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2006年4月28日 (金)

業績主義、あるいは効率主義、続き

 業績主義、あるいは効率主義の時代では、○○力が期待されている。その基本は「知識重視」「専門知識力」であると主張されている。義務教育も大幅に見直されて、ゆとりから、詰め込み型に戻ろうとの提案である。今までよりはいいのかも知れないが、単純に過去に戻ることはどうかと思う。

 会社生活をしていて、最近日増しに思う事がある。商品開発のプロジェクトリーダの役割の重要性である。単なる手配士のマネージャではダメである。技術問題を専門家にまかせきっていては完成しない。ある分野の立派な専門家であっても仕上がらない。「総合的思考」が大切である。いろんな角度から考えられる、いろんな人の話を個別に聞くことではなく、関連性を見つけられる聞き方が出来る人である。分析能力は重要で、当然であるが、関連性を組み立ててみる能力である、それも一つの形だけでなく、二つ、三つ、と多い方がよい。

 論理学(哲学)で言う、帰納法、演繹法のバランスが必要なのである。数学で言う、推論と証明に当たるのであろう。デカルトの機械的思考ではもはや、リーダの資格はないのである。(決して、人間性主義であるべきである、と言っている訳でない)

 専門領域と専門領域の間をつなぐものが必要なのである。それはなんだろう、脳で言う、右脳と、左脳を繋ぐ梁の働きが出来る人がリーダとなるべきである。

 そんな総合力を養うには、なんと言っても「遊び」である。「遊び心」を養う事だと思う今日この頃である。

<読書>

「ハイコンセプト」ダニエル・ピンク 三笠書房

格差の時代を勝ち抜くためには創造性が鍵である。「第四の波」の時代に突入した。ベートーベン型から、モーツアルト型の時代である。「MBA型」人間から、「MFA型」人間である。構想が作れる人、物語が語れる人、共感が出来る人、が重要だという。

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2006年4月27日 (木)

業績主義、あるいは、個人主義

 最近、行き過ぎた業績主義、とか効率主義に対する見直しの議論が多くなってきている。古くは「勝ち組」「負け組」との色付けがなされ、最近では、「格差拡大」、「下流社会」、「愛情格差社会」などが論じられて、ベストセラーになっている「国家の品格」などでもその事が言及されている。日本企業の回復に伴って「追い越し車線」の経営と言う企業の個性に合わせて、それぞれが加速を考えればいいのではないか、と人々は言う。

 一方、改革を叫ぶ政治家、経営者は多いし、さらに改革を進めている。その基本が、市場原理主義である。これら以外の選択肢がない、これに変わる政策がない状態では、批判はされながらも、ますます業績、効率主義は進められるであろう。

 それらを支える教条主義は「能力」を中心とする「○○力」なる言葉であり、それに踊らされている。近代社会が要請した能力は「基礎学力」「知識力」「順応力」であった。ポスト近代社会(現代社会)は「人間力」「創造力」「形成力」などと変わってきている。

 努力すればある程度の成功が手に入る時代から、どうすれば成功が手に入るのか分からない時代となっている事は確かである。

 それに火をつけて、ますます分からなくさせているハウツー著者が、あの有名な「斉藤孝」である。何でもかんでも「○○力」と言う名前をつけて、「ポスト近代社会」の救世師、否、伝道師ぶりを気取って真っ先に「勝ち組」に。ますますいい気になっている。

 なんと、斉藤孝先生にもネタ本、否、カンニング本があったのだ。「夢を実現する戦略ノート」ジョン・マクスウェル 三笠書房、である。これにヒントを得て、何でも○○力、と命名していたのではあるまいか。こんなに「チカラ」をつけてどこで使うのでしょうか?アーアー、と、自慰で終わってしまうのがせいぜいではないか。

<読書>

「仕事のための12の基礎力」大久保幸夫 日経BP出版センター

成功をつかむための“12の基礎力”と開発適齢期、と帯にある。何時までも「力」を手に入れるために、あれこれ努力していかなくてはならない。その内、何も発揮しないまま定年となる

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2006年4月26日 (水)

今日も黄砂

 いつもの目覚めだが、曇っている、否、ガスっている。経験から、アッ、今日は黄砂だ。残念、良い仕事は無理だと意識するにはそう時間が掛からなかった。先日来、仕事上と、連夜の酒付けで、疲れがたまったのと、仕事で先行きが見えなくなった焦り?ストレスで、昨日も早目に寝てしまった。寝られるという事は、そんなに深刻ではないと言う事か、しかし、先々の仕事の見通しの無さは深刻である。

 こんな不健全な生活はさすがにいけないと、濃い目のコーヒーを入れて、先ずは気持ちを落ち着ける事にした。が、効き目はない。それでは、と言う事で、腕立て伏せを30回、腹筋を30回、(いまだに数は増えていかないが)してみたが、これも効き目がない。すっきりしない出勤となった。

 へんな一日であり、早く帰宅した。無理やり、お茶代わりに牛乳を二杯飲んでみたが、落ち着きが戻らない。無意味な、無駄な一日を過ごした、と思いきや、先日手に入れた「本」が目に入った。そうだ、こんな日には読書に限ると思ったので、手を伸ばして表紙を眺めると、なんと理屈っぽい難しそうな題の本ばかりである。新書は柔らかい内容の本であるが、今ひとつ気が乗らない。表題に騙された。よくあることだが悔しい。諦めが肝心と思うのだが。

 その前に手に入れた本でまだ読んでいないものがあることを思い出した。警察物で、官僚エリートの意識の変化を描いたものである。警視庁、警察庁の複雑な関係を巧みに構成した人間模様に、エリートの使命と自己の欲望とを絡ませた筋書きである。夢中で読み通した事はそれでよかったが、あまりにも美しく、理想的に描きすぎて、現実的でないので、いささか消化不良に陥った。そんな事からは「横山秀夫」の方が、人間味がある。(人間通である。)しかし、人間と言うものは理想と言う理屈と、現実の欲の深さとの葛藤である。バランスをとってうまく生き抜いている人は要るかもしれないが、多くの人は悩み苦しんでいる事だろう。

<読書>

「隠蔽捜査」今野敏 新潮社

批判的に描きましたが、官僚の使命など、理論的にまとめられているし、人間の生きる意味などもそれなりに、工夫がされていて、大いに参考になる。社会、家庭、個人、職業、職場生活、など絡んで現実的である。読んで損はない。ノンフィクション、とフィクションが微妙に入り混じっている。

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2006年4月25日 (火)

男も熱中、いけばな!

 420日の日本経済新聞の夕刊に、「いけばな 男も熱中」「各流派の教室、花盛り」が載っていた。女性の楽しみと見られている「いけばな」を習う中高年男性が目立っている。三大流派の草月流は「男子専科」を開催、小原流も男性を集めて「いけばな講座」を開き、花と触れ合う場を提供している。元々、いけばなの発展の担い手は男性であった。現在でもいけばなの創造性やアート感覚が男性を魅了している、とある。分かるナー、この気持ちは。

 創造性の表現の一つに「いけばな」があることはダレも疑うことはないであろう。それが、良妻賢母の心得として女性に占領されていたのではないか?もっと、男性に解放すべきであった。女性と一緒だと気おくれしてしまう。それだけで創造性が萎縮させられる。「男子専科」がいい。創造性が描き立てられるであろう。考えてみると、他にも女性に占領されているものがあるのではないだろうか?料理だって同じ事だ。カルチャー教室など、女性が多いと、男性は気おくれしたり、気が散ってしまい創造性がしぼんでしまう。女性だけが、「遊び心の創造性」を養う事に大いに反対である。女性だけが楽しんではいけない。世の女性ども、男性の気質を知って遠慮せよ。

 創造性はアート感覚から、さらに、遊び心から生まれるのだ。だから男性専科のカルチャーセンターを増やすべきである。断じてそんな教室を作って欲しい。陶芸、習字、絵画、彫金、などなど。先生方に要望し、「男性専科」を期待して止まない。

<読書>

「池波正太郎劇場」重倉敦之 新潮新書

人間という奴は「遊び」ながら「はたらき」「生きるもの」さ。人間を描いて右に出る人なし、そんな人の幅を描ききるためには、池波自身がそんな体験をしなければ描ききれない。それが池波正太郎「劇場」といわれるゆえんである。「創造性を創造する人生」がここにあったことを証明する一冊である。「劇場」という言葉がぴったりである。

 創造性の源泉を「池波正太郎劇場」から学ぼう。

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2006年4月24日 (月)

異文化交流は難しい。

 いま「異文化」で悩んでいる。海外の企業に勤めて一年半に近づいている。巧く交流が出来ていると思ったり、なかなか難しい、と言う事で悩んだりで、いまひとつ手ごたえがない。企業(事業部)が私に望んでいるのは何かも概念としては分かっているが、なかなか事実としてつかめていない。と言う事で、この2週間ほどは、実際の仕事が進んでいない。どんな提案がいいのか悩んでいる毎日である。先日も、世界の大手企業を相手にした共同活動について、提案しまとめてきて、調印に至った。そこまでは順調でよかったのだが、いざこれからの実行が問題だ。実行は担当者がアサインされて進めることになった。これも問題がない。だが、このProjectはSystemであるから、個々の技術、サーヴィス技術、マーケティング部、セールス部門と分割できる物ではなく、それをトータルとして、まとめる役が必要だと訴えてもなかなか理解がされない。そこで、その役を支援として買って出ようとすると、提案すると総反対にあう。仕事を奪うな、アサインした担当役員が集まって解決するはずだ、と言う事である。

 社長の参謀としての動きは難しい。各部署からは、監査役としてしか見てくれないので、資料、データーなど提出に協力が得られない。そこで、人事に依頼して、先週から、各部門のキーパーソンと会食、飲み会で意見交換を図っている。その分はいいのだが、本当に効果があるのか疑問でもある。「本音と建前」とが明確な人種でもある。

 転職を経験している事から、同国内でも企業文化が違うと、どのようにすれば意思決定の本筋には入れるのか?思い悩む事が多い。転職後の企業では最後まで分からなかった。不燃焼で終わってしまった。そこをクリアしてこそ「異文化交流」であり、異文化導入のメリットが発揮できるのだと思っているが難しい。ましておや、国が違うともっと難しい。

 最近思う事は、異文化と言えども「形式知」は思ったより簡単に伝達、理解を得ることが出来る、企業として目指すものが共通ならば汲み取りやすいのであろう。「暗黙知」はそう簡単ではない。心を中心とした非言語コミュニケーション世界となるのであろう。これが難しい。ここに「本年と建前」と言う壁がはだかっている。どこの民族でもこの点は共通に存在する。「縦」社会として存在していたり、「横」社会と存在していたり、今は解決の策を持ち合わせていない。悩みは尽きない。

 

<読書>

「「暗黙知」の経営」田坂広志 徳間書店

なぜマネージメントの壁が越えられないのか?と言う、複雑系の理論が分かりやすく解説されている。「暗黙知」に悩むマネージャーの絶好の参考書である。言語、理論では乗り越えられない壁がある。それは直観力でもなく、「判断力」と言うアートだ、と言う。

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2006年4月23日 (日)

「甲府」でのひらめき!

 今日のNHKの「のど自慢大会」は甲府市からである。いい年をして、少しミーハー(死語か?)であると言われるが、見ることにしている。家族からは不評である。しかし、この番組で、人生を感じる。人の生活の幅を感じる。事故で、口を50針も縫って、そのリハビリに門倉有希の「ジュー」を謡い続けて、合格。腎臓移植を妻にして元気にジュエット、などなど、酒を飲んで出場92歳のお爺さん。異文化の世界を楽しんでいる。

 甲府と言うと甲府県庁にプロジェクトリーダとして開発した機械を納入したが、故障で、修理と、叱られに出向いた。(この商品で日本中、謝りに行くことになってしまった。)現実は、清掃で治ってしまう。部品が悪いと言う事は無く、何故か、不安定になり、部品を清掃すると元に戻る、と言う状況であった。県庁の課長(中央からキャリヤーとして送り込まれていると言う、若い課長であった)に、正直に、状況を説明した。その結果、その課長のポツリと呟いた一言が忘れられなかった。一寸した一言だったが、ショッキングな一言であった。今までにも、いろんなお客様に叱られたし、ひどい言葉では、「それでも技術家か」と言うような罵倒には慣れていた。

 その一言とは、「次のメンテナンスの時期の予想が出来ないなんて、デジタル化の時代の商品とは思えませんね、清掃ではなく、予想される故障寿命の部品を事前に交換するのが普通でしょ?」と、この一言でした。もの静かに語られると、心が重くなる。未だにその人の顔を覚えているしこの言葉も忘れられない。彼は総務課長だから、技術出身でないことは明らかである。デジタル化の何たるかを、知り尽くしていた。

 このヒントをベースに、アナログ的機構も寿命前に交換する。そんなシステム構成に、その技術開発に、専念した。それが開発できた時は、時代に最先端の技術に仕上がって、ベストセラーになった事は言うまでもなく、いまだにシステム構造のデファクトスタンダードになっている。

 顧客の一言は、重要な情報、次の開発のヒントが生まれている。とは誰でも言う事ですが、ヒントと認識できるかは、難しい。その分、日々、熟慮していなければヒントには変換しない。考え続ける事である。考え抜く事である。

<読書>

「ものつくりのヒント」岸田能和 かんき出版

こんなエッセイ風の発想学を確立したい、と常日頃考えている。頭を柔らかくするには、硬い教科書では作れない、固い教科書は恐怖感を植えつけてしまう。

 含蓄ある発想と、その区分(分類)のまとめ方がユニークで良い。これを参考にして、日常の創造の遊びに繋がればいいのだが。

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2006年4月18日 (火)

歳とチャーリー

 今回の近くの短い出張は疲れた。日曜日の夜に帰ってきて、月曜日、火曜日と疲れが増している。しかし今日で終わらせたい。明日からは、本格的に、チャレンジしなければならないと、早く寝ることにしよう。

 爺になると、睡眠時間が短くなると疲れがドーと押し寄せてくる。関を切ったように疲れが流れ出す。これを止めるには睡眠しかない事を、長年のサラリーマンとして身につけている。昔から寝貯めが出来るように出来ている。土曜日、日曜日に巧く寝るようにしている。「巧く」、と言う意味は、寝過ぎると、火曜日当たりで寝れなくなったり、朝早く起きてしまい、ペースが乱れる。その適当が難しいのだが。続けて長く寝るのではなく、刻んで睡眠を取る事がコツである。また、サラリーマンは一週単位のリズムが刻まれているようだ。体内振動子が長年の間にそんなリズムを作り上げるようだ。だから、土、日曜日の過ごし方が、仕事の集中力に大変に関係する事が分かっている。

 先日、どこかの新聞に、最近の睡眠時間は、平均であるが、約20分ほど短くなってきている。と言って警告していた。ストレス社会、適当な昼寝を勧めている。

 そう言えば、故チャーリーも晩年には良く寝ていた。それを乱されると、すこぶるご機嫌が悪かった事を思い出す。「散歩」と言って喜ぶ時はいいのだが、少々眠そうに反応する時は、途中で帰ろうと、生意気にも必要に催促をした。恨むような目つきが忘れられない。今になって、その意味がよく分かった。その意味とは、晩年は一緒に生活することが無かったので、うまい二人の同期が出来ていなかった、と言う事だろう。「許せよ、チャーリー!」合掌。

 生物は不思議なリズムを刻む性質を持っているようである。しかも環境に同調する性質もあるという。不思議な世界である。神秘な生物界である。そんな神秘が好きである。自然な力に巧く付き合うことが大切である。

<読書>

「SYNC(シンク)」Steven Strogatz 早川書房

副題に「なぜ自然はシンクしたがるのか」となっている。生物世界の秩序ある裏にシンクがある、と言う事を立証している。こんな生物の神秘は、興味が尽きない。不思議な世界に引き込まれる。

「シンメトリーな男」竹内久美子 新潮社(新潮文庫)

女はどこを見て男を選ぶのか?男は女のどこを見て好意を抱くのか?女は、健康な男、強い男を選ぶのにどこで判断するのか?それは、遺伝子と全く一致していて、シンメトリーな仕組みである事が判明してきた。これも生物の不思議さである。それではシンメトリーとは?これが実に面白い。

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2006年4月10日 (月)

科学、技術の進化とIT

 学生時代、アナログから、デジタルへの移行時期であった。飛行機の運動方程式は二次微分方程式である。複雑には6変数である。もっぱら、アナログコンピュータでペンレコーダに表示された。定数をボリュームで慎重に設定した。その頃、日立と航空研とでハイブリッドコンピュータなどが検討されていた。それは数値解析が遅れていたのである。やっと、ルンゲクッタという微分方程式の数値解析が発表され始めた。早々に、“完全な”デジタルコンピュータで解いた。試行錯誤ではあったが、一様は解けた。なんと、3時間、5時間も掛かってである。今では、あっという間に解けてしまう。

 専攻した制御工学もアナログからデジタルへの変化の時であった。ラプラス変換の美しいアナログから、多変数解析へと向かった。

 会社に入社しての暫くは、HDDのメモリー容量は24インチで、数MBであった。今では、08インチで8GBとまでなっている。その頃、ミニコンといって、産業用の小型コンピュータのRAMが4Kで飛び上がって喜ばれた。今のPCは516Mが常識となってきている。

 これらのITの発展を支える、科学、技術の進化はものすごい。今後も「ムーアの法則」に沿って発展し続けるであろう。一方、IT産業はH/Wばかりでなく、ネットワークの進化をもたらした。その中で一番便利になったのがウェブの進化であろう。

 ウェブの進化も「eコマース」分野で、ヤフー、楽天、など、情報提供と共に販売に結びつけて、やや怪しげな進化であった。ここまでのITの進化は、「こちら側」つまり、H/Wであれば、その中の性能、機能で決まることしか出来ない。ウェブも個々のプロバイダーの能力によって決まってしまう仕組みのままであった。

 Googleがそれを変えてしまった。Web2.0もその仲間であるが、「そちら側」の世界で展開できると言う技術が生まれてきた。これは、今までの世界を、世界経済おも画期的に変えてしまう技術である。今までのプロバイダーと違い、「Googleは技術を提供している」、と言っている。現に、APIなどの提供されている。今までにないネットサービスの発想である。その技術の一つが「検索エンジン」と言う物である。「Googleは永遠に技術を提供する」、と豪語している。IT産業の大変革はこれからである。「こちら側」「そちら側」の発想の「そちら側」の大革新である。「検索エンジン」にこんな戦略が隠れているとは想像だに出来なかった。石頭である。

<読書>

「ウェブ進化論」梅田望夫 ちくま新書

副タイトルに、本当の大変革はこれから始まる。となっている。ウェブ進化の歴史と今後について、詳しく、分かりやすく書かれている。特に、日本はこのような発想が弱いので、参考にして、世界で活躍できる人材が出てくる事を期待したい。

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2006年4月 9日 (日)

春風

 春風に誘われて、飛び出した。昨日とは違って、黄砂はかなり少なくなっていた。太陽の光もようやく射し込む状態である。近くの中央公園は多くの人で、賑わっていた。韓国では、チンダレ(山つつじ)紫の花が春の到着と、心を慰めてくれると言う。この時季は、いろんな花が一斉に咲き始める。日本のように順序がない。木蓮、コブシ、梅、杏、レンギョ、ロウバイ、そして桜、桜が一番遅いのかな。ソウル地域だけなのかも知れない。近年、桜の木が、団地一帯に多く植えられているそうだが、「時代が変わった」、とこちらの人は嘆いている。海軍の基地がある南の都市(名前は失念した)では、基地内は勿論、その町一帯が桜で、埋め尽くされていると言う。それも日本軍のなせる業であったと、年寄りは顔をしかめる。

 昨年も経験したであろう風景であるが、今年は格別美しく思える。それが心の余裕と言うものか、格別に冬が厳しかったからなのか、は分からない。昨年はチンダレなど一向に美しいとは思えなかったが、3メータほどもある背丈一杯につける淡い紫の花が、黒松の奥や黒松の林と微妙なバランスを保ちながら一緒に咲き誇っている姿は、確かに日本には見られない光景で幻想的である。絵にするには難しいし、色を合わせるにも難しい。そんな中、小鳥たちも鳴き叫んではしゃいでいる。

 川の土手に、昨年発見した、ヨモギの大群と、その近くのツクシの大群は今年も健在で、ツクシも所狭し、と競い合って目を出し、タンポポの花と共に、春風を受けて楽しんでいるようだった。その近くを、愛犬が次々と通り過ぎる。チャーリーがいないことが残念。きっと喜んで、一緒にじゃれまわった事だろう。合掌。土手の天辺にはケナリ(レンギョ)の黄色の帯が限りなく続いている。桜並木は3部咲きだろう。川からはカモ類の渡り鳥はすっかり姿を消していた。柳の木も少し芽を出した若葉を伴って、春風にリズミカルに心地よく揺れていた。こんな情景の散歩なら、漱石はなんと読んだであろうか。まさか、草枕の冒頭のような読みにはならない、と確信したい。

<読書>

「夏目漱石を読む」吉本隆朗 筑摩書房

私はお喋りが苦手であると言っているが嘘である。語り口調で展開される漱石論は分かりやすく、どこが評論の的になるのか、分かりやすく記されている。「語りこと」と「書くこと」の間に論旨の展開が出来ないか、と試みた作品、と言っているが、このことの解釈は難しいが、読みやすいことは確かである。何度も読み返えしたい著書である。

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2006年4月 8日 (土)

黄砂と春

 黄砂に季節があるのかどうかは知らないが、ここソウルで、今日はひどい黄砂である。昨夜は少し風があり、予想では、今夜に黄砂がやってきて、明日はすっきり晴れるのではないか?と言われていた。明日の散歩を楽しみにして眠りに付いた。ようやく春が訪れた感じで、春の花木を楽しもうと思っていたからである。それを期待していつもの通り目覚めたのはいいが、どうもすっきりしない。一般に言うガスっているようである。何時間たっても変化がない。太陽は一向に差し込んではこないし、アパートから見えるすぐ東の小山はかすかに見える程度である。ゴルフ練習場の駐車場に何台の車が止まっているかさえ見えない。西を眺めれば、ワンブロック向こうのアパートが霞んでほとんど見えない。そんな状態が一向に変わらずお昼を迎えた。それでも、春の花が見たい衝動が強く散歩に出た。空は相変わらず、光はこぼれて来ない。ロウバイ(サンスユ)もある。ケナリ(レンギョ)、の黄色い垣根が続く。チンジャレ(山つつじ)の紫がそのなかに色添えしてそのコンビネーションが何とも言えない。黄色の花は春を告げるのはどこの国も変わらないようだ。そう言えば、イギリスの黄色な水仙から始まる。モックケック(木蓮)の白い花、紫の花も見上げるといたるところに、一斉に咲き誇っている。ポッコ(桜)もところどころ咲き始めている。所によっては5分ほども、平均して3分咲きか?こんな春は、冬が厳しいだけあって、本当に春!って感じになる。

 人にはほとんど出合わない。そんな中、ほとんどの人がマスクをしている。「そうか」「これが話に出てくる黄砂と言う現象か」と、なんと今になって、やっと、黄砂とはこんな状態であることが理解できた。日本では、強い風の折、遠くの空が薄く黄色に染まって、黄砂だ、と言っていたが、黄砂の中にどっぷり使ってしまうと、黄色い色には成らない。太陽も見えない、これは聞きしに勝る事態である。マスクをしないと、肺の中が土で一杯になってしまいそうである。マスクをしていないので急いで帰ったことは言うまでもない。

<読書>

「乱気流」上下 高杉良 講談社

日本経済新聞社の私物化の実態を明らかにした経済小説である。大会社でこんなことがあるのか?あってはならない。しかし、よく見れば、どこの企業でも、大なり小なり、このような事は日常茶飯事であるのかもしれない。いずれか、経験からこんな小説が書けると材料は、持ち合わせている。

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2006年4月 5日 (水)

創造力が描き立てられる、憧れの本田宗一郎

 ホンダの車は好きではないが、本田宗一郎に憧れている。一生、プレーイングマネージャーである事が先ずすばらしい。技術家であり経営者である事を尊敬する。二輪車から、四輪車、ロボット、飛行機まで、人が乗る物は何でもやる、と言う無限の夢に向かって、確実に歩んでいる。当然、人間的魅力も尽きるところがないのであろう。

 二輪車のベストセラーとなった「カブ」には学生時代乗っていた。高回転により馬力を稼ぐ発想が面白い。一般論と全く逆の発想の技術の、(設計の)アプローチに学ぶ物があった。創造に行き詰った時、この発想で商品開発をした物が多々ある。

 修士の指導教官で、大恩師の航空工学の大家「佐貫亦男」が、日本で最初に、“本田宗一郎“伝を書かれた、絶版である。確か、中公新書ではなかったか、書庫をひっくり返せば贈呈書があるだろうが、今はかなわない。念のため、Googleで調べてみたが、著書一覧の中に入っていない。なぜ、佐貫亦男が本田宗一郎を知っているのか、ホンダの顧問をされていたからだ。「海外へ同行して、通訳代わり、機械の解説、きっと飛行機をやりたいために勉強もかねていたのではないか」、と言っておられた。著書の内容はほとんど覚えていない。執筆中に話を聞いていた。先ず、人間味についてエピソードをたっぷり聞かされた。この内容は何故か、著書の中には半部も入っていない。確かに書きにくい話が多かった。それと、イギリスでのレースで敗れた時、この原因は、機械精度で負けた。機械精度を上げるためには、部品加工する機械がよくなくてはならない。「ドイツの機械メーカーを今すぐ訪問して、買い付ける。メーカーを紹介してくれ」、と言うわけで、旅程を変更して、工作機械の買い付けに行って、その場で、発注した。佐貫先生は、その時の決断力と、費用の処理には、副社長の藤沢さんに任せきっていたことに驚かれたそうである。この後始末では、藤沢さんは、あくる日から銀行回りで大変に苦労されていた、とまで教えていただいた。

 本質の洞察力、大所高所の発想力は凄い、時代小説を愛読していたからだろう、と。人を引き付ける人間味がある。それは、喜怒哀楽、豪放磊落である事だ、と。現場での技術議論は、全員を巻き込んだ議論で納得がいくまで徹底していた、と言う。意外にも、絵とか書道とか、謡いとかも奥が深い、それがすべてに作用してよかった、との佐貫先生の解説であった。どこまで、真似ができるか、努力していく。

 絶対価値のホンダ開発コンセプトは、真に学ぶところが大きい。商品企画に参考になる。参考にすべきである。

<読書>

「日本のもの造り哲学」藤本隆宏 日本経済新聞社

日本の復活は、今後も「もの造り」を中心とするであろう。それでいいのかの反論は後にして、日本の強さは、「モジュラー型アーキテクチャー」と「擦り合わせ技術」だそうである。

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2006年4月 3日 (月)

知財と経営

 本日、キャノンの顧問をされている、丸山儀一氏の講演があった。「キャノンの知財戦略」についての話で、歴史を踏まえて、成功と失敗の興味深い講演であった。さすがに、百戦錬磨の丸島流の内容であった。

 印象に残った話としては、先行開発から生まれる努力を知財とする立場からは、①簡単な特許ほどよい。簡単と言う事は原理特許、となる要素を持っている。②実現手段ではなく、設計思想であるべきである。③この特許から実現できる未来を関連特許として出願しておくべきである。と言うことである。

 一方、経営からは、①ビジネスに絡んで無くては無意味である。②他社との強み、弱みを知財で判断する事が重要である。③ビジネスの先を読んだ知財であるべきだ。

 と言う事で、知財と経営は両輪として絡んでいなければならない。経営者が、知財をどう活用するかを考えて、経営をしなければならないし、技術はビジネス(経営)を考えて「先行」し、知財に変換しなければならない。と、知財と、経営の対等な関係を強調されていた。全く、同感できる話が多かった。「先見力」を強調されていた。

 私的なことでは、22年ほど前に、丸島氏が部長だった頃である。特許で戦った事がある。その時の印象は、ゆったりした語り口に、うっかりポイントを見失う何か魔術を持っておられた。と思っている。キャノンの特許契約書も優しい語り口である、優しいが故に、見落とす部分が出てくる。そんな魔術を使うのが丸島流であろう。何度か、会食をさせていただいた。愉快な酒の飲み手であった。下丸子駅近くの「ひさご」であったと記憶している。

 今は、まとめているMOT(Management Of Technology)(別名、技術経営)に、大変に参考になった。技術を如何にビジネスになるように育てるか、は、技術を知財と置き換えれば分かりやすくなる。今でも、技術は経営の基本であると思っている。ネットサイトのビジネスでも同じ事である。技術力優位が企業を成長に導くであろう。

<読書>

「MOT入門」早稲田大学ビジネススクール JMAM

基本が忠実に網羅されている。

「技術経営の挑戦」寺元義也、山本尚利 ちくま新書

技術経営はアメリカで始まり、バブル前の内容が多いが、今日は、企業間競争の前面に技術力優位を持ち込んでいる企業が多くなっている。優秀な企業ほど、その戦略に挑戦している。

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2006年4月 1日 (土)

西暦3000年

 いよいよ人口が減り始めた。「人口減少」が問題になって、社会、経済に悪い影響があるのではないか?2007年問題の団塊世代の定年を迎え、高齢化社会はさらにそれと併せて、経済を中心に変化の対応が議論されている。しかし、その未来は2015年、2035年のスパンで考えて議論がなされている。本件はそんなに捨てた物ではない、と言う意見などがあり、深刻な問題である、と言う人もいる。

 江戸時代の人口は3千万人程度であり、今は、1億二千万人まで増えた事になる。それだけでも、増えすぎた感はある。チョッと程度減っても、そんなに目くじらを立てることは無いと思う。人が必要なのは、基本的に、農業、工業の労働者が欲しかったのである。

 10年、30年、と言う短期的には多少、浮き沈みはあるでしょう。1000年と言うスパンで考えるならば、技術の発展で、解決されているでしょう。労働は機械化、ロボット化で問題ではなくなっているでしょう。今の「地球温暖化」の議論と同じで、1020年のスパンでは問題かも知れないが、1000年単位で考えると、本当に「温暖化」なのか、と言う疑問もあり、その原因も、今までの定説は疑わしくなっている。それよりも、自然現象のエネルギーと巧く付き合うようになっていると思う。宇宙にも簡単に出かけているでしょう。

 さて、「考える」と言う「知能」はどうなっているだろうか?「人工知能」が発展している事は間違いないが、どこまで発達しているかである。発達する分、それ以上に人間は発達している事になるが、「人口知能」が自己増殖するかが問題だろう。

 変わらないものがあるだろう。「楽しむこと」「芸術」は人間でなくては出来ない事であろう。変化は「楽しむ」為に人間はいろんなものを変化させていくいくだろう。「芸術」は千年前には、紫式部、清少納言が生まれたように、「かな」文化のような文化を楽しんでいるのではないでしょうか。

<読書>

「半島を出よ」上下 村上龍 幻冬社

今の日本の、海外社会の状況をを見る目は全く無くなっているのではないか、だからこの物語のような事は、起こるであろうと思う。今日の日本を見る目は、国内から見る目がほとんどで、海外に出て活躍する人は、あくまで、出稼ぎであって、日本を見直そうという人は少ない。また日本内でも、蛸壺社会は一向に解消されていない。未来、きっと、この物語のような、海外、国内の未熟な穴をつつかれる事が起こる。日本人は、危機感を持たなくてはならない。

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