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2006年10月30日 (月)

お袋の味

 お袋の味を、すっかり忘れてしまっていた。お袋は、料理は好きでなかった。そのためか味は決してうまいと言う事は無かった。しかし、一生懸命、作ってくれたし、よろこんでもらえるように、けなげに努力はしてくれていた。その気持ちは痛いほど伝わったが、下手は下手のままで、90歳を優に越してしまった。今でも、人一倍のおしゃべりは健在である。

 毎日新聞の夕刊に、女優の中井貴恵さんが「鳥のから揚げ」がお袋の味で、今ではそれを受け継ぎ、さらに娘が引き継いでくれるだろう、と努力をしている。こだわりがあるのだとか、語っていた。それを読んで、「鶏肉」を思い出した。我が家は、「鶏肉」で動物性たんぱく質を補っていた。祝い事があったり、嬉しいことがあると、必ず「鶏肉」である。今で言う下流であったのか、牛肉などは、全く食卓に上ることは無かった。一方、魚料理は食卓から絶えることは無かった。すき焼きも「鶏肉」であった。兄弟で取り合いをしてよく喧嘩したことを、ほほえましく思い出している。

 だからではないが、鳥のから揚げは好物のひとつとなった。中井さんの家は、「ささ身じゃなきゃ」とのこだわりがあるようだ。ボケ爺は何処もかも好きである。

 新幹線で朝早く関西方面に出張の時は、「チキン弁当」を食べることが習慣になり、結構、楽しみであった。今もあるのだろうか?最初は700円で、弁当として、もっとも安い方である。770円に値上がりした時は、どうしようかと迷い、一時期は「お結び弁当」に変えたこともあったが、すぐに戻した。

 お袋のために弁解をしておかなくてはならない。お袋の味は結構ある。ちらし寿司(年中作っていた)、さば寿司(秋の祭りの時。食べすぎで、多少アレルギーになってしまったほど美味しかった。)おからの煮物、白子の酢和え、魚の煮付けは結構いい味であった。鳥と野菜の煮付けもいい味の方であった。そうだ、おはぎも得意であった。元気ではあるが、もう、作る気力を持っていない。子供のため、との気持ちをなくしたのだろう。

<読書>

「坊ちゃん物語」-起業編 森祐介  ダイヤモンド社

夏目漱石の坊ちゃんをもじった、というか、登場人物の性格をうまく使って、東京オリンピック前の東京で、事業を起こした物語を展開している。登場人物の性格は多少うまく利用しているが、会話(話に仕方)はまるで、漱石の坊ちゃんとは違う。物語も、もう少し起業の苦労話を丁寧に展開して欲しい。アイデアは買えるが。

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2006年10月28日 (土)

果たして読書好きか?

 今年も、今日から、読書週間が始まったと、新聞は伝える。ボケ爺は、読書とは縁の無い人生かと思っていました。少し、読む週間が出来てきました。親は全く本を読まなかったし、ボケ爺は、語学系(国語、外国語)には全くの無能者であるから、まさか本を取り上げるなんて思っても居なかった。

 今から思えは、孤独が良かったのかも知れない。高校を卒業して、田舎から上京して、賄い付きの下宿で一人と居る事は、孤独であった。本を読むしか時間を費やす方法が無かった。たまにはスケッチブックを持って、散歩にでて暇つぶしをした。その頃のスケッチがもっとも良く画けていたと思う。引越しのたびに、スケッチブックはなくなってしまった。今にすれば惜しいことをしたものだ。

 本を捨てることが出来ない。必ず獲っておくことにしている。家を建て替えたときに、雑誌を中心に、多くを捨ててしまったのが、今にして誠に惜しいことをした。読書は人生の足跡だから、と思っている。これが評判が悪い。家の床が抜けるといって、毎日、愚痴が入る。ある事務所にこっそりと預かってもらっている。何時引き取りをしようかと、頭を痛めている。

 死ぬまでに、一体、何冊読めるのだろう。年とともに、ボケが来るので、ボケ爺は真剣に心配している。眼の方は15年前と近眼も老眼も進んでいないことが幸いであるがそれだけ焦る。

<読書>

「卍」 谷崎潤一郎 新潮文庫

一生、谷崎本は読まないと思っていた。嫌いであるからで無く、エロ本だと思っていたからである。軟派な本は嫌いである。ある好きな評論家が最近、嫌に谷崎文学をほめるので、薄い本から読んでみよう、と思い読んでみた。さすが古典である。展開といい、中身といい、濃い味わいがある。フルボディーの赤ワインの味が、口の中で芳醇な痺れを起こしているようである。軟派もいいのかもしれない、それだけ歳をとったからか。

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2006年10月27日 (金)

老化を防ぐ

 少し前に、長寿のためには、老化遺伝子をオンにしなければならない、と言われていると、紹介した。その老化遺伝子をオンする方法はいまだはっきりとはしていないが、かなりの事が分かってきているらしい。その物質は、なんと果物、野菜などの皮(皮膚)に含まれているという。ブドウの皮、ナッツの皮(茶色い奴)ピーナツの皮(これも茶色)、タマネギの皮(これも茶色)、その他果物の皮、などなどである。それらには、老化遺伝子をオンさせる「リコピン」、或いは「?(名前を忘れた)」がたくさん含まれているらしい。

ケチャップ企業では、トマトの皮に注目をして、老化防止トマトを研究開発しているという。真っ赤な色素に「リコピン」が含まれている、遺伝子操作でその色素を多く含むトマトを開発するという。今にトマトジュースを飲んでいれば、100歳間違いない?時代になれるという。しかし遺伝子操作が、遺伝子操作をして長生き、とは、便利な世の中になってしまう。本当にこれでいいのだろうか?きっと企業の儲けのために加担することになっているのではないだろうか?

今でも、ジュースにしてしまっては、胃、腸からのビタミンの吸収は含有量の5分の一から、十分の一といわれているように、効く、効く、と言われながら、いっこうに遺伝子がオンしないと言うことになってはいないか?最近のアミノ酸の効果はどうか?

また、美肌にもいいという。美肌効果に、いいという物質は数々の開発がなされている。米ぬかが最高だという企業もある。それらが、まともに効いているなら、世界中で、美肌美人で溢れかえっている。こんな幸せなことは無い。ボケ爺も長生きして、その恩恵にあずからないと。

<読書>

「手紙」 東野圭吾 文春文庫

 犯罪者、その家族の置かれる状況、と言う結果は平凡な結論である。その状況の舞台造りもそんなに変わったことではなく平凡である。ただ違うところは犯罪者の家族の置かれる差別をなくする努力に、涙を誘い、ハッピーエンドを迎えるのではなく、差別は当然だとすることに、作者の努力があり、違った感動が生まれてくる。

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2006年10月24日 (火)

運転マナーが?

 通勤が遠くて、電車ではなく、車にした。時間は3分の2に短縮できた。6年ほど運転していなかったので、少々不安であったが、一度体に染み付いた感覚はなかなか忘れていないものである。まずまずの運転技術を保てている。しかし慎重に越したことは無い。勉学で得たものが体で覚えたように、忘れることなく覚えていてくれるといいのだが、本を読んでもあくる日には忘却の彼方である。なぜこんなに覚えられないか、いつも悩む。歳のでボケが来てはいるのだが、若いときから、いまだに悩んでいる。

 それにしても、運転マナーが格段と以前と違っているように思える。これも、年寄りの冷や水なのか、浦島太郎なのか分かっていない。とにかくスピードを出す。高速道路だからではない、一般道も、である。ほとんどの車が制限時速の20km以上はオーバーだ。

 高速道路でカーブが多く、インターチェンジ付近では、60km時速制限がよくあるが、大体が100kmの走行である。ある軽自動車など、110kmは優に超して走行している。一台や二台ではない。ほとんどである。第三京浜は80km時速制限のようだが、120kmで走っている乗用車、トラック、軽トラック、とにかく、軽のスピード狂には舌を巻く。それだけ、性能が良くなったのであろうが。第三京浜が出来た頃は、80kmを出して横転した車を良く見かけた。110kmを出せば、まず間違いなく横転の憂き目に会う。

 スピードが速い、その分、急ブレーキが多い。忙しない。もっと落ち着いた、ゆったりして運転を楽しめばいいのに、と思う。こちらもそれに従うしか無い。運転している人はそれでも車にしがみついているから分からないだろうが、乗せられているものはたまったものではないだろう、と想像する。

迷惑駐車も、以前よりはよくなったというけれど、至る所で、動けない。わざわざ通れないように駐車していることもある。「すまないが」などの気持ちはこれぽっちも無いのであろう。それに、方向指示点滅を出さない車が多い。それでまた急ブレーキが多くなる。どうして指示器を出さないのだろう。少しでも優位に進路を取るための作戦なのか、と思っていた。俳優の児玉清が、日経新聞の「あすへの話題」のコラムで、その現象は、「我関せず人間」が蔓延してきたからだ、とコメントされていた。同じような体験をされているので、浦島太郎ではなかったらしい。とにかく、他人を気にしない、周りを気にしない、このような人が増えているらしい。さてこれからどうする。

<読書>

「冬の標」乙川優三郎 文春文庫

 何らかの過ちを背負ったりして、人生の罪の重みを背負いながら生きる姿を描く、乙川ではなく、今回は自由に生きることへの情熱を、社会のいろいろなしがらみを、凄まじい葛藤と情熱で跳ね除けて成長をする女性を描いている。その気持ちの機微を丁寧に、きめ細かく書き綴る力には感動が繰り返させられる。

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2006年10月23日 (月)

遺伝子がオン、オフ

 最近、遺伝子がオンするとかオフ状態だとか、よく耳にする。性格など親の遺伝であるとか言っていたが、必ずしもそういうことにはならない、との説があると、以前にもこのBlogで紹介したことがあった。親からの遺伝子がすべて全開しているわけではないらしい。結構気まぐれで、有効な状態がオン、眠っている状態がオフだそうである。

 感情、脳の働きなどでよく研究されているようであるが、他でも証明されてきている。所謂成人病と言われるものでも、時代と共に、成人病の中身が変化してきているらしい。成人病は生活習慣症といわれ、今日は、最も肝機能異常が多くなっており、26.6%と言われている。数年前は、心臓異常がトップであった。

 癌なども、以前は遺伝子によるとされており親が癌だと必ず癌になると、思われていたものである。しかし、統計を取っていくと、今は、胃ガンがトップであることには変わりは無いが、31.7%である。それでも以前の半減だそうである。それに変わって、大腸ガンが18.1%、肺ガンが9.1%と、わずかながら向上している。特に、前立腺ガンと、乳ガンが急上昇していると言う。これらは生活環境の変化がもたらしている現象だとされている。具体的にどんな因子の生活環境であるのかまでは特定されていない。いずれにしても、ホルモンとたんぱく質の微妙な関係であろう、と想像する。

 先日、TVで長寿と遺伝子の話がされていた。長寿は老化遺伝子がオンすると、かなえられるのだそうである。具体的に老化遺伝子をオンさせるたんぱく質が見つかってきているようである。近々、苦労することなく、全員が100歳まで生きられることになるのかも知れない。そんなことがあってもいいのか?かえってつまらない人生となるのではないか?死にたいときに死ねるようなたんぱく質を発見して欲しいものである。自分の人生は自分で自由に操作したい。長生きがいいことかどうかは分からない。怖い世の中が来そうで、クワバラ、クワバラ!

<読書>

かずら野 乙川優三郎 新潮文庫

 足軽の娘、菊子が奉公に出され、実はめかけとして売られて、絶望し、死を覚悟したが、事件に巻き込まれて、逃亡生活をしながら、一度狂った運命を背負いながら、その運命に逆らえなくて、懸命に自分で生きていかなければならない宿命を描ききっている。これほどまでに、きめ細かく、丁寧に菊子の気持ちを描ける作家は乙川以外いないだろう。決して速読はできない。遺伝子操作が出来るとこんな小説が読めなくなり、感動がなくなってしまう。

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2006年10月20日 (金)

カレー消費

 韓国でもカレーライスがある。日本から持ち込んだものであるらしい。レストランで食べるカレーも、会社の食堂で出されるカレーも、家庭で作られるカレーも、ほぼほぼ同じ味であり、中身の具の刻み方も同じである。まず、中身は、1cm~1,5cmぐらいの正方形に刻まれる。牛肉、ニンジン、ジャガイモ、たまねぎ、他に、とうもろこしが入ったり、グリンピースが入ったりする。たまにしいたけも入る。肉は基本的には牛肉が多い。ルーはSB粉カレーそのものである。SB製かどうかは知らない、が40年ほど前の田舎カレーと同じ味と思っていただいていい。

 だから、注文は、カーライス、と一言である。辛さの調整も無い、トッピングも無い。いたってシンプルである。それはそれで懐かしい味ではあるが続けて食べる気にはならない。たまにだからいい。味はこの15年ほどは少なくとも変わっていないらしい。日本のルーの研究をする訳でもない。観光のお土産で、カレーのルーは買わないようである。インスタント生ラーメンはお土産に良く売れるようであるが。そんな訳で、日本に帰ってくると、まずはカレー家サンに飛び込んで日本のカレーの味覚に舌鼓を打つことになる。

 日本はカレーの好きな民族であるようだ。しかし、地方で消費量が違うようである。首位はなんと山形市であると言う。一世帯あたり、年間2265g、二位は新潟市で、2101gである。三位が富山市、四位が鹿児島市、ちなみに、東京区内では1562g、最下位は神戸市で、1277gと言う。その理由はあまりはっきりしていないようである。

 消費量自体は、年々減っているようで、少子化の傾向が影響しているのではないかとの理由付けがなされている。05年は前年度より7%減ったと言うことである。これはメーカにとって大きな減少率であって、さてどんなサバイバルが考えられているのか、興味がある。

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2006年10月19日 (木)

想定内、想定外

流行語大賞にも選ばれた、想定外、想定内は便利な言葉であり、乱発されている。事故や、不祥事の記者会見で、頭を下げる場面が、今日やたらと目立つようになった。とにかく、「すぐに謝ればいい」と、カメラの前でいっせいに頭を下げて陳謝する。何か質問されると、「想定外でした」「リーダーとして、想定の甘さがありました」などなどと容易に「想定外」とすれば、聞き手は寛大になる、と思っているらしい。

なんと便利な言葉を生み出したものである。一昔は、「想定外」と言うことに、大きな抵抗があったはずである。想定が出来ないとは、ある状態、条件を仮に考えてみる、と言うことが出来なく、自己否定に繋がる重大な欠陥人間とみなされるからである。要するに、何も考えない人と評価されるからである。想像できない無能に繋がる言葉である。

商品開発においても、同じようなことが起きている。仮説、仮定を組み立てない人が増えてきている。状況、事象、現象、条件などに、仮定をおくことを面倒がっているのか、気がつかないのか。そのために問題解決、問題の発見などが遅れてしまうことが多くなっている。

そう言えば、何時だったか、OECDの数十カ国の15歳の男女を対象とした調査結果で、小説を趣味としない、あまり読まない、と言うことで、日本は最下位であった。フィクション、つまり想像力を鍛える小説を読まないと言うことは、何処で想像性を鍛えられるのだろうか?また、人間形成、心の機微を何処から学ぶのだろうか?短絡的な体験のみを直接、直感に訴えるのだろうか、切れるとか、我慢が足りないとかは、小説を読まなくなった現象と関係が無いことは無いであろう。

と言いながら、最近、読書紹介をしていない。再開したいと思っている。

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2006年10月16日 (月)

忙殺

 仕事の業務が忙しく、余裕が無くてBlogが書けないのは言い訳であるが、3週間ほどのご無沙汰であるからして、あえて言い訳をしたい。男らしくないことは認める。

 長期出張で、その間の仕事が滞り、それをリカバーするときに、3倍ぐらいのエネルギーが要ることは常に覚悟している。だから今までは多くても1週間内に抑えるように旅程を組んできた。今回は倍である。その間出張報告はそのつど出しているので、その業務で忙しいと言うわけではない。社内業務の滞りである。それに、帰国後1週間で、業務内容が変更になることも重なって、二重苦であった。時たまそんなことは起こるものである。それが結構、楽しいものである。そんな短期間なストレスに、快感を感じるものである。人間、マゾでありサド的でもある。

 人間は良く出来たもので、それに慣れてしまうと、その内容から外れたことを考えなくなってしまう。それではいけないと思いながらも、ついつい言い訳を考えてしまう。人間は言い訳の論理には結構強いのではないかと思うことが多々ある。ましておや、基本的にはボケ爺は怠け者である。

 10月に日本に帰って、我が家にたどり着くと、すっかり夕暮れが早くなって、金木犀の香りが終わりかけていた。この匂いで、秋を感じ、年の暮れが近づいた感覚を味わっていた。その時期は例年と変わりは無い、と思われる。しかし、今年の日本の気候の異変を知らせるかのように、ピンクの百日紅の花は未だに満開である。百日紅の花は残暑の花であったはずである。何かが狂ってきているのか、今年だけなのか、観察が必要である。

 こんな観察が取り戻せるまでに、回復してきた。こんな余裕の中で、仕事の発想が出来るようになるように、ペースを整えようと思う。創造性だけが、唯一生き残れる方法の基本であるからだ。

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