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2007年2月27日 (火)

いまさら格差

 格差は広がっている。確実に広がっている。40年ほど前にサラリーマンとなって、いっせいに競争をしてきて、大半が定年を迎えて、その後の生活を楽しんでいる。その時の同期や、組織の戦友たちとの生活基盤はそんなに多くの違いは無いように思える。今、あるプロジェクトを立ち上げるために若手の中途採用を進めている。その状況を見て、いまさらではあるが格差を強く感じてきた。

 格差にもいろいろある。人格格差(品位か)、願望格差(欲望といってしまうと範囲が広いが)、意欲格差(生活意欲)、人生観格差(将来の夢の大きさ、とでも言おうか)、企業間格差(企業比較)、賃金格差、地域格差、などなどである。

 人格格差は悪い方に、均一化されて格差がなくなっているように思える。それ以外は、どんどん開く一方である、と感じる。これが、バブル崩壊後、確実に進行してきた、と思う。小泉改革がさらに作ったかどうかはわからないが、加速して行っていることの実感は強く感じる。

 人の意識が、経済、社会構造から作られるとすれば、それは政治家、経営者の責任は思い。取り分け、教育となると難しい。ボケ爺などは、幼稚園児から大学まで、先生の影響を大きく受けている。影響を受けられた気質は、決して教育からではない。これが教育の難しさである。きっと家庭、ということに戻る。その家庭は、世間の影響を受けているとなる、とその連鎖は止まらない。

 若者たちは大変だ。まずは、共働をしないと生活が出来ないことが、初期的な格差であろう。(社会に貢献するとの意欲で共働きすることは除きますよ、そういいながら生活のためでなければいいが?)

 さて、その悪の連鎖を、何処で、誰が止めることが出来るのか?少なくともボケ爺では出来ないことは十分に理解できている。

<読書>

「悪魔のサイクル」内藤克人 文芸春秋

日本の経済格差の実態と、その打開策が明確に記されている。まことに優れた著書である。経済(景気)の循環説では説明されるにはあまりにも、今の政策は無能で、発散施行であるという。経済的格差は共同体の破壊を呼び、日本が世界で生き残れないところまで行ってしまうと、警告を発している。是非、読んでみるべき一冊である。

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2007年2月25日 (日)

冬の日本の空

 金浦空港からの帰りは、いつも朝が早い。冬場は特に、A席の窓際を取ることにしている。豊かな水に満たされた韓江の広大さと大都市を一望できる事と、富士の山を上空から眺めたいからである。いずれも、両国が誇りに思っている風景だからである。

 雪をかぶった北アルプス、南アルプスはすっきりと雲ひとつない、美しい。その先は北越辺りから伊豆に掛けて、その東の果てまで、穏やかな真っ白い雲に覆われている。その雲の始まりは、富士が雪にかぶさった高さであり、雲の上にその雪で覆われた富士がくっきりと浮かんでいる。丁度、寒波の切れ目の境界線であるかのように西と東とがくっきりと別れている。こんな不思議な自然に会えることは幸運である。東京湾は強風のためか、白波で美しい。その分着陸は暴れていた。

 話は変わるが、TVドラマで、土曜、日曜は楽しみが続いている。「ハゲタカ」と言う金融界の話と、「華麗なる一族」なる伝記、とを久しぶりに楽しんでいる。いずれも迫力のあるドラマに出来上がっている。本で読む内容といささか違っているが、本筋は守られており、一層に筋を強調している点で優れたシナリオとなっていると思う。後半が楽しみである。機会があればいい映画を観たいものである、と最近思うようになった。これも、歳のせいか、年取ってからの変化の一つである。

 このように、受動的になった事が情けない。積極的に、表現できる何かを、するようにならないといけないと、考え込む今日この頃である。

<読書>

「張込み」松本清張 新潮文庫

短編集の一つである。旅にはこんな気の置けない文庫本を持っていく事も、なんだか、怠け癖が着いたのかもしれない。しかし、清張の発想を知る事は楽しみであり、苦しみでもある。なぜにここまでの発想が出来るのか?それだけでなく、人間の心理を分解、分析できるのか?読み終えるたびに苦しくなる。

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2007年2月23日 (金)

いずこも暖かい冬

 正月明け、33階のオフィスから眺める外界はうっすらと、モヤでかすんでいる。暖かいが故に、地表から霞が発生しているような穏やかな天気が続いている。オンドル用のボイラからの煙もまっすぐ上に立ち昇っている。今日の朝は少し冷えた為か、モヤが切れて、元住んでいたブンダンという所のアパートや山の間から、すっきりとした日の出となった。7時半である。東京と丁度1時間の遅れとなっている。ここは日本との時差が無いので、7時のホテルの出発には、それでも薄暗いが、確実に明るくなっている。それにしても、暖かい冬である。

 正月明けのみんなの話題は、如何に過ごしたのか?と言うことと、マンヅゥ(餃子の5倍ぐらい大きくした物)を食べ過ぎて、どれだけ太ったか?であり、太平の話題である。その分、冬の厳しさが無かったことにもなる。太った、太った言いながらも、新年早々、相変わらず、食事会が多くて、お酒の量も一向に減る様子は無い。

 どうして過ごしたかについては、技術者の多くは、開発の遅れを取り戻すために、毎日会社に出ていた、と、にこやかに話をしてくれた。技術家は何時の時代でも休みは少ない。営業系の人は、毎日、15時間寝ていました、これからが勝負と、こころを引き締めた話が聞こえてくる。これらは、今年の厳しい経済環境を反映している。

 食生活もずいぶんと変わってきているようだ。昨日の会食はプルコギ(すき焼きに近く、関東風、関西風などと同じで、いろんなスタイルがあるようではあるが、ここは北朝鮮(韓国のすぐ上の地域)スタイルだそうだ)に、ワインと言う組み合わせのお店であった。大衆的な食事のブルコギが甘さのひつ濃さが無く、こんなに美味しいものか、肉が唇の中でとろけるのが驚きであった。ワインとのコンビネーションも抜群で、豊かな雰囲気にしたり、味わうことが出来た。最近は韓国創作料理、とかイタリアンが、いずこも同じで、若い女性の中ではやっているようで、オヤジどもは名店案内の本を読むだけで、出費が気になることと、おなかが一杯になり、ついていけないと嘆いていた。

<読書>

「十番斬り(刺客商売シリーズ)」池波正太郎 新潮文庫

何も言うことは無い、とにかく愉快で面白い。よくぞここまで創作が浮かぶものかと感心する。引退した人の生き方として、刺客商売シリーズはうらやましい読み物である。

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2007年2月20日 (火)

我輩は狂人

 昨日の続きになるが、ボケ爺は育ってきた過程かどうかは分からないが、人と同じ事をやることが嫌いであった。変わったことをしようと、いつも考えていた。今でも同じことである。好きな言葉に、「否定」があり、「逆説」がある。何でもかんでも「疑う」ことからはじめてきた。

 「一期は夢よ、ただ狂へ」の信長が好きである。風狂の禅者、一休禅僧の生き方に感動する、が、頭が悪すぎてついていけない。田辺聖子の「ひねくれ一茶」を読んで驚いた。一茶も狂人であった。真似は出来ない。ボケ爺も狂人だから。

 まともだといわれている人は実は狂人である。よって、ボケ爺も狂人、実はまともな人間らしい、とは誰も言ってくれないが、そう思っている。

 この世の中、狂っていると思う。常識が狂っている。狂っている人が言うのだから、間違いは無かろう。と常日頃考えている。そんな時に助っ人が現れた。

 先日、「「狂い」のすすめ」ひろ さちや著 集英社新書が出た。すぐに買って読んだ。実に、いい本です。人生狂わなくてはいけません。

1)     生き甲斐なんて、ペテンです。

2)     「人間は孤独」、周りとかかわるな、隣三尺で、一人で生きよ。

3)     「遊べ」自分は周りの人にとって「迷惑な存在」である。世間は全てお芝居だ。

感動だな。

 ボケ爺も、ボケてばかりは居られない。もっと狂うために、英知を搾り出さないと。

「生き甲斐は「狂へ」「狂へ」と 掻き立てる」  お粗末!

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2007年2月19日 (月)

我輩はひねくれ者である。

 ボケ爺の御母上より、いつの間にか、「ひねくれ者」と呼ばれるようになってしまって今でも変わりはなさそうである。ボケ爺自身は、最も凡人で、普通の者となんら変わりがないと思っている。「そこが、ひねくれている」、といわれる。未だよく理解できていない。

 あえて、過去を思い出してみると、ひねくれ者になったきっかけは、確かにある。わが兄は雲の上の存在である。親から、学校の先生からして、ひいきであった。所謂、学業優秀であったからである。故人の御父上がある日激怒して、「こんなに出来の悪い子供を持った親が責任である」、「一緒に死のう」と、山陽本線の踏切まで言って飛び込み心中を図ろうと、連れて行かれた。幸い、昔の山陽本線は電車の本数が少ない、何ゆえか、ここで死んでは元も功も無い、とたまにはまともな考えをして、手を振り切り逃げて、今日の存在がある。母方の姉妹で、ボケ爺と同期の子供、つまり、いとこが2人居る。これもまた優秀で、今では両人も医者をやっている。小学校から同じ学校だったから、たまらない。せめて、学業で無い面で勝とう、と思ったが、決定的な出来事があった。従兄弟たちは、絶対音感が取れる。音痴のボケ爺には信じられない、絵画の方でも、金賞と佳作の違いで決定的に叩きへこまされた。中学校二年の時である。

 ボケ爺は、馬鹿な頭で考えた。子供には決して、比較で、話してはならない。いろんな意味で一箇所にとどまってはならない。私を表に出してはならない。いわば弱者の生き方である。こんなひねくれ者が生まれてしまった。恥ずかしき限りである。

<読書>

「風の王国」五木寛之 アメーバブック

1987に出された著書(小説新潮の雑誌には、84年から連載されていたようである)を改定して、しかも、小説では異例の横書きとなっている。思想的小説(伝奇小説)である。

これを読んで、三島由紀夫の自決の前の「豊饒の海」全四巻を思い出す。幸いにして、寛之は自決に至っていない。「一畝不耕、一所不在、一生無籍、一心無私」の思想は、上記、ひねくれたボケ爺の思想に似ている。

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2007年2月17日 (土)

恩師との面談

 仕事の上でご指導いただいてから、毎年、約二十年以上、年賀状を頂いていた。大先輩だけに本当に頭が自然に下がり、嬉しい限りである。(こちらから出さない限り、返事が来ない大学の恩師もいるというのに)

 今年の年賀状は、意味深い内容が書かれていた。いつかは会えるだろうと、ご挨拶にお伺いすることをサボっていた。こうしては居られない、と新年早々に連絡を取ったのですが、結果は今日になってしまった。

 お会いして、驚いた、顔つやが良く、かくしゃくとされていて、昔の社長時代の風貌となんら変わらない。毎日、講演、会議、世話などで、分刻みのお忙しさのようである。まだこれから今までの活動、経営の考え方、などまとめていく、とおっしゃっていた。

 恩師とは、ある部品材料の開発でお世話になった。その時の教訓が、ボケ爺の座右の銘の一つになっている。「開発は6ヶ月先行することが大切であり、それより早くても、遅くてもダメである。」結果は開発した部品を使った製品は、7ヶ月ほど他社に対して先行することが出来、成功した。その後、5年ほどしてから、HPが「HP Way」の中で、同じ事を主張していた。

 LEDの開発では先行して成功されて、紫綬褒章までもらわれている。稲盛京セラ会長と同じ年に、である。日本の独創的先端技術の生みの親でもある。

 「人、生き抜くためには、信念が必要である。その信念は孤独なメンツである。」と闊歩される。「99人に無視されても、1人でも感動して引き継いでもらえれば、そのメンツが基礎となり、生き抜くことが出来る。」「人生リタイヤーしてはいけない、メンツを大切に活動することである。リタイヤーはいつでも出来る。」と続く。

 経営は「先行性のある洞察力と、一瞬の決断力である」「これは教科書では教えることの出来ない」、「動物的感である。」とも言われていた。しかし何かノウハウを教えていただきたい。

 ボケ爺は、久しぶりにすっきりとした気分である。大恩師に感謝!

<読書>

「やわらかい脳」茂木健一郎 徳間書店

考えるヒント、となっているが、頭が良すぎる人の考えには付いていけない。Blobの2004年から2005年をまとめたものである。毎日、こんな鋭い思考をしていて疲れないいのが、凡人ではない。凡人以下のボケ爺には、疲れてしまう。限界だ!脳が萎縮してしまった。

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2007年2月16日 (金)

バレンタイン

 今年もバレンタインデイは来た。ニ十何年来、ボケ爺は、神さんからの100円チョコだけになってしまっている。当然といえば当然であり、自然なことでもある。

 今回のアメリカ出張時に、ホテルとか、大きな事務所のコーナーのドラッグストアーを覗くと、いろんなバレンタインのプレゼントの品物が置いてある。ぬいぐるみなど、ピンクのハートの服を着せていたり、縫いこまれていたり、ネクタイもハートデザインがあったりと、ショールとか、チョコだけでなく、にぎやかである。

 店の人に、どんなものがよく売れるのか聞いてみると、当然ながらか、場所がらか、ぬいぐるみだそうである。親から子供へのプレゼントだそうで、買うのは男の人が多いようだ。バレンタインの話になった時、アメリカの事情を聞いてみると、アメリカでは、男女双方から、親子間とか、で、「日ごろ言えないことを告白しあいましょう」が主な習慣のように、話してくれた。日本、韓国(他の国は良く知らない)のように、女性から、男性に、告白という一方向の習慣の強いところは少ないのかも知れない。

 しかし、この日が無かったら、お菓子メーカーの売り上げが、3割はダウンするだろう。それで、経済成長に、多大に貢献(?)していることになるのだろうか。

 話によると、チョコレートも、安いのから高いものまでその幅は、ワインクラスと聞く。ワインの味も分からないボケ爺は、それでも、飲み比べては、少しは分かったつもりで、能書をたれ満足している。チョコレートまで食べ比べられなくてはならないとは、世の中勉強することが多いですね。やはり記憶力の時代である。そうしないと女性とのおしゃべりの輪に入れないのだから、哀れにもボケ爺は、益々ボケるしかない。

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2007年2月15日 (木)

外交下手

 先日の6カ国協議が、会期延長をしてでも、議長国の中国は粘りに粘って、6カ国合意に持ち込んだ。その粘りと、努力に、中国の才能と、したたかさが伺える。中国はよくやった、というべきである。それに付け、なんと日本は、その6カ国合意に、部分的に賛同せず、独自路線を進めるというエゴを表明した。何らかの理由はあるにしても、何ゆえ、6カ国協議に加わり、協議しているのか?合意できなければ、もっと高らかにアピールすべきで、粘りのある交渉をすべきである。いったん合意して、一部気に食わないから、逃げる、駄々をこねるはあまりにも子供過ぎる。拉致問題は日本独自で交渉すべき案件である。今回の外交交渉、中国の国境交渉、国家協議などを知ると、ホトホト外交下手だ、と思う。アメリカとの軍事協定などでの、外務大臣、防衛大臣の発言は、きわめて遺憾であり、きっとアメリカからしっぺ返しが来るであろう。大正末期の日本の世界から阻害され、孤独の路線を歩んでいっている時と同じように見えるのは私だけでないでしょう。歴史は繰り返されるでは、世界から、バカ国民といわれても仕方が無い。

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2007年2月12日 (月)

花粉症

 成田の降り立った途端、鼻がムズムズ、花粉症センサは、ボケても、便が黒茶色になるほど、油濃い食事をしたにもかかわらず、健在である。不思議なものである。フライトは全日空とUAとのコードシエアリング便でUAのチケットであった。年寄りのボケ爺にとって、食事は迷わず、和食である。しかし、「恐れ入りますが、和食が切れましたので、洋食からお選びくださいませんか?」なんの迷いもなく、このボケ爺から聞きに来る。ボケ爺は嫌な顔をしながら変更に応じた。帰りの便でも、いやな気がしていたが、やはり同じように、真っ先に聞きに来た。「どうして、爺をいじめるのですか?」「イエ、そんなつもりではありませんが」「UAのチケットだからですか?」「イエ、そんなことではありませんが」「なぜこのボケ爺から聞きに来るのですか?」「イエ、そんなことはありません。失礼しました。」と退散していった。食事を運んできてくれたとき、「和食のご用意をさせていただきました」と一言嫌味の捨て台詞を言っていった。「若く観られた」、と思えば気が済むことだが、それにしても。それ以外は快適であった。

 休日の中日だから、高速道路で帰ることにしたが、海岸市川ICで事故車があると言う事で、4km、次が、船橋ICを過ぎてから3km、右に、左に、夕日の始まりが高速ビルの合間からうかがえる。遠くには、かもめの滑空姿と間違えるように、次から次へ羽田から、どちらへ行くのかと飛行機が舞い上がっている。またその次の浜崎橋JCまで、5km、レインボーブリッジの頂上からは、品川のNTT-Dataビルと高層アパート群との間に、夕日が沈んだ瞬間の富士山が赤く輪郭で縁どられて、灰色でくっきりと浮かび上がって美しい。富士山の天辺からは、白い雲が舞い上がって激しく変化しているところまで観える。これも、渋滞のおかげである。我慢をすると、いいことがあると言う教訓であろう。

<読書>

「わるいやつら」上下 松本清張 新潮文庫

帰りの機中で、一気に、この大作(1200ページの原稿量)を読んでしまった。疲れているときはこんなミステリーがいいが、こんな面白く、気が抜けなくないのは、読み終わったとたんに、かえって疲れる。ネトネトした展開は、清張的でいい。犯行は順調に展開するのだが、犯人とのからくりは最後で一揆に判明するのも、清張らしいところである。

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2007年2月10日 (土)

美しい町

 今回の出張で、もっとも重要で、緊張した会議が終わって、ホッとした。結構成功したようである。金曜日であることもあって、早めにホテルに帰り、海岸通のレストランを探した。ホテルから15分ぐらいのところの小さな街で小さな店が所狭しと、並んでいる。その中の、15人も入れば一杯になるレストランで、8時までに終えてくれるなら、席は空けられると、1時間半であり、早食いのボケ爺には十分である。なんとそこはフレンチであった。価格の割には、舌がとろけるほど、美味しく頂いた。アメリカで、こんな店に当たったことは始めてである。

 連日、新聞に、トヨタ、プラス日本の車メーカの記事が出ている。あたかもアメリカの自動車メーカの時代は終わったような記事である。そういえば、事務所の駐車場の半分以上は日本車で、1割が韓国製、残り2割がヨーロッパ製のように思える。ここカルフォルニアは特にそうである。いいことか悪いことか、あと一年も経つと、大変なことになりそうである。

 前回の内容で、訂正をしなければならない。オレンジカウンティーを「市」と言ってしまったが、地域をさす名前で、アーバイン市、ニューポート市などの集合体の名前だそうです、間違いました。それにしても、グーグルの変わった建物が作られている新興IT都市でもあり、リゾート都市でもあり、本当にいいところで、美しい町である。

 天気もまずまずで、最後の厳しい会議も終わったので、予定通り、土曜日のフライトで、無事に帰ることができる。ボケ爺はいまだ時差が取れていない。明日のロスまでのドライブで居眠りをしないように気をつけよう。

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2007年2月 8日 (木)

雲の上

 今は雲の上である。出発が遅れると放送したすぐ後で、すぐに撤回して、予定通り出発した。なんだか怪しい。サーヴィスが終わった後ぐらいから、室内灯の蛍光灯が、チカチカ、と切れる前のような様相である。ボケ爺の席の上だけかと思いきや、全席でも起きている。電圧が下がっているのであろう。何か悪い予感がする。

 窓からの景色は、厚い雲上から脱して、雪で覆われたロッキーの山並みが美しい。断層もくっきりと現れている。海からの隆起で出来たとは信じがたい。その周辺は砂漠である。緑が全く無い。

 ロスアンジェルス空港の沖合いから、目的地のオレンジカウンティの空港に降りるはずである。そのロスの空港は雲に覆われている。アナウンスで、降りられるチャンスが少ないので、少しゆっくりと旋回するという。オレンジカウンティの空港は街中にある小さな空港ではあるが、離着陸の数が多い。自家用軽飛行機なども多いことで知られている。サンノゼ空港のように、街中の飛行機の離着陸は激しい。騒音の関係から急降下、急上昇である。無事着陸したものの、ゲートが空いていないので待機するという。何時もの事ながらあきれる。そのくせ、時刻表には何時03分着とか、もっともらしく記載されている。

 この空港は二つの名前を持つ珍しい空港である、「サンタアナ」、もしくは「ジョンウエイ」と付いている。オレンジカウンティ市とアーバイン市とで共有しているからか?

 ロスからドライヴで1時間ほどの東南にある美しい、発展途上の町である。太平洋の海岸が近くに迫っていいてリゾート地としても発展しているようだ。ホテルに着くまでは青空で太陽の日差しがまばゆかった。一時間ほどの打ち合わせの後、食事に出ようと思うと、ガスって来てしまった、せっかくの美しい海岸ベリでの食事が楽しめない。変化の激しい天候が冬場のここの特徴でもある。

<読書>

「刺客商売」 池波正太郎 新潮文庫

疲れた時の暇つぶしには、まこと良い読み物である。刺客商売シリーズ一である。全巻で確か16巻あったと思う。全てを読み通すつもりである。なんともいえない正太郎の面白さがにじむ。

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2007年2月 7日 (水)

サンノゼ便り

 窓から見える隣はアメリカンのB757である。並んでの着陸である。久しぶりに、サンフランシスコ空港に降りたった。2社ほどと会議がある。コートが要らない適当な気温であり、相変わらず、冬でも光は強い。夏場は草木が枯れて茶色の山々も、冬場は青々と元気にしている。

 年取ったボケ爺にとって、レンタカーはきついと思ったが、ウロウロするには、広いアメリカでは必需品である。到着ロビーに在ったレンタカーカウンタは無い。聞くと電車で行くようになったとかで早々に急いだ。アメリカの大きな空港が同じように、空港内を電車での移動に変えてきて、車の混乱とエネルギーの削減に努力している。

 懐かしいルート101のドライブである。なんだか、皆がスピードを出しているようだ。70マイルは平均出ている。55マイルの制限であったはずである、この地域の景気が良くなって忙しくなった、からか?ガソリン代が下がったからか?欲求不満がたまっているのか?しかし、快適なドライブである。時々時差の眠気が襲ってくる。

 サンノゼ付近は景気が持ち直しているというが、相変わらず空き家のオフィスが多い。グーグル、ヤフーなどの新しいオフィスはそれなりに増えている、と思う。

 打ち合わせが5時を過ぎたので帰りを急いだ。従来なら渋滞で混乱するはずのルート101は、やはり渋滞していた。ある意味で、安心した、それだけ、この地域がまだ経済的な熱気があるということである。

 朝食を一緒にしながらの会議はいつもながら早い時間を希望される。ここサンノゼは相変わらず早朝会議が多いようだ。その会話から何かをつかもうと熱がこもった雰囲気は、啓発される。

 久しぶりにドライブを楽しんだ。レンタカーを返すのが惜しい。このままサンフランシスコのダウンタウンまで一走りしてきたいが、時間が許さない、今、次の目的地のために自動チェックインを済ませた。

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2007年2月 5日 (月)

疲れる

 早くも二月に入ってしまっている。朝の日差しは強くなってきていて、6時半が明るい。ここ一週間ほど天気がいいので良く分かる。事務所の窓からの7時半の太陽はまぶしくて直接見ることが出来ないほどになってしまった。

 先日、久しぶりに、4時間ほどかけて、ヒレ酒を深飲みしてしまった。そのつけはてきめん現れた。体力不足を強く感じた。お酒の消化のエネルギーはエネルギーをもらう以上に、消費するエネルギーが上回っている。あくる日も一日かけて消化したようだ。これは歳をとった証拠である。

 先ほどの土曜日は、新橋で面会することになっていたが、東京駅で降りて、新橋まで歩いてみた。丸の内側から、東京フォーラム方面、JR京葉線方面の地価を歩いたが、その間広告宣伝は何も無い。非常口案内と、行き先案内だけである。寂しいような、落ち着いたような奇妙な感覚を味わった。東京フォーラム会館のガラスの館は奇妙なデザイン、この発想は船底をイメージしたとか言われているが。

 ビッグカメラの中を通って、JR線路通りを南に下ると、JRガード下の飲み屋は30年(ボケ爺が知っている初め)と変わっていない店もあれば、モダンなつくりに変わって驚くような店もあり、変化を楽しむ散歩となった。が体力を付けるほどの距離ではなかった。

 引き続き日曜日も面会があって、秋葉原で待ち合わせであった。そんなことから、JR御茶ノ水駅で降りて、歩くことにした。ニコライ堂を眺めて、聖橋を渡った。その先には東大行きのバスの停留所がまだ残っていた。湯島聖堂を横目で見て、神田明神におまいりをした。ボケ爺の寓息が1~2歳の正月だったかに、ここを訪れて獅子に頭を噛んでもらった、そのお礼まいりを兼ねることにした。イザ、手を合わせると、邪念一杯で、何をお願いしたらいいのか全くまとまらない。それだけ、日々の雑事に翻弄されて疲れていることが分かる。ボケ爺には過酷な状況であることがよく分かる。

 秋葉原そこからは下り坂で疲れることは無い。つまり体力を付けるほどにはならない。駅の周りはすっかり変わってしまっているが、昔ながらの、ガード下のラジオセンターは残っている。その中は蒸すような人の波である。しかし、東側が開発されて人の流れは完全に変わってしまっていた。西側の旧電気街は、マニア、オタクが多く、一般人は東側から店の見学となっているように思えた。

<読書>

「隠し剣 秋風抄」藤沢周平 文春文庫

疲れているときには、やはり、周平の著書に限る。なんとも、今の自分の心境を代弁してくれているように思う。映画化された「盲目剣こだま返し」が収録されている。

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