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2007年1月 9日 (火)

チキンラーメンは創造性の元祖

 チキンラーメンの発明者で、日清食品創立者会長でもあった安藤百福氏が5日、亡くなられた(合掌)。このチキンラーメンが世に出たのは、ボケ爺の貧乏学生時代であった。貧乏学生には、このチキンラーメンで、ボケ爺同様、助けられた人は多いはずである。「安い、早い、うまい」、のどこかのどんぶり屋のキャッチコピーをすでにこの時に、授けられていた。どんぶり鉢とお湯が在って、3分待てばいいのだから、何も言うことはない。その頃の価格は失念してしまった。

 チキンラーメンを食べた最初も、衝撃的であった。ボケ爺の遠い親戚が平塚に居た。上京早々に尋ねるように、とのオヤジの言い伝えで訪問した。お昼に差し掛かってしまい、お暇の挨拶を仕掛けた時に、美味しいにおいがしてきた。義理の叔母さんが、「簡単ですけど食べて行ってください」と言う。早々に食べる、世に言うラーメンらしい。卵と麺の絡みがなんとも言えず美味しい。この味は初めての体験であった。そもそも、関西で、その頃ラーメンなんて無かったと思う。うどんばかりの経験しかなかった。その後で分かったことだけれど、それが、このインスタントラーメンの、チキンラーメンであった。その時の叔母さんの「簡単」ですけど(普通はお粗末ですが、であろう)、が引っ掛かっていたが、その後、納得した。

 下宿生活で、お金が無くなると、34日、このチキンラーメンで飢えをしのいだこともある。実験室で、徹夜するときの夜食代わりに、重宝したものである。今から思えば、チキンラーメンがあったので徹夜も良く出来、実験も良く進んだのではないかと思う。

 その後は、カップラーメンである。世界進出するための努力が、偶然にも、チキンラーメンを二つに割って、紙コップに入れてお湯を注ぎ、ホークで食べていた人を見てヒントにした、という逸話が残っている。これは逸話ではなく実際に観たのだろう。創造とは、考えに苦しんでいる時に、多くのヒントをもらうものである。何かにつけ苦しみが無くては何も生まれない。苦しみから、どのように創造に結びつけるか、それがボケ爺の課題である。

<読書>

「チーム・バチスタの栄光」海堂尊 宝島社

噂のミステリーだから呼んだ人は多いだろう。初めは少しゆっくりした展開であるが中ほどから緊迫した展開となり、後半は論理の整理となっている。トリックとしては面白い、捜査過程の心理作戦は平凡かも知れない。ボケ爺の好きな、人間のどろどろした心理合戦のミステリーとはチョット違っている。トリックを好む人には面白い著書である。

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コメント

それにしても、
すごい発想ですねぇ!
そして、それを形にする すごさ

投稿: 維真尽 | 2007年1月10日 (水) 22時51分

維真尽>
またまた、お会いできて嬉しいです。
発想が飛躍しています。凄いことを考える人がいた、それをモノにする執念、凄いです。

そんな夢を探しています。陶芸(セラミックス、PLZTプラス)から発想できませんか?教えてください。

投稿: ボケ爺 | 2007年1月11日 (木) 07時56分

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