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2006年6月26日 (月)

日本のサッカーと日本の企業

 日本のジャーナリストとサポータはブラジル戦にわずかな希望を持ち、結果を待ったけれど、結果は、技能とスピードでもてあそばれて、ボロボロにされて、叩きのめされて、大会から排除された。オーストラリア戦はパワーで圧倒された。

 多くの人が反省をしているが、まったく反省になっていない。先ず指導者としてのジーコだ。彼は、「日本の選手にブラジルサッカーを教えてきた、それは一人ひとりが自主的に考えたプレーをする事である」、と。一件正しい弁明のようであるが、日本プレーヤにそんな力があると分析していたのか?4年でその力を身につける実力があるとか、どうすればそんな力が身につけられるのかを分析したのか?と疑う。日本人の戦力、実力の分析が出来なくて、希望的観測で曖昧にして終始したのではないのか?そんな意味で、日本企業の経営者も、世界で戦えるための自己分析が出来ていない、と言う事では、ジーコは日本的経営者と同じ土俵にいたことになる。

 選手の反省の弁明でも同じことが言える。「もう少しだ」「トップとの差があった」「ミスが多かった」「手ごたえを感じる暇が無かった」など、全く自己分析が出来ていない。ここまで叩きのめされても、本当にこんな甘い分析でいいと思っているのか?世界で戦えるためにこんなに大きなギャップがあるというのに。先ずは、「基本体力が足らない」、「勝つ意欲がない」、と言う、「戦う人間の基本が出来ていない。」事を自覚することからはじめなくてはならない。

 今回の選手は「黄金時代」のスター、タレントプレーヤで、今回ですら勝てなかったので、この先は思い切ったことを考えないといけない」、と岡田横浜M監督が言っている。この意識が、大問題である。日本内で、スターだ、と言ってタレント化してしまうから、甘えて世界で戦えなくなってしまうのだ。日本内でなく世界でどこまで戦える選手か?をサポータ全員が正確な分析をするべきであった。いい加減な日本市場で満足している企業の経営者と一緒である。

 これからは、サッカー人口を増やして底辺の土台造りをしなければ、と言うが、日本のプロ人口より少ない国は多く、それでも強い国がある。企業が人材を抱えたからと言って、伸びるのか?むしろ邪魔となっている。日本はプロ人口が多すぎる。リストラすべき時代であろう。リストラした分、エリート教育に回すべきである。

    指導者たる者、兵の実力を正しく分析して、それを補う指導が的確に行えること。

    戦う場は世界であり。(日本内ではない)世界状況を知り、速やかに対応する事。

    戦いは勝つことが基本であると、自覚する事。(参加することはいいことではない)

    基礎体力(知識)が少なくとも世界レベルまで高められなくてはならない。

    個性化ではなく、先ずは人間たる事、つまり、率直で、学ぶ意欲が旺盛である事。

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