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2006年6月29日 (木)

梅雨時のメニュー

 韓国では、梅雨時の雨の日には、チジミ(なになにチャム)(日本で言うとお好み焼きのような作り方)をつまみにして、マッコオリという、濁り酒を飲むことが一般的なのだそうである。

 仲間に連れて行ってもらって、チジミ専門店に行った。専門店だけあっていろんな種類のチジミがあって、これが美味い。それに、マッコオリもなかなかいける。いつもは主食のつまみでしかチジミを食べた事がなかった。その時はあまり美味しいとは思えなかった。

 一般の家庭でも、雨のこのごろは、よく食卓にのぼるのだそうである。何故、チジミが雨の日に好まれるのかと言う説は、正しい言われはないようであるが、焼く音が、雨の地面を叩く音のようであって、チジミを思い浮かべるからだと言う。

 キムチチジミは少し厚めであり、ふんわりと焼きあがっていて、わさび醤油に漬けて、口にほおばると、さくっと音を立てて、香ばしい香りが口いっぱいに広がる。キムチの辛さは炒めることにより何処かに飛んでしまってあっさりとしてわさびの辛さが心地よい。ネギチジミが特に美味しい。長ネギを敷き占めて、出来るだけ薄く焼くのが美味しさの秘訣だそうである。これがうまく焼ける女性を奥さんにするのが最高なのだそうである。

 なるほど、自慢する店だけに、薄く、コンガリとカリっと上がっている。口の中は、甘酸っぱいネギの味と、青臭い香りで埋め尽くされ、何もつけなくてそのまま食べるのが最高である、と思う。次から次に手が出てしまう。

 店は狭く、決して綺麗とはいえないが、雨も上がり、いつの間にか、店の前の10卓ほどあるテーブルには、若者で一杯になっている。皆、満足げな笑みをたたえた顔が、ひと時の慰めになって幸せな空間にいる事は確かである。

<読書>

「スープ・オペラ」阿川佐和子 新潮社

日常のなんでもない風景を詳細に書き込むことによって、何かかえって新鮮な、新たな経験を味わっているような気分にさせるように描かれた筆跡はすばらしい。主人公の得意とするスープを一方の筋書きの「つなぎ」にして、ストリーを展開する展開力はよく工夫されている。北上次郎はこれを評して、「うまい、いや、美味すぎる。」と言う。

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2006年6月26日 (月)

日本のサッカーと日本の企業

 日本のジャーナリストとサポータはブラジル戦にわずかな希望を持ち、結果を待ったけれど、結果は、技能とスピードでもてあそばれて、ボロボロにされて、叩きのめされて、大会から排除された。オーストラリア戦はパワーで圧倒された。

 多くの人が反省をしているが、まったく反省になっていない。先ず指導者としてのジーコだ。彼は、「日本の選手にブラジルサッカーを教えてきた、それは一人ひとりが自主的に考えたプレーをする事である」、と。一件正しい弁明のようであるが、日本プレーヤにそんな力があると分析していたのか?4年でその力を身につける実力があるとか、どうすればそんな力が身につけられるのかを分析したのか?と疑う。日本人の戦力、実力の分析が出来なくて、希望的観測で曖昧にして終始したのではないのか?そんな意味で、日本企業の経営者も、世界で戦えるための自己分析が出来ていない、と言う事では、ジーコは日本的経営者と同じ土俵にいたことになる。

 選手の反省の弁明でも同じことが言える。「もう少しだ」「トップとの差があった」「ミスが多かった」「手ごたえを感じる暇が無かった」など、全く自己分析が出来ていない。ここまで叩きのめされても、本当にこんな甘い分析でいいと思っているのか?世界で戦えるためにこんなに大きなギャップがあるというのに。先ずは、「基本体力が足らない」、「勝つ意欲がない」、と言う、「戦う人間の基本が出来ていない。」事を自覚することからはじめなくてはならない。

 今回の選手は「黄金時代」のスター、タレントプレーヤで、今回ですら勝てなかったので、この先は思い切ったことを考えないといけない」、と岡田横浜M監督が言っている。この意識が、大問題である。日本内で、スターだ、と言ってタレント化してしまうから、甘えて世界で戦えなくなってしまうのだ。日本内でなく世界でどこまで戦える選手か?をサポータ全員が正確な分析をするべきであった。いい加減な日本市場で満足している企業の経営者と一緒である。

 これからは、サッカー人口を増やして底辺の土台造りをしなければ、と言うが、日本のプロ人口より少ない国は多く、それでも強い国がある。企業が人材を抱えたからと言って、伸びるのか?むしろ邪魔となっている。日本はプロ人口が多すぎる。リストラすべき時代であろう。リストラした分、エリート教育に回すべきである。

    指導者たる者、兵の実力を正しく分析して、それを補う指導が的確に行えること。

    戦う場は世界であり。(日本内ではない)世界状況を知り、速やかに対応する事。

    戦いは勝つことが基本であると、自覚する事。(参加することはいいことではない)

    基礎体力(知識)が少なくとも世界レベルまで高められなくてはならない。

    個性化ではなく、先ずは人間たる事、つまり、率直で、学ぶ意欲が旺盛である事。

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2006年6月25日 (日)

重い著書

 珍しく山を散歩した。梅雨空で薄暗さが、生い茂った黒松で山路は一層暗くなっていた。

 「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくに人の世は住みにくい。」は「草枕」の冒頭の有名な一説である。夏目漱石が、熊本の山路を歩いている時に呟いたと言われている。まさにその心境である。度々思い出すが、なるほど、この世の生き様を巧く描ききっている、これ以外の明言は他にはない。

 大変に重い本に出会ってしまった。この本を熟慮すればするほど、こんなコラムなど書けない日々が続いた。やっとの思いで、書くことにする。

 「日常は、決して空気のように存在するのではない」「さまざまな動的要因の微妙なバランスの上にかろうじて成り立っている」「日常は、いかなる場合にも無垢では存在しない」「日常に埋没するものに、日常が書ける訳がない」と言い切る。

「漱石の「坊ちゃん」において、漱石は坊ちゃんではなく、赤シャツである。狡知を巡らしてうらなり君からマドンナを奪っていく、赤シャツこそ漱石その人である」とも言い切る。赤シャツは「こころ」における先生に真っ直ぐにつながっていく。そのような尋常ならざる自己認識に基づく表現行為が成立しているから、「坊ちゃん」は誰が呼んでも楽しめる青春小説であり、骨までしみる悲しみと慈しみに満ちた傑作たり得ている。」と言う事に、大いなる共感を得てしまった。このような調子で、漱石を解体していく。今までないない漱石論が展開されている。表現者は痛みを伴う。痛み無くして人間の本質は語れない。日常にその痛みが存在する、を基本とする。

 「生身の個として逃げようの無さを引き受け続けたからこそ、漱石はその生涯を創造者たり得たと言う。これは小林秀雄に通じる事であるとも言う。

 その本の名は「クオリア降臨」茂木健一郎(文芸春秋)である。小林秀雄の「無常と言う事」以来の、否、もっと大きなショックを受けた作品である。脳科学者の見る、小説の世界は、物質的存在の脳は有限だけれど、脳が生み出す表象の世界は無限である。意識の中の全ての表象はクオリア(質感)を単位としている。と分析をする。

 本著は、脳化学者からみた小説の読み方を追及している。どの章も、ボケ爺にとっては今までに出会った解説よりも鮮明で、新鮮であり、理解が行き届いた。それだけに、次に何をしたらいいのか分からなくなってしまった。先ずは基本から、全てを読み直さなくてはならない、重い課題を頂いた。新たな苦難の道をこの歳で歩き始められるのか。しかし、一旦知ってしまった世界を避けるわけには行かないだろう。

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2006年6月16日 (金)

父の背中

 父の日が近い。母の事(母の強さ 6月3日)に触れたので、ここで故父を思い出してみる事にする。田舎を飛び出してからは、母よりも、もっともっと話をしていたが、これと言う思いではない。小さい時、父は怖い人であった。めったに口を聞いたことがない。酒を飲んでくるとご機嫌であった。その時を狙って、欲しい物をねだる。結構成功率は高かった記憶がある。

 父から、直接に教わったのは、水泳であった。我々の時代は、当然、プールなどない、小学校の水泳の訓練は川でした。父は海に良く連れて行ってくれて、平泳ぎ、抜き手泳ぎ、横泳ぎ(こんな泳ぎの言葉があるのか?)つまり遠泳向きの泳ぎ方であった。だから、早くから、泳ぐ事ができていた。最も早く泳げる小学生であった。それ以外には、酒の飲み方である。飲み方があるのか知らないが、飲まされた。これ以外は記憶にない。(酒の思い出は以前に話をした)

 間接に教わった事は沢山ある。先ずは、「和船の漕ぎ方」である。今でも漕ぐ事が出来るはずだ。どこで、どう覚えたかは定かではない。父が漕いでいる傍で、観察して覚えた。手を取って教えてもらった事はない。学生時代、東京の都会っ子が夏休みに遊びに来て海に行って自慢しながら和船を漕いだ記憶は鮮明に覚えている。それ以外では、父は勤めに出る前に、毎日毎日、少々の雨でも、朝早くから働いていた。その一生懸命の姿は忘れられない。

 そう言えば、小学校3年の時であろう、38度の熱を出した事がただ一回あった。母は休むように勧めてくれていた。それを知った父は激怒して、自転車の後ろに、わら縄で縛り付けて、小学校の門の前まで連れて行き、「勉強して来い」と一言、言って早々に帰っていった。なるほど午後には熱は引いてしまった。通知簿の成績は最低であったが、皆勤賞は唯一自慢できた。中学校の卒業までの続ける事ができた。父のおかげか?

 父が口癖のように言っていた言葉がある。「運、鈍、勘」で、「長い人生には、運が向く時がある、それを、勘を働かせ、鈍重に構えて焦ることなく行動せよ」と言う事であった。未だに運は訪れてこない、父の言葉は嘘であったのか?それ以外には、「貧すれば鈍す」などがあった。あくまでも、「自重する」ように言い聞かせていたのである。

 ボケ爺のことを、「お前は「器用貧乏」だから、大器晩成も無理だな。たいした人物にはならない。」などと、ろくな評価と、期待はしてくれていなかった。その通りになってしまった。そんな父ではあるが、今では、おかしいほど父に似てきたな、と、苦笑いをする日々である。それだけ、「父の背中」を観ていた事になると思っている。だから、父親の思い出には「背中」が似合う訳である。

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2006年6月14日 (水)

心の病

 漱石の生い立ちは複雑だったそうである、と一般に言われている。「坊ちゃん」を読み返している内に、漱石の生い立ちが明確に描かれている場所にぶつかった。引用すると「おやじはチットもおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。・・・・こいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじは云った。乱暴で、乱暴で行く先が案じられると母が云った。・・・御覧の通りの始末である。・・・・」今まで、痛快さに紛れて、さらりと書かれていたので読み飛ばしてしまっていた。「坊ちゃん」のこの幼少の頃の悲惨さは、この作風にも、他の作品にも、大きな影響を与えているのであろう。「坊ちゃん」の読み方を変えなくてはならない。坊ちゃんが無鉄砲、生真面目、一本義と描かれているとすると、漱石は、「坊ちゃん」ではない。

 そう言う、ボケ爺もこの「坊ちゃん」と全く同じような幼少時代があったことは以前に話したと思っている。だから、漱石の作品になんとなく惹かれてきているのだろうか、改めて、考え込んでしまった。幼少の頃の「疎外感と劣等感からの心の病」は一生抜けきらない。それを隠そうとする心は、「皮肉れと見栄」として必ず現れる。そんな二面の自分に葛藤して狂気化することを隠すことに苦しんできた、今もすっきりとしない。黄色が好きだけれど、青紫に描くのも「心の病」であろう。「恥」の多い生活もその現れの一つであろう。恥は見られることの恐怖である。いつも恐怖を感じている。しかし、他人の視線がなくして生きられないのも確かである。そこに、「心の病理」、「意識の病理」、がある、と考えている。

 「心の病」を描いた小説は多い。漱石は「文学論」で「精神衰弱と狂気とは否応なく余を駆って創作の方面にむかわしむる」といい、作風の中に現れ数々の名作を生んでいる。芥川龍之介の神経症の現れた「歯車」「或る阿呆の一生」は有名である。

 近年では、「博士の愛した数式」小川洋子は記憶障害を、そのものずばりの「幻覚」渡辺淳一は少女時代に受けた精神的外傷を、ミステリー分野では数々あるが、「容疑者Xの献身」東野圭吾のずば抜けた天才の純愛、など、など数え切れない。

<読書>

「坊ちゃん」夏目漱石 岩波文庫

漱石の作品はいろんな読み方が出来る。何度読み返しても、新しい発見がある。そこが不思議である。

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2006年6月13日 (火)

オーストラリア戦の日本の戦い方

 昨日のオーストラリア戦での日本の戦い方を見て、考えさせられた。先日、「日本を磨く」で、コメントしたような状況の分析と反省とが全く一致している事に気が付いたからである。

    選手は日本と言う中規模なサッカー市場に安住している。日本国内で結構、もてはやされて安住している。その間、世界は大きく変化している事に気が付いていない。世界で戦える競争力とは何かを知らない。甘えがある。

    ジーコ監督は、改革と言うより、横並びで、目立つ事を嫌う典型的な日本型のマネージメントに安住している。年寄りの経験者を活用したがる。変化を嫌う。リーダシップと言うより、回りに気を使ったり、ピッチに気を使っている。視野(あらゆる選択肢)が狭くなってしまっている。試合後のコメントが物語っている。

試合を繰りかえってみると、次の三点になる。

    選手が疲れきっている。汗の量がオーストラリア選手より、各段に多い。まず体力的に世界での競争力を持っていない。体力の無さかどうかは分からないが、選手が動いてくれるであろう事を予測して、パスがなされるはずである。しかし、選手はその予測の方向に暗黙知して、走り込む選手はまれである。だから、ことごとく裏切られたパスとなりカットされていた。目の前に来なければ反応しない。

    オーストラリアは、センター攻撃一辺倒だったにかかわらず、簡単に突破されていた。何故簡単に突破されるのか、全く理解できない。戦う事の本質が分かっていない。決められた攻め方、守り方しか出来ない。自分のところに来た球だけは器用に操っていた。連携、組織プレーの日本といわれているが、個性、個人プレーを賞賛しすぎた結果である。

    ジーコのマネージメントの課題が、二点ある。一点は、選手がこんなに疲れて、腕を腰に当てて歩いているにかかわらず変えることに気が回らない。二点目は、戦い方の方針が明確でない。選手交代の目標を失っていたし、その説明の義務を忘れている。守りに頭が固まってしまった、IRを怠った、典型的な痴呆症リーダと同じと言う事だ。

 もう一度繰りかえすが、企業経営から見ても、サッカーの戦い方に見ても、金太郎飴のように良く似た断面が現れる。世界の変化が認識できない今日の日本の状況はかなりの重症であると言う事になる。この失われた15年のつけは大きい。皆でよく考え、世界で勝てる競争力とは、何かを反省をして、国民全体の意識改革、戦略的リーダの改革(イノベーション)に奮起されることを、ボケ爺は期待する。

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2006年6月12日 (月)

モディリアニ

 何時頃だったか覚えていないが、モディリアニの絵に接してとても感銘を受けた。確か、航空工学の恩師である木村秀政教授から、パリの画家たちの集まるモンパルナスの風景や、モディリアニの描く町並みの話しを聴いたときに、丁度、上野の美術館で、何か催しが開かれていたのだと、記憶しており、そこで出会ったのだろう「大きな帽子をかぶったジャンヌ・?」のそんなに大きくない婦人像であった。細長い顔、それに似合う長い鼻、瞳のないうつろな眼、ほほに軽く当てた細長い手というより、しなやかな指、大きな帽子、全体として、物憂げで、寂しげで、優しく成熟したおんなのしぐさは、若い青年にとっては、大きな衝撃を受けた。

 それでも暫くは、忘れていたのだが、モディリアニの画集が発行され、早々に買い込み、模倣を試みた。3枚ほど描いてみたが、瞳のない眼を描くことは出来なかった。顔かたちの奇妙さの発想もさることながら、瞳がないということは、如何にしまりのない絵になってしまう事か。しかし、モディリアニは描ききっている。不思議でならない。後で知ったのだが、彼は当初、彫刻家を目指し、かなりのところまで勉強をしたらしい。そう言えば、ギリシャなどの彫刻には瞳が入っていない。

 モディリアニは35歳の若さで、貧困と孤独と肺結核の病にさいなまれて、酒に溺れる毎日であった、と言われている。天才は早死にが似合うのか?それにもまして、14歳年下のジャンヌは二日後、第二子を宿したまま、6階から飛び降り自殺をしてしまった。まだ21歳と言う若さである。

 と言う事は、衝撃を受けた大人の成熟したおんなの絵は、出会いが3年前というから、18歳、と言う事になる。とても18歳には見えない。これとて、改めて衝撃となる。写真で見る限りは、かなりの美男、美女である。とても、飲んだくれの天才画家とは思えない。それだけでなく、きっと相思相愛の中にあって、本当に天才画家は、酒におぼれる毎日であったのか?この伝説に疑問を持つのはボケ爺だけであろうか?

 ボケ爺はその衝撃を受けてから、久しいが、改めて、模倣に再挑戦がしてみたくなってきた。もう少し先だと、ムズムズとはやる気持ちを抑えている。

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2006年6月11日 (日)

週末の雷

 こちらの週末は、少々荒れた。2日間とも、黒い雲が地平線を這うように覆い、豪雨と雷が交互に襲ってきた。梅雨入り間近となってきた様相である。

 痛風を患い、なかなか治らない苛立ちの週末には、ノンビリと過ごせるし、とても刺激的である。稲妻に雷音に、激しくガラス窓を叩く音に、いずれもが何らかの恐怖を伴い、自分が狂気化していく様子が分かる事は恐ろしい。

 こんな生活を「自堕落」と言うのだろう。朝起きて、パジャマのまま一日中、ベッドの上でゴロンと横になり、痛風の痛み止めを試てみたり、ソファーに横になりTV観戦を楽しんだり、ソウソウ、こちらでは、ワールドカップのほとんど全ての試合を放映している。今朝は、イングランド戦を楽しんだ。イヤ、楽しんでいる訳ではない。むしろ苛立っているのだ。「自堕落」とはそんな心の荒れた様子が似合う言葉だと思う。ボケてもボケきれない苛立ちのボケ爺である。

 読んでいる本に、偶然にもこんな俳句が載っていた。「じだらくに寝れば涼しき夕哉」芭蕉の句なのか、部下の宗次の句なのかはっきりしない。これを発句に句会が始まったとされているらしい。そこで、真似てみた「じだらくに寝ても痛き痛風哉」また「じだらくに寝て起きる風の痛さ哉」と、くだらない。

 何故、痛風になったか反省をした。①高タンパク質を取り過ぎない。この一ヶ月は、宴会が多かった。最後の二週は、ブタカルビ、牛カルビが二回、河豚のフルコース、②酒をひかえる。これだけ宴会があれば、呑む事、必然。③水を良く飲むこと。ここ一ヶ月は、運動不足と思って、風呂で汗を掻くことにした、よく汗をかいた。これが決定打?排尿が衰えたのだ。④有酸素運動をする事。散歩する事をサボっていた。この一ヶ月で、1回、2回?普段はほとんど歩くことがない。⑤攻撃的にならない。この件は、今回は当てはまらない、と思っている。

 新説がある。通風の元はプリンタイと言う細胞である。それが肝臓で尿酸として排出される。されないと尿酸結晶となり、多くは足の末端に溜まり痛みになる。つまり、プリンタイの少ない食事がいいということである、が、人間の内臓の死んだ細胞はプリンタイであるそうだ。食事からが1とすると、死んだ細胞は3であるから、内臓が元気でなくてはならない。その為には血液に酸素を送り込まなくてはいけない、と言う事になる。しかし、これで、安心して、食べる事ができる、と思ってはいけない。

 こんな「自堕落」では、持病の痛風が出ないわけがない。天罰、天罰。治れば、心から改めて、基本に忠実に生活をしていきたいと、ボケ爺、忘れないようにと、いつもと同じ反省をしている。故チャーリーに誓いをしよう。この国には良い漢方薬があると言う、試みる事にしたい。

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2006年6月10日 (土)

これからの日本

 日本経済新聞に「日本を磨く」という内容で、ようやく先の明かりが見え始めた2006年以降どのような戦略的リードが必要なのか、各界の著名人、5人にインタビューした、特集が組まれていた。

バブルの原因については、専門家がいろんな分析をしていたが、基本は循環性不況に構造上の複雑性であるとしていたと思う。循環性については、全てについての過剰投資の整理、在庫調整、雇用調整の改善に乗り出した。構造改革は、金融施策、規制緩和を中心としてきた。これらをあまりにも単純に考えすぎたために、回復が遅れたとされている点に疑問を挟む余地はない。

さらには、他に見逃していた問題がある。その間、世界では、政治と、経済でグローバル化が急速に進んでいた。そこへの適応能力の欠如により、日本の経済システム、企業思想に戦略を見失ってしまった。この点が最も、回復が長引いた原因である事に、やっと気が付き始めた。

5人の方々の意見で共通する点をまとめてみると、次の2点にしぼられるであろう。

1:中途半端な日本の市場の大きさに安寿していたため、世界規模の競争に太刀打ちできなくなっていた。

2:あまりにもアメリカ一辺倒で、頼りすぎていて、あらゆる分野(社会構造から、経済機構、企業経営、技術開発まで、横並びを良し、としてきた。)で、アメリカ追従を行った結果、日本の競争力の源泉を見失ってしまった。

 グローバル競争とは①グローバルな市場や、競争原理と、政治経済の情勢の変化の洞察力、社会、文化の知識と理解を基にした創造力ある戦略の競争である。②それぞれの企業が同質的競争の次元を超越して、世界規模での資源分析を大胆に行い、革新的な競争力のあるコアを築き上げる事であると、ボケ爺はボケた頭で考える。今の勤めで、イヤと言うほど鍛えられている。

1:御手洗富士夫(日本経団連会長)は、「文化に根ざした革新力を味方に」という。

2:西沢潤一(首都大学東京学長)は、「横並びを止め独創を尊べ」という。

3:孫正義(ソフトバンク社長)は、「サムライ魂、企業家にあり」という。

4:坂村健(東大教授)は「全体を見る目が競争力を生む」という。

5:西田厚聡(東芝社長)は、「日本経営の思想の転換を」という。

<読書>

「「失われた十年」は乗り越えられたか」下川浩一 中公新書

低迷から飛躍の時が来たと見るが、今、改めて、失われた10年を振り返り、その間で行ってきた施策を反省する必要があると説く。議論の中心は、グローバルへの対応、適用が、最も重要なポイントであると、産業界のこの10年の歴史を紐解いている。十分に役に立つ著書である。日本がアジアで孤立する事への警告も含まれている。

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2006年6月 9日 (金)

持続は人格

 昔から、よく言われることに、「持続は力ない」、と言われている。企業においても、持続し続ける「粘り」はビジネスの基本とされている。ボケ爺からすると、人格の一つと考えられる。企業活動では明日をも知れない苦しい事が起きる。その時、苦しさから逃げることなく、粘り、活動を続けることは、大変な努力であり信頼につながる。そんな人物は尊敬に値し、今後の活動に後身を譲る。

 最近、「身体を鍛える」、「脳を鍛える」、ヒトは大変に多い。しかし、「人格を鍛えよう」とするヒトはまれである。品格は云々するけれど、ボケ爺は、以前から、この品格なる物に疑問である。グローバル化文化に逆らう物であるからである。「人格」とは、勇敢で正義感に富み、度量が広く、欲望に負けず、親切で、何があっても動揺せず冷静に対処し、損得にもこだわらない、黙々と努力を持続する、と言う事であろうか。

 今日、イチローが、日米通算、2500安打を達成した、と言うユースが飛び込んできた。日本人最速の通算1808試合目で達成した。32歳8ヶ月の達成はメジャーでも歴代2位のスピードで、一位の4256安打も不可能でない、と言う。年平均226安打を打てば、40歳のシリーズで達成できると言う。今から、8年後である。イチローの持続力なら、本当に出来る事であろう。

 今年初めの、WBCでイチローはむきに成りすぎているのではないか、と心配した。その影響か、今年は出遅れた。緊張が切れて今年は無理ではないか、と思ってしまったが、ここに来て本領を発揮してきた。さすがに、イチローだと今更に、敬服するとともに、その精神力の、努力の粘りのある持続に脱帽をする。孤高の人である。これこそ人格である。今からでも、ボケ爺も見習えるようにしたいが?

 ウォールドカップが始まる。イチローのような、サッカー界で孤高の中田英寿のリーダシップに期待する。彼は、言葉は少ないが、「俺の背中をみよ!」を見せ付けるように居残って、73本のシュートを、鬼気迫る形相で黙々とボールをけり続けたそうである。その思いが実る事を期待する。

<読書>

「世界を見る目が変わる50の事実」ジェシカ・ウィリアムス 草思社

緊張の間に、こんなくだらない事実で笑いを取り戻せるといいのだが。この50の事実を知って、博識にも、人生生きるための参考にもならない。こんなくだらない本が良く売れるものだ。買って読む人が知れない。

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2006年6月 8日 (木)

創造力が無くなる

 今、ボケ爺は深刻な課題を抱いている。新しい発想が出来なくなって行く状況がはっきりしてきている。つまり創造性が落ちている、否、無くなってしまったようである。元々あったのかと聞かれれば、それは怪しいが、曲りなりにも、商品開発はやってきたし、戦略も考えられた。その出来具合は別にして。歳だと言う人もいる。

 何故なんだろうか、と悩むうちに、平凡な原因に行き着いてしまったようだ。外国に来たからだ。言葉が通じない事をいいことに最小限の会話しかしていない。一日の大半は、会議に出て、「そんなものか」、と聞いているだけであり、発言は10回に一回程度である。自分の机に座り込んで、本を読んだり、Webを見たり、ジュースを飲んだり、コーヒーをお願いしたり、適当に、それらのコメントを書いては、暇をつぶしている。

 会話をしないのだから、真剣な意見の対立など生まれようがない。「そう」「そうですか」の毎日である。商品企画会議?資料はよくできている。しかし、ボケ爺には、現物を見ていないし、他者の商品も見たことがない。会議は、カタログ、Webのみの情報で仕上げたプレゼンテイショーンは無味乾燥に流れていく。どこにも、現物がない。これで、戦略コメントが出てくる訳がない。品質会議?市場問題の解決について議論がなされている。現物を見ていない、コメントを求められても資料からだと、一般論、教科書的のみである。当然、皆は失望をする。製品開始会議がある。コメントを求められる。しかし、技術課題の議論も、誤解も、生の検証データを見ていない。コメントが出来ない。再び、不満の視線が注がれる。

 脳内の想像性は過去の現物の偶然的な出会いの経験の積み重ねである。意見の対立からの意識の活性化が始まる。誤解があるから、創造性が発動する。

 まとめると、会話が薄れている。意見の深刻な対立が無い。現物に出遭っていない。現場の状況を知らない。誤解をしていない。毎日悩んでいない、と言う単純な結果である。まずは、会話、議論することから、再チャレンジしていこう、と考えた。

 昔の激論、誤解、現物を撫で回す、などの環境が恋しくなってきた。同僚、後輩にとっては大いに迷惑だろうが。

<読書>

「逆説発想のビジネス哲学」糸川英夫 チクマ秀版社

この著書は、発想のノウハウ書の実用書ではない。哲学とあるように、考える基礎を見出し、何故、なぜ、などの自分と、ビジネスとの存在論である。また、モノ、ヒト、カネの認識と現象論が展開されている。だから、糸川英夫は科学の基礎の哲学者である。

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2006年6月 7日 (水)

笑う門に福来る

 日本の諺に、「笑う門に福が来る」とはよく知られている。この福とは、健康に良い、とか、人間関係を改善できるとか、心の病を癒してくれるとか、長生きが出来るとか、の効果があると脳の働きの研究からもいわれている。この有効性を遺伝子から研究している人達が居る。その遺伝子研究によれば、ある部分の人間の能力は持って生まれた「差」というより、遺伝子の働きを活性化することにより、その差は活性化の度合いに関係しているという。そういう状態を遺伝子がスイッチONした、という。大笑いして過ごした人達の遺伝子の調査はその前と後では、明らかに数十個が活性化(スイッチON)していたという。遺伝子にも、眠っているものがあるという説である。だから、「大いに笑って過ごす」ことが勧められている。

 反面、この社会のストレスで「心の病」や「身体の不調」訴える人々も多い。これらも遺伝子の営みから来るのかも知れない、とする。人の体は不思議な物で自然に治療するフィードバック機能が備わっているという。その回路の定数が、「ストレス」や、「笑い」によって、変わってしまうのではないだろうか。この定数が、遺伝子のなせる業なのか、脳作用のなせる業なのかは、脳作用が遺伝子活動なのか、ボケ爺には理解できない。

 しかし、「笑い」があるところに、悪くなる現象は聞いた事はない。万人が、効果があるということは、疑う必要がないのである。

という事から、日常生活にスマイル顔を作れるように訓練しましょう。会話時にユーモアを交えて話が出来る訓練が必要であろう、という強制があると言う。これではこれまでもストレスになる。心の底から「笑いが欲しい」が、どうすれば良いか、今後の課題であろう。

 イギリスは世界で誇れる物は少ないが、サッチャー元首相は、「ユーモア」があると言う。ここには、ぎりぎりのにがい経験、苦しい事態、の言う境界が存在するが故に、ユーモアが効果を発揮いすると思う。「笑い」と「ユーモア」が何だか分からなくなってきてしまった。

<読書>

「食卓の情景」池波正太郎 新潮文庫

実に丁寧に食事の内容が説明されている。それだけでなく、思わず唾液がこぼれそうになるほどの美味しい食べ物、食べ方はないぞ!と言う情景を誘う文体はすごい。池波正太郎に「笑い」と言う情景を描いて欲しかった。

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2006年6月 6日 (火)

モーツァルト生誕250年

 今年に入って、モーツァルト生誕250年に当たる年として何かと騒がれている。偉大な人々を何かのきっかけで思い起こすための行事は良い事である。

 ボケ爺のケンブリッジの友人から、バッハ生誕300年(だったと思う)の音楽祭(3年に一度)が、ケンブリッジの町で25日間ほど開かれているので、来てはどうかと招待されて、参加したのが56年前であったかと思う。3日間ほどの滞在であったが、生演奏がいたるところで朝から夜まで演奏されている様は、さすがに伝統あるイギリス帝国の文化を感じさせる。昼間はさておき、初日の夜は、名前を失念してしまったがトリニティ・カレッジだったと思う、来賓用の食堂で、教授夫婦方々と晩餐を楽しみ、大学構内の教会に移動して、目の前で、バッハの演奏を楽しんだ。ワインの心地よさと、時差で、夢見心地であったことは言うまでもない。次の日は、ケンブリッジの町から、北に20kmほど行った町(この町の名も失念している)の1660年代ほどの時期に立てられた立派な教会で、それも目の前で楽しんだ。

 モーツァルトに話を戻すと、学生時代から、日本フィルハーモニーの会員になり、定期的に交響楽に親しんでいた。と言うより、結構見栄を張っていたというほうが正しい。モーツァルトの曲は、なんとなく夢中になり、聞くことに構えることなく楽しめた記憶がある。ベートーベンや、チャイコフスキーなどは、何か理屈を読み取ろうとして、身構えるものだから、楽しみと言うより、理解できたかどうかの不安が先であった。その中でも、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲だったかは背中に戦慄が走り鳥肌が立ったことを思い出す。モーツァルトと比べて、これはなんと説明できるのだろうか。

 NHKの「がってん」がモーツァルト特集をしていた。曲味の共通点は「喜び」だそうである。安定とリラックスが生まれるという。その基本は、主要3和音で構成されている確率が、90%だそうだ。ご存知のように、主要3和音は音楽の基礎で、絶対的に安定しているのだそうである。それに、息継ぎを頻繁にしなくても歌い続けられるように、無理のない旋律もいいのだそうである。科学的に言うと、和音は風きり音と一致すると言う事である。揺らぎ現象が無理のない旋律に想定されるのではないか。

 カイワレの芽の成長も違うと言う、それは響き、つまり和音振動が生育に良いのではないかと言う。ストレス解消は勿論である。曲の構成が、まるで会話をしているようである、とも言う。ある人は、モーツァルトのような仕事ぶりがこれからの時代にふさわしい、脳の活性化にもいい、とも言っている。モーツァルトの曲を多いに聴いて、明日の活力を養ってみては如何でしょう。

<読書>

「希望学」玄田有史 中公新書ラクレ

志の高い希望が明日を救う。希望を求めれば、強い充実が得られる。

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2006年6月 5日 (月)

企業経営、信長に学べ

 主題の課題を、作家の堂門冬二が日経の夕刊のサラリーマン生態学(いきざまがく)にコメントされていた。いまさら、信長か、と思われる方もおられるかもしれない。「失われた10年」論の中に、今の時代こそ、カリスマ指導者の出現が必要である、と主張される人々が、その第一人物として信長がはやし立てられたときがあった。その時の信長分析は、強い意思、とその戦術論に注目されていたと思います。専任軍人のリスクと報酬、新武器(鉄砲)の導入とその欠点の補充、楽市楽座の物流の改革による資金の徴収、などであろう。

 今日の企業経営に必要だとされる課題は、①絶え間ないイノベーション(技術改革)、②ニーズと顧客を自分で作りだす、③製品に文化と言う付加価値を与える、④従業員にやりがいや喜びをもたらす、⑤日本式経営の永年雇用、年功序列制の活用する、などでしょう。

 それに対して、信長は、①土地市場主義を破壊して、その代わり文化という付加価値の存在を作った、②これらを衣食住の全てに導入を図った、③そのため、モノつくりが盛んになり、雇用が促進された、④内需経済の成長の拡大に寄与した、⑤新しい価値観の提起がニーズを生み、新しい文化が芽生えると言う良い循環を作った。

 信長に学ぶ事は人によっては嫌う人が居るかもしれないが、いずれにしても今までのパラダイムを変えたのだから、その否定の仕方、それをさらに否定して新しい価値を作った、その過程を今一度学んでみる事は、決して後退する事ではないと思う。つまり過去の「呪縛からの解放」である。あらゆる企業にも歴史の重みから呪縛は存在している。その「呪縛の解放」がイノベーションでしょう。

 ともかく、イノベーションを生むには、破壊(否定)と創造(否定に否定)が必要であり、それを推進するリーダが必要である。イノベーションは必ずしも技術改革のみでない。産業経済活動の全てにかかわる。

<読書>

「一橋大学ビジネススクール「知的武装講座」」プレジゼント社

「ビジネススクール流「知的武装講座」」プレジゼント社

複雑化する、社会、経済の問題について、課題を丁寧に提案して、それに付き、解決の本質を探ろうとする、ひたむきな内容が多く、理解はもとより、思考法も楽しめる、まさに知的武装の血や肉や骨になる良書である。決してノウハウ書ではない、一緒に考えていくためのものである。

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2006年6月 4日 (日)

イメージの素は「うその力」

 画家の絹谷幸二さんは、「目から色を食べる」と言う。絵に色彩を爆発させるだけでなく、色を生きる糧としている、と言う。色彩の妙と言われているだけに、発言の中身が、超越している。岡本太郎と同じように、厳密には言葉の意味は理解できないが、気持ちはよく理解できる。

 現在は色彩を失った時代である。精神的世界の色彩が薄れてしまっている。モノトーンが進んでいると言う。戦争中を見れば分かる、色彩を失った。そんな時代が危険な証拠でもある。不景気になれば目立つのを恐れる。夢を見る目が曇り、生きる力をなくする。

 自然が持つ色彩、花の色、木の緑色、海の青さ、それらに生きるエネルギーを貰っていたではないか。そんな宝物を取り戻さなければいけないと言う。脳は色彩を欲しがっている。活欲の源だからである、と言い切る。

 絹谷が描く絵は、強烈な色彩で、何を描いてもポップな軽感覚にあふれ、超現実的で、迫力がある。その源は「夢」と「うそ」がとりなす「力」だそうだ。絵というイメージの世界は「うそ」を描いている。「うそ」はイメージである。イメージ力を作れるのは、実は、どんな「うそ」を見つけられるかである、と豪語する。死後の世界を夢見るいかなる物も、生死の苦悩を乗り越えるための「うそ」と言う最高の作り話である。それが、つまり。「夢」と「うそ」は、いきている世界を壮大に広げてくれる。さらには、イメージを鍛えると、信じる力が養える、とも思える。

ボケ爺が思うには、犯罪が増えるのも凶悪になるのも、色彩からのエネルギーの喪失で、イメージ力が落ち「夢」が見られなくなり、その挙句何物も信じられなくなる、と言う悪の循環であると思う。芸術の空間と色彩の想像力は大切である、と思う。ボケ爺の色彩からくる「モノ」と「こころ」を一体にしようとして、懸命に生きるようとすることが人生哲学となっている。「モノとこころ」への双眼の気配りの素は色彩から受ける「イメージのうそ力」の発見の意欲にある。こんなことを、色彩を認知できない故チャーリは教えてくれた。合掌!

<読書>

「震度0」横山秀夫 朝日新聞社

警察というところは、想像するからにモノトーンのところであるようだ。その周りで動く人間関係も、モノトーンである。そんなミステリーが面白くないわけがない。

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2006年6月 3日 (土)

母の強さ

 “田舎を無くした”、ついでに、母の思い出を書きたくなった。俳優の長塚京三さんが、何時だったか、日経にエッセイを書かれていた。「お気に入りのカースは?」と言う題であったと思う。カースの一つに、「男として「しっかりしろ」「恥を知れ」」の「活」があると言う。もっとも、特に近年この武士魂のカースが死語なっているのに残念さを覚える。

 もう一つに「イナカ者」があると言う。これとて、今は死語であろう。交通手段、情報機構の発展で田舎はなくなった。ボケ爺はご他聞もれず「イナカ者」であった。18歳で東京に出た時は、本当に右も左も分からなかった。驚く事ばかりである。それを見て都会人(City Boy)によくからかわれた。当然に、我が父も、母もイナカ者である。特に母はイナカ者の骨頂を丸出しにしていた。

 母という生物は面白い者である。東京と言う世界の地の果てに送り出すように、出発の随分前から、よく泣いていた。金輪際これからは会えない、永遠の別れの時のように。「極道息子を追い出して、すっきりとするだろう」と言うと、真剣にコブシを挙げて怒っていた。出発の当日は、駅まで送りにいけない、辛いので門の前で我慢する、と言って門の前で別れた。それから、一度東京に来てからは、全くそんなそぶりを見せなくなった。

 一人で東京に出てこられる様になってから、と言っても東京駅まで迎えに行かなくては、下宿にはこられない。ある時、いつものように東京駅の銀の鈴の下で待ち合わせをした。ボケ爺は、その待ち合わせの時間に30分も遅れてしまった。昔は携帯などなかったので連絡のしようがない。イナカ者はそのぐらい待つのは平気であった。しかし、銀の鈴がいつものところにない。しかも、修理工事のためか、鉄板で道を覆っていて狭い迷路は人でごった返していた。駅員に聞いてみると、はるか遠くに引越しをしていた。それでも、誰かに聞いてそこに行っているだろうと、その先を急いだ、一時間も遅れていたからである。どこからか、「よっちゃん」と呼ぶ声がする、なんとなく振り返ると「イナカ者」姿の母が立っていたではないか。驚いた、と言うより怒りを覚えた。こんなところに居て、たまたま会えたからいいようなものの、普通なら、絶対に会えない場所である。「どうして駅員に聞いて、銀の鈴のところに言っていなかったのか?」詰問した。イナカ者の母は平然と、「「よっちゃん」は必ずここを通ると信じていたからそんな必要はない。」と言い切った。一時間も立ちっぱなしである。

 親子の絆なのか、母と言う生物のなせる業なのか、今でも理解に遠い。自分に振り返ってみると、わが子との待ち合わせに(それ以外にも)そんな「我慢」な事が出来るのだろうか、そこまで子供を信じ切れるのだろうか?きっと親子喧嘩になっていただろう。未だに親を越せないボケ爺はどうしたらいいのだろう、と悩む。逆のカースでもある。

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2006年6月 2日 (金)

痛風に泣く

 日本を離れて、1年半、持病の痛風がついに出てしまった。今までも、時々ピリピリする兆候があり、薬で抑えていましたが、今回は一週間前に、急に夜中に飛び上がるほどの痛みが来て、(決して兆候はありませんでした)足の親指がつったような現象でした。一生懸命に足の親指を逆にそらせて、まるで、イナバウウァにして痛みを抑えていました。少々収まりましたが、朝になっても完全に収まらないので、「通風かも!」の直感で薬を飲み、抑える事に成功した、と安心したのです。次の日は、カルビの会食会があり、お酒を避けて、逃げ回りながら、美味しいかルビだけを賞味する事に成功しました。痛風の余韻を残しながら、土日はそのエネルギー快適に過ごせたかに思えましたが、余韻は週半ばまで続きました。昨日は、日本からの賓客を接待して、これまた、美味しいふぐ料理のフルコースをいただきました。お酒は、というと、ビールコップ一杯で押さえ、焼酎、小グラス一杯のみでした。美食病と言われるだけあって、真夜中に、お出まし、です。いつもの薬を飲んで、収まるだろうと思いましたが、イヤハヤ、今までの不摂生が一度に噴出し、腫上がり、痛みは最高潮。堪りかねて、病院へ駆け込みました。

評判の整形外科であるらしい。すぐ近くには市営の整形外科がありましたが。話によれば、この国では競争が激しいらしい。そう言えば、救急車も公営のみでなく、各病院が救急車を持っていて医療活動をしているようで、いろんな色の救急車が走っています。

評判通り、受付から、看護師、医者までが親切である。願わくは良い治療であって欲しいのだが。診断室は、5部屋ほどあり、各室の扉は重厚で、作られており、部屋は結構広い。本棚まであり、壁一杯に専門書らしき本が詰まっている。それに当然かも知れないが美しく清潔である。PCへの入力と、診療所への自筆の書き込みが同時に行われて、その内容を親切に説明、残念ながら説明はまったく分からない。まるで、大学の教授の部屋のようで、権威に満ち、満ちている。

レントゲン2枚、血液検査、注射、それに初診料、3日間の薬(医薬分離は当然)、合わせて、なんと千円にもならない。当然、保険は効いている。この費用も会社が持ってくれる。どんな高額な治療費もわが社は会社が持ってくれるという。天国である。

<読書>

「卒サラ川柳:不良老人たちの溜息」企業OBペンクラブ編著 青蛙社

こんな日は、不摂生な不良ボケ爺の企業戦士として、川柳などで、気分を晴らさないと痛みを紛らわせない、生きていられない。そこで即興で一曲、「痛風は、通風をさけ イヤミ顔」「痛風で 同情買いたき 下心」、お粗末でした。

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