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2006年11月30日 (木)

高齢者は65歳?

日本経済新聞のコラムに清家篤慶応大教授が「高齢者は65歳からか?」と、高齢者の基準を抜本的に見直す必要があるといっておられた。ボケ爺もその通り、と思う。2014年では人口の4分の165歳以上、あと30年で3分の1となるようだ。回りを見渡しても、元気なお年寄りが多い。と言う事は、65歳になっても、男は家にお金を持って来いよ!と、連れ添いは迫ってくるだろう。「男はつらいよ!」はこれからももっと長く続くことになる。

男は世に出れば、七人の敵がいるという。このままでは、一生敵を作り続け、強情な惨い一生になるのか、心が休まらない。何時になっても、勝手な人の噂を楽しむことは辞められない、止められない。サラリーマン生活は所詮、「人事ごと」だけが楽しみなのだ。

「年寄りの七つの顔の男」が目に浮かぶ。濡れ落ち葉の亭主、板ばさみの年寄り中間管理職、時折り(?)ミニの太股に目が行くオヤジ、酒が人格を変える愚痴親父、未だ続く給料運搬人、臭い、ダサイとハナつまみ者、窓際で鼻毛抜きクシャミな顔、などなどではボケ爺の今の姿そのものである。これからは「老人は退屈」なんて、ありえない、とボケ爺は嘆きながら酒を楽しむ。

<読書>

「腐蝕生保」上下 高杉 良 新潮社

 まさに、サラリーマン世界の真実の暴露である。会社の名前は変えてあっても、すぐに想像が付く。ここまで書いていいのか、は高杉小説の魅了である。イエスマン対気骨男の戦い。会社組織の実態、と、いつも若者を応援する高杉調も鮮明に出ている。その主人公の若者、吉原周平は、ボケ爺の若かりし折と重なって、特に今回は面白く読ませてもらった。会社生活、人の心は分からない。密室での決定事項の真実は伝わらない。その中でどう泳ぐのか、永遠のテーマであり、フィクションの世界である。

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2006年11月27日 (月)

飛行機デザイン

 エアバスA-380が成田に飛来したというニュースがあった。デモ飛行のようである。仕上がるまでに、まだ、遅延するという、商品の生みの苦しみを味わっていることだろう。どんな商品でも、出荷まではいろんな技術課題が噴出して、難産であることが多い。ヒット商品の舞台裏は、技術の飛躍の場でもある。それにしても大きい。850名もの乗客の乗り降りは、時間がかかって大変であろう。今のジャンボでも、乗り降りにはイライラさせられる。バンクーバーの海上バスのようには行かないであろうが。

 J-Waveの朝のニュースで、飛行機の騒音が激減できる技術が開発されて、旅客飛行機に転用されることが検討されているという。通常、今のターボジェットの旅客飛行機は120ホーンほどの騒音である。それが、70ホーンに下がると言う。それは、一般的なおばさん連中(失礼、ニュースで言っていたものですから)の会話らしい。もし可能になれば、画期的な技術進歩であり、交通手段に一段の変化をもたらす。世の中が大きく変化するであろう。本当に、離着時にもそうなるのか?信じがたいところがあるが、大きな期待である。

 それは、胴体と翼とを一体にした、偵察機で開発された、ステレス機のような姿だそうだ。すると、滑走路が長くなってしまうのではないか?と疑問も湧いてくる。その課題を、いかに解決するのか、思いを巡らす、そんな時間が楽しい。

 最近の飛行機デザインは面白くない。開発費の節減、開発リードタイムの短縮で、どのデザインも、そんなに変わらない。比較、区別が難しくなっている。しかし、飛行機の設計自由度は無限で、いろんな形(デザイン)が考えられる。そんな技術に、ボケ爺は憧れて、馬鹿な頭を使って勉強したが、全く生かすことが出来なかった。しかし、未だに、飛行機を見ると、設計の基本を点検してしまう癖は直らない。

 技術の発展にデザインから来る制約を克服することは、技術の大きな飛躍をなしえる事が多い。そんな意味で、皆が心地よい、魅力を感じる、使いやすい、便利だ、とか言うデザインから商品を考え、技術を克服することは、これからは本当に大切であると、常日頃考えているが、ツイツイ苦しくなると、デザインの方に変更を迫ってしまう。

 騒音の無い飛行機の成功を祈って、ボケ爺のやっている分野もデザインオリエンテッドで頑張ろうと思う。

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2006年11月24日 (金)

不思議な生き物

 世の中の生き物はすべてが不思議な生態をしている。石油の中で生きるバクテリア、深海の火山火口近くで、高温、硫黄を食べて生きる生物など。人間を中心とした地動説からすると、とんでもない生き物がたくさんいる。それは、生き残りを賭けた利己的遺伝子の「乗り物」に過ぎないとドーキンスは言う。今では、この話は当たり前として受け止めることにより、生物の不思議さが、さりげなく説明が付くので便利である。

 随分前になるが、NHKのサイエンスアイ(?)だったかの放映で、不思議な虫の話の特集があった。「真空、高温、高圧、放射線、絶対値温度0度、でも平気で、100年は生き続ける」その名前は「クマムシ」と言う。その時、次回の宇宙遊泳実験で、無重力では、どんなことになるか?を実験すると言っていた。その結果はどうなったかはフォローしていない。そのためには、乾燥して水分を抜いてしまうことが、キーポイントであると説明がなされていた。苛酷な環境の後で、水分を与えると簡単に生き返る。なんとも便利な生物であろうか。冬眠のメカニズムが徐々に解明されてきているが、もっと簡単な生命保蔵メカニズムがあると言う。(乾燥させればいい。) ボケ爺も乾燥させて、死んだ振りして、一定期間逃れていたいものである。攻撃する人がいなくなった頃、水を飲んで活動できるなんぞ、考えただけでも楽しくなる。

<読書>

「クマムシ?!- 小さな怪物」 鈴木忠 岩波科学ライブラリー

 日本にもクマムシの研究をしている人が沢山居るし、日本にも何種類かの「クマムシ」が居るという。それには驚いた。陸、川、海にと、どこかに、身近な虫だそうだ。NHKでは、アフリカの砂漠に近い乾燥地帯で見つかった、という説明だったが?この本では、そんなところではなく、18世紀に、そんな前から、みんなのすぐ側で見つかっていて、研究もされていたようである。古い歴史のある生物であったとは、これまた不思議である。形が熊に似ていて、足が4本ずつ計8本である。おまけに、クマムシの飼育の仕方まで説明してくれている。愉快な本である。

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2006年11月17日 (金)

日本国は大丈夫?

 日本の世の中は少し「ヘン」ではないでしょうか?ボケ爺がボケたのか、どうか知らないが、どうにも腑に落ちないことが多い。

1)     イジメ問題、毎日毎日、飽きもせずニュースの最先端で、賑わっている。先生も、教育委員会も、親も、世間も、皆、無関与、無責任、口だけの「申し訳ない」「こんな子に育てた覚えは無い」「イジメの原因を明らかにせよ」「よく調べてから」など、言い逃れと、無関心で一杯であり、これらは罪悪である。

2)     贈収賄、何時までたっても変わらない、直らない。「やらないとソンソン。」氷山の一角であり、「捕まりゃ、運が悪い」罪が軽いから、務所から出てきてからも、いつでも取り戻せると思っている。反省など全く無い。小泉構造改革とは全く関係ないことなのか、否、小泉構造改革が、贈収賄を益々助成してしまった。

3)     医者は倫理を暴走する。医者の金の時代は何時の時代も変わらない。ERで働く医者の生き様を見習って欲しい。

4)     教育基本法?何がなんだか分からない、分からないのはボケ爺だけかな。何で、十分な議論もしないで、可決を急ぐのかも分からない。安倍の実績つくり?それとも、責任逃れ?誰か分かっている人、教えてください!急ぐのは、ひょっとして、この基本法で、イジメが直るからかもしれない。急げ、急げ!

5) 公務員の不祥事、とりわけ警官の不祥事も後を絶たない。トップのトカゲのシッポ切りで終わらすからこんなことになる。倫理、粛清と叫んでも一向に良くならない。分かっているが、真剣に考えない。自分の事と思っていない。無責任、無関心、事なかれ主義の官僚仕儀は未だに健在である。

6)     松坂投手のアメリカの出す金は、「アメリカの豊かさ」の表れだろう。経済が回復したと言う今でも、バブル時代でも、日本ではこんなに金は、雑巾を絞っても出ないであろう。これこそ日本が目指さないといけない、「豊かさ」への構造改革ではなかったのか?誰がなんと言おうと、ボケ爺は、能力の流出は大歓迎である。日本と言う閉鎖的な、島国で少し出来たからと言って、満足する人種は世界から孤立する。グローバルで戦うこと、つまり、「現地で戦う」、を目指して、勝つことこそ、「豊かさ」の構造が出来ることである、と、ボケ爺は、うそぶく。

 本当に、日本は大丈夫?このままだと日本国がなくなってしまうのでは。全員、月にでも住みますか?

<読書>

「重役室のサル」リチャード・ニコフ 光文社

とにかく面白い。「会社は今日も動物園」だそうである。つまり、人間も組織も、こんなに「動物」であることが分かる著書である。今日の日本社会も、どんどん動物らしく振舞うことで安心した、それをネタにして、さらに動物化する事は、なんと自然なことか。

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2006年11月16日 (木)

日本経済は大丈夫?

 海外企業から見ると、日本企業の利益薄が気になる。本当に、日本経済は復活したのだろうか?今日の結果は、小泉政権時代の痛みを伴った構造改革が効を奏した、と高らかに謳い上げる人たちが多い。本当だろうか?

 郵政民営化で、公務員が減った?もともと郵政公社の公務員は官から独立していて、官の人権経費では無かった。だから構造改革ではない。道路公団は何が変わったか全く分からない。税制?今の体制をむしろ固定するような税制改革である。

 今日の景気は過去の重工業(一部の軽薄短小)、モノつくり中心で、産業の構造改革は全く進んでいないのでは、と危惧する。このままだと、5年後、10年後には、また、第三国に追いつかれ、今度は本当に、日本は叩かれてしまう。ボケ爺の勝手な解釈だろうか?老後も安らかでない。

 時価総額では、すべてを表せないが、日米の差は歴然としている。しかも日本の時価総額は、まやかしが多くて、株主の論理ではなく、経営者の保全がすべてである。ライブドア問題で、日本放送、フジテレビなどで、株主無視の対応を堂々と披露されていても、報道側や大衆は、買われる側の経営者に同情を示す。タイガース問題でも阪神、阪急側の経営者の保護で奔放して、株主無視もいいところである。日本の会社システムも、経営者、従業員の保護で、株主は無視される。海外と大きな違いである。この違いで日本経済が世界の中心に立てるならいいのだが。

<読書>

「日本経済は本当に復活したか」野口悠紀雄 ダイヤモンド社

 小泉政権総括の本がたくさん出ている。「本当に構造改革が進んだか」が焦点である。が、立ち読み程度だが、いい本は見つからなかった。政権交代前に発売されていた本著は、積み上げてしまっていたが、取り出して呼んでみると、「目から鱗」ではないが、今までモヤモヤしていたことが一気に理解でき、疑問が解決した。

 民主党も、こんな人をブレーンにして政策論を作ると、国会でもっと迫力のある論説が張れるのに。要は、構造改革は遅々として進んでいないこと、逆戻りしているものまであることが良くわかる。お勧め本です。

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2006年11月13日 (月)

材料革新が命

 超伝導材料は今も研究されているのだ。10年ほど前にブームは去って、もう、探せる材料は底を着いたと、思っていた。常温より少し冷やしたところで電気抵抗がゼロとなる材料があり、船舶用モータの応用が画期的に進み始めた、とのことである。材料は、イットリウム系である。実験では、出力が1.8kw(2.45馬力)で、まずまず。動力源の大きさは1/8、重量は1/3になる、というから、効率は格段に上がっている。

 燃料電池にしても、膜材料によって、性能が決まる。製品の原理的なものはほぼ、固まってしまって、新しい原理は生まれてきていない。しかし、その製品のシステム設計で、二つの進歩が重要である。一つは使われる状態の限定をうまく決めることである。それを補うのがソフトウエアであろう。二番目は、そのシステムの中の効率分析で悪いところを改良する材料開発がポイントである。そんな意味で、新材料による革新に、夢を見ている。

 今のところ、加工技術による、原価低減の時代であり、今しばらくはこの動向が続くであろう。5年もすると、2030年前に発掘された新材料の進化による革新の時代に入るのではないだろうか、と期待している。

<読書>

「ベンチャーキャピタル」八木大介、許斐義信 マネージメント社

 小説形式のビジネス書、となっており、小説では異例のはじめに、が付いているし、終わりには解説が付記されている。二人で書いているのも異例である。生物、微生物の応用ビジネスで、そのものにも興味はあった。このビジネスの内容は、今は成功していない。小説としての中身は、平凡なストーリーで、ベンチャーを育てるための環境は、このように在るべき!の正論が展開されている。MOTの観点からと、小説風が面白く、読ましてもらった。こんなビジネス書があってもいいのかも知れない。

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2006年11月11日 (土)

観客主義と言う言葉

 日本では、趣味は、と、聞かれるとスポーツ観賞とか、音楽鑑賞、とか履歴書などに書き込まれて気になっている。海外では、日本のように、「見る」という趣味は無いのではないか、と思っている。ほとんどが、「する」文化ではないか。もちろん海外では、特にアメリカなど、スポーツ観戦を「楽しむ」事は盛んであるが、だからといって「趣味」とは言わない、と、記憶している。日曜大工は立派な趣味となっている。自らが作るからである。

 海外で、趣味の話をすると、野球だ、アメフトだと言うときは、自らがプレーして楽しむことである。日本でも、「する」ことを趣味として、そんな施設の充実が重要である。「見る」事は、「楽しむ」ことで悪くは無い、大いに楽しみにしていきたい。ボケ爺など、スポーツ観戦は苦手であるが、音楽鑑賞は「楽しみ」である。だけど、履歴書などには、「趣味」とは書き込まない。そこからの評論、解析などは「趣味」ではなく学問なのか?も知れないが、趣味にしてもいいのであろう。

 「買う」、も観客主義の一つらしい。「見る」「買う」文化が、日本の経済を膨らましているようだ。ボケ爺の老後を考えると、何事にも自作する、仕方を覚えていかなければならない。

 日本の観客主義は「政治」も悪い影響を与えている、と言う。地域での、コミュニティーに、リーダーとしてアクティブな活動を「する」のではなく、傍観者が多すぎはしないか、ということである。

 企業でも同じことである。傍観していては企業が成り立たない。商品を開発「する」ことであり、営業「する」ことである。企業内はすべて「・・・する」で終わるようになっている。革新は、積極的な行動「する」ことから始まる。

<読書>

「エジソンの言葉」 浜田和幸 大和書房

「多くの人々に受け入れられる発明品は、操作が簡単でなければならない」そのためには、気がつくことすべてを「メモ」にすることだ、と言う。エジソンのメモ量は膨大で、いまだに解析が終わらないらしい。近々、それも終わり公開されると言う。エジソンのひらめき脳が明らかになることを願う。

 耳が不自由、小学校では付いて行けない、父親から虐待を受ける。その克服が「何か考え続けて」いなければならない状態を作って、「メモ」がそれを救ったと言う。

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2006年11月10日 (金)

柏崎市

 柏崎市に出張してきた。ボケ爺にとっては懐かしい、思い出深い所である。13年ぶりになる。頻繁に利用していた上越新幹線に乗るのも、13年振りである。

 しっかりと、チキン弁当、800円を買って賞味したが、味は変わってしまっていた。チキン飯はケチャップ色が増して赤みが濃くなっていた。から揚げは生姜味がなくなっていた。残念ながらあまり感銘は受けなかった。朝が早かったが、大宮辺りまでの沿線の光景は、高層ビルが多くなりすっかり様変わりしていた。越後湯沢駅を過ぎて紅葉の山間を期待したがあまり色づいているようには見えなかった。長岡の駅もほとんど変わっていなかった。

上越線に乗り換え時によく利用した立ち食い蕎麦屋は今も健在であった。長岡から柏崎の沿線は、特に長岡を出てそう遠くに行かないところはすっかり新しい住宅が立ち並んで、世帯が増えている様子、と立替が進んでいる様子が伺えた。

 塚山駅を通過したところにYonex工場があったが今も立派に駅に迫って建っている。元務めていて、通い詰めた生産工場が見えてきたが、看板は他の会社の看板に変わってしまっていた。建物は大きくはなっていなかった。苦労して建てたOPC棟は残っていたが、今も生産しているのだろうか?寂しい限りである。そういえば、沿線の米どころ新潟を支えている田園風景も変わってしまっている。稲刈りの後とは思えない、切り株からは青い葉っぱが出て、青々している。稲の取り込みが早くなったからだろう。また、あぜ道に在った稲の穂を干すための木(木の名前は失念した)が全くなくなってしまっている。農業が機械化されたせいであろう、と想像する。その木の利用はそれだけでなく、火葬するときに使われると聞いた覚えがある。青葉の状態でも良く燃えるそうで、高温にならず、程よい火加減になると言うことで重宝されたと、言う。田舎も火葬も今では重油になってしまったのであろう。

 柏崎の駅前もほとんど変わっていない。店は結構入れ替わりが激しいと聞く。昼食を良く食べた「大橋」はまだあったが朝は閉まっている。魚が美味しい店であった。

<読書>

「刺青・秘密」谷崎潤一郎 新潮社

刺青を「しせい」と呼ぶとは知らなかった。「それはまだ人々が「愚」と言う尊い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。」の書き出しは、すばらしい。作品は、人は、精神的というよりは、肉体的な野性性で生きるものだ、と、説得しているようである。フロイト的なのか。

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2006年11月 9日 (木)

機械まかせ

 海外航空チケットも「Eチケット(電子チケット)」になって便利になった。何が便利と言っても、金券相当のチケットをボケ爺の身体に保管しなければならなかったが、その気遣いは無用とのこと、パスポートのみ気にしていればいい。前回、ラスベガス空港で、いつも混むことを知っていたので、2時前に到着したが、長蛇の列である。しばらく並んだが、何時チェックインが終わるか分からない。すると、自動チェックインが10台ほど、並んでいるところがある。「Eチケット」の人はこの自動チェックインマシンを使うと便利、と書かれている。数人しか使っていないが、カウンターを横目でにらんで、勇気を持って、並んだ列を離れて、チャレンジすることにした。英語を覚悟していたが、最初の画面が、なんと、「言語を選べ」である。当然、日本語を選んだ。ガイドに合わせて、操作をすると、なんと一分もかからなくて、しかも好きな座席まで自分で選べた。実に良く出来た「GUI(画面表示案内)]である。間違えても親切に、どのように操作をし直しなさい、と案内される。「機械まかせ」もここまで来たか、と感心した。

 日本の銀行のATMはそれからすると、いずれも不親切である。まず、もっともけしからんのは、現金引き出しと、そのほか(現金預け入れ、振り替え、など)の操作速度が一緒であることである。当然、後者の方が、考え込むことが多い、だから、速度は遅く案内して欲しい。それそれ、現金を早く入れろと言わんばかりに急がせる。電車の切符なども同じである。駅間を買うには今のペースでいいのかも知れないが、大きな買い物はペースを遅くして欲しい。しばし、大きな現金が出て行くときに、考えることがある。ボケ爺だからといって、動作が鈍くなったとは考えられない、その自信はある。

 ETCを使うようになった、が、心臓に良くない。ゲートが開くのかどうか、3mぐらいまで分からない、思わず、ブレーキを踏んでしまう。その状態はスピードを遅くしようが、早くしようが、同じである。当然スピードが速いほうが、心臓に大きな負担になる。このままだと、ボケ爺は「機械まかせ」で、ショック死するだろう。

 ボケ爺にも、ストレスを与えない優しい、安心な「機械まかせ」の「GUI画面表示操作案内」を、一日も早く開発して欲しい。

<読書>

「赤い指」東野圭吾 講談社

犯罪の先に闇がある。変凡な家庭に潜む、自己愛的な家庭にありがちな、犯罪は心の罪を隠蔽しきれない。東野の作品としては、人情、倫理に触れて、善を前面に押し出している。家庭という不可思議な世界を、抉り出している。

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2006年11月 8日 (水)

健康診断

 2年ぶりに健康診断をした。韓国で、一番の病院で健康診断を受けるチャンスはあったのだが、予約当日に急用が出来たり、言葉も問題で、躊躇してしまったりで、受けていなかった。二年間の異国生活、新たな仕事、違った食事で、どんな結果になるか、興味津々であった。

 指定病院は、午前中に検査を済ませて、午後から、結果をDr.と面談で説明してくれる、と言うので、その近くをぶらぶらしながら、待つことにした。結果は4時間ほど待った。

さすがに、持病の2件は相変わらず問題である。血液内容も、超音波診断内容も、他の内容も、大きく崩れていなかった。カルビと焼酎の暴飲暴食の連続であったが、結構、野菜もたくさん食べたし、薬膳食も食べたから、「想定外」を期待していたが残念な結果であった。一部、生活習慣病での注意はあったが、これとて、以前からの継続課題である。ボケ爺の歳にしては上限値にへばりついていた。

そこまでは良かったのであるが、Dr.は静かに、「最後に、、」と言って、パソコンをクリックして、胃のレントゲンを見せて、「十二指腸も問題ないですね、食道も問題ないです。全体に問題はありません。」と、「ちょっとここだけが気になります。結構盛り上がって、荒れていますね。よく見てください。」と言われても、ボケ爺では良く分からない。続けて、Dr.は「内視鏡診断と、細胞収集して、良質か悪質かを診断した方が良いですね。」と言う。ボケ爺はそんな曖昧な表現はよく理解できないので、「その意味は、胃ガンの疑いがあると言うことですか?」と尋ねると、あっさり「そうです。」と言う。最近はガンと言う言葉をあっさりと使うようになったのだな、と感銘を受けてしまった。

看護師が、時間の予約をしますか?ときいてくる。ボケ爺は、ガンとして、「受けません。」と答えた。ボケ爺は、「心臓は弱い」としても、胃腸は決して問題になることは無いと信じているからである。これかも信じて行く。今更では無いが、健康診断は怖い。何が次に現れるか、気になるし、医者の一言は結構堪える。人間はその一言に弱い。精神的に不安定なのが人間である。しかし、肉体は環境に柔軟性を持っている、と言うことが分かった。

<読書>

「喜多川歌麿女絵草紙」藤沢周平 文春文庫

 歌麿をこんな人だと想像しながら、フィクションを楽しむのも良いのではないか?と、どこかで藤沢周平は語っていた。絵をたしなむボケ爺としては、歌麿は本当に、藤沢周平が想像するような人物ではなかったかと、深く同感した。周平の心情、文体からして、大きなチャレンジではなかったか?

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2006年11月 7日 (火)

再生ビジネス

再生ビジネスが利益を生み出している。環境課題は今に言うまでもなく、資源の再活用は重要な課題である。

 先日TVで新しいビジネスでも紹介されていたが、日本経済新聞の「なるほどビジネス」でも紹介されていた、金の発掘の話である。電気部品には接触で重要な部分は「金」を良く使う。それを回収すると言うビジネスである。特に、携帯電話は買い替え需要が盛んである。循環が激しい商品である。それを再生することは意味深い。PCもそのひとつである。

 携帯電話の中に使われている「金」の量は、わずか。0.02~0.03grである。部品に分解された重量1トン当たり、5百~千grになる。これは効率がいいのか、比べてみると、南アフリカ共和国産で、1トンで5gr、世界屈指の品質の鹿児島県菱刈産で1トン当たり、40grである、と言う。ごみの山は高効率の金山である、と言える。有名な貴金属会社の月の再生量は2トン、と言う。年々1割の増産だそうだ。

 そういえば、小学校23年ごろだろうと思う、田舎の裏庭で、磁石遊びをしていたことを思い出した。東芝姫路工場がすぐ目の前にあって、真空管工場だと聞かされていた。そこからでる不用品と回収品のMT真空管を壊し、その中に使われている、ニッケルをその磁石で採集している人がいた。その人は、「磁石でくっつくのは、鉄だけでなくニッケルもくっつくのだよ!」やってごらんと、遊ばしてくれた。そのおかげで、4年生の時の理科の時間が得意になったことを思い出す。その延長線上で、つまらない理科系人間となってしまった。

 今から思えば、その人はリサイクルと言うビジネスの最先端を走っていたことになる。

<読書>

「五年の梅」 乙川優三郎 新潮文庫

乙川の作品は何時読んでも、心にしみる。丁寧で、心配りのある心の表現力はまさに一品でやり直しを課題に据えている。心のリサイクルではないが、心が洗われる。山本周五郎の「死より生」「暗さの中の明るさ」を受け継いでいるが、表現方法は、野間宏に近いか、ドストエフスキーに近いのではないかと、ボケ爺は勝手な評論をしてみる。

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2006年11月 5日 (日)

チャーリーの散歩道

 有酸素運動が必要だと言う事であるが、日ごろはなかなか散歩時間が取れない。日曜日の今日は朝から散歩日和であることから、愚笑妙チャーリーと散歩した道をたどってみる事にした。二年ほどの間に、どのように風景が変わったのか楽しみでもあった。

 まずは実篤公園の中道であるが、嫌に明るくなっている。大木が切り倒されて、整備されてしまっている。観光にはいいのかもしれないが、森という感じが無くなり、何かさびしい。その中で、早咲きの白色に近いピンクの、最も気に入っていた山茶花がない。株だけが残っている、さびしい事である。いつもであれば、もう咲き始めていたであろう。ところどころ、杉の木の太い新鮮な切り株も痛々しく光っている。実篤の尊厳が薄れた気がしているのは私だけではないであろう。来客が多くなったという噂を聞いている。そんなサービスの為が優先していないのだろうか。

 中堅どころのゼネコンの立派な社員用マンションがあったが、今は杭が撃たれ、お化け屋敷のようになってしまっていた。80軒ほど入れて五階建ての立派な建物はまだ使えるはずだ。チャーリーはそのマンションから出てくる友達と出会う事が楽しみであった。その近くの、大手ソフトウエア会社の社員寮の名前はそのままであるが、誰も住んでいない。

 少なくとも20年は広い空き地としてほったらかされていて、チャーリーは、この空き地で駆け回る事が楽しみであった。3年程前には一部、ゲートボール場となって老人が楽しんでいた。その姿は無くなり不動屋が一軒家の開拓をしていた。案内看板には、15軒ほどあるようだ。30坪もない建売住宅が、6000万円平均で、10年ほど前より2割ほど値上がりがしている感じである。マンションと比べて割高感が強い。まだ日本は一戸建てを希望する傾向が強いからだと思う。

 ボケ爺の股下が、80cmとして、老犬チャーリーが8cmとすると、チャーリーは10倍の早回しで稼がなければ、ボケ爺に付いて来る事は出来ない。60分ほどの散歩時間とすると、チャーリーにとっては、10倍、600分相当の運動をしていた事になるのか?と、散歩しながら、チャーリーには過酷な散歩だったのかな、と考えてしまった。

<読書>

「うらなり」 小林信彦 文芸春秋

 「うらなり」はご存知の「坊ちゃん」の中に出てくる先生である。マドンナの婚約者として登場して、赤シャツに、横取りされた事になっている。そのうらなりから見た、「坊ちゃん」を回想している。このうらなりは、最後は姫路に住み着く事も興味があった。

創作ノートも付記されていて、漱石論も垣間見えて面白い。

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2006年11月 2日 (木)

師走前

 早くも11月である。気の早いところでは、クリスマスの飾りが施されている。ボケ爺の歳になると、加速度的に時間が早くなる。この現象は、脳の中でどんな活動となっているのだろうか?思考速度が速くなっているのだろうか、それとも自分の思考速度は若者時代と変わらず、世間が早くなって混乱しているのだろうか。考えてみる必要がある。また悩みが増えた。

 今日の朝のニュースでは、西武の松坂投手が、大リーガーの夢にチャレンジすると言う。当然狭い日本で活躍するばかりでなく実力を試すために、世界を目指すことは当たり前であろう。多くの人が世界にチャレンジしてもらいたい。そうすることで、本当の日本が見えてくる。外からの客観的な観察が、今まであまりにも少なかった。日本の中で日本を見ていても、比較論として正しくは無い。すべての分野の職業人、企業も然りである。

 日本ハムの新庄選手が、野球の現役から引退した。17年もの選手生活であったようだ。結構、長い活動だったと思う。年寄りを中心に、彼の「派手な、目立ちたがり家」の振る舞いに批判的である。ボケ爺としては、新庄の気持ちも、心情的に良く分かる。と言うのは、自分の存在を世に認めてもらうためには、何かの「違い」を見せて、その差を広告、宣伝しないと認められない世の中である。それ以上に、彼は野球を楽しくさせた。野球離れの若者を再び野球に引き戻した事、に貢献した。

 批判する年寄りも、非難発言をすることで、差別化して認めてもらおうとの魂胆が見え見えである。古い話だけれど、巨人で活躍した江川投手のその素質を惜しまれながら、早い引退で、世間を騒がせた。新庄と重なるところがある。時期が早すぎたかな?何事もタイミングが重要である。

 企業の競争は商品である、この商品が大衆化すればするほど、年寄りのトップは、「他社製品と差別化しろ」と、ゲキを飛ばしている。製品の「目立ち」は良くて、人「目立ちたがり」はだめなのか?ボケ爺にはその違いがはっきりしていない。呆けたからなのだろうか。

 新庄選手の行動の歴史は、経営の、商品戦略のモデルとなるであろう。さらに今後のサプライズを期待する。彼の発想力に、商品開発に従事している人は学ぶべきだと、ひそかにつぶやきたい。

<読書>

「自分であり続けるために」 田坂広志 PHP研究所

 決められた道を歩むとは美しくない。予測できない未来に踏み込む勇気が重要である。そこに待ち受けているのは「苦しみ」である。その苦しみを避けてはならない。自らが、打ち破ることである。そんな困難な人生を歩んで欲しい、と詠っている。

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