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2006年7月 2日 (日)

起業家芭蕉

 「芭蕉は大山師だ」といったのは芥川龍之介である。それは「芭蕉は、江戸に出て遊里など出入りしながら、いつしか近代的(当代の)大詩人になった。格別神秘的でもない、西鶴の作品の蕩児の一生とそう違いはない」「彼は実に日本の生んだ三百年前の大山師だった」と結んでいる。

 正岡子規も批判していたという。子規は奥の細道を旅して「はて知らずの記」を執筆した。旅の行く先々で、碑が立てられている事に腹を立てたそうである。芭蕉は「偶像化されすぎている」し「芭蕉は悪党である」と芥川、子規は見抜いていた。今日の芭蕉は「宗教と化」しているのである。

 ボケ爺が考えるには、一介の俳諧師ではなくて、芭蕉は「偉大な起業家」ではなかったか?と思っている。「俳句」と言う商品を「詩会興行」をビジネスとなしたり、「俳句本としてのコンテンツ」にして「販売する」ビジネスを始めて、「俳句」がビジネスとなしえて、大山師となったのではないでしょうか。

 伊賀上野の田舎から江戸に出て、小さな「俳諧」の基礎を築く。そこで、弟子を集め、俳諧興行を起こす。弟子にはスポンサーを集める才覚のある人を取り立てて多くのスポンサー集めに成功した。その一人者が「其角」であった。晩年は反旗をひるがえすところまでになっていた。その江戸を本店として、名古屋、大阪と支店を増やしていった。大阪支店は「之道」が基盤を作っていたが、そこに芭蕉は「洒堂」を送り込んで管理をしやすくしようとしたが、この二人のいさかいで、結果は、芭蕉は人事の患いで命を落とす事になる。

 旅は地方の支持者の更なる勢力拡大のためと、芭蕉自信の功名心のためであった。結果として、芭蕉は起業したところまでは成功したが、「事業としての継続」には失敗した。部下が離散してしまったからである。部下の競争心をあおる使い方をした(組織的活用が下手であった)し、いつまでも俺が俺がと、枯れることを知らなかったからでもある。俳句の「実力者」であったかも知れないが、いつまでも欲深く、「人格者」になれなかった。

<読書>

「悪党芭蕉」嵐山光三郎 新潮社

先日に続いて大変に重い本に出くわした。嵐山光三郎だから買い求めた。格別芭蕉を研究しようと思ったわけではない。興味はいつも持っていた。嵐山だから、ユーモラスに軽く解説されている物と思っていた。それを期待した。が、俳句の解説から、部下の俳句との関わりから、生活面との関係などを総合的に、緻密に、芭蕉の正体をえぐりだしている。大変な作品である。「正直言ってへとへとに疲れた。知れば知るほど、芭蕉の凄みがみえて、どうぶつかってもかなう相手ではない事だけは、見にしみて分かった」と結んでいる。

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