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2006年6月12日 (月)

モディリアニ

 何時頃だったか覚えていないが、モディリアニの絵に接してとても感銘を受けた。確か、航空工学の恩師である木村秀政教授から、パリの画家たちの集まるモンパルナスの風景や、モディリアニの描く町並みの話しを聴いたときに、丁度、上野の美術館で、何か催しが開かれていたのだと、記憶しており、そこで出会ったのだろう「大きな帽子をかぶったジャンヌ・?」のそんなに大きくない婦人像であった。細長い顔、それに似合う長い鼻、瞳のないうつろな眼、ほほに軽く当てた細長い手というより、しなやかな指、大きな帽子、全体として、物憂げで、寂しげで、優しく成熟したおんなのしぐさは、若い青年にとっては、大きな衝撃を受けた。

 それでも暫くは、忘れていたのだが、モディリアニの画集が発行され、早々に買い込み、模倣を試みた。3枚ほど描いてみたが、瞳のない眼を描くことは出来なかった。顔かたちの奇妙さの発想もさることながら、瞳がないということは、如何にしまりのない絵になってしまう事か。しかし、モディリアニは描ききっている。不思議でならない。後で知ったのだが、彼は当初、彫刻家を目指し、かなりのところまで勉強をしたらしい。そう言えば、ギリシャなどの彫刻には瞳が入っていない。

 モディリアニは35歳の若さで、貧困と孤独と肺結核の病にさいなまれて、酒に溺れる毎日であった、と言われている。天才は早死にが似合うのか?それにもまして、14歳年下のジャンヌは二日後、第二子を宿したまま、6階から飛び降り自殺をしてしまった。まだ21歳と言う若さである。

 と言う事は、衝撃を受けた大人の成熟したおんなの絵は、出会いが3年前というから、18歳、と言う事になる。とても18歳には見えない。これとて、改めて衝撃となる。写真で見る限りは、かなりの美男、美女である。とても、飲んだくれの天才画家とは思えない。それだけでなく、きっと相思相愛の中にあって、本当に天才画家は、酒におぼれる毎日であったのか?この伝説に疑問を持つのはボケ爺だけであろうか?

 ボケ爺はその衝撃を受けてから、久しいが、改めて、模倣に再挑戦がしてみたくなってきた。もう少し先だと、ムズムズとはやる気持ちを抑えている。

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