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2006年7月 8日 (土)

休出が続く

 休出が続く。仕事量が増えている事は確かではあるが、仕事の仕方が悪いのだろうけれど、解決の「ひらめき」が、「創造性」が衰え続けているから、仕事が遅れるのだろうと思う。どのようにしたら、若々しく、次から次に、解決案が生まれるのか?そんな脳を鍛える方法がないのか?と悩む、今日この頃である。 

Blogの材料なども、少し前まではそれなりに、途切れることなく考えられていたが、仕事に軸足が置かれると、こちらの構想が衰える。忙しく、いろんな局面に出会うほど、ひらめが増す、と言う説もありますが、ある程度は当たっていると思うけれど、凡人には難しい。モーツァルトのようになる方法はないものだろうか?そんな中、Blogを書き続ける事は、「脳の訓練としての意味」があるだろうと、このBlogの意味付けをしている。 

年寄りは、昔の話を繰り返すと言うが、忘れる事と、思い出すことの繰り返しは、何も年寄りに特有な事とは思えなくなってきた。「ひらめき」とは思い出の偶然からの発想ということである。だから「ひらめき」を多く生み出すことは、「思い出す行為」を多くすることと一致するのではないでしょうか。過去の出来事を思い出す、思い出せない人の名前を思い出そうとする行為に似ている。 

それに、毎日変化のある生活ばかり送っていると、思い出す事を忘れてしまう。刺激を求めて、行動するのもいいが、たまには、ノンビリと、同じ場所を散歩して、その道のりに変化を意識しなくなると、いろんな発想が出来てくるようになるのではないかとも思う。本ばかり読んで知識ばかりを増やしてもダメで、何も考えない時期を過ごせるようにならなくていけないのではないか。その「何も考えない」行為が難しい。何もしないことが罪だと意識してしまう。どうしたらいいのだろう。 

仕事と全く違う、趣味のような物をやれば、気分転換できて「ひらめき」が生まれると言うが本当だろうか?この方法はあまり役に立たないと思う。その趣味が創造性を求めない、日常性の継続的で、考えなくてできる物であれば別であるが、それで済むのか。

<読書>「脳の中の人生」茂木健一郎 中公新書ラクレ

脳科学者の脳と意識のQ&A集である。今回は優しいので時間を掛けずに読める。脳をめぐる問題は難しい、所詮は物質に過ぎない脳にどうして意識が宿るのか、に突き詰められる。デカルト以来、科学は物質を中心とした「モノ」を使いこなしている。さて「心」「意識」はどうなるのであろう。

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