モーツァルト生誕250年
今年に入って、モーツァルト生誕250年に当たる年として何かと騒がれている。偉大な人々を何かのきっかけで思い起こすための行事は良い事である。
ボケ爺のケンブリッジの友人から、バッハ生誕300年(だったと思う)の音楽祭(3年に一度)が、ケンブリッジの町で25日間ほど開かれているので、来てはどうかと招待されて、参加したのが5,6年前であったかと思う。3日間ほどの滞在であったが、生演奏がいたるところで朝から夜まで演奏されている様は、さすがに伝統あるイギリス帝国の文化を感じさせる。昼間はさておき、初日の夜は、名前を失念してしまったがトリニティ・カレッジだったと思う、来賓用の食堂で、教授夫婦方々と晩餐を楽しみ、大学構内の教会に移動して、目の前で、バッハの演奏を楽しんだ。ワインの心地よさと、時差で、夢見心地であったことは言うまでもない。次の日は、ケンブリッジの町から、北に20kmほど行った町(この町の名も失念している)の1660年代ほどの時期に立てられた立派な教会で、それも目の前で楽しんだ。
モーツァルトに話を戻すと、学生時代から、日本フィルハーモニーの会員になり、定期的に交響楽に親しんでいた。と言うより、結構見栄を張っていたというほうが正しい。モーツァルトの曲は、なんとなく夢中になり、聞くことに構えることなく楽しめた記憶がある。ベートーベンや、チャイコフスキーなどは、何か理屈を読み取ろうとして、身構えるものだから、楽しみと言うより、理解できたかどうかの不安が先であった。その中でも、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲だったかは背中に戦慄が走り鳥肌が立ったことを思い出す。モーツァルトと比べて、これはなんと説明できるのだろうか。
NHKの「がってん」がモーツァルト特集をしていた。曲味の共通点は「喜び」だそうである。安定とリラックスが生まれるという。その基本は、主要3和音で構成されている確率が、90%だそうだ。ご存知のように、主要3和音は音楽の基礎で、絶対的に安定しているのだそうである。それに、息継ぎを頻繁にしなくても歌い続けられるように、無理のない旋律もいいのだそうである。科学的に言うと、和音は風きり音と一致すると言う事である。揺らぎ現象が無理のない旋律に想定されるのではないか。
カイワレの芽の成長も違うと言う、それは響き、つまり和音振動が生育に良いのではないかと言う。ストレス解消は勿論である。曲の構成が、まるで会話をしているようである、とも言う。ある人は、モーツァルトのような仕事ぶりがこれからの時代にふさわしい、脳の活性化にもいい、とも言っている。モーツァルトの曲を多いに聴いて、明日の活力を養ってみては如何でしょう。
<読書>
「希望学」玄田有史 中公新書ラクレ
志の高い希望が明日を救う。希望を求めれば、強い充実が得られる。
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