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2007年1月22日 (月)

大人の秘密、そのニ

 先日の、大人の秘密で、少し、誤解を生んだようで、多少言い訳でもしましょうか。

ボケ爺が幼少の頃から、特別、いろんなことが出来た環境であるかのように、読めてしまったことは、マズイ。言いたかったことは、やりたいことが出来なかった、魅せつける環境だけがあって、何もさせてもらえなく、大人になったら(お金が出来たら)何でもできると言う、大人の匂い、つまり大人の秘密を垣間見て育った、ひねくれのボケ爺の思い出話である、と言いたかった訳です。

 所詮、貧乏な環境に育ったので、日々、そこらの、枯れ木、河原での石拾い、田んぼの土いじり、藁草履つくり、などであったり、うなぎを捕まえるための道具(仕掛け)つくり、野鳥を打ち落とすためのパチンコつくり、などなどが主な創造性の養成課程であった。結構楽しく忙しい毎日であったと思う。

 一方、都会に憧れ、高級な道具が並べられている店で、将来、こんなことがしたい、出来るはずであると、想像することは、チョッピリ、大人になったようで、大人の秘密を知ったようで、それはそれで、楽しかった。将来の夢で日々一杯であった。結果は、夢ばかり追っかけて、実質が伴っていないのは、今に至っても直っていない。未だに証拠にも無く続いている困ったボケ爺である。

<読書>

「ぼくはいくじなしと、ここに宣言する」森毅 青土社

「軟弱ヒコクミンとしての戦中、頼りない教授としての戦後、アイデンティティが弱く不安に適合して現在。それなりにぼちぼち楽しく生きている」と帯にある。それが老人の品格とも言う。中身は、ご存知、森毅調の辛口エッセイである。やんわりとひねくるのはなんと上手いことでしょう。こんな書き手になりたいものだ。

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2007年1月20日 (土)

モノづくりは大人の秘密

 ボケ爺は幼少の時から、モノづくりが好きであった。手当たり次第なんでも作っては壊していた。田んぼの土で、石を壊して、枯れ枝で、竹を使って、そこらに落ちているものは何でも活用した。それこそ食事も忘れて。小学校の低学年から姫路の街に憧れた。国鉄(JR)山陽本線で二駅であった。50年も前の話になるが、その街は十分に、小学生からしたら、大人の街であった。当然ながら低学年の間は、母親に連れられて行った。夏休みの工作、正月のお年玉で何かを買ってもらうためだ。そこには、ボケ爺にとって、三つの秘密の大人を感じる店があった。

 一つ目は、工作、模型の組み立て用品を売っている店である。本当に何でも売っていた。電機部品、モーター、飛行機用ガソリン(アルコールであるが)エンジン、蒸気エンジンもその頃に出来ていた。特に、飛行機類に興味があった。母親にゴネタことを思い出した、競技用のプロペラ機の模型が欲しくなった。プロペラが、片方だけで、一方は針金でバランスを取っていた。その発想に大人を感じた。母親にねだったが、予算オーバーで買ってくれなかった。(模型飛行機で競技があるということを知っただけでも大人の世界である)店を飛び出して一人先に帰ってしまった。母親は、一ランク下のモデルを買ってきてくれていた。母親には頭が上がらない。

 二つ目は、油絵具を売っている画材店であった。油絵具でもホルベインを始め輸入品がほかにも二種類あったほどの大きな店であった。子供には大きな店と観えた。油絵に、なぜ興味を抱いたのか?油絵の上手な小学校の先生がおいでになったのは確かだが、そのアトリエで油の臭いを嗅いで大人を感じたことの影響だったのか、思い出せない。

 三つ目は、電子部品のジャンク屋である、表はれっきとした電化製品の店であるが、奥に回ると、オーディオ組み立ての部品、セットは山積みされていた。その頃はMT管の全盛期であった。小学校5年生の時に、小遣いをためて、アンプを作るべく、その店に買いに行った、今では考えられないが、小学生が一人で列車に乗って違う町、それも姫路という大都会に行くことは禁じられていた。当然、親には内緒で出かけた。帰りの姫路のプラットホームでばったり、両親に出会ってしまった。父親は手を振り上げんばかりであったのを、母親は「良く一人で来れたね、感心だ!思ったものが買えた?」と口を挟んでくれた。それだけでも母親に頭が上がらない。

 こんな大人の秘密の世界を知って早く大人になりたかった。混んだ電車の中、ボケ爺はこんなことを思い出して、にやりと、してしまい誤解をされたようだ。

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2007年1月19日 (金)

創造のチャンス

 経営学の根本的な問いは、「人間の運命と自由意志」をどう共創させるか、ということであると言い切るのは、野中郁次郎 一橋大名誉教授である。このように言い切れる人はなかなかいない。目から鱗である。市場の「神の見えざる手」にひたすら従うのか、自らの強みを生かして市場の変革に挑むのか、この好機(チャンス)を逃がさないために両者を使い分けるのか、協働させるのか、経営には難しい課題が付きまとっている。

 君主論のマキアビェリは「未来の半分は運命にかかっている、残り半分は人間が操作できる。さらには、運命を知って、その運命に先手を打って、運命の女神を打ち破れ。」と言っている。

 未来が自分の努力によらず、運命に支配されていることは面白くない。何とか、女神の前髪を自らの手でつかみたい。そのためには女神の前に回らなければならない。そんなチャンスはどんな時に「来るのか、できるのか」が課題である。

 ボケ爺の経験からして、現状の仕事に満足することなく、この仕事の延長線上の未来に何が現れるのか?その延長線上でいいのか、つまりこれが「本当にやりたい、自分の目標としていた」ことであろうか、やり通せば、どんな影響を世間に与えることが出来るのか?と、今の目的を疑って真の目的意識を探す、そんな時に、発想のチャンスが現れる。あるときには、この仕事続けるには、ボケ爺にとって「面白い」か?これからも、知的好奇心を持ち続けられるのか?を自問自答して、よし、楽しいと分かった時に、またチャンスが訪れる。

 目的として正しいか、好奇心が持続するか、で仕事の深さが決まり、創造の女神が目前に現れるチャンスはある。あるはずである?

<読書>

「技術の伝え方」 畑村洋太郎 講談社現代新書

畑村氏は「失敗学」「危険学」で有名になった東京大名誉教授である。失敗を繰り返さないためにも、正しい技術を伝え続けないといけない。2007年問題の団塊の世代の退職で、特に、技術、技能が伝わらないのではないかの、議論が盛んである。技術は正しく伝えるための方法を、伝授している。

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2007年1月16日 (火)

善玉、悪玉、単純がいい

 またまたボケ爺の幼少の頃の話である。その頃は、今と違って、単純だった、と思う。小学校の校庭に設けられたスクリーンには、「鞍馬天狗」「銭形平次」が繰り広げられた。

 嵐寛寿郎(嵐寛)だったか、長谷川一男だったか忘れてしまったが、美空ひばりの子役だけはよく覚えている。可愛かった、美しかった。獅子を頭にかぶっていたし、男の子のちょん髷を結っていたりで、粋だったね。ボケ爺の憧れの顔立ちであった、否、憧れの顔となった。ボケ爺だけでなく、この頃は子供たちの憧れのひばり、となっていた。高校時代は小百合に変わっていったが。

 その頃は、正義が必ず勝つ。正しいことを行っていると必ず助けられる。鞍馬天狗なり銭形平次が駆けつけると、悪人をやっつけることになっていた。悪人は悪人として生きられなかった。駆けつけるシーンで拍手が沸いたものであった。世の中、悪人が多く、悪と戦わねばならないことが多い、と思っていた。強い人は「自由人」であり、必ず悪を倒した。

 単純な構図が分かりやすかった。これからも単純にしていかなければならない。

<読書>

「ぼくらが惚れた時代小説」山本一力、縄田一男、児玉清 朝日新書

時代小説は「憧れの人生が詰まって」いる。上記の、鞍馬天狗も銭形平次も時代小説からの映画化である。ボケ爺は時代小説が好きである。

1:江戸時代の組織構造と現在のサラリーマン世界とが重複する。(派閥、罷免、下級など真実(真相)の追究、強くなければ生きられない)

2:幕末世代が、現在のある若者の「大志を抱く姿」と重なる。「大志を持つ」ことへの賞賛。

3:現在の不条理を、時代モノとして代弁、憤慨してくれる。                                    

4:恋、愛の純粋さは時代小説でなければ描けない。真剣な恋が描ける。

5:ひょっとしたらボケ爺もかけるかもしれない。

などが好きな理由でしょうか。

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2007年1月15日 (月)

貧すりゃ鈍する

 「貧すりゃ鈍する」と、ボケ爺のオヤジは物申していた。その時には判ったようで(善悪として)解らなかった(実感として)。当然、ボケ爺の振る舞いの注意として、オヤジは教訓をたれていたのだ。まずいことをやってしまった時に、何とか言い訳をしようとする時に説教をされた記憶がある。

 洋菓子の老舗のブランドを持っている不二家までもが。子供頃から、ペコちゃん人形の店で、ショートケーキを買って食べることが夢であった。田舎ではそんなハイカラな店は無く、上京した頃は、硬派のボケ爺には買う勇気がなかった。友達の家で不二家のマークの入ったショートケーキが振舞われて、興奮した思い出がある。食品を扱っているところで、新鮮さを欠いたら、どんなことが起こるか、子供でも分かる話である。特に、不二家という日本を代表する洋菓子の老舗で起こしてはならない失態である。

雪印での教訓で分かっているはずであるが、重役室のサルは現場には出て行かないのだろう。さらにはそれ以外にも連続して不祥事を隠蔽した企業がどんな運命になったかも、学習したはずである。それとも、重役室は居心地が良くて、新聞すらも遮断しているのか。それこそ「貧すりゃ鈍する」を絵に描いている。トップになれば、益々「欲」深くなってしまう、という人間の本性をむき出しにしてしまうのか。止める手段は無いものか?本田宗一郎は「三現主義」を貫いた。現場を観る、現場で議論をする。現物を見る。

 昨年は、特に、公職員(知事)から、企業トップ、政治家、「金と名誉」を得た人はかなりの人が、何らかのごまかしをやっている。見つかると巧みに言い訳をする。それがまた不祥事を招く。これを、「貧すりゃ鈍する」という、とオヤジに教わった。

幸いにして、ボケ爺には「金と名誉」が備わることが無かった。寂しいようで、良かったようで複雑な思いである。「貧すりゃ鈍する」のオヤジの教訓を守る状況も生まれなかった。

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2007年1月13日 (土)

尊敬する経営者との語らい

 僕にとって尊敬する経営者はたくさんいる。ここに登場する人は、創業者の後を受けて、6年間で、倍以上の規模の1兆円を優に超す越す日本を代表する大企業に仕立てた人であり、技術者経営者でもある。若手経営者の抜擢、経営の透明性、攻めの経営、決断力の経営、などで、功績のある人である。

 技術動向の打ち合わせで本社を訪問していた時に、偶然にも、ボケ爺が来社しでいることを嗅ぎ付けて(それだけでも情報網がしっかりしている)今晩会食を、と誘われた。

 NHKの番組で、「この人物と語る」だったか、で、創業者の考えを拝聴した。その時に、この創業者の語りを聞いて、がっかりした、と共に、後継者の立場の、難しさ、苦しさ、無念さ、など走馬灯のように駆け巡った。偉大な経営者であることの難しさも感じ入った。

 後継者で、ボケ爺の尊敬するこの経営者から、今まで教えられたことは数々あるが、その一つが、「オリジナルな技術」を大切に育てることである、ということであった。今回の会食で、さらに、経営、経済はかなりの部分、「技術の出来如何」によって決まるのではないか?解決できるのではないか?と思い始めたと、静かに語り始めた。「今日の日本の技術はグローバルの中で本当に勝てるのだろうか?」と、つぶやかれた。

 経営とは、「理」「義」「情」の三本の柱のバランスから成り立っている、はずで、今日は「情」が勝ちすぎている、と指摘される。しかも、この「情」が曲げられて、子飼い、とか言う上下双方とも、「甘えの世界」を作りたがっているのではないか、日本の政治から始まって至る所にはびこってしまっている、と指摘されている。それは、個人の名声と、金という欲望がそのような状態を醸成してしまうのではないか、とも指摘する。ボケ爺にも納得できる場面が眼に浮かんでくる。

 MOT(技術経営)を学んで行き、MOTを独自の「学問に仕上げて」行きたいと、意気込みを語られた。この語りを聞いて、ボケ爺はMOTを冒涜していた。経験を教えればいいと思っていたからである。「経験を学問」として止揚しなければならない、とは、目から鱗である。さらに、そこには「発想の創造性」を発見しなければならない、という。

 ボケ爺は、美味しい京会席と伏見の冷酒に舌鼓を打ちながら、考えの甘さを、大いに反省した。多くの元気をもらった。定期的な会談の場を約束していただいた。

<読書>

11分間」パウロ・コエーリョ 角川文庫

斉藤孝の「使える読書」で紹介された一冊である。至る所に、人間の本性の言葉(格言)がちらばっている、恐ろしい本である。

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2007年1月12日 (金)

人間は何処まで動物か

 「動物」を「本能」と置き換えてみると少し違う。「人間の本能」は良く分かっていないのではないか?本能を動物的と、比喩すると、分かりやすいかも知れない。アメリカは人種の坩堝化している。経済格差も並ではない。そんな中でだからか、さらに合理性を求める、個性を認めるなど、さまざまな取り組みされている。進化心理学、人間行動生態学などはここ数十年の歴史にある。企業における組織論はもっとも議論が多く、古くから工夫がなされている。個性人を効率よく活用できる組織、管理法、など、腐るほどの論文、文献がある。しかし、未だに決定論は無い。

 「重役室のサル(The Ape in the corner office)」という本を手にとって見た。副題に、「人間も組織も、こんなに「動物」だった」となっている。人間の行動生態を動物(生物)に比喩して、比較行動を論じる手法は良くあることだ。しかし、多くは部分的であった。

 オフィス(組織)はジャングルだ!から始まる論説は人間行動のほとんどを網羅して、終わるところが無い。しかもそれらは、動物的であることを証明していく。企業人の発言行動を例に挙げながらの説得はうなずける。

1:所属する処を必要とする。

2:「我々」の言葉に代表される「群れ」を作る。

3:我々の中に、上下関係、従属関係が必ず必要になる。

4:「仲間」の中で「安心」を得る。

5:常に「生き残り作戦」を考えた行動をしている。競争するが、協働する。つまり必ず仲直りをする。(利己的遺伝子論)

をベースに、出世(ボス)、組織のまとめ方、意欲の向上の与え方、など、方法論を展開していく。見事である。さらには、「非言語会話」がもっとも重要で、「怒り」「不愉快」「さげすみ」「驚き」「恐怖」「悲しみ」「喜び」を自然に見抜けること。ボディータッチを重要視するべき、との提言も動物と人間を比較しながら、している。

「内なるケダモノ(動物的本能)にまたがって一生を歩んでいく」という。これをもっと早く学習していたら、ボケ爺も、立派なボスになっていたかもしれない、と大いに反省している。

<読書>

「重役室のサル」 リチャード・ニコフ 光文社

 ニコフの博学には驚かせる。引用する人物、文献、逸話は、勉学の宝庫である。もしこれを頭の中に記憶して書かれていたなら、記憶と、ニヒルの天才である。内容はニヒルなだけに難解である。

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2007年1月11日 (木)

07年、新製品動向

 毎年、新年早々に、アメリカでは、商品の展示会がある。一つは、デトロイトで行われる自動車ショウ、二つ目には、ラスベガスで開かれる、コンシューマ・エレクトロニックスショウ(CES2007)である。今年の動向が探れるようになっている。

 ボケ爺の関係するCES2007では、多くの話題があるようだ(今年は参画しなかった)。毎年、開会の前日に、ビル・ゲイツ氏が基調講演をする。中身はさておき、講演の仕方は上手い。その点、日本人はへたくそである。格段の差がある。講演資料の中身も格段の差である。今年のコンセプトは「Connected Experience」(結びつく経験の世界)である。「Experience」は社会学、経済学、経営学などで、話題のキーワードである、それを持ち込むなどは、さすが、ビル・ゲイツである。

1:マイクロソフトのVistaの周辺機器、ソフトウエア

2:HDDの高密度化(日立、東芝)

3:液晶(LCD)パネルの更なる進化(シャープ、サムスン)

4:DVD2規格に対応できる危機とSWLG

5:ELパネルの商品化(ソニー)(FED(SEDを含む)は商品化できるのか?)

6:リアプロジェクターの進化(光源に、レーザー(ソニー)、新ハロゲンプラズマ(松下)

7:携帯の更なる進化(ノキア、モトローラ、サムスン)

 皮肉なことに、アップル社は、この時に、CESに出展せずに、パラアルトで、「マックワールド」を開催して人を集め、毎年、新商品を発表する。今年は携帯電話である。「iPhone」と名づけられて、iPodとの複合機である。HTMLメール、検索ソフト「Safari」、「Google Map」、「iTunes storePC接続(USB2.0)無線LAN、カメラ機能はもちろん、キーボードはタッチパネル。PCの世界とシームレスに繋がる、携帯のみの世界だけではないことに、深い意味がある、とボケ爺は思う。

 携帯メーカの脅威の的である。iPodを含め、アップルの成功は、ハードではない、ソフトウエア(操作性も含む)である。つまりモノとコトの融合である。幸いにも日本への進出はかなり遅れるという。

 発想には限界が無い。無限の可能性がある。無限は数学の世界だけではない。そんな技術開発にボケ爺は浸かっている。しかし、発想力、創造力に限界は感じているが、老体とボケに鞭打ってチャレンジは続ける。戦いも無限だ!

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2007年1月10日 (水)

七草がゆはビタミンC

 17日には、七草がゆを食べる伝統がある。何の意味があるのだろうかと、いつもいぶかっていたら、最近の研究では、これらの野菜に、特に葉っぱにはたっぷりと、ビタミンCが含まれていることが分かっているらしい。冬に、新鮮な青菜を取ることはいいことである、という。ビタミンCが欠乏すると、壊血病になるという。

 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロと覚えさせられたが、どれがどれか、分かってはいない。今はスーパーで、セットで売っている。がどう見ても、新鮮ではなく、しおれている。一回のみの儀式で、効果はどれだけか分からないが、昔の人は、何らかの知恵を働かせたのであろう。経験則には意味がある。

 セリはさすがにすぐに分かる。田舎で育った家の裏の池には冬でもみずみずしい、セリが生い茂っていた。すき焼きの時には必ず獲りに生かされて、冷たい水で、掃除をして食卓に出す役は、次男のボケ爺に決まっていた。それ以外にも何かにつけセリは冬の野菜として、食していただろうと、悪い記憶力にうっすらと残っているようだ。セリは美味しくない、癖のある味で、匂いも癖があった。好きにはなれない野菜であった。強制的に食べさせられた、と思っているが、案外進んで食べていたのかも知れない。

 近年はビタミンCの不足は少ないといわれているが、ストレスで多くを消耗するらしい。ストレス社会、やはり不足がちだそうだ。不足すると、コラーゲンの合成が妨げられるらしい。つまり美肌に悪いということか。

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2007年1月 9日 (火)

チキンラーメンは創造性の元祖

 チキンラーメンの発明者で、日清食品創立者会長でもあった安藤百福氏が5日、亡くなられた(合掌)。このチキンラーメンが世に出たのは、ボケ爺の貧乏学生時代であった。貧乏学生には、このチキンラーメンで、ボケ爺同様、助けられた人は多いはずである。「安い、早い、うまい」、のどこかのどんぶり屋のキャッチコピーをすでにこの時に、授けられていた。どんぶり鉢とお湯が在って、3分待てばいいのだから、何も言うことはない。その頃の価格は失念してしまった。

 チキンラーメンを食べた最初も、衝撃的であった。ボケ爺の遠い親戚が平塚に居た。上京早々に尋ねるように、とのオヤジの言い伝えで訪問した。お昼に差し掛かってしまい、お暇の挨拶を仕掛けた時に、美味しいにおいがしてきた。義理の叔母さんが、「簡単ですけど食べて行ってください」と言う。早々に食べる、世に言うラーメンらしい。卵と麺の絡みがなんとも言えず美味しい。この味は初めての体験であった。そもそも、関西で、その頃ラーメンなんて無かったと思う。うどんばかりの経験しかなかった。その後で分かったことだけれど、それが、このインスタントラーメンの、チキンラーメンであった。その時の叔母さんの「簡単」ですけど(普通はお粗末ですが、であろう)、が引っ掛かっていたが、その後、納得した。

 下宿生活で、お金が無くなると、34日、このチキンラーメンで飢えをしのいだこともある。実験室で、徹夜するときの夜食代わりに、重宝したものである。今から思えば、チキンラーメンがあったので徹夜も良く出来、実験も良く進んだのではないかと思う。

 その後は、カップラーメンである。世界進出するための努力が、偶然にも、チキンラーメンを二つに割って、紙コップに入れてお湯を注ぎ、ホークで食べていた人を見てヒントにした、という逸話が残っている。これは逸話ではなく実際に観たのだろう。創造とは、考えに苦しんでいる時に、多くのヒントをもらうものである。何かにつけ苦しみが無くては何も生まれない。苦しみから、どのように創造に結びつけるか、それがボケ爺の課題である。

<読書>

「チーム・バチスタの栄光」海堂尊 宝島社

噂のミステリーだから呼んだ人は多いだろう。初めは少しゆっくりした展開であるが中ほどから緊迫した展開となり、後半は論理の整理となっている。トリックとしては面白い、捜査過程の心理作戦は平凡かも知れない。ボケ爺の好きな、人間のどろどろした心理合戦のミステリーとはチョット違っている。トリックを好む人には面白い著書である。

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2007年1月 7日 (日)

若者サラリーマンの変化

 待ち合わせ時間にチョット早かったので、JR品川駅の港南口にある、アメリカからやって来たコーヒー店で時間つぶしをしようと入った瞬間に、なんだか異常を感じた。混んでいて場所取りに困ったと思ったわけではない。ほぼ満員のほとんどが、本を開いて勉強をしている。7割が女性である。男のほとんどは、明らかに、資格試験勉強だと分かる。各色の蛍光ペンを持って、教科書を塗りつぶしている。女性はと言えば、iPod、携帯からか、イヤホンを耳に掛け、なにやら聴きながら、教科書を読んでいる。鉛筆で書き込んでいる人も居る。6時前である。ボーとしているか携帯のメールをしている人は1割ほどである。

 仕事で疲れていないのか?ボケ爺には信じられない光景である。ボケ爺の若いときには6時では頭脳は疲れきってガタガタ震えていた。現代の若者は体力があるのか?見渡す限り、華奢な体つきである。

 今の会社に、更に貢献がしたくて検分を広める勉強をしているのか?否そんなはずはない。もしそうなら、堂々と会社で勉強するだろう。港南口は大企業の集まりである。会社が面白くなく、次の職場を求めて勉強しているのか、資格を取ろうとしているのか?きっと転職の機会に備えているのだろう。

 これでは、採用した企業も損失だし、本人が最もロスをしている。それなら、学生時代にもっと勉強しておくか、資格を取っておかなかったのか、と思う。ボケ爺にすれば、若者が、勉学に励み、成長する姿は頼もしく思うが、一方、若者の世界がここまでもしてロス多く、社会の進歩に逆らう行為にボケ爺は憂うる。ニートを含めて、困った時代であると思う。

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会社事始

 今年の年頭の挨拶は、多くの製造業において、「イノヴェーション」を詠うトップが多かったようである。バブルがはじけてから、我慢の時代が長く続いた、そこでは、多くの企業は、「効率」「選択と集中」が賞賛されて、多くは未来の技術は犠牲にして、近未来、明日の商品開発を強いられた。そこには更なる追い討ちが待っていた。「顧客の要望」に合った、顧客の意向に沿った開発が必要だとして、技術者は市場の要望を気にしすぎた。顧客は複雑系であり、決してこれが欲しいとは言ってくれない。市場は「神の見えざる手」で動いていた。今の技術家は、市場の気ままな声を聞きすぎて、疲れきってしまっている。いつの時代も技術は顧客を魅了する共感を売る事である。今派それを忘れてしまっている。

 効率の合言葉は、「改善」を優先する事であった。技術開発の費用の削減は、効率のいい「改善」しか道はなかった。そんな中から、技術の基礎がおろそかになり、あげく、「日本はモノつくり」が、得意であり、モノづくりに動向が集まったが、大きなビジネス分野ではない。Googleの価値は、日本のものづくりを集めてもかなわない。日本人は歴史的に保守的なのか?

 それに、日本の製造業(製造業だけではないが)は、世界の市場を見ることを避けている。隣国の製造業を勉強もしない。このままだと、本当に「勝ち」はなしえない。再び日は昇らない。電気メーカの元気なのは2社だけであり、他はアップアップしている。今は幸いにして、為替レートは好転しているから、救われているだけで、実力など付いているわけではない。半導体も、LCDも、プラズマも、携帯も、今年は一層深刻な常態に進むであろう。

 今年は「改善」から「革新」に向けて、経営の舵を取り直すことを期待する。

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2007年1月 5日 (金)

事始

 まだ、夜明け前である。隣の庭に、何か白い花が咲いているような気がして、寝ぼけ眼を懲らして見ると、なんと水仙の花ではないか?例年より早い、と思う。凍て付く霜柱の中で咲く水仙のたくましさの中にある美しさを思い出す。

 柔らかな日の出である。事始にはふさわしい。5日から始まる会社が多いのか、普段の込み具合が始まった。日が昇り始めて、まぶしく反射するビルの合間に沈む、満月には少し足らないのか右下が薄い、大きな白い月がさびしく物憂げである。その下には冨士の雪山が浮かんでいる。気温が下がりきっていないので目に痛いほどの切れは無い。それはそれで、柔らかなやさしさを感じる。

 昨日の日本経済新聞に、「理工と芸術の融合研究」「文明のあり方を探る」という解説があった。東京工業大学では、「世界文明センター」を設立して、学部、大学院に、人文学院、芸術学院を設立した、ようだ。東京工業大学の橋爪大三郎教授が主張する、「世界のトップを目指すために、誰もがやらなかったことをやる。芸術は人間の個人的な営為だが、万人に訴える普遍性も兼ね備えている。この創造性や想像力は自然現象を扱う理工系の研究にとって新分野の開拓の刺激になる」と。「芸術は生産から消費まで一人一組が完結させる構想力の産物。科学技術も今後はプロセス全体を見通せることが必要になる」とも言う。

 ボケ爺の経験から、常日頃、「洞察力」「構想力」という点で、芸術の体験は大変に重要だと思っている。「新しさを求める」、「異業種の融合を想像する」、点でも、芸術の心得は重要だ、と感じている。こいつはちょっと光るものを持っているな、と感じる人に、趣味を尋ねることにしている。そのデータからして、80%が田舎からの出身、65%は、絵心、文学青年、音楽(楽器など)が出来る、など芸術までとは言わないけれど、興味を抱いている、という実態がある。幼少から小学校低学年までの情操教育の重要性を、ボケ爺は主張したい、将来の社会のために。決してゆとり教育ではない。

<読書>

「心を生み出す脳のシステム」茂木健一郎 日本放送出版協会

心というミステリー、に迫る脳の構成の解説している。心は何処にあるのかは、永遠のなぞである。「感覚的クオリア」、「志向的クオリア」とそれを支える脳の構造、特に、「ミラーニューロン」がキーだと主張している。心が何処から来るのか、疑問を少しは解いてくれる。

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2007年1月 3日 (水)

3日日が終わる

 例年の、寝正月が終わった。ボケ爺は近年の正月の過ごし方は仕事の疲れを取るという名目で、寝正月と決めている。「働く」の反対は「休む」ではなく「遊ぶ」である事は分かっているが、「遊ぶ」ことを知らない。ボケればボケるほど、こんな事ではいけないとは分かっているし、なんとも出来ない事にあせっている。

 2日、と3日は箱根駅伝をTVで見ることにしている。ハプニングに感動を覚えるからである。ボケ爺はそんな意地悪な心を持っている。今年は、1区の区間新で、4分もの差をつけたことと、箱根山登りの「神様仏様」の裏切らない快走であった。いずれも、波乱ではない正当な快挙であった。「努力は人間の限界を確実に破れるものなのだ。」そんな年の幕開けに、力強いシグナルをもらった。

 その時のコマーシャルに、「一生懸命、走れ!、頑張るのだ」「頑張るのはキャラではない、なぜ、人は頑張れと言うのだろう」「頑張る姿に感動がある」とか、「走り続けろ!」「人はどこまで走れるのだろう」「俺は、いったい誰にバトンタッチをするのだろう?」などの語りがあった。意味深の一言である。ボケ爺は、今年中に、この答えを出さなければならないと心した。

<読書>

「黒衣の下の欲望」 マルト・ブロー 河出書房新社

斉藤孝の読書推薦であったので、読んでみた。正月早々に読む本ではなかったかも知れないが、インテリ層の、ストレスの裏に、このストレスの解消を、鬱積を跳ね除けるエネルギーがあってこそ、良質な仕事が出来る、高度な判断を的確にこなせるのだ、と、言いたげである。フランスではここまでしなければ、仕事をこなせないのか、そんな世界が常識なのか?ジキルとハイドの世界があると言う告白に驚かされる。

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2007年1月 2日 (火)

新年

 新年を迎えた。元日は我が家から、仙川の丘からの御来光を仰いだ。地平線から遅れること1時間以上たってからである。それにしても、いい天気である。近年としては久しぶりであろう。元旦は何か誓いを立てないといけないのだが、神の前でも思いつかない、と言うよりまとまらない。昨年の末に命じられた追加の仕事が気になっているようだ。初夢も見たようで見ないようで、良く覚えていない。かく乱していたようである。元日の晴天ほど良い年にはならないようである。ボケ爺の脳みそには十分にオーバーフローする仕事と、ボケ爺の生活病で弱った体力との戦いになるのか。

 「07年 三日坊主を繰り返す」(お粗末)幾つになっても繰り返す三日坊主ではあるが、心を入れ替えられたらいいのだが、と、昨年志を立てて、何も実現しなかった内容を今年こそは、何とかしたいのである。ボケ爺はすぐに忘れてしまうので、机の上に書き綴っておこうと思う。

 モノづくりの創造性を生業にして38年、その秘策を、40年までにまとめなければならないと、毎年あせっている。後、2年。この1年はそのためのシナリオ作りから始めよう。

 頑張らなくて、ボケ爺のボケペースで、酩酊を繰り返しながら、瞑想して、迷走しながら出来上がると幸せである。

 今年はボケるというよりは、その元になる「うつけ」を認識しなければならない。志ではなく、「うつけ」の自然体で、と自覚とを、しっかりと考えよう。表はうつけだが、裏ではそれを「ボケ」なくてはならない。「ボケ」と「うつけ」の弁証法と現象学を極めたいものである。

<読書>

「藤沢周平、未刊行 初期短篇」藤沢周平 文芸春秋

新年から、時代小説である。こんな暇はあるのか疑問だけれど、藤沢の小説の習作と言える内容に触れられた事は、ファンにとっては幸せである。義理、人情、不条理な社会への憤慨、恋慕、人生の運命、など、市民、下級武士の中で起きる、すべてが、初期の短編集で、紹介されている。ボケ爺の人生と重なる部分が多い。藤沢のうまさである、始めの一ページほどの導入箇所は、これらの初期から、すっかり出来上がっている。書き出しの導入がいかに重要であるか良く分かる。

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