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2006年5月29日 (月)

知的生産

 11日の日経の夕刊に、「知的発見の楽しみ、梅棹忠夫さんに聞く」という記事が載っていた。「知的生産の技術」(岩波新書)なる言葉は確か35年以上も前の衝撃的な言葉であった。その衝撃を今でも鮮明に覚えている。それまでは、知的な発想は、苦学を学ばなければ、得られない、は当たり前と思われていた時代である。それにもかかわらず知を生み出せる打ちでの小槌のようなノウハウがあるらしいと。

それ以来、数知れない、知的生産技術、知的発想の著書が出版された。これらの著書からどれだけの知が生産されたであろうか?いささか疑問である。ボケ爺は未だに不完全燃焼である。

 どうやら、梅棹先生も84歳になっても未だに満足されていないらしい。癌もどこ吹く風!知的活動をまだ少なくとも10年は続けると言っておられる。それらの内容を要約してみる。

 「知的能力は衰えない。」失明を60代にしたが、周りに助けられて活動が続けられている。出来ない事はある、運動、将棋、囲碁、音楽である。音楽が出来ていると、もっと人生は変わったかもしれない。絵なら今からやれるかもしれない、数学も出来そうだ。

 「自分で考え、体験した事が基本になる。」仕事、社会で学んだ事をベースにコツコツ知を耕す事が一番である。自分で観察、考察した知識という素材を用いて理論を組み立てる姿勢で、大事なのは「設計図」である。それが思想である。設計図を表現するのが楽しい。

 「知的生産をしないと生きる価値がない」、それが生きる証である、と言い切る。何かを作り出したい願望を持ち続けることである、やる気の問題とも言う。

 知的生産をするための基本は、他人の考えを知ることである、それは引用するためでなく、自分より先に考えていた内容がないか探すためである。また、独創のためには「ひらめき」大切である。ひらめきを得るためには、当然、知識を詰め込むことと、瞬間に生まれる何かに気がつくこと、それを捕まえる捕捉装置が必要とのことである。

 といわれても、凡人にはやはり、簡単にはノウハウは身に付かない。チャーリーは枕元で、バカなボケ爺はボーとして生きるしかないから諦めよ、と言う。

<読書>

「「複雑系」とは何か 吉本良正 講談社現代新書

梅棹先生には悪いが、正当な知的活動時代から、今は複雑系、その中での知的生産の技術が必要である。そんな時代でも、知的生産の技術は変わらないのか。それを考えるために複雑系のまとめとしては良く書かれている。

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