週末の雷
こちらの週末は、少々荒れた。2日間とも、黒い雲が地平線を這うように覆い、豪雨と雷が交互に襲ってきた。梅雨入り間近となってきた様相である。
痛風を患い、なかなか治らない苛立ちの週末には、ノンビリと過ごせるし、とても刺激的である。稲妻に雷音に、激しくガラス窓を叩く音に、いずれもが何らかの恐怖を伴い、自分が狂気化していく様子が分かる事は恐ろしい。
こんな生活を「自堕落」と言うのだろう。朝起きて、パジャマのまま一日中、ベッドの上でゴロンと横になり、痛風の痛み止めを試てみたり、ソファーに横になりTV観戦を楽しんだり、ソウソウ、こちらでは、ワールドカップのほとんど全ての試合を放映している。今朝は、イングランド戦を楽しんだ。イヤ、楽しんでいる訳ではない。むしろ苛立っているのだ。「自堕落」とはそんな心の荒れた様子が似合う言葉だと思う。ボケてもボケきれない苛立ちのボケ爺である。
読んでいる本に、偶然にもこんな俳句が載っていた。「じだらくに寝れば涼しき夕哉」芭蕉の句なのか、部下の宗次の句なのかはっきりしない。これを発句に句会が始まったとされているらしい。そこで、真似てみた「じだらくに寝ても痛き痛風哉」また「じだらくに寝て起きる風の痛さ哉」と、くだらない。
何故、痛風になったか反省をした。①高タンパク質を取り過ぎない。この一ヶ月は、宴会が多かった。最後の二週は、ブタカルビ、牛カルビが二回、河豚のフルコース、②酒をひかえる。これだけ宴会があれば、呑む事、必然。③水を良く飲むこと。ここ一ヶ月は、運動不足と思って、風呂で汗を掻くことにした、よく汗をかいた。これが決定打?排尿が衰えたのだ。④有酸素運動をする事。散歩する事をサボっていた。この一ヶ月で、1回、2回?普段はほとんど歩くことがない。⑤攻撃的にならない。この件は、今回は当てはまらない、と思っている。
新説がある。通風の元はプリンタイと言う細胞である。それが肝臓で尿酸として排出される。されないと尿酸結晶となり、多くは足の末端に溜まり痛みになる。つまり、プリンタイの少ない食事がいいということである、が、人間の内臓の死んだ細胞はプリンタイであるそうだ。食事からが1とすると、死んだ細胞は3であるから、内臓が元気でなくてはならない。その為には血液に酸素を送り込まなくてはいけない、と言う事になる。しかし、これで、安心して、食べる事ができる、と思ってはいけない。
こんな「自堕落」では、持病の痛風が出ないわけがない。天罰、天罰。治れば、心から改めて、基本に忠実に生活をしていきたいと、ボケ爺、忘れないようにと、いつもと同じ反省をしている。故チャーリーに誓いをしよう。この国には良い漢方薬があると言う、試みる事にしたい。
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