脳を鍛える
体を鍛えるように、脳は鍛えられる、といいのだが。体を鍛えるすべはよく分かっている。運動をすればいいのである。このことは万人が知っている。その為に、人々は
道場で教えを乞い、スポーツクラブで汗を流す。年寄りには、歩く事が良い、と散歩が進められる。いまでは正しい散歩の方法まで唱えられている。
しかし、脳については、どう鍛えればいいのか、簡単ではない、とされてきた。「読み書きそろばん」は古くから言われている基本の方法論であった。それをしてどんな脳に鍛えられるのか具体的ではなかった。とにかく勉強をすればいいとは分かっている。脳の発達は、3歳までで、80%に達し、8歳までには99,8%は完成すると言われている。ましてや、20歳を過ぎれば脳細胞が死んでいく、それはあたかも衰えていくとまで言われ、どうしようもない、と諦めていた。しかし近年になって、歳をとっても発展は続く、と慰めのような、人に迎合するようなことを言う人も現れてきた。
近年、脳の機能の解明は随分と発展してきたようである。論文の数が、それを物語ると言う。脳についての本の数も衰えを知らない。右脳左脳、男女の脳の違い、など近代的解明学がいつの間にか影を潜め、ポスト近代では、いずれの方法論も前頭葉の働きに注目を集めているようだ。
東北大の川島隆太博士は、前頭葉の活性化が脳を鍛えることになる、と前提を置き、前頭葉の活性につながる、行動を定義してきている。簡単な計算、声を上げての読書、目的を持って指を使う、コミュニケーション、笑いが良い、子供との会話、ペットとのふれあい、など、老人を中心とした臨床実験から実証してきている。
一方の説、脳科学者として活躍の目立つ茂木健一郎博士が居る。それは「偶有性」が脳を鍛えるのだと訴えている。いずれも前頭葉の働きである。意識としてのクオリアを如何に活性化するか、それは偶発的なものであるという。不確実性であり、それを乗り越えるところに課題があると言う。如何にドーパミンを増やすか?つまり脳にとって心地よさ(快楽)を、「偶然性の体験」を増やす「意欲」で脳が鍛えられる、と言う説である。「思わぬ幸運に偶然出会う能力」=「セレンディピティ」が大切である。
体を鍛える時にはどこを鍛えるかによりそのメニューが決まっているように思える。一方、脳を鍛える時、どの機能を鍛えたい、とはっきりと言い切ることも出来ないし、とにかく頭が良くなって欲しいのだ。そこが悩みである。脳の鍛え方が出来れば、このボケ爺、早々に鍛えてみたい。それまでは寝て待とう。
<読書>
「ひらめき脳」茂木健一郎 新潮新書
ひらめき脳を作ることは、脳を鍛えることであり、自分(個人)の意識を作り上げる基本であると言う。
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