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2006年2月27日 (月)

短編小説

 推理小説が好きになり、少し読む量が増えてきました。最近、海外物を読む努力をしていますが、これがなかなか、厄介である。推薦を受ける作品は、上下が当たり前、なかなか終わらない。回りくどくて、退屈である。名前が覚えられない。選んだ作品が悪いのか、読解力が落ちたのか、集中力が無くなったのか、辛抱が無くなったのか、とにかく、連続2編、最後まで読むことが出来なかった。

 山本周五郎短編集、全6巻?(最近この復古版が再編されて出されるような広告があったが?)なる物を読んだ覚えがある。テーマごとに短編集が編纂されていて、すばやく読めたことを覚えている。短編小説は、チョッとした空き時間で完結できるから、暇つぶしには好い。が、そう簡単ではない。短いために内容の解釈は考えさせられるし、主張を想像しなければならない事が多い。それだけ、尾を引く事がある。

 最近は、短編を繋いで、一つの物語にする手法がはやってきているように思える。が成功しているとは限らない。しかし、鬼平犯科帳は成功の代表であろう。

 初めて呼んだ短編小説は阿刀田 高の「ナポレオン狂」であった、と記憶している。芥川龍之介の「トロッコ」とどちらが早かったかは定かでない。志賀直哉の「城之崎にて」は兄貴から大学入学の祝いでもらってから、随分立ってから読んだ記憶がある。

 ボケ爺になってしまったので、これからは、長編は諦めて、短編で、古典にしようかと、悩んでいる今日この頃である。チャレンジしたい本は限りが無い。が、限界があることも知らなくてはいけない、と再び悩む。

<短編小説を読もう」阿刀田高 岩波ジュニア新書

ギリシャ神話にも詳しい、阿刀田の易しい短編入門書である。どんな物が短編作品で、その楽しみ方を丁寧に教えてくれている。これを読めば、短編ファンになる事、間違いなし。

中島敦の「山月記」なども短編だという。短編に近いかも知れないが、こんなに難しい作品は僕には理解できなかった。理解できないついでに恥をさらすと、中勘助の「銀の匙」まで短編だと言う。確か、上下があって長編だと思っていた。途中で止めてしまった作品である。など、過去を思い出しながら、いろいろ考えさせられ、反省できる、解説書である。

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2006年2月26日 (日)

気合

 NIDEC(日本電産)社長の永守重信との出会いは、35年ほど前であろう。定かには覚えていない。今では、成長企業の神様のように言われているカリスマ経営者である。今日もその勢いに陰りは無い。

 コンピュータの周辺機器が急激に変化している時であった。主な技術要素は、モーターである。加速の早い、回転ムラの無い、高速回転のモーターが必要であった。やはりアメリカが最先端であった。アメリカで調査してきた内容を元に、日本で出来るところは無いか探していた。既存のモーター企業はいずれも、批判的で開発には協力が得られなかった。それは、鉄心が無くコイルだけのローター方式であった。そんな折、学術論文で知ったか、変わった会社があるらしいと解って、早々に訪問した。

 

 亀岡市の片田舎の山間にポツリと小さな会社が存在していた。技術会議が始まったのですが、冒頭から脅かされた。永守社長がいち早く入ってこられて、挨拶を交わし、着席をしても、技術の方がまだお見えになっていなくて世間話をしていました。5分ほど立った時に技術の常務をはじめ部長、その他3人ほどが入室された。いきなり、永守社長はその部下に向かって、我々客がいるにもかかわらず、怒鳴り始めた。内容は、お客様を待たせたからである。設計部は最も奥にあって、うなぎの寝床のような工場の構造では仕方ないのではないかと思ったのだが、5分ほどは、机を叩かれて叱られていた。

 そうして、技術の話になって、細かい計算などしながら、出来る出来ない、のやり取りをしていると、また大声で、机を叩いて、怒鳴り始めた。その内容は、概ね二つのようであった。先ずは、「出来ない、と回答するな、こうしたら出来る、と回答せよ。」他は、「解らない、と答えるな、よく吟味して、何時までに回答します」と回答せよ。「我々は、専門家である、専門家としての誇りと、自信を持って対応しなさい」と、教育されていた。こんなに部下を怒鳴りまくって教育するカリスマ社長がいることに、度肝を抜かれた。

 そう言えば、上司にK主任がいた。怒鳴る事は少なかったが、レポート、図面を良く破られた。内容が適切でなかったら、破り捨てる事で、教育?をしてくれた、今になっては良き上司であった。同じような人物の印象を受けた。(この上司とは、今でも年賀のやり取りは続いている。)

 今を思えば、懐かしいと共に、こんな教育が出来なくなった今、日本企業、否、日本は弱くなってしまった、と思う。

 永守社長は、「仕事は、気合である」と言われていた。最近の、女子レスリングの誰かと同じ事に近い。永守社長の記事が、日本経済新「こころの玉手箱」に登場した。最終編に「我流の書」があり、今日、書に凝っておられるらしい。正月には、「青雲」「疾風」「闘魂」「己に勝つ」「初心」など、時の思いを、気合を入れて書く自分流を貫いておられるようだ。今日でも、全く昔の気風は変わっておられないようである。読書も盛んで、忙しさの中に、よく暇を見つけられるものだと感心するばかりである。そう言えば、海外出張中の飛行機の中でも、一睡もせず、書類に目を通される姿は、ただただ、頭が下がる。

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2006年2月25日 (土)

氷壁

 小説を読み始めるようになったのは、大学に入ってからである。恥ずかしい話、それまでは、教科書以外の本を読んだ事がない。

 幼稚園、小学校、中学校、高校、と友達であったS君がいる。S君は小学校高学年から、才能を発揮して、いつもトップに君臨していた。中学校時代はバレーボールのキャップテン、陸上ではハイジャンプの代表でスポーツマンでもあった。マスクも良い。小林旭と良く似ていた。神は二物を与えないというがまったく嘘である。彼には三物以上を与えている。

 いつも嫉妬と、諦めの複雑な気持ちを持ちながら、能力は諦めて、友人として長く付き合っている。その彼に、勧められたのが、井上靖の「氷壁」であった。我々はこの中に出てくる、こんな友人でありたい、と言っていた、と記憶している。

 早々に読んでみた。僕には、一人の女性をめぐっての奪い合い、生真面目な、純粋な青年の方が、それを忘れようと立山だったと思うが氷壁に登り遭難に合い、死んでいく、物語と読んでいた。

 今、NHKで6回シリーズの放映がされていて、今日最終回が終わった。内容は、上記のように記憶している事から、かなり違っていた。それほどまでに、読解力が無かった事になる。S君の言いたい事が今になって解った。

 それ以来、読書は、ジャンルを問わず、かなり、多くを読んできた。これは、S君の影響が大きい。感謝する。井上靖の作品は最も多く読んだ作家の一人である。最後に読んだ作品は7~8年前の「孔子」であるが、これも最後まで良く解らなかった。読解力は向上していないことになる。努力は報われない、残念。

<読書>

「ムンクを追え」エドワード・ドルニック 光文社

「叫び」奪還にかけたロンドン警視庁美術特捜班の100日、と副題がついっている。本著はノンフィクションである。名画の盗難事件がどんな人が泥棒をして、仲介がどう行われるのか?それを追う警察の気持ちをきめ細かく分析しながら、結果をまとめている。人間心理などがよく描かれていて、面白く仕上がっている。

 ムンクのみならず、レンブラント、フィルメール、ゴヤ、ピカソ、などに及んでいる。なんと言ってもムンクが圧巻である。

 偶然は良い本に出合える機会を与える。

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2006年2月24日 (金)

仙台とは

 トリノオリンピックでやっと金メダルが取れた。それも念願の女子フィギュアスケートである。世界の頂点を獲得する事は大変な努力であったろう。素直におめでとう、を言いたい。NHKの放送によれば、東北高校だと言う事である。確か、女子プロゴルファーの宮里藍も東北高校と言う事である。日経新聞の「駆ける魂」で紹介されていた。どうして、いずれも仙台なのだろうか?偶然か?

 そう言えば、日本の電子工業発展の基本は東北大学の金属物性であり、無線技術(八木アンテナ)であり、発光ダイオード、今日の半導体基本技術など、日本の、いまや世界の最先端であり、リードしている。これとて、どうして仙台か?摩訶不思議である。

 適当な低温がいいのか?そう言えば、今日の世界の文化、工業の発祥は寒冷地帯からである。本当にそうなのかは解らない。ヨーロッパと言い、アメリカを見ても、ボストン、デトロイト、シカゴ、ミネアポリス、シアトル、と多くの文化、先端企業は北である。

 宮里藍にしても、荒川静香、高橋尚子、なども、いろんな人の話を総合してみると、結果が出せる人は、①素直な気持ち持っている(人の話を聞ける力がある)。②向上心が限りなく強い(上心の魂)を持っている。③質素な生活をしている、の3点ではないだろうか?だから、インタビューでも自分の言葉で、しっかりとした反省が話せる。そう言えば、イチローの言葉も、多くの示唆に富んだ話が多い。(同じ野球界で人気者のMとは大きな違いである)

 韓国も今回のオリンピックで多くの金メダルを取っている。毎晩、その親、先生のインタビュー、コメントをTVで聞くことが出来る。その内容の多くは上記の内容にまとめられる。特に質素な生活は涙を交えて強調されている。

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2006年2月22日 (水)

軽妙洒脱

 日本経済新聞に、追想録なる欄が時々載る。2月17日に永谷園の元社長の永谷嘉男さんの記事に出会った。今までで、最も長命なヒット商品は「お茶付け海苔」であることは有名である。そんな創造性はどこから生まれたのか?と昔から不思議であった。この永谷社長は小唄、ゴルフ、油絵、など、娯楽が大好きで立ち振る舞いは洒脱であった、と言う。自称「娯楽家のような経営者」である。「遊びもビジネスの肥やし」、独創性を育むエネルギーの源であった、と言っていたそうだ。まったく同感できる話である。

 35年ほど前の話であるが、「焼肉のたれ」の某社の社長に、取引先の社長に2度ほど連れて行ってもらった自由が丘のバー(バーと言っても、カウンターだけの、所謂、止まり木居酒屋である)で、お会いして紹介に預かった。挨拶もそこそこに、取り出したメモ用紙に、なにやら殴り書きを始められた。いつもの水割りはすでにサービスされている。その内、形が出来上がってきた。そこで、一気に水割りを飲む、また、一心不乱に、仕上げに入り、出来上がったころあいにタイミングよく、次の水割りが用意されている。絶妙のタイミングで、また一気に飲み干す。「それでは、お先に失礼します」と挨拶され、帰宅を急がれていた。そこで、思い切ってお聞きした、「何を書かれたのですか?」「これですか、篆刻用の篆刻文字です。今夜、篆刻を彫る為の下書きです」「年寄りの道楽でね、ここでないと創作できないのですよ」と言う事であった。二度とも同じであった。創造性とはそんな事なのだと、真似をしたくなったが凡人には無理であった。こんな居酒屋の活用もあるものだと痛く感心したものだった。

 これは「軽妙洒脱」の言葉がぴったりである。その為には、常識にこだわらず愉快な事を趣味としなければならない。これらは、子供の頃からの、「遊びの工夫」が最も有効である、と今でも思っている。

<読書>

「セオリー・ゲームからの脱出」糸川英夫 青春出版社

未体験時代の43の戦略を提案されている。尊敬する人の発想の原点がここにある。

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2006年2月21日 (火)

シルクロードの不思議

 異国にいると、日本語TVはNHKのNHKワールドが見られる。最近、特集アーカイブ、シルクロードが放映されている。これを見ることが出来る時間に帰ることは少ないが、間に合う時は見ることにしている。大変な取材であるし、膨大な資料が残っている。今日は、司馬遼太郎、井上靖などの生前の話しが聞けた。懐かしい風貌である。遠大な世界に魅力を感じると言う事である。

 シルクロードは想像を絶する困難な道のりである。しかし、西から、東と交易をして、さらには、ところどころに、仏陀の遺跡を残している。しかも、その遠大な道のりには、数々の民族が存在する。当然言葉も違う。生活様式も違う。それらが、交易という目的に共通の意識、夢を見て繋がっていることに、まったく不思議を感じる。

 そう言えば、最も大きな帝国はモンゴル帝国であった。西はトルコから東のモンゴルまで、統一された帝国が築かれ、長く続いた。一体こんな広大な帝国をどうして統治したのであろうか?シルクロードとともに、その方法を知りたいものである。ローマ帝国など新しい時代は、多くの資料と論説がなされている。その中で塩野七生の「ローマ人の物語」と言うこれも膨大な研究著書があるので、幸いにも想像が出来るようになった。シルクロード、モンゴル帝国などはまだそれほどではない。

 今日は、世界中の連絡をインターネットで行った。当然に瞬時に連絡がつく。本人がどこにいようとまったく意を解しない。英国、アメリカ、ドイツ、日本と時間の意識もなく連絡し合ってまったく、瞬時に決定が出来る。それでも、連絡が悪い、会話が巧く通じない、誤解を直す事が遅いとかの争いが絶えない。

 それが、らくだ、馬、で行き来する、それもまともな道が無い状態で西と東で意思疎通できる会話は何ヶ月たって、あるいは何年たってつながり、忘れず、どうできたのだろうか?そんな時間の遅れをどう管理できたのだろうか?

 制御論で言うと、時間軸が短くなってしまったこんにちは、人間の持っている時間係数よりも短いところで処理がなされて、そのシステムが発散している、と言うのか?大昔の世紀は人間の時間処理に十分な時間での処理で安定していたのか?それにしても、時間はかかりすぎだろう。それとも、「聞かざる、見ざる、言わざる」、が結果としてよい事なのか、誰か教えて欲しい。

<読書>

「ローマから日本が見える」塩野七生 集英社

勝者は決して、最初から勝者であったわけではない。無数の敗北や失敗を乗り越えてきたからこそ、彼らは勝ち残れたのである。だから、ローマを知れば混迷する日本の今日に、無数の教訓を与えてくれるであろう。

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2006年2月20日 (月)

格差の時代

 ライブドアーの栄光と凋落が新聞紙上で賑わっている。これの元はなんと言っても、「自由な競争社会」が生んだ「焦り」の結果であろう。

 勝ち組、負け組と差別した呼び方で、二極化したがるのは日本人特有かも知れない。日本の経済は回復基調にあると言うが、全体に言えるような傾向ではない。競争社会で言う、勝ち組が飛ばしているからである。

 しかし、この競争社会を裂けて通れるかと言うと、そうは避けられない状況にある。世界全体が競争社会になってきているからである。世界に勝ち、生き残らなくてはならないからである。そんな自由な競争が社会を引き裂き、世界中で問題が噴出す時代となってきた。日本の産業分野で、隣の、韓国、中国が台頭著しいのも脅威でありが、すでに負けてしまった物も多い。トリノオリンピックの結果が今日の日本の世界での地位と比例していると言う事であろう。競争して勝たなければならない相手は、世界である。これがグローバルな時代と言う事である。

 日本では、2007年問題として、団塊世代の課題がある。700万人が「無職老人」化するといわれている。それに、「もの作り大国」が凋落するとも言われている。技能とか、調整役を支えてきた世代が退職するからである。アメリカはこの問題をいち早く調整してきた。日本は、再び「もの作り原点」と叫んでいる。本当に正しい再生の仕方なのだろうか?それを支える、一段上のデザインコンセプトとか、アーキテクチャーに先進的な強みが生まれないと、永遠に勝ち抜けない。

 企業の雇用問題も、世界で戦える企業になるために、平均賃金を抑えるための工夫が行われている。正社員を減らし、外注化が進む事は当然となる。こんなことは、結構人間は自身で調整する、心配は要らない。企業にとって深刻な問題は、学力の低下である。もの作りもダメ、知的能力もダメ、一体どうなるのだろうか。雇用政策が鎖国では日本の勝ち目はない。企業格差は、頭脳格差につながっている。

 ゆとり教育の弊害が、ここに来て一斉に問題を噴出してきている。全ての対応が後手に回っている。何時の間にこんな評論家だけの国民となってしまったのか?アメリカや、韓国や、中国のように、全てを飲み込んでの決断の速さはもう望めないのか?

<読書>

「10年後の日本」 日本の論点編集部 文春新書

あなたは生き残れるか?衝撃の大予測。この論説の不満は、日本社会内での展開である。過保護な甘えの論説は辞めて欲しい。世界がどう解決しているのかの比較が必要。不安をあおる論説のみである。日本の抱える問題点ではあるが、世界との戦いでもある。世界からの攻撃が含まれていない。日本が弱くなることを、世界は喜び、日本に戦いを仕掛けてくるであろう。

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2006年2月19日 (日)

チャーリを思い出す

 まだ北風は冷たいが、犬の散歩の光景を見受けるようになった。その度に、老犬と一緒に過ごした日々の事を思い出す。チャーリーとはミニチュア、ダックスフントのワイヤーと言う珍しい品種でした。あまり見かけることはありません。

 犬とは、人に付くといわれるように、家族の構成を知り、それに、実に、巧く立ち回っていた。妻は食事役と認めていた。私は散歩役と認めていたようでした、が主人とも認めてくれていたようです。何か困った事があると、なんとなく私に訴えてきていたように思います。寝転んでいると、そんな暇があるのなら、散歩に連れて行くように催促します。「よし、散歩だ!」と言うと、しっぽを思い切り振って大喜びだった。出かけていくと、自分の縄張りの確認に忙しく振舞っている。その合間に、何かと、顔を見上げては、この主人に「何を考えているのだ?」と、探りを入れてきたり、「チョッとここを見てみろよ、変化があるだろう!何か感じないか?」と話しかけてくる。いろんな変化を教えてくれた。

 別居するようになった娘から、預かってからは、特に、散歩の後疲れたりすると、昼寝の時間となる。傍によってきて一緒に添え寝をしてくれた。犬は人の真似など巧いのかもしれない。そう言えば、困った事に、嫉妬深いということである。黙って出かけようなら、そこいらにシッコを振舞う。その程度ならまだしも、腹の居所が悪いとそこらを荒らしたり、排泄物まで振舞うのには困ったものであった。叱られる事を良く知っていて、頭を下げて、叩かれる事を待っているから、始末に悪い。叩かれると目を細めて喜んで見せる。

 あるときは、これ以上、我慢がならないと思うと、足を怪我したように歩けない真似をしてみせる。慌てて、抱っこして自宅に戻りそっと置くと、ご苦労さまと言って、涼しい顔をして、飛び跳ねる。悪い限りです。

 今年は戌年。一周忌がもうすぐです。その前に、思い出してやらないと可愛そうだと思った。たまたま思い出しだけであるが。合掌!

<読書>

「自分であり続けるために」 田坂広志 PHP

著者は、僕の経営学の本の上の先生である。「複雑系の知」を読んでからそうなった。複雑系の経営の基本を解りやすく教えている。著書の8割(10冊以上)は読んでいる。そんな先生が、流されず今を生きる50のメッセージを綴っている。

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2006年2月16日 (木)

Druckerの思想 05年11月11日死亡

 経営者になった時、何から勉強すればいいのか解らなかった。本屋で最も名前の多い人の本を取り上げて読み始めたのが、Peter F. Druckerであった。

 沢山の著書がある、歴史もある。なかなか難しかったけれど、次のような事が、経営思想として大変に参考になった。

1:労働者はCostでなく資源である。

 ― 労働力を経営資源として活用する事がこれからの経営、と言う。今日的には、知的経営の中心課題である。労働力の安い国に出かけてしまうことを戒めている。また、簡単にリストラする事も戒めている。優秀な企業は、労働力の活用の経営で成功している。

2:知識こそ本当の資本である。

 ― 人の知識が生産性の源である、と言う。人間の知恵を大切にした経営が大切である。つまり、イノベーションを忘れると後退の道しかない。

3:効率的な企業は、問題解決型ではなく、提案型の企業経営である。

 ― バブル後の日本の経営に警告を発信している。チャンスを作る、チャンスに挑戦する、それが経営である。

4:事業の目的とは顧客を作る事である。

 ― 今日に企業活動は、顧客に迎合しすぎではないだろうか?顧客を引き付ける魅力ある商品を提案しなければならない。今日は、事業の目的は「利益」を生み出す事である。とよく言われるが、Druckerは真っ向から否定する。

5:イノベーションの欠如が既存の組織の凋落につながる、マネージメントの欠如が、新規事業を失敗の原因である。

 など等、多くの勉強をさせてもらった。冥福を祈る、合掌。日本の今の優良企業は、これらのDrucker語録を良く守っているように思えてならない。再び合掌。

<読書>

「ポスト資本主義社会」 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社

21世の組織と人間はどう変わるのか。ポスト資本主義のへの転換期の真最中である。日本の体質はその改革に厳しい物になる。と警告している。

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2006年2月14日 (火)

「品格」とは

 最近のヒット書籍に「国家の品格」なるものがある。まだ読んでいないのでこれにコメントできない。先ずは「品格」とはどんなことかの定義が必要ではないかと思う。品格とは、品位、気品、がら、姿、品性などなど。

 「品質の高い格式」と定義をすると、品質は作りこめる。つまり、しつけ、けじめなど、と同等に、それなりに教育、教養なる積み上げで作っていけるのであろう。だから国家はつまり、世界の中での日本国の品質を高めるために、取るべき行動、発言など、研究、勉強をする必要を訴えればよい。それが、本著の主張であろう。

 作品、とか美術品とか、「器」である。これは作りこまれた中に現れる美しさである。鍛錬、努力と言う言葉がすぐに思いつく。磨き上げられた一品である。

 これを「高貴な品性」となると如何であろう。誠にもって難しく一言では言い表せない。この感覚は「一目で分別」される者ではないでしょうか?人は見かけで決まるではないが、「高貴」となると、体格、動作、顔、言葉使い、雰囲気、服装のセンス、など先天的なものと思う。しかし、決して、美系だとか、背が高いとか、と言う表面的なものではない。中から湧き出る「何か」である。当然ある程度は、後天的に仕上げることは出来るであろうが、「成り上がり」と非難されるが落ちである。

 努力に対して、「天才」と言われるような者であろう。(ここではあえて、「者」と使っている。)すると生まれながらに備わっていると言う事か。人々はよく「センスが良い」と言っている。それとも、長い年月、何世代も渡って育てられた「品質の高い格式」の積み上げ、と言う事になるのか。楽天的にそう思わないと、この本のベストセラーが保てないのではないか。

 「氏」が先か、「育ち」が優先か、大変に議論をかもし出すところである。品格の持ち主であった「愚笑妙チャーリー」は何とコメントするであろうか?当然、「氏」が勝ると言うであろう。

 私は、多くの「高貴な品格」の持ち主に出会った。大学時代の恩師、同僚、企業での先輩、競業企業の人々、数知れないが、「一目ぼれ」であった。決して裏切らない。それらはやはり、「氏」なんだろうか?

 果たして、日本は「高貴な品性」を氏から持っているのであろうか。後世に引き継げるように「品質の高い格式」を獲得して後世に譲っていかなければならない。

<読書>

「私の嫌いな10の人びと」 中島義道  新潮社

「いい人」の鈍感さが我慢できない。日本人は「いい人ばかり」である。だから嫌いである。さしあたり、よく感じない人、良く考えない人多すぎる。と、警告している。

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2006年2月13日 (月)

今年の冬

 今年の冬と言っても、12月にさかのぼる。昨年と違い本当に寒かった。遅れて紅葉した紅葉の葉が落ちきらない前に凍ってしまうほどである。腐ったような色の葉が、今になってもしがみ付いている。川辺の柳の木においても同様である。葉っぱは本来ならば地面で迎える冬を親木の先端にしっかりしがみついて冬を越す事に屈辱を感じているであろう。私のこれからに似せて哀れむ。

 会社への道のりに多少大きな湖(池)がある。一寸した行楽地だそうである。一面氷が張り、その上に時々降る雪がその日によって変わる渦の絵模様の不思議な世界を見せてくれる。まだ明けやらぬ朝に驚きの光景を迎える。渡り鳥は氷上で凍えて動かなくなってしまったのかと心配させるほど微動だに、しない。

 前夜、少し降った雪が川の氷の厚さを知らせるすべはない。ハイヒールでミニスカートの痩せた女性と、ずんぐりむっくりの男性が、恐る恐る、対岸に向かって歩み始めた。川幅は10mほどあろうか、対岸に格別変わったものが有る訳ではないので、あえてそんな冒険をする必要は無い、と確信する。本当に恐る恐る、である。ハイヒールの一点集中型圧力と、ずんぐりむっくりの重量型の圧力が氷にかかってどうなる事かと、こちらも固唾を呑んで見守った。無事渡り終えた二人は、大笑いをして肩を抱き合い喜んでいた。そんな風景を眺めているのは私一人である。そんな自分に思わず笑いが噴出した。もし、チャーリーと一緒なら、自分もこの川を渡って、喜び合ったかもしれない。それともチャーリーなら渡らなかったかもしれない。人のことを笑っていられない。

 すっかり冷え切った体は、右膝がガクガクと笑い始めた。これも二人の奇怪な行動にある種のハプニングを期待して時間を費やしてしまった寓行の代償であろう。マイナス5~6℃の昼間の情景である。

 22階の部屋はオンドルのおかげで、半そでで過ごせる。そこからの眺めは、凍て付いた空気の固さの奥で、すっかり葉の落ちた木々が櫛のように見える小山の地肌に雪で覆われた姿は夕焼けに赤く輝いていた。久しぶりに絵心が目覚める。

<読書>

「生きているのはひまつぶし」 深沢七郎 光文社

こんな日には、こんな読書もなかなか愉快だ。

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2006年2月12日 (日)

旧暦の1月15日

 立春(2月4日)に散歩に出かけた時はまだ冬の気配が漂っていた。空の色の青さが凍て付いていたし、川は氷が張り詰めて、カモなど氷上で包まって動かなかった。1時間ほどの散歩でも、以前の登山の下りで痛めた右足の膝が寒さのためにガクガクと笑い始めた。

 今日は、朝から、天気が良いと言うよりは、光が春めいて、白く、明るくなってきたのが良く解る。冬とはまったく違う光の色になっている。朝はマイナス5℃ほどで、散歩の1時ごろには3~4℃にはなっていたのだろう。川からすっかり氷の姿は消えていた。それに変わって、カモなど水鳥が騒がしく動き回っていた。さらには、太陽の光を借りて、猫柳の芽が大きく膨らんで銀色の産毛が川渕一杯に輝き、水しぶきが凍って出来た氷の花の輝きと絡み合う姿は絵には出来ない美しさである。それらの小木に、メジロの大群が押し寄せてもくるに、思わず身構えてしまった。

 人も、それに連れ散歩道、公園の広場にあふれかえっている。昔ながらの米ゴマ遊び、ローラーブレード、凧揚げに夢中である。その大会を屋台も出て花を添えている。いつの間にか、犬の散歩も増えてきた。犬もご機嫌で駆け回っている。愚笑妙チャーリーも目を細めているであろう。合掌。

 10mほどの黒松の林の地面からは枯葉と土の匂いが立ち込めている。思わず深呼吸をしてしまう、そんな自分に笑ってしまう。その匂いを求めてか、ケラ、百舌が耳を劈く激しい鳴き比べの競演を楽しんでいる。

 さらに先を急いでも、右の膝は笑うことは無かった。それだけ暖かくなったと言う事か?

<読書>

「悪女の笑窪」 大沢在昌 文芸春秋

男を完璧に見抜く女のエンターテイメント小説。作家、大沢在昌といえばエンターテイメントの先駆者。小春日和に最適の読み物。

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2006年2月11日 (土)

設計思想について

 何とかして今までの経験を思想として残して伝達して行きたいと試みているがうまく進んでいない。バックグランドが技術屋であるから、設計思想を、ビジネスマン(経営者の経験)だから、事業戦略思想を、と考えている。

 これらの経験は、少なくとも体で覚えてきたことがほとんどである。体で覚えてきたことは、どうにも思想として表現に出来ないのかと、思い悩んでいる。武谷理論ではないが、Normalize, Generalize,に作り上げていきたい。さらにはこれら基本に、MOTManagement of Technology(技術経営)の一部の論説につながるといいとも思っている。是非、構築していきたい。

 養老孟司の「無思想の発見」を読むに従い、この試みは無謀だと言うことが分かり始めた。その一つに、概念の世界、感覚の世界を言葉で表現する事に限界があるし、ましておや、二つの世界を結び付けることは無謀と言う事か。言葉自体が持つ、表現に、同じである事と、違うこと、もあると言う。なんと思想とは難しきことか。他には、思想が現実に直接干渉すれば「思想は現実にある」となり、「思想は思想的に存在する」事と矛盾すると言う。

 そう言えば、司馬遼太郎は「日本のかたち」と言って、「日本の思想」とは決して言わなかった。なるほど、「設計のかたち」「事業戦略のかたち」の方がなんだか納まりが良いし、これなら、表現できそうである、と今は思っている。

 こんなことを試行錯誤しながら、あきらめることなく、何らかの方策を見つけたい。一方表現方法には、「レトリック」と言う手法を活用したく勉強中である。「愚笑妙チャーリー」と話など出来ると解決の道を教えてくれるのであるが、合掌!

<読書>

「無思想の発見」 養老孟司 ちくま新書

思想と現実派対立する物ではない。相互に補完するとしながら、「意識中心の社会」は、無思想をどう考えればならないか?

「日本語のレトリック」 瀬戸賢一 岩波ジュニア新書

文章表現の技法、と、サブタイトルがついている。

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2006年2月10日 (金)

ITと親子

 最近、よくニュースになるのは、少子化のことである。少子化の影響は計り知れない状況を生むであろう。今からどうなるかは読みきれない。老人国家になることは確実である。そんな中、子供による犯罪、子供への虐待など今までと違った現象が現れていることは事実である。これが少子化からもたらされているか、は疑問ではある。一方、若者の就職が思わしくない、とか、引きこもり、社会活動への意欲が無いとか言われ、ニートなる新しい言葉も生まれてきている。 

後者の現象は、ITの発達と大きく関わっている、と言う説が多い。主な理由は、面と向かった会話の不足と、IT言葉が人の心を理解できなくなっているのではないか?という説である。つまり、ITでは心が通じ合わないと言う理由からである。

我が家のことに立ち返って考えて、コメントするにはいささか不安がある。親子らしい(これがなんだか定義は出来ないが)会話はあったのか?心に染みる話が出来ていた、とは思えない。子供が成長するまでは、誰とも同じく、仕事、仕事で帰りは遅く、一家団欒の食事は、ほとんど記憶に無い。今にして、謝罪しても遅すぎるようだが。しかし、近年では、わが家はメール、Blogなどでの情報交換は大いに助かっている。Bolgでは4人とも勝手なことを書いているが、少なくとも、直接の会話より心が伝わるように思う。考えが良く解る。

親ばかになった娘と、その孫の成長振り。文武両道の成果と、友人関係、恋人との状況が分かる息子。文章はうまいと自慢する妻の外向きの顔。面白く拝見している。四天王一家ではあるが、親子の交流はITを活用して、今のところ、巧く行っているのではないかと、悦に入っている。この思いは父親だけか?しかし、だからと言って親の責任がこれで果たせたとは思っていない。多分果たせないだろう。力不足だから。

そのような訳で、私は、IT発展賛成論である。現在の問題は、むしろ、日本の企業活動、経済状況との相関関係が大きな比重を占めているのではないか、と考えている。それに、日本は大きな夢を失っているのではないか?「夢の創造」の戦略が必要である。

<読書>

「骨董屋 中村商店」 川上弘美 新潮社

いわゆる現在的若者の活動がうまく描かれている。今の、これからの日常はこんな生活が主流になるのかも。

「エクスペリエンツ」 堺屋太一 日本経済新聞社

団塊世代の老齢時代についての未来生活の予想を描いている。夢縁のつながりが重要視されると展開される。この提案は楽天的過ぎないか?

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2006年2月 9日 (木)

父のこと

 随分前に昇天した。親不孝者だから、詳しい日時は覚えていない。だが結構、思う出す事がある。その思い出し方は、仕事上、人生の事で思い悩む時に、「親父ならどう考えるだろうかな?」である。今回の仕事を選ぶ時も、一様、聞いてみた。答えは当然反対したい、である。私の決断はいつも「親父」と反対の事となってしまう。そんな時、「親父」は黙ってニンマリとしていたように思える。

 「親父」も人生を完成させたわけではない。よく議論したから良く解る。むしろ、未熟を嘆いていた。そのはずである。もし、親父が人生を完成してしまったら、私は生まれてくる必要は無かったのである。「親父」はいつも迷っていたし、未完を嘆いていた。なぜ、私の前でそんな嘆きを、また愚痴っていたかと、今になって考えると、私にそれを引き継いでほしかったのでは、と言う事が分かる。そんなような事を、「横尾忠則」も語っていた。しかし、意見の違いの調整は遺憾ともし難い。これから、もっと深く考えていかなくてはならないが、出来るだろうか不安である。それに、私も未熟、未完のままで死んでしまうだろう。

 大学生活で上京してからは、年にそんなに会う事もなかった。会えば、紋切り型の質問が返ってきた、「これかはどんな世界になるのか?」「手塚治の発想のロボットは何時出来るのか?」「月に一般人がいけるようになるのはいつごろか?行ってみたいのだが。」である。将来の夢を語るのが唯一、楽しそうだった。

 その影響だろうか、どんな仕事でも、日本一位、世界一位を目指して、貪欲にそれを目指してきた。自分に合うとか合わないとか、そんな贅沢は言わない。先ずはトップレベルの成果を獲得してからだ。多少の成果は誇れる物がある。そんな夢を今もハングリーに追求している。さてさて、バカにそれが実現できるか?日々、黙々と頑張るだけである。

 私は未だに「親父」の夢を引き継げでいない。私の子供たちになんと説明すれば良いのか、何を伝えたら良いのか未だに解らないし、夢を語ってやれてない。我が家の子供たちは、それを解っていているからか、実家(爺、婆の家)に参上する事が大好きである。

<読書>

「不良定年」 嵐山光三郎 新講社

我、快楽ス。故ニ我アリ。はなんと含蓄のある言葉であろう。反面教師として本当に参考になる。読まなければ面白くない。

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2006年2月 8日 (水)

思い出した

今年に入っての日経の最後のページに「交遊抄」なる欄がある。どなたが書かれたのかは忘れてしまったが、物理屋さんである。目に飛び込んだ一文は、「武谷三男の会」である。武谷教授を師とされていて、ご無沙汰していたので、武谷三男の会に出席したい、と言うような文面であった。

 竹谷三男教授は、すでに亡くなられていて、京大の物理の教授であり、湯川博士のノーベル賞の影の人と言われたり、名古屋大モデルの基礎を支えたとも言われている。偉大な物理学者であった。

 私は当然、教えていただいたことも、直接お目にかかったことも無い。2年生の時だったか、3年生の時だったか、ふと、本屋で手に取ったのが、「自然科学概論」であった。何ゆえそんな難い本に目が向いたのかは定かではない。とにかく、私にとって、自分で選び、一人で読破した始めての本である。内容は今を思っても難しい。が何故か、不思議によく理解が出来た。本当に私にとって不思議な事である。これをきっかけに、自分で本を選ぶ喜び、読破する喜びの始めになった記念すべき著書であった。

 内容は、今でも思い出し活用している。全てには「現象」があり、それには「原因」がある。それを深く追求すれば「本質」が見えてくる、と言う、「三段階論法」である。ある意味では単純かも知れない。単純だけに、実に意味深い。技術の分野では良く使われる手法に、PDCA(Plan,Do,Check,Action)がある。それと良く似ている。親しみのある思考方法である。私の少ない思考方法の一つになっている。

 さらに、本質を究めると、Normalizeしなければならないし、出来ればGeneralizeに至ることが出来るとよい。と書かれていた。私の技術屋の人生で、未だこれらを見つけられていない。武谷三男の会が存在しているうちに、自分の方程式が見つけられるように、これから頑張ってみようと思っている。

<読書>

「自然科学概論」1巻、2巻、3巻、 武谷三男 勁草書房?

論理思考の基本がわかる最も有用な本である。

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2006年2月 7日 (火)

恩師の訃報

 昨年の暮れの事ですが、何通かの喪中が届いたようである。呼び上げてもらうと、病気で入院を続けておられると聞いていた、「改野一恵」先生の名があった。小学校だったか、中学校だったかも忘れてしまったが、鮮明にお顔を覚えている。今で言う、小顔の元美人であって、いつもにこやかに、皆に接しておられた。家庭科の先生だったので、直接教えてもらう事はそう多くは無かったし、評価をされた事は少なかった。高校へ行ってからも、大学にいってからも、社会人の始めのころも、何の機会か覚えてはいないがお会いするといつもの笑顔で接してもらっていた。年一回の年賀状は忘れた事がない。

 わがままで、餓鬼であった私には、特に、やさしく接していただいたのかもしれない。癒し系の先生であった。にこやかに「元気にしている?」「頑張っている?」位しか言葉は交わしたことが無かったように思えるが、私にとっては大きな励ましの言葉であったし、必要な先生であった。それには、余分な言葉は要らないということである。

 このような徳のある先生はまれなのだろうと思うが、私の一生の宝の一つであった。まだ、80歳には届いてはいなかったと思う。そのうちにお見舞いに行かなくては、と考えていたところであった。残念。少々の涙、合掌。

<読書>

「その日のまえに」 重松清 文芸春秋社

 何故か、涙と言えばこの本を思い出す。久しぶりに小説で泣けた。必ずしも、今日の本題とは結びついていない。

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2006年2月 5日 (日)

定年後の再出発

定年後をどう過ごすかは、難しいものである。格別強い意思を持たずに、定年となると、いささか焦るものである。後二年あると思っていた故に一層である。急いで、論文(MOT関連)をまとめ、大学巡りをして、非常勤教授など探してみたが、なかなか、東京近郊では見つからなかった。この時健在であった、老犬チャーリーも大いに応援をしてくれていた。

今は、分け合って、異国で過ごしている。それも、まったく眼中に無かった異国である。いきなり外国の企業に雇用されると言う事態と相成ってしまった。海外生活は若きころには憧れであったが、定年を過ぎて、余暇で過ごすならまだしも、第一線での仕事とは、勤まるかどうか不安であったが、何とか1年が過ぎた。言葉が通じない事はやはり、言いたいことが伝わらない訳であるから、辛い思いがする。聞き手は何とか聞こうとしてくれるのだが、巧く伝わらないもどかしさに焦る毎日であった。しかし、目指す物が一致しているだけ、楽しく仕事がきている。みんなの親切に感謝。

地理的には近くの国であるが、日本からは遠い国であろう。日本はまったく無視をしてきていた。少なくとも僕には眼中に無かった。最近はそうも行かず、何かと比較が新聞を騒がせている。いろんな分野のビジネスで日本にとって脅威になっている国である。

そんな中、海外から見る日本は世界を見る目がいささか偏っているように思える。この国の世界を見る目は日本とはかなり違った見方をしている。今はそんな世界観、企業観の勉強をしている。

愚笑妙チャーリーが今は心の支えとなっている。何かあると呼び出しては、愚痴っている。いつものヒョウキンな顔をして、耳を傾けてくれる。

<読書>

「サムスン高速成長の奇跡 10年改革」 ソフトバンク パブリッシング

「サムスン電子」 東洋経済新聞社

「サムスン経営を築いた男 イゴンヒ」 日本経済新聞社

最近、3冊ほど、「サムスン電子」についての著書が発行されている。近著の「サムスン電子、恐るべし」など合わせて読んでみると、日本の昔のよき時代を思い出すであろう。それをはるかに上回った成長過程が理解できるであろう。

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