劣等感は良薬
「顔」から始まった「劣等感」は顔だけにとどまらなかった。私の同期の従兄弟などは、はるかに優れた頭脳の持ち主であった。当然、勉強だけでなく、いわゆる右脳、の音楽、美術、体育にまで至る。同じ小、中、高、と学校に通うことは、小さな田舎では、いやが上にも比較をされてしまう。そんな事から、親とのいさかいは耐えることはなかった。「ひねくれ者」と言われ「変人」扱いにされて今日に至っている。
「無能、無才」からどう生きるか?と言えば、少し聞こえが良いが、無能無才には、考えるすべも出来なかった。自分をいかに誤魔化すか?のずるい考えを創造するしかなかった。それが幸いしたかどうか解らないが、新しい事を考える思考力、想像力、工夫力は比較的に身についていた。
「妖説太閤記」 山田風太郎 (妖説、はこれで良かったか、自信が無い、40年ほど前に読んだのだから)サルといわれた秀吉の生き様をテーマにしたものである。真に、面白く、我に参考になった小説に偶然にも遭遇した。良く似た人生に大いに参考になった。ここが、その時を機会に本を少し読むようになってきた。それは第二の旅立ちになったことは事実である。
「劣等感」は真によい、良薬という事か?
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