事をしていると、心配そうな顔をして「ガマンだ!我慢だ」と何時までも見上げてくれていた。次から次に、いろんなしぐさの光景が浮かんでくる。合掌!

 最後の一年ぐらいは不整脈か、心臓が弱っている、との事で、薬を飲んでいた。その薬が切れるので、「もらいに行こう」と元気に飛び出して、病院に行く途中の橋を渡った所で「ギャ」と叫び、そのまま何も言わず息を引き取ってしまったようである。‘老犬としての煩わせ’、は何一つさせなかった。「偉い!」ボケ爺も見習いたいものである。臨終に立ち会え無かった事は、まことに残念だった。合掌!

 チャーリーは、ボケ爺同様に病気には強かったが、心臓が弱かったようだ。ひょっとすると弁膜症であったのかも知れない。長く息が通って生活していると、体質まで似てしまうのかと、涙がこぼれそうになる。遺伝子のいたずらかも知れない。また、合掌!

<読書>

「生命に仕組まれた遺伝子のいたずら」石浦章一 羊土社

遺伝子は間違いが、かなり少なく受け継がれるものと信じているあなた、この本を読むと、遺伝子とは如何にいい加減であるかが解る。それは嬉しいことか、悲しいことかは受け止め方しだいである。いい遺伝子を受け継いでもオンしていなければ、当然活動しない。「そんな馬鹿な!」と憤慨するのもいいのかもしれない、所詮、人は利己的遺伝子のべヒクルですから。

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