イメージの素は「うその力」
画家の絹谷幸二さんは、「目から色を食べる」と言う。絵に色彩を爆発させるだけでなく、色を生きる糧としている、と言う。色彩の妙と言われているだけに、発言の中身が、超越している。岡本太郎と同じように、厳密には言葉の意味は理解できないが、気持ちはよく理解できる。
現在は色彩を失った時代である。精神的世界の色彩が薄れてしまっている。モノトーンが進んでいると言う。戦争中を見れば分かる、色彩を失った。そんな時代が危険な証拠でもある。不景気になれば目立つのを恐れる。夢を見る目が曇り、生きる力をなくする。
自然が持つ色彩、花の色、木の緑色、海の青さ、それらに生きるエネルギーを貰っていたではないか。そんな宝物を取り戻さなければいけないと言う。脳は色彩を欲しがっている。活欲の源だからである、と言い切る。
絹谷が描く絵は、強烈な色彩で、何を描いてもポップな軽感覚にあふれ、超現実的で、迫力がある。その源は「夢」と「うそ」がとりなす「力」だそうだ。絵というイメージの世界は「うそ」を描いている。「うそ」はイメージである。イメージ力を作れるのは、実は、どんな「うそ」を見つけられるかである、と豪語する。死後の世界を夢見るいかなる物も、生死の苦悩を乗り越えるための「うそ」と言う最高の作り話である。それが、つまり。「夢」と「うそ」は、いきている世界を壮大に広げてくれる。さらには、イメージを鍛えると、信じる力が養える、とも思える。
ボケ爺が思うには、犯罪が増えるのも凶悪になるのも、色彩からのエネルギーの喪失で、イメージ力が落ち「夢」が見られなくなり、その挙句何物も信じられなくなる、と言う悪の循環であると思う。芸術の空間と色彩の想像力は大切である、と思う。ボケ爺の色彩からくる「モノ」と「こころ」を一体にしようとして、懸命に生きるようとすることが人生哲学となっている。「モノとこころ」への双眼の気配りの素は色彩から受ける「イメージのうそ力」の発見の意欲にある。こんなことを、色彩を認知できない故チャーリは教えてくれた。合掌!
<読書>
「震度0」横山秀夫 朝日新聞社
警察というところは、想像するからにモノトーンのところであるようだ。その周りで動く人間関係も、モノトーンである。そんなミステリーが面白くないわけがない。
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