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2006年7月29日 (土)

巨人、50敗に一番乗り

 黒星が続く巨人、どうしたのか元気がない。プロ野球界で一番平均給与が高い。それもダントツである。と言うことは、それだけ良い選手を集めていることに、一般的にはなるはずである。それとも、フロントは節穴でよい選手を選別できない能力の持ち主か、である。つまり、良い選手を生かせる監督、コーチの人間マネージ力がないのか、選手の採用基準が狂っているのか、の二つになる。

 あえて、追加するなら、故障者、不調者が出ることは当然であるが、そのリスク管理を怠っていたこともあるだろう。

 企業で言えば、「反省が出来ない、危機感を消失した大企業病」、そのものである。失われた15年の日本企業も、この大企業病の克服にいまだに苦慮している。そこに気がついていない企業も、まだたくさんある。

 もっとも大切なことは、危機感を本当に肌で感じることで、全員が認識できなくてはならない。一人ひとりが責任を取る、と言う覚悟と実行が大切である。

 トップが口先で、危機感をアジっても、部下は付いてこない。ましてや、トップが黙り込んでは、もうおしまいである。今の巨人がこんな具合ではないのか。原監督は人がいいから、怒りを決して表に表さない「平凡な人格者」である。コーチ軍は、業界一番の高給取り、世間が甘やかす巨人の体質にどっぷりと使って危機感を避けて、無責任になって身の保全、次の監督にゴマを摺っている。

 スポーツ界と言えども、生き残ると言うことでは、企業経営とよく似たところがある。人で変わるし、人で勝負が決まる。「人としての基礎力」を育成されていなくてはならない。サッカーのワールドカップのときのジーコ監督と、その選手たちの戦いぶりも、今の巨人軍と同じである。

 原監督はフロントを知りすぎていて、巨人内の上層部に向って気配りを怠らないことに神経を使っている。選手を奮起させて(危機感の情勢に仕方)やる気を起こさせる管理のしかたを知らない。アクシデントに対してのリスク管理の備えがない。巨人は巨人の中にいれば、適当な顧客(ファン)がいて、危機感を感じなくてすむ。

 企業経営も、巨人を反面教師として学ぼう。ついつい、口説くなってきた、それだけボケがきた証拠である。

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2006年7月28日 (金)

夢を見た4:男の止まり木、と言うが

 老舗の豪華ではないけれどいぶし銀のような優雅なホテルの一角に、有名はバーがある。重厚で、磨き上げたケヤキの一枚板の褐色に磨き上げられたカウンターで、ウイスキーのオンザロックを注文し、出てくる間に、闇の中よりも暗い照明に目が馴染めないまま、ひと通り見渡してみる。深々と沈むソファーには、白髪の老人かそれに近い風貌どもが陣取っている。一人の人もいれば、複数で商談風のテーブルもある。カウンターには幸い、ボケ爺しかいない。

 貧乏性のボケ爺は、短い足が地に着かない高椅子に浅く腰掛け、カウンターにぶら下がっている姿はことのほかこっけいと言うより表現のしようがない。

 「男の止まり木」と言う本を読んでいたときに、神さんから嫌味を言われたことを思い出しては一人苦笑する。それでも、何らかの効用があることを期待している。少し酔いを感じるほどに、男の、自分の時間を取り戻し、何らかの発想が生まれてくることを期待しているし、哲学が醸造される場所として期待している。

無響音室のように壁には重厚な絨毯が張られた空間で、昼間の雑踏を逃れ静かに、今日の無意味な一日を振り返るなんて、格好いい、これぞ男の隠れ家と、あこがれていたのだが、そうともいかない。なんともいえない、落ち着かない無為な時間が過ぎていく。何せ、カウンターにぶら下がっているのだから、酔いと共に息苦しくなってくる。仕事の反省なんてできるどころではない、ましておや、哲学的境地に程遠く、しびれてきた腰をさすっては、腰掛を正すことで精一杯となっている。次第にあせりを感じてきてしまう。冷えた部屋で優雅な時間が過ごせるはずであった。

物質で出来た脳は、人によって、この環境の活用の仕方に差を生んでいるのだろう。どうして人によって違ってしまうのであろう。

酒による酔いは、脳を刺激するのだろう、心地よさのアドレナリンが分泌されるはずである。が、人によっては複雑な思いが同時に沸き起こってきて、いつの間にか無意味な時間が過ぎていく。まずはボケ爺には向かない。そんなことから尿意を呼び起こし、飛び起きて夢は終わってしまった。

<読書>

「男の止まり木」諸井薫 文芸春秋

サラリーマンを経験しての作家である。サラリーマンとしてのエッセイ集である。身につまされる話が多い。「男にとって家とはナンだろうか」ら始まる、切り出しにはドッキリする。

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2006年7月27日 (木)

夢を見た3:雑踏のなか

 都会の繁華街は当然に雑踏のなかである。私鉄の発着とJRが一緒の駅などは、どうしてこんなに人が集まるのか、と思う。サラリーマンだけでない。いろんな人の集まりである。若者も、忙しそうに動き回るかと思えば地べたに座り込んで大きな声を張り上げている人たちもいる。年寄りも、仕事とは無縁な人たちが行きかう。

 そんな中、しばし休憩することがある。貧乏性のボケ爺でも、ドトールでは「アメリカンコーヒー」がコストパフォーマンス良いと決めている。そこは決して静かであると言うわけはない。夢のなかの、今日は、一ランク上のスターバックスである。「今日のコーヒー」が一番安い。オフィスの一角に設けられた売り場では、BGMにジャズである、それが気に入って、近くのドトールを止めにした。人の行き来と、ホールの効果で、天井は高いが結構うるさい。なんだか都会のなかにいるのだ、と言う安堵感がある。なぜだろう、先日は静けさを求めていたと思ったのだが。

 そんな雑踏のなかで、時間つぶしに、本を読むことが好きである。人の話し声と、ジャズのBGMとで、奇妙な安心感が生まれてくると同時に、どんどん自分の中に入り込んでいく、本を読むことに、専念できる。所謂、集中力が増してくる。静かに自分の部屋で過ごすよりは、何倍もの成果が得られる。

 物質で出来ている脳はどんな働きをしているのか。ホワイトノイズは心地よい刺激となって、あることに集中するような補助回路となっているのか。前頭葉の活性化の下地となっているようだ。ボケ爺は集中力を、場所を活用して確保してきている。

 優雅な生活をいつも出来ている人は、こんな手法を使わなくても、十分に集中力は得られているのであろう。

 こんな現象はボケ爺の貧乏暇なしの生活水準だから、そうなっているのか、万人に共通することなのかは全く持って分からない。

 尿意と共に、夢が覚めた。

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2006年7月26日 (水)

夢を見た2:静かな時間

 ホテルの従業員は、何処からでも「おはようございます」と言う。エレベータの前には和風の案内係がいる。少々戸惑っていると、追い討ちをかけるように「どちらへ・・」と声がかかって来る。メインロビーを自分では威風堂々と歩いているつもりなのに、「何かお困りでは?」と、声がかかる。馴染まないのだ。脳の反射神経が、馴染む動作を起こさないからだ。ボケ爺の運動神経脳はどうなっているのだと、悔やむ。

ボケ爺は、まだ若いから、朝食は、洋風にしようかと迷う気持ちはあったが、あの込み具合は避けたい、と思って、日本食レストランでとることにした。誰もいないと、焦りを感じたが、二三人いた。はるかに年寄りだ。和風の接客係が案内してくれたテーブルは、4人がけで、少し広めであった。一人の静かな広い空間が出来た。

 食事は大きなお盆に優雅に乗っかって出てきた。典型的な旅館風朝食である。焼き魚はアジの一夜干、品の良い臭みが良い。それにわさび添えの一口のかまぼこが、添えてある。海苔は真っ黒で厚く、歯ごたえがある。煮野菜は五品で、少々濃い口の味である。お漬物は、品良く、三品、少ないのが年寄りにいい。味噌汁はなめこと、わかめ、味は少々濃いのが残念。昆布、ちりめんの佃煮は江戸風で、塩と醤油が効きすぎているがうまみがある。ボケ爺には京都風の吉兆が口に合う。梅干は小ぶりで、減塩がよい。最後に、ご飯は美味しい、良くぞ日本人に生まれてよかった、と思わせる甘みが口に残った。

 静かで、ゆったりとした気分でほうじ茶を飲みかけると、例の痛風対策で、飲みすぎた昨日の水のせいで、尿意を催し、目が覚めた。あっけなく夢は終わってしまった。

物質から出来た脳が、どうしてこんな夢を見させてくれるのか?潜在的憧れなのか、欲望的願望なのか?未熟な経験を補うのか?

 脳は不思議である。口を動かしながら、絶えず箸を動かし、味覚を味わい、批評をしながら、目で味を味わい、過去のことを思い出し比較している。どうしてこんなに複雑な指示が出来、その通り動けるのか。静かで優雅だと、言うことは、脳を刺激して激しく活動することだろうか。

 夢で見たことは、この内容と同じことかは定かでない。ノンフィクションをフィクションに出来る能力も、脳のいたずらである。

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2006年7月25日 (火)

夢を見た1:犬も歩けば棒にあたる

 犬も歩けば棒にあたる。日本の諺は、良いことにも悪いことにも使われる。何処の国でもそうかもしれないが、ボケ爺には知らぬこと。

 都心の老舗の高級なホテルに泊まる。タクシーから降りると、持ってもらわなくてもいい荷物を持ってカウンターに連れて行ってくれる。こんな風采の上がらぬボケ爺がこんなホテルに来るとは、と思っているだろうと、いつものひねくれ根性が出てくる。軽い荷物だから、自分で持っていくと言っているのに、部屋まで付いてくる。あ~!チップはどうするのだ、ここは日本か、要らないのだなと、ふぉ~っとする。

 今日は土曜日、着替えて早々に散歩に出かける。まずは広い、ゆったりとしたロビーで、くつろいで見る。天井が高く、薄暗い。世に言う、豪華ではないが、いぶし銀のような古風な優雅さがある。手にした本を読んでみるが、貧乏性には落ち着かない。

 散歩の途中に、音楽ホールを見つけた。窓を覗いてみると、係りの人が出てきて、「当日券は少しあります、6時からの売出しです」とボケ爺を何と思ったか、親切に教えてくれた。あまり聞きなれない指揮者だし、知ってはいるが、新交響楽団であり、曲名が、日本の作家ばかりである。作家は良く知っている。S席で3000円!だ、新交響楽団設立50周年だし、暇だから捨てたと思って買い求めた。内容は、良かった、の一言、久しぶりに戦慄が走って、言うに言われぬ心地よいひと時を過ごせた。そんな偶然に感謝したい。物質で出来た脳が久しぶりに震え、騒いだ。棒にあたった瞬間である。

 今日は日曜日(土曜次は日曜日は当たり前)ブランチにと、制限時間ぎりぎりの遅くにレストランに行く。「残り30分ですがよろしいですか」と、係りは言う、そんなこと分かってる、と言いたい。ボストン風オムレツを頼むが、コックは知らない。このホテルにしては、品数が少なく、味もそこそこ、席も少なく混んでいる。

 消化不良のまま、腹ごなしに散歩にでる。官庁街を抜けて、東京都ではじめての公園に到着、学生時代から来たことがなかった。松本楼もしっかり残っている。NHK交響楽団の当時の演奏会はこの公会堂で行われていた。今もその権威を誇っていた。学生運動の拠点となっていた、野外音楽堂も残っている。図書館も。木々はボケ爺と同じように歳をとって、苔むしていた。野外音楽堂でBlues & Soulの演奏会があり、当日券が発売されていた。7800円だ。すぐに買い求め、開演を待った。年寄りが多い。服装も、若者に負けない、ぷー太郎風でいっぱいだ。あっという間に缶ビールの空き缶でいっぱいになる。ここが若者と違うところか。演奏が始まると、立ち上がり、手をたたき、ぎこちなく踊り始める。その異様な雰囲気に圧倒された。演奏家を通じて、人々が共有化できる「気持ち」「感情」「意識」とは、脳に何が起こっているのだろう、物質で出来ている脳がそうさせている、その不思議さを感じながら、ボケ爺も、腰を振って興奮していた。物質で出来た脳が偶然性で倍の興奮を呼び起こした。棒にあたったのだ。寝る前に、痛風を予防するために飲みすぎた水で尿意を催し、トイレに起こされて、夢は終わってしまった。

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2006年7月23日 (日)

うつけ者

 TVを見ていると、「希に見るうつけ者目が!」と言う言葉に出会った。社会での中の人間関係が読めない人のことを言うようだ。そんな意味で、ボケ爺も「うつけ者であったな~」と過去の会社人生を顧みている。

 よくよく考えると、どうして、ボケ爺と自称したのであろうか?そこがそもそも、うつけ者であった。ボケる、と言うことは、ぼける前は正常であった、と言う意味が含まれているはすである。本当に正常であったのであろうか?ボケるだけの記憶が豊かだったのだろうか。このことをよくよく考えてみなかった。

 頭が悪いと親からは見離されると共に、「ひねくれ者の偏屈な奴」と嫌われていた。学生時代は、「堅物の変人」と言われもしていた。学問をしても一向に成長しない、記憶に残らない。本を読んでも作家の名は覚えられない。当然内容はすぐに忘れてしまう。だからこだわることは無い気楽な便利な頭脳である。所謂、常識的な人が持つ頭脳の主ではなかった。

 そもそも、こんなことをばらす人もいないのだろう。ばらして特になることも、深刻な状況が生まれることもない。ここで言うほど、ボケ爺、否、馬鹿爺の人生は深刻ではない。残念ながら、深刻に考えられる頭脳を持ち合わせていないのだ。ボケ爺と、タイトルを間違えたことだけが深刻である。

そんなのだ、ボケる前はまともでなくてはいけなかったのだ。まともでない者が、ボケる訳がない。ボケ爺ではなく、馬鹿爺とするべきであった。あるいは、うつけ爺とでも言うべきであったか。今日になってやっと気がついた。のんきなものだ。「うつけ」とは、空っぽ、と言うことである。考えないとか、脳に何も残っていないと言うことで、馬鹿と言う意味とはちょっと違う。どちらかと言うと、「うつけ爺」が似合っている。

それでも、今までと変わりなく、無駄な人生を一生懸命、燃費の悪いエンジンで、亀のごとく歩んでいくことから変われないだろう。考えても今まで通り変われる訳もない。

<読書>

「夏の闇」開高健 新潮文庫

多くの美文家が、文章の勉強が出来る作家は、と、問われて上げる作家に「開高健」を上げる。しかし全く解らない、理解できない作品ばかりである。と言っても、これ以外は読んでいない。昨日紹介した著書の佐藤までもが、分からない、と言っている。作品のすべてを読んで、やっと分かる、と。しかし、美文家であることには間違いないようだ。

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2006年7月22日 (土)

小澤征爾の再活動

 世界の偉大な指揮者、小澤征爾が体調不良で、今年の初めから休養していた。正直、もう復活することは出来ないのではないか、残念なことと思っていた。ニュースと、一日遅れの新聞に、20日名古屋の芸術劇場コンサートホールで再デビューを成し遂げた。TVニュースで見る限り、往年の指揮振りと全く変わっていなく、ダイナミックで踊るような全身から発せられるエネルギーは、全く変わっていなかった。再び聞ける機会が出来たことの喜びに、「ふぉ~」とした。

 ボケ爺は、どこかで触れたかもしれないが、学生時代、ガラに似合わず、日フィル(日本フィルハーモニー)の定期会員であった。親からの仕送りのアパート代金(実は、日陰の惨めなやっと住める程度のアパートに住んでいた。後で親にバレて、叱られたことは言うまでもない。)を誤魔化しての会員であった。理由は簡単である。小澤征爾が上席指揮者だったからである。

 再始動の曲は「復活」であったようだ。日フィルが労働組合問題で分割解散されることに決まった最後の定期演奏も「復活」であって、「激しさの伝説」のごとく演奏のすばらしさと、最後だと言う哀愁とが絡みあって、全身に鳥肌の旋律が走り止まなかったことを思い出し、しばし良き青春の感傷にふけった。そういえば、渋谷公会堂での小澤征爾の指揮は、「ボレロ」だったと思っているが、観客の中に降りてきて、「見せる指揮」の演奏にも感激した単純な自分を思い出した。

 ボストンへの出張時に、そのころ、ボストン交響楽団の常任指揮者の小澤征爾を追っかけていたことまで、思い出す。そんな強烈な印象を忘れさせない人である。

<読書>

「小説の読み書き」佐藤正牛 岩波新書

実はまだ読みきっていない。すぐに読めると思っていたが、なかなか中身が濃い。やはり古典がいい。小澤征爾と同じように、郷愁が噴出してくる。この著書から振りかえり、もう一度読み返す名品の整理に活用できる。

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2006年7月20日 (木)

夏ばてにうなぎ

回遊魚の一種のうなぎの産卵場所が、9.8合目まで解明されたと言う。マリアナ諸島の「スルガ海山」の近辺であると言う。

 今年の、土用の丑の日は7月23日、と8月4日であるらしい。その日の近くで発表があるかも知れないと、ある新聞に載っていた。夏ばて解消には、何といってもうなぎの蒲焼である。これを食べると、猛暑を乗り切れる気がするのはボケ爺だけではないであろう。

 実は、うなぎには、田舎を思い出す、話がいくつかある。子供の頃のうなぎ取りには、3種ほど在った。夏には、一つは、モンドリという仕掛けを使い、夜に仕掛け、朝早く取りに行く。ひと夏で、2~3匹位か、もう一つは、川にもぐってヤスで岩場から顔を出しているうなぎを刺す、と言う方法である。ボケ爺は運動神経が鈍いからこの方法では取る事はできなかった。いつも悔しい思いをしていた。最後の方法は、川の上と下流をせき止めて、水をかき出して、取る方法である。先ずはナマズが取れることが多い。

 我が家に池がある。春先3月に池の泥サライをする事が習慣となっている。この池は、川に繋がっていて、いろんなものを川から受け入れている。その泥に、シラスウナギが一杯取れるが、食べる事はしなかった。大きくなってから、と大事に元に戻しておいた。スペインでこのシラスウナギをオリーブオイルで炒めて食べる。その美味しさにショックを受けた。5年に1匹位、丸々と太って黄色うなぎに成長したうなぎが見つかる事があった、寒い時には食べる気がしなかった。もとに戻したはずだが定かでない。田舎での冒険、遊びの良い思い出である。

 うなぎは、耳で低周波を感知して、間違いなく回遊しているらしい。鮭は匂いだと言う説に、目で何かを確かめているらしいと言われている。コククジラは時々顔を水面から出して陸地の形を確かめて回遊すると言う。こんな生物の能力はどこから生まれるのだろうか。細胞と言う物質の塊から、生活に必要な能力を生み出す不思議は、脳の物質の働きから、意識を生み出す人間と共通するものがあるのだろう。

 いつまでも、自然界の不思議な魅力は尽きない。

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2006年7月18日 (火)

国の政策が被害をもたらす?

 ここ3~4日、とにかくよく降る。韓国もいたるところが、被害にあっている。この国では被害に遭うと、「国が悪い、手抜き工事だ」、と騒ぐようである。自然現象を他人の責任にしなければ済まないようである。

 ソウル市内もいたるところで浸水が起きている。ハンガンと言う市内を流れている立派な大きな川があるのだが、川の岸は自慢の場所で、公園、サイクリング道路、ランニング用のコース、プールなど、いたるところにあるクルージングの港もすっかり氾濫した泥水の下になってしまった。最新のオリンピック道路も一部水没して、通行止めである。

 地下鉄にも浸水、この国は、交差点は高架橋ではなく、地下を渡る。そこが、いたるところで、水没している。

 とにかく異常な降り方である。国に向かって苦情を言っている人がいる。それは、高級住宅街は、どこも、被害に遭っていない。そんな差別化政策を何とかしなければならない、と。いつになると改善できるか分からない、昔からだからだ、と毒ついている。だから先進国の仲間入りが出来ないのだ、と、最後には嘆いている。

<読書>

「天保悪党伝」藤沢周平 新潮文庫

江戸後半の天保時代に繰り広げられる悪人の人情話である。短編集の集合が一つの流れになっている。悪の中心は脅しによる。脅しは悪ではあるが、悪になりきれない信頼関係が存在するのが不思議である。

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2006年7月15日 (土)

好きな言葉

 人にはそれぞれ好きな言葉があるだろう。ボケ爺には、特に、この言葉が表題になっていると、すぐにその本を買ってしまう癖がある。「哲学的」「知的」「悪の」などなど、結構沢山あって、特にこの3点には弱い。

 先日来、日経新聞に、「哲学者、土屋賢二」の「青春の道標」シリーズが連載されている。その合間に、出版社の広告欄に、「学ぶ事とは、差しつかえるほど努力しないと、一つの事をモノにできない。学ぶ事は限界への挑戦である。能力の限界を感じたら、さらに乗り越えようとして本当に学び始める。」と書かれていた。「教える事は、僕の考えを押し付けて、それに疑問をもって勉強するプロセスで臨んでいる。」とも。

 話を戻すと、土屋教授の青春自叙伝であり、どんな考えをしながら育ってきたかを、ユーモラスで、ニヒルに、パロディとして描ききる文体に、誤魔化されながらも、夢中で読ませてもらっている。読後にやっと哲学的に考えさせられる、逆説的な認識に迫る不思議な文体である。

 昔から、この土屋教授は知っていた。隠れファンである。出会いは、「われ笑う、ゆえにわれあり」であり、このユーモアエッセイシリーズはもう何冊になるのだろう?独自のニヒルを交えて、ユーモアあふれる洒脱な文章はなかなか真似ができない。

 機会があれば読んでみて損はしないことを請合います。

 そんな訳で、ボケ爺の書棚には、頭が悪いコンプレックスから、「哲学的」「知的、知の、」「悪の、悪党」「不良」、それに経営本では「戦略」であふれている。結果は未だに、習得が出来ず、証拠にも無く買い求めては積んで、表紙を眺めては悦に入っている。

<読書>ツチヤ教授の哲学講座 岩波書店

「土屋、哲学、岩波」となっていりゃ、ボケ爺、何をさておき、買い求める。暫くは表紙を眺め、覚悟できる時まで待って、読み始める。なにせ、この三文字があれば、読み始めるには最高に覚悟がいる。またそれを裏切らない。

 さすがに、岩波書店から出版されただけあって、今までの文体とは違って「まじめ」に書かれていた。「存在」「時間」その認識の仕方、現象から意味論まで、分かりにくく書かれていて、必読書であろう。

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2006年7月10日 (月)

台風がやってくる

 台風が、ソウルを直撃しそうだ。だが、いたって静かである。時々、強風になるがすぐに止んでしまう。雨が少し降っては止んでしまう。雲もそんなに激しく動いていない。早めの帰宅で、気を付けているのだが、本当に台風が来ているのか疑問になる。 

台風で思い出すことがある。小学生か、中学生の時であったか、思い出せないが、強い台風に遭遇した。最も、毎年何回かの攻撃は受けていて、珍しい事ではない。その思い出す台風は、強風と雨とで、カワラが飛んだり、壁が雨でにじんできたり、このままだと、なんらかの大きな被害が出そうで、怖くて、それでいて何かが起きることを期待している自分に不思議な感覚を覚えていた時、突然、太陽が顔を出し、青空になってしまった。何が起きたのかと、外に飛び出し、周りを見渡したが、遠くの空で、重い雲が激しく移動はしていた物の全く嘘のようにいい天気である。さて、今からどんな遊びをしようかと、友達の家に向かった時、突如、真っ暗な雲が一面に覆いかぶさったか、と思いきや、強風、豪雨に見舞われた。その間ほんの20~30分位であったろう。急いで自宅に帰ったが、川に落ちた時のような惨めな姿には変わりは無かった。

泣きべそをかいていたら父は、その様子を見て、「怪我をしなくて良かった。」さらに「珍しい経験をしたな!台風の目が通過したのだよ。」「こんな体験は、めったに遭遇することではない。今年はいいことがあるかもしれないな!」と、教えてもらった。いいことがあったかどうかは全く覚えてはいないが、台風の目とはこんな物か、との記憶は未だに鮮明に覚えている。今日は再びそんな体験が出来るかな?期待をしている。

<読書>「ことば遊びの楽しみ」阿刀田高 岩波新書

駄じゃれ、なぞなぞ、回文、いろは歌、など、日本語で遊べばこんなに愉快になる、と帯にあり、早々に読んでみたが、貧乏暇無しのボケ爺には、こんな余裕についていけない。さらには、記憶力のないボケ爺には、こんな優雅な生活が出来る人に、嫉妬心だけが残ってしまった。言葉は奥が深い。どんな言語にも似たような内容があるのだろう、異文化を理解するには、並たいていではない。日本語すら知らない事ばかりであるから。

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2006年7月 9日 (日)

時雨にあう

 台風が来ているふうには思えないほど快適な天気になった、と思い、散歩に出かけることにした。今日は、東の山に登ることにした。この山は私物のようで、どこからも公式の登り口がない。アパートの横の塀をよじ登り、と言っても低い塀ゆえ、困難は伴わない。人の行き来のあとが残っている。どこの山とも変わらず、10m以上はある黒松と、楢、ブナの類で茂っていて、薄暗い山道に入る。山道はあるが多くの人に荒らされていないところがいい。そんな事から、あたりの木々の風景に興味が湧く。鳥の声、コケの種類はどんな物があるのか、漆の木には注意が必要だし、桑の木が生えている、だとか気になる。これでは、ひらめきを発揮できるようなゆったりした散歩にはならない。ただただ、汗をかく有酸素運動に期待を掛けるしかない。

 入り口がないのだから出口もない。実は一箇所あったはずであるが、工事をしていて、全く出る事ができない。また尾根を伝わって元に戻り、山の中央あたりから分かれ道を下りていったが人が耕している畑の真中に出て、こっそりと一般道に出た。その間誰とも会わない。このあたりのアパートは道路との間に十分な幅があり、うっそうと生えた木々の間の散歩が、また心地よい。

その散歩道も終わったころに、今まで薄日がさしていた空は一転して、低い雨雲になり、パラパラと雨が降り始めた。この程度なら何とかなるだろうと、帰りを急いだ。するとどうだろう、豪雨となってしまった。100m先がはっきりしないほどの降り方である。台風の雨だから、雨宿りしても止むはずがない、と思い、駆けて帰ることにした。たちまちぐっしょりである。すっかり薄くなった髪にしみた雨水が滴り落ちる。玄関でシャツやらズボンを絞らないと上がる事ができない。部屋の窓を開けっ放しにしていたのだがそちらの被害はほとんどなかった。

15分ほどすると、なんと晴れ間が見えるようになり雨は上がってしまった。なんと見通しが悪い事である。暫くは予想が当たる事はないだろう。

<読書>

「暗殺の年輪」藤沢周平 文芸文庫

こんな日には、時代小説で、一息入れるといい。藤沢周平の初期の短編集である。黒い縄、溟い海、囮など読み応えのある作品ばかりである。ノンビリと楽しもう。

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2006年7月 8日 (土)

休出が続く

 休出が続く。仕事量が増えている事は確かではあるが、仕事の仕方が悪いのだろうけれど、解決の「ひらめき」が、「創造性」が衰え続けているから、仕事が遅れるのだろうと思う。どのようにしたら、若々しく、次から次に、解決案が生まれるのか?そんな脳を鍛える方法がないのか?と悩む、今日この頃である。 

Blogの材料なども、少し前まではそれなりに、途切れることなく考えられていたが、仕事に軸足が置かれると、こちらの構想が衰える。忙しく、いろんな局面に出会うほど、ひらめが増す、と言う説もありますが、ある程度は当たっていると思うけれど、凡人には難しい。モーツァルトのようになる方法はないものだろうか?そんな中、Blogを書き続ける事は、「脳の訓練としての意味」があるだろうと、このBlogの意味付けをしている。 

年寄りは、昔の話を繰り返すと言うが、忘れる事と、思い出すことの繰り返しは、何も年寄りに特有な事とは思えなくなってきた。「ひらめき」とは思い出の偶然からの発想ということである。だから「ひらめき」を多く生み出すことは、「思い出す行為」を多くすることと一致するのではないでしょうか。過去の出来事を思い出す、思い出せない人の名前を思い出そうとする行為に似ている。 

それに、毎日変化のある生活ばかり送っていると、思い出す事を忘れてしまう。刺激を求めて、行動するのもいいが、たまには、ノンビリと、同じ場所を散歩して、その道のりに変化を意識しなくなると、いろんな発想が出来てくるようになるのではないかとも思う。本ばかり読んで知識ばかりを増やしてもダメで、何も考えない時期を過ごせるようにならなくていけないのではないか。その「何も考えない」行為が難しい。何もしないことが罪だと意識してしまう。どうしたらいいのだろう。 

仕事と全く違う、趣味のような物をやれば、気分転換できて「ひらめき」が生まれると言うが本当だろうか?この方法はあまり役に立たないと思う。その趣味が創造性を求めない、日常性の継続的で、考えなくてできる物であれば別であるが、それで済むのか。

<読書>「脳の中の人生」茂木健一郎 中公新書ラクレ

脳科学者の脳と意識のQ&A集である。今回は優しいので時間を掛けずに読める。脳をめぐる問題は難しい、所詮は物質に過ぎない脳にどうして意識が宿るのか、に突き詰められる。デカルト以来、科学は物質を中心とした「モノ」を使いこなしている。さて「心」「意識」はどうなるのであろう。

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2006年7月 4日 (火)

愚笑妙チャーリーを思い出す

 NHKのドラマで、「ディロン」というドラマが先週終わりました。5回連続だったか、子供のいない妻が捨てられた、ラブラドール犬を保健所から拾ってくるところから、始まったように思う。その妻は、仕事上のトラブルで、うつ病になり、家庭に引きこもるようになってしまったが、この「ディロン」と接するうちに徐々に回復してゆく、さらにディロンは介護犬にまでに成長していく。夫は当初は、犬が嫌いであったが、会社でのいやな出来事が案外、この「犬」のおかげで癒される事が分かり、一時期は3匹の捨て犬の飼育を受け持つところまでになった。夫婦は「犬」を挟んで今まで以上に、話が進み気持ちが通じ合うようになっていた。夫の母は犬嫌いであったが、痴呆症、脳溢血で倒れてからのリハビリに「ディロン」が一役買うことになる。
 我が家のチャーリーは、三兄弟の末子で、売れ残りであったのを、値切って買ってきた。躾はしっかりとつけていますと言う店の人とは裏腹に、全くだらしが無かった。やはり売れ残りであった。娘のペットとして、7年間ほど癒し続けた功績は大きかったのではないか、と思っている。その後は、夫婦のペットとなって、散歩は主人、ご飯をもらえるのはその連れ添い、とうまく使い分けて、生きるためにゴマすり、相手に媚を振りながら、気を使って、残り10年ほどを生き抜いた。その気苦労が分かるだけに、「犬」は何を因果に、何を楽しみに自分を殺して生きるのか、その哀れを思い出す。
娘と別れたときには、このボケ爺と同じ年頃となっていた訳で、老いが追い越していった事になる。チャーリーが75歳ごろに、大阪に一緒に転居をしたが、全く馴染めず、孤独に耐ええる事ができず、死の臭いを発するところまで衰弱した時はさすがに、夫婦して哀れにて、可愛そうなことをしたと、謝ったものである。大手術が3回、はさすがに心配をさせたが、それとて懐かしい思い出となっている。夫婦喧嘩の回数を少なくするように働いた功績も大きかったと思う。「ディロン」を見ながら改めて、「愚笑妙チャーリー」に感謝する。合掌!

<読書>
「さざなみ情話」乙川優三郎 朝日新聞社
女の宿命と希望、男の宿命と勇気、男女の宿命と運命が、愛を信じると言う糧を元に、将来を近い、死を覚悟して生き抜く。日陰者の心の揺れ動く情を描かせれば、乙川の右に出る人はいないだろう。今回も良くまとまっている。登場人物は少ないが、一人ひとりの心の動揺をきめ細かく丁寧に描ききっている。

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2006年7月 2日 (日)

起業家芭蕉

 「芭蕉は大山師だ」といったのは芥川龍之介である。それは「芭蕉は、江戸に出て遊里など出入りしながら、いつしか近代的(当代の)大詩人になった。格別神秘的でもない、西鶴の作品の蕩児の一生とそう違いはない」「彼は実に日本の生んだ三百年前の大山師だった」と結んでいる。

 正岡子規も批判していたという。子規は奥の細道を旅して「はて知らずの記」を執筆した。旅の行く先々で、碑が立てられている事に腹を立てたそうである。芭蕉は「偶像化されすぎている」し「芭蕉は悪党である」と芥川、子規は見抜いていた。今日の芭蕉は「宗教と化」しているのである。

 ボケ爺が考えるには、一介の俳諧師ではなくて、芭蕉は「偉大な起業家」ではなかったか?と思っている。「俳句」と言う商品を「詩会興行」をビジネスとなしたり、「俳句本としてのコンテンツ」にして「販売する」ビジネスを始めて、「俳句」がビジネスとなしえて、大山師となったのではないでしょうか。

 伊賀上野の田舎から江戸に出て、小さな「俳諧」の基礎を築く。そこで、弟子を集め、俳諧興行を起こす。弟子にはスポンサーを集める才覚のある人を取り立てて多くのスポンサー集めに成功した。その一人者が「其角」であった。晩年は反旗をひるがえすところまでになっていた。その江戸を本店として、名古屋、大阪と支店を増やしていった。大阪支店は「之道」が基盤を作っていたが、そこに芭蕉は「洒堂」を送り込んで管理をしやすくしようとしたが、この二人のいさかいで、結果は、芭蕉は人事の患いで命を落とす事になる。

 旅は地方の支持者の更なる勢力拡大のためと、芭蕉自信の功名心のためであった。結果として、芭蕉は起業したところまでは成功したが、「事業としての継続」には失敗した。部下が離散してしまったからである。部下の競争心をあおる使い方をした(組織的活用が下手であった)し、いつまでも俺が俺がと、枯れることを知らなかったからでもある。俳句の「実力者」であったかも知れないが、いつまでも欲深く、「人格者」になれなかった。

<読書>

「悪党芭蕉」嵐山光三郎 新潮社

先日に続いて大変に重い本に出くわした。嵐山光三郎だから買い求めた。格別芭蕉を研究しようと思ったわけではない。興味はいつも持っていた。嵐山だから、ユーモラスに軽く解説されている物と思っていた。それを期待した。が、俳句の解説から、部下の俳句との関わりから、生活面との関係などを総合的に、緻密に、芭蕉の正体をえぐりだしている。大変な作品である。「正直言ってへとへとに疲れた。知れば知るほど、芭蕉の凄みがみえて、どうぶつかってもかなう相手ではない事だけは、見にしみて分かった」と結んでいる。

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2006年7月 1日 (土)

次世代リーダー

 再び、サッカーに話を戻そう。時期監督にオシム氏が推薦されているらしい。ボケ爺には、オシム氏がどんな業績があるのかは全く知らない。が、多くの記事から想像すると、多くの人がオシム氏は適任のように記載されている。果たしてそうなのだろうか?

 適任であるとの意見の中の大部分は、次の3点である。①万年下位の千葉を上位に導いた手腕。②日本のサッカーと、選手を熟知している。③「考えて」走るサッカーを追求する。という事である。

 まず、千葉を元気つけた、実績は確かであろうが、これが世界で通用する手腕となる証拠がない。日本のサッカーの「どんぐりの背比べ」の中での実績にしか過ぎない。チョッとの努力で何とかなる世界ではないのか?次の項目が最も怪しい賞賛の言である。日本のサッカーを知る前に、世界のサッカーを知り、日本のおかれているギャップを熟知し、その手段を提示できなくてはならない。「日本を良く知っていて、考えるサッカー」、これではジーコの二の前である。とにかく、世界レベルに引き上げるには、体力を付ける。「暑さに強いニッポン」の神話は見事に打ち砕かれた。その為には、徹底して鍛える、我がままを言わせない、鬼将軍で、日本など知らない人がいいのだ。

 企業のリーダーでも同じ事である。今の日本の経営の最も危険な状態はグローバル経営を怠っている事である。グローバルで戦える経営者は、ものを言う経営者で強い信念を持っている人であろう。日本では嫌われる人である。日本国の社内で時間を掛けて育て上げた人では戦い抜けない。先ずは、技術や人材についての実力を世界の中で客観的に把握できる洞察力が必要である。世界の伝統文化と歴史に深い造詣を持っている人でなくてはならない。

 日本サッカー協会の、「日本的、日本の」といっているようでは、何時までも改革は出来ないであろう。

<読書>

「陰日向に咲く」劇団ひとり 幻冬舎

落ちこぼれ組みの純粋な、愛と笑いと生活を連作で包み込んだ不思議な小説である。それぞれは、比較的単純な日常生活のごくありふれた物語であるが、その短編が見事につながっていく様は、作為と取れなくもないが、自然なつながりで大きなテーマが現れてくる。

 全くの巧妙な仕組みを見事に隠しきる作者の手法に驚く。

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